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56 黄島さんは上川君と下河さんのことが気になる


「イ・ヤ・ダ」


 まるで駄々っ子のようなゆっきの声が上にゃんのスマートフォンから響いた。予想通りの反応に、私は思わず苦笑が浮かぶ。


 現在、司書室でビデオ通話中。


 お願いをするのなら、ちゃんと雪姫の顔を見て言いたい。そう言う上にゃんは本当に真面目――いや、違うか。雪姫を最優先で考えているんだと思う。


 尻切れトンボになった上にゃんの昔のことは、当然誰もが気になるワケで。続きは部活で聞こうと結論は落ち着いたが――奥様の許可を取ろうとした途端、この有様である。


 雪姫が感情を曝け出す。その姿が今でも私は信じられない。でも、と思うのだ。ゆっきは、こうやってずっと誰かに甘えたかった。


「だって……。今日、冬君バイトの日だもん。ただでさえ、一緒にいられる時間が少ないのに。会えないかもしれないなんて、そんなのイヤ。絶対にイヤだもん!」

「……ごめん」


 と言ったのは上にゃんだった。いや、違うから。上にゃんが謝る必要ないから。ゆっきが不安定になる可能性が高かったのに、ダメ元でお願いしてしまった私たちに非がある。


「ちが、違うよ。冬君が悪いわけじゃないから。分かってるもん。私がワガママ言って、冬君を困らせているの――」


「雪姫が困らせたなんて思ってないよ。雪姫が不安になるの分かっていて、最終的にお願いをしたのは俺だから。ただ雪姫はもう伝えているのに、友達に伝えないのは、ちょっとイヤだったんだ。一番に雪姫に伝えたあと、しっかり説明するって昨日、黄島さんに言ったからさ」

「う、うん。それは私も分かってるよ……」


 スマートフォン越しでも、今でもその指と指が触れそうで。


(え? なに? もうゆっきは知っているの?)


 思わず嘆息が漏れた。上川冬希にとっては、常に下河雪姫が最優先。そこはブレないんだなと思うと、つい口角が上がる。確かに上にゃんは、ゆっきに伝えてからとあの日言ってたしね。


「……あのさ、提案なんだけど。部活で無理に話さなくても良くない? 二人のリハビリの時間に僕らがちょっとお邪魔する感じじゃダメかな? 下河にはちょっと申し訳ないけどさ」


 ボソリとひかちゃんが呟く。


「それなら……」


 不承不承、全て納得したわけではないのは表情が物語る。でも雪姫は渋々小さく頷い――。


「えー?! それじゃ、私が聞けないよ、上川君ー」


 ブンブンと上にゃんの手を掴んで振る。そりゃ教師はムリでしょ。学校抜け出してなんて、部活動の延長戦でもムリがあ――。


「弥生先生!」


 つい私の声が荒くなる。人の瞳から光が消える瞬間を、私は初めて見た。慌てて、弥生先生が上にゃんの手を離すがもう遅い。


「……弥生先生?」


 ボソリとゆっきは呟く。


「あ、電話や玄関先のインターフォンでは何回か言葉を交わしたと思うけど、担任の――」

「……冬君と仲が良いんですね」


「いや、ちょっと。イヤだな。誤解しないでね? 教師と生徒の仲で、それ以上もそれ以下も――」

「教師と生徒の仲のそれ以上なんですね」


「いや、下河さん? 違うからね? ちがうから、私はちゃんと旦那さんがいるし、」

「旦那さんがいて、それでなお冬君と仲良しなんですね」

「待って、まって! そんなNGになるワードばかり拾わないで――」


 だから言ったんだ。ゆっきは、狭い世界のなかで今も、息をしている。その生存圏域のなかには上川冬希が必要不可欠で。雪姫から彼を奪うようなことがあれば、彼女はそれだけで呼吸ができない。それぐらいの脆い世界のなかで、彼女は呼吸をしている。


 つー、と。雪姫の目から涙が流れた。

 フラフラと、雪姫は画面外へと消えてしまう。


「ごめん、海崎。みんな、俺、今日は帰るわ」

「へ?」


 ひかちゃんが反応するより早く、上にゃんはリュックをつかんで司書室を出ていく。


「上にゃん、携帯――」

 もう彼に、私の声は届いていなかった。





■■■





 何分、たったんだろう。司書室は気まずい沈黙が流れたままだった。


「あの……。そのごめん」


 弥生先生が項垂れているが、誰もかける言葉がない。薄々、みんな分かっていたことだ。ゆっきは、他者とコミュニケーションを拒絶していた。取ろうとしても、心が拒否したのだ。彼女は当り前のように、みんながいる場所で呼吸ができない。まるで海で溺れるかのように。


 ゆっきは前向きだ。ああやって、言葉を交わす程度には。接点を持てるようになった。でも、それは上川冬希がいるから成立する、危うい接点でしかない。私達は、上にゃんに甘えすぎていた。浮かれすぎていた。そう思う。


「下河さんもそうなんだけど、私には上川君も気になる生徒だったから、ね」


 弥生先生の呟きに、私も――みんなも同時に顔をあげた。


「……彼、コミュニティーになかなか溶け込めなかったでしょう? 彼のバックグランドを担任として知っていたら、そりゃね。下手に知られたら大騒ぎになるし。彼はそれを望んでいなかった。だったら、上川冬希君として接したいし、友達ができて欲しいとずっと思っていたの」


 と弥生先生は言う。ひかちゃんと瑛真先輩は、理解が追いつかず首を傾げていた。それは上にゃんから、直接聞くしかないとして――。

 私は小さく息をつく。


 COLORSの公式は一切、認めていないけど。ずっとファンの間で囁かれていた、噂があった。


 マネージメントオフィス【UP RIVER(アップリバー)】の社長であり、COLORSの総合プロデューサー・上川小春(かみかわこはる)。旧姓、神原小春(かんばらこはる)。すでに現役引退をしているが、国民的アイドルとして一世風靡をした彼女。その引退理由は結婚だ。


 世界的ヘアスタイリスト・上川皐月と結婚したからだ。もともとはA県で理髪店を営んでいたが、小春のヘアスタイルを担当したことから、芸能界から注目を浴び――るだけに飽き足らず、世界中のアーティストからオファーが来ることになった。


 故についた異名が――世界のkamikawa(カミカワ)

 その上川皐月の両親が営む理髪店が安芸市中区にある【恋する髪切屋】

 上川皐月の原点と言われている。


 点に過ぎなかった情報が、私の脳裏で全てつながる。

 COLORSの公式は一切、認めていない――ファンの間で囁かれている噂。


 初期メンバー、”真冬”は上川夫妻の実子ではないか。

 当時、ネットでは悪意がまことしやかに流れていた。


 ――所詮は親の七光りでしょ?

 ――地味すぎて消えて当然じゃん?

 ――居る意味あった、あの人?

 ――COLORSは最初から三人だったよね。


 私は思わず目を閉じる。目眩がしそうで。私は真冬のコーラスもダンスも好きだった。彼が出演したミュージカルもチェックしていた。あの頃が懐かしい。


『そんなことないのに』


 日曜日の夜、ゆっきはそう言った。

 ――冬君はずっと学校に馴染めてなくて悩んでた。そつなくこなしていたように見えたのは、冬君が一人で努力するしかなかったからだと思う。


 胸が痛い、と思う。ゆっきはクラスメートより誰よりも上にゃんのことを見ていた。


 仮に君がCOLORSの真冬だとして。


 上にゃん、君はゆっきと一緒なんじゃないか、と思ってしまう。


 母親が立ち上げたCOLORSから去ることを決めた時。君はどんな気持ちだったんだろうか?


 一人暮らしで、今はココにいるけれど。誰にも頼らず一年を経過して――君は、誰に甘えることができていたの? 高校生なんてまだまだ子どもなのに。


(私は思い違いをしていた――)


 上にゃんは、さり気なくゆっきをフォローしていたんじゃない。


『俺が一番、下河さんと友達になりたいって思っていたんだ――』


 そう上にゃんが言ってくれたと、ゆっきが教えてくれた。


 真冬としてではなく。上川皐月と、上川小春の息子でもなく。


 ただ、上川冬希として。下河雪姫とのつながりを望んだ。そういうことなんだと思う。そんな、ぐるぐる回る思考は、予想外の音で打ち消された。






■■■






 ピンポーン。

(え? チャイムって、ココ司書室よね?)


 思わず、ひかちゃん、瑛真先輩、弥生先生と顔を見合わせた。


「はいはい、ちょっと待っててね。翼、ごめん、ちょっと行ってくるね。って、姉ちゃん? どうした――」


 空っちの声だった。あぁ、そうか。ビデオ通話、終了せず継続中だった。


 中学校は研究授業で、今日は5時間目で下校だったね。と、もう一回、チャイムが鳴る。


「冬希兄ちゃん、息を切らしてどうしたの?」

「空君、ごめん。お邪魔するね」

「え? ふ、冬君?」


 雪姫の慌てふためく声がした。


 雪姫の姿が、スマートフォンに映る。立ち上がったので、肩から上が見えない。

 と、パタパタという音。息切れする音が混ざった。


「雪姫!」


 反応を待つ猶予もなく、上にゃんがゆっきを抱きしめる。息が乱れて呼吸が浅いけれど。それもお構い無しで。


「ふ、冬君?」

「ごめん。雪姫が消えちゃいそうって思ってしまって。そうしたら居ても立っても居られなくて……」

「え?」


 雪姫の戸惑う声が。上にゃんは文字通り、全速力でゆっきの家に向かってたのか。本当君って人は――。


 とゆっきは少し迷ってから、上にゃんの背中へ自分の手を回した。


「ごめんなさい……」

「なんで? 俺が悪いんだよ。俺こそ雪姫を不安にさせてごめん」


「……分かってるの。冬君を独占しようとするのは違うって。友達との時間があるし、冬君だけの時間だってあるから。でも、もし冬君が他の誰かに取られちゃったら、ってどうしても思ってしまって。もう私を見てもらえなくなったら、そう思ったら怖くなって――」

「俺はこんなにも、雪姫が必要だと思っているのに?」


「私、冬君に負担ばかりかけている。いつか愛想を尽かされる気がする……」

「負担だなんて思ってないけど?」


「自分の気持が重いの理解してるから。あんなことでヤキモチ妬いたり、独占したいって思うの、おかしいって自分でも分かってるし。でも、弥生先生綺麗だし、瑛真先輩も彩ちゃんも可愛いから。私なんか――」

「雪姫じゃないと、俺はダメなんだけど。それにあの人達だって、選ぶ権利があるから。あと、俺、年上はちょっと苦手」


 なんで瑛真先輩と弥生先生、へこんでるの?


「冬君はそう思ってくれるの?」

「……あのね、こんなの初めてだったんだ」

「え?」


「今まで人任せだったり、頼ってばかりだったから。でも自分で決めて、自分で決断したから。雪姫に告白したのは俺の意志だから。絶対に離したくないし、雪姫を誰にも渡したくないって思っているよ」


「うん……私も、冬君がいてくれないと、どうしていいか分からない。他の人と笑う姿見ると抑えられなくて。私の冬君なのに。私の冬君を取らないでって、ワガママな私は思ってしまう。だから、ますます抑えられなくて。冬君がいなくなったら私、きっと息をすることができな――」


 一瞬、言葉が止まる。ちゅっ、と水音が生々しく響いた。

 え? 上にゃん? ゆっき? それって、ちょっと待って? それ――?


「不安なことは、全部ぶつけて」

「……不安になったら、言ってもいいの? 私ちょっとしたことですぐ不安になっちゃうよ? バカみたいって思うけど、思うけど、でも止まらなくて――」


 ゆっきの声に嗚咽が交じる。


「もちろん。俺も不安なことは言うから。その代わり、俺にだけぶつけて。他の人じゃなくて、ね。雪姫のその表情も、感情も全部俺に独占させて」

「だって、今日のは不可抗力で、抑えられなくて――」


「だね。だから、俺も気をつける。雪姫が思っている以上にね。俺は雪姫を独占したいって思ってるからね」

「私の気持ちが重いって思う。自分でもそう思うから。でも、でも。それでも私だけを見て欲しい」


「うん。雪姫も俺のことしっかり見てね」

「他の子に優しい言葉をかけたらイヤだから」

「そんなシチュエーション無いから」


 と上にゃんは苦笑を漏らした。


「これからもヤキモチ妬くよ、私?」

「どんと来い。全部受け止めるし、そんなこと考えられないくらい、雪姫を甘やかすから」


「もっと甘えても良いの?」

「もちろん」


「それじゃ、もう一回して欲しい。ダメ?」

「喜んで、だよ――」


 上にゃんの言葉は途中だが、私は問答無用でビデオ通話を終了させたのだった。





■■■






「えっと……」


 先程とは違う意味で、気まずい空気が流れた。


「上にゃんのことを心配したことは理解しました。でも、とりあえず先生は反省してください」

「はい……」

「私から見てもアウトだと思います」


 瑛真先輩にまで言われていた。クソガキ団に諌められるのは、よっぽどと思って反省してほしい。


「返す言葉もありません……」

「むしろ【有罪(ギルティー)】だからね」


 ひかちゃんの言葉に、私も全面的に同意したい。

 苦笑をにじませながら、私は上にゃんのスマートフォンを見やる。自分のスマートフォンからゆっきにLINKでメッセージを送った。



【aya:落ち着いたら連絡ください。今日のことを謝りたいから。それと上にゃん、スマートフォンを学校に忘れたから、返したいんだよね】



 案の定、既読はつかない。当分、落ち着かないでしょ、そう思いながら。


 ゆっきのことを、誰よりも最優先する上にゃん。

 上にゃんの本質を――上川冬希を誰よりも、まっすぐに見ている下河雪姫(ゆっき)


(かなわない)


 嘆息が漏れた。そんな二人が、ちょっと羨ましいと思う。恋い焦がれていても。長い付き合いの幼馴染みでも。相手の本質には、なかなか踏み込むことはできないから。

 人間って綺麗な感情だけじゃないから、なおさら。


(本当に二人が羨ましい――)

 私は心の底からそう思った。

【空君のお部屋より】


「お姉さん、大丈夫だったの?」

「いつものビョウキだから大丈夫だと思うよ。冬希兄ちゃんも来たし」

「空君。その言い方はないと思うよ」

「え? だって、特効薬もワクチンも冬希兄ちゃん以外ありえないからさ。勝手にやってくれって感じだよ。それより翼は良かったの?」

「え?」

「クラスの奴らに、カラオケ誘われていたでしょ?」

「……ふーん。さては今回もフォーリンナイトで負けるのが、怖いと見た」

「なんでだよ! しかも完敗じゃないから! 10:3でちゃんと勝ってるから! スナイパー属性の対策したから、今日は勝率をあげるよ!」

「ふふ。楽しみにしてるけどさ――空君だってカラオケに誘われてたよね?」

「ん? どうせ湊と彩翔が目的だよ。俺なんか誘っても楽しくないだろうし」

「逆だから、バカ。そのまま気付くな、バカ。バカバカバカ」

「え?」

「もし空君がカラオケ行くなら、その時は私も行くからね」

「なんで?」

「だって、空君そういうの苦手でしょ、異性とのコミュニケーションとか。だから私がちゃんとサポートしてあげるから」

「まぁ……。それは助かるか」

「へ?」

「正直、何話して良いか分からないし。他の子にも翼のように話すことができたら、そりゃ楽なんだろうけど。そんなの無理なの分かってるし。翼は特別だと思うから。それを他の人に求めるものでもないし――って翼、どうしたの? 部屋、熱い? 顔が真っ赤だけど?」

「……空君……バカ……」

「え? なんで俺、怒られたの?」

「フォーリンナイトで絶対、ボコる! は、早く宿題終わらせちゃうよ!」

「へいへい、分かりましたよー。全く意味がわかんないけど」




※現在ソロプレイで、ワールドマッチング(ステージ指定)して競い合っている空君と翼さんでした。

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