閑話7 おつきみだんご
やすらはで
寝なましものを
小夜更けて
かたぶくまでの
月を見しかな
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季節を少しだけ、先送りするかのように。
秋の風がそよぐ。それがとても心地良い。夜空の空気が澄んでいた。より月が黄金色に輝いて、より近く感じる。
「アルバイト、お疲れ様」
雪姫がにっこり微笑んで言う。下河家の2階ベランダにお邪魔して、雪姫が作ったお月見団子を頬張る。ちょっと前までは、考えられない時間を俺たちは満喫していた。
「なんか悪いね。この時間にお邪魔しちゃうのは……」
「お父さんとお母さんの許可はちゃんともらってるし。お父さんにはワイロも渡してるから」
「ワイロ?」
「うん。お月見団子をね、お父さん達にも進呈したから」
雪姫が悪い笑顔を浮かべていた。雪姫のお父さんも、彼女のスイーツを楽しみにしているファンなのに、その扱いはヒドイと苦笑が浮かぶ。その一方で、彼女のスイーツを独占したいと思ってしまうから――俺も大概だ。
「お団子柔らかいし、あんこは甘すぎないし。本当に美味しい」
思わず表情が綻ぶ。そんな俺を見て、雪姫はクスクス笑う。
「冬君は本当に美味しそうに食べてくれるよね」
「本当に美味しいからね」
「それは良かった。小豆から炊いた成果だね」
「へ?」
俺は目を丸くした。そんなに手間をかけていたと思わなかったので、思わずつまんでいた団子を落としそうになった。
「セーフだね」
雪姫はニコニコ笑って言う。
「いきなり超高級団子になったよ」
「そんな大袈裟だよ。でも喜んでもらえたみたいで、それは良かった」
「無理しすぎじゃない? そこまでしなくても――」
「冬君に食べてもらうからだよ。できるだけ美味しく作りたいって思うの」
「それは、その……。ありがとう」
「どういたしまして」
雪姫は微笑んで――そうだ、と小声で呟いた。
「ん?」
「そう思ってもらえるのなら、感謝の印をもらっちゃおうかな?」
「感謝のシルシ?」
俺は目をパチクリさせる。雪姫は小さくコクコク頷く。
「なんでも良いよ。私を喜ばせる言葉でも、行動でも。何でも、ね。私をドキドキさせてくれたら」
「それは難問な」
「そう? 私は結構いつも冬君と居る時、ドキドキしてるんだけどな」
「ちょっと考える……」
「うん」
ベランダをあえてライトアップせず、月明かりだけで過ごしているが、雪姫は満面の笑顔を浮かべているのがイヤでも分かった。
「えっと……。月が綺麗ですね?」
「何で疑問系? それに、それぐらいじゃもうドキドキしないよ」
「慣れって恐ろしいね。倦怠期だよ」
「むー。別に慣れてないもん。ただ普段が冬君、それじゃ収まらないくらい私を甘やかすでしょ?」
それは否定できないと自分でも思う。
「それじゃあ――」
と俺は雪姫の耳元で囁く。どれだけ雪姫のことを好きなのか。どれだけ雪姫のことを独り占めしたいと常々思っているのか、本当はその笑顔だって俺が独占したいと思っていることを、一つ一つ丁寧に耳元で囁いていく。
「……そ、そんなたくさん。一気に言わなくても――」
真っ赤になって俯く雪姫が愛しいと、そう思う。何回、同じ言葉を囁いても。何回、その言葉を捧げても。決して飽きることも色褪せることもなくて。
まるで空に浮かぶ月のようで。日に日に表情を変える、一日たりとも同じ月はないように。月の満ち欠けと同じように、雪姫の表情は本当に見ていて飽きない。
と、雪姫はすーっと深呼吸をした。
「でも、今度は私の番だからね」
ニッコリ微笑んで、雪姫がその口から紡いだのは、古の短歌だった――。
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やすらはで
寝なましものを
小夜更けて
かたぶくまでの
月を見しかな
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「え? それはどういう意味、なの?」
俺は目をパチクリさせる。雪姫は小さく微笑んだ。
「こういう意味だよ――『最初からいらっしゃらないと分かっていたら、ためらうことなく寝てしまったでしょうに。あなたを待っていたばっかりに夜が更けて、西の空に傾く月を見たことです』……後拾遺和歌集に収められている、歌なんだけどね」
「……あ、あの、雪姫さん? もしかして、昨日LINK返せなかったこと怒ってる?」
昨日バイトで疲れていた俺は、雪姫のメッセージに返信することなく寝落ちしてしまったのだ。
「別に怒ってないよ? 今日はこうやって話せているし。今日も無理してないかな? って心配してるけど。でも、ちょっと寂しかったのは、本音だよ?」
「あ、その、ごめん……」
「良いの。待っていたり、焦がれたり。そんな時間も愛しいから。冬君から一緒にお月見したいって言ってくれて本当に嬉しかったからね」
「それは、その……。流石に俺も昨日は申し訳なかったと。でも、まさかこんな本格的なお月見になると思っていなかったので……」
「うん。冬君と過ごす時間は妥協したくないから。私は結構、いつでも全力なんだけどね」
「雪姫こそ疲れない? 本当にいつもしてもらって。でも無理は――」
「好きな人に一生懸命することが無理なわけないじゃない? それに、好きな人が喜んでくれるんだもん。なおさらね」
「そっか……。ありがとう」
「うん」
雪姫はニッコリ微笑んで――本当に嬉しそうに笑う。と、その目がぐぅっと俺の目の奥底を覗き込むように、視線を向ける。
――私に、もっと何か頂戴?
そうおねだりをしているようにも見えて。
と、この刹那、ほんの一瞬、雲で月が隠れた。月明かりが消えて、夜闇に包まれる。
「今夜は本当に月が綺麗ですね」
「このタイミングでそういうのいうのズル――」
雪姫の言葉を塞ぐ。暖かい温度で、言葉そのものを奪う。
求めるように、雪姫が俺の背中に手を回してきて。
「寂しかったのは、本当だけど。――うん、許してあげる」
そう言う真っ赤になった雪姫を――いや、同じく真っ赤になっている俺まで含めて、お月様は再び淡く照らした。
今年の中秋の名月は、なかなか意地悪だった。
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「縁側から見るお月様もなんだか良いよね。お姉さん達は今頃ベランダ?」
「だね。翼も行ってくる?」
「私が行ってもオジャマムシだよ。それより空君がお姉さんのお団子食べたいんじゃないの?」
「へ? なんで? 翼が作ってくれた白玉団子をご馳走になってるのに」
「だって……お姉さんの作ったお団子の方が絶対美味しいと思うし――」
「比べる意味がよく分からないんだけれど。俺はこの白玉団子が美味しいと思ったし。翼が作ってくれたのが嬉しいと思ったの。それじゃダメなの?」
「…… そ、空君ってさ。時々、ストレートで距離埋めてくるよね、しかも無自覚に」
「ん?」
「何でもない。他の子にそういうことを言わなきゃ、私はそれでいいもん」
「他の子? 少なくとも俺にお団子を作ってくれる物好きなんて、翼しかいな――」
「そ、そんなことよりさ! 月が綺麗だよね?」
「え? あぁ、うん。本当に月が綺麗だね」
「もう一回、言って?」
「へ? え、えっと? 月が綺麗です……ね?」
「……うん。今日はこれで満足しておく」
「へ? 意味がわからないし。いや、なんでそんな嬉しそうに笑ってるの?」
「へへへ、秘密だよ♪」
今回引用した和歌と、その解釈については
ダ・ヴィンチニュース
今夜は中秋の名月。ほろ苦いオトナの恋心に染みる! 月にまつわる百人一首の世界
https://ddnavi.com/review/404542/a/
より引用しました。
 




