表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/152

54 彼とみんなとピクニック


「それではお暇しますね。雪姫さん、またお会いしましょうね」


 冬君のあばあさんがクスリとそう微笑むので、私は反射的に深く頭を下げた。本当に霜月さんは所作が綺麗で。


 一方のおじいさん――師走さんも、帽子を被り直した後で、霜月さんの手を引く。その動きがあまりにも自然で、思わず嘆息が漏れてしまう。


 思えば冬君にも似たところがある。まるで空気のように、当たり前のように私に寄り添ってくれる。私が不安に感じれば、躊躇い一つ見せず、私を包み込んでくれる。確かに冬君は師走さんの孫なんだと――その振る舞いを見ながら思い、頬が緩んだ。


「あ、あの!」


 と割り込むように声をあげたのは、天音さんだった。


「その、もう解散する雰囲気だったから、その……。お姉さんとお兄さんの出会いの話、私は聞きたくて。ダメですか?」


 私は、二の句を告げることができなかった。見れば隣で冬君も頭を抱えている。


「……冬希」

「なんだよ、爺ちゃん?」

「儂らも聞きたい。まだコーヒーある?」

「帰れよ、クソジジイ!」


 冬君が悪態をついて。私がそんな冬君を窘める。霜月さんやみんなが笑顔を浮かべるのを見ながら――目の前には、今までの私が想像できなかった、幸せな光景が広がっていた。


 不承不承、冬君は水筒からコーヒーを、みんなに注いでくれる。私にはカフェオレを当たり前のように淹れてくれて。

 それから冬君は観念したように、ポツリポツリと、私達の物語を呟き始めたんだ。






■■■





「最初『なんでこうなったかなぁ』って思ったんだよ」


 と冬君は言った。弥生先生に頼まれて、クラスメートとして、プリントを届けてくれたあの日。2週間前の出来事。もう2週間、でもまだ2週間。だって冬君に「好き」と言ってもらえたのは、昨日の話だから。これまでがあっという間に過ぎていった実感がある。


「不安だったはずなのに、雪姫が玄関に出てくれて。それが全ての始まりだった気がする」

「あの日。冬君が、私にコッゲコゲオムライスを作ってくれたんだよね」

「雪姫……。あれは、雪姫がお腹を鳴らしたから――」

「冬君、ひどい! そこをバラすなんて!」


 私は恥ずかしくて顔が熱い。でもと思う。妙に上川冬希という男の子を前にして、安心した自分がいたのだ。あの日冬君は弱い私を、包み込むように受け止めてくれた。


 家族以外で初めてだった。冬君だけ、呼吸が苦しくならない。

 それからは、彼が来てくれることを私は待ち焦がれて、楽しみにしていたんだ、って思う。


 冬君と私の物語にどんな名前をつけるべきなんだろう。

 冬君は淡々と、私達の物語のページを開き、進めていく。


 私のために、リハビリを進めてくれて。


 途中で、幻想に囚われて。呼吸ができなくなった。そんな私を包み込んでくれて、引き戻してくれたのが冬君だった。

 今でもあの時の、冬君の声が鼓膜を震わせる。


 ――雪姫!


 あの時、名前を呼ばれて。冬君の温もりを感じたから。

 私は、またもう一度呼吸ができた。

 そんな物語に、どんな名前をつけるべきなんだろう。


「まぁ、今さらだけどね。家でのティータイムはひどかったよ。付き合ってないくせに、距離が近いし。手を重ね合ったり、冬希兄ちゃんは髪を自然に撫でるんだもん。リビングにいる俺、まるで空気だったからね」


そう空に言われて、私も冬君も頬が熱くなる。だって、あの時は無意識だったから。呼吸ができて、安心できて落ち着く人。そう冬君を認識でした途端、抑えがきかなくなって。もっともっと冬君のことを知りたいと思っていた。


 名前を呼ばれたあの日から、私の中では「好き」という感情が――冬君を特別な人と想う感情が確かに芽生えた。


 でも彼はリハビリに付き合ってくれているから。そんな中途半端な気持ちを抱いちゃ絶対にダメ。そうあの時の私は何度も自分に言い聞かせていた。


「裏山で会った時はビックリしたよ。過呼吸になった雪姫を、上にゃん抱きしめたでしょ? それでゆっきの呼吸は落ち着くし――多分、今まで見たなかで、一番幸せそうな笑顔を見せてくれたから。でも、そうだね。その時の笑顔以上に、今のゆっきは幸せそうだね」


 彩ちゃんにそう言われて、思わず視線をそらして俯いた。私の頬はずっと熱いままだ。


 私達の物語は続く。冬君が躊躇いがちに、慎重に言葉を選びながら。

 こんな私たちの物語に、なんて題名をつけるべきなんだろう。

 あえてつけるとしたら?

 冬君がいないと呼吸ができない。そんな私達の物語。

 まだ、生まれて間もない、幼くて青い私達の物語に名前をつけるとしたら?


 ――君がいるから呼吸ができる。


 こんな題名はどうだろう?


 まだ、始まったばかりだけど。冬君の物語すら、今日ようやく知ることができた程度だけど。まだまだ浅い二人だって実感する。私はまだ冬君のことを何も知らないと思い知らされた。


 貪欲だな、って思う。冬君のことをもっと知りたいと思うし。話してもらえなかったことに嫉妬する自分もいる。


 でも一番に私へ話したい、そう言ってくれた。それだけで頬が緩んでいる自分を自覚している。


 もっと知りたい。もっともっと知りたい。冬君のことを。


 痛感する。私はあなたがいないと呼吸ができない。だから、私だけを見て欲しいし、冬君の全てを知る人間(ヒト)は、私であって欲しい。


 なんてワガママなんだろう。そう思っても止まらないし、そもそもこの感情に無理に蓋をすることは止めたし、遠慮しないって決めたから。


――私、自分が欲張りだって最近、自覚してる。


 昨日、冬君に言われた後、あなたに伝えた言葉は大袈裟でも冗談でもない。本気でそう思っている。だからこそ思ってしまう……物足りない。

 目の前の景色は本当に幸せで。私が足掻いても藻掻いても、辿り着けない光景だった。


 でも、それ以上に――。


 冬君のことをもっと独り占めしたい。

 私だけを見て欲しい。


 そんな欲求ばかりが募っていく。冬君を束縛したいワケじゃない。冬君の世界を狭く、閉ざしたいワケじゃない。ただ、自然と冬君を求めてしまう。


(本当に、貪欲で重症――)


 だから、あなたの物語を知りたい。あなたと一緒に、これからも物語を綴っていきたい。


 誰にどう見られたって構わない。私は、冬君の膝の上で、彼に身を委ねる。

 一瞬、困惑した表情。でも冬君には拒絶はない。


「馴れ初めを聞いて、感極まったってヤツ?」

「本当にお姉さん、嬉しそうな顔しますよね」


 海崎君と天音さんが目を丸くするのを尻目に。違うよ、と心のなかで苦笑する。感情なら抑えられないくらい、もう冬君でいっぱいだから。





■■■





「雪姫、本当に辛くない?」

「ん。大丈夫」


 裏山の頂上から見るこの街を眺めながら、冬君は私を心配してくれる。夕陽が街を朱色に染める。かなり話し込んでしまったので、そんなにゆっくりできない。陽は長くなってきたけど、日没までもう少しだ。


 これまでの物語を冬君が伝え終えて、解散になった。

 私は、冬君にワガママを伝える。


 ――あのね。私、リハビリがしたい。


 心配そうに、私のことを見て。それでなお、笑顔で頷いて快諾してくれた。多分、私の寂しさをすぐに理解してくれたんだと思う。


「はいはい、片付けは俺がやっておくから、ゆっくりしておいで」

「大丈夫ですよ、お姉さん。私が空君を手伝いますから!」


 空と天音さんがそう言ってくれたので、素直に甘えることにした。


「家で、ずっとイチャイチャされるより、よっぽど良いからね」


 と空は言うが、その目は『二人の時間を過ごして来て』そう言ってくれている気がした。本当に私の弟は優しいと思う。


「冬君が、あの時私が伝えた言葉を、みんなには言わなかったんだね」

 私はきっと今、嬉しそうに笑みを浮かべているんだろうなって思う。


 ――私の気持ち、聞いてくれる?


 あの時、伝えた私の気持ち。冬君がいたから呼吸ができたんだよ? その言葉を冬君がみんなに伝えなかった。


「それはどうして?」

「……あのね、俺だって独り占めしたい雪姫の姿があるの。応援してくれたみんなだから伝えたけど、それでもね」

「冬君も独り占めしたいって、思ってくれるの?」

「おかしい?」

「そんなことない。とても嬉しい」


 冬君の胸に顔を埋めて。彼の心音を聞くと、こんなにも落ち着く。無理に気持ちに蓋をしなくても良いと決めた途端、こんなにも感情が溢れかえる。でもその一方で、私だけが気持ちが昂ぶっているんじゃないかと怖くなる。でも、冬君はそうじゃないと言ってくれる。それが何より嬉しかった。


「それに、冬君の昔やお父さん、お母さんのことを聞くことができたし」

「たいした話じゃなかったろ?」


 リハビリで歩きながら、冬君は昔の自分を伝えてくれた。


「私にとっては、スゴイなって思ったよ。でもそれで私にとっての冬君が変わるわけじゃない、っていうのが本音かな」

「それが一番嬉しいかも」


 冬君が破顔する。私はそんな冬君の表情に、思わず吸い込まれそうになった。この笑顔を独り占めしたいって、そう思ってしまう。


「私としては、今の冬君のままでいて欲しいかな」

「うん?」


「スポットライトなんか浴びなくて良いから、私だけを見て欲しいし、私だけが冬君を見たい」

「うん、それは俺もそう思ってるよ。それにあの時期は……たった一年だからね」

「でも彩ちゃんは多分知ってるよ。中学からずっとその手の追っかけをしていたから。明日、学校で聞いたら、彩ちゃん達ビックリするかも」


 クスクス私は笑う。冬君は照れ臭さを隠すように、自分の髪を掻き上げた。

 一瞬の沈黙。風が凪いで、木々の葉を揺らす。でも気まずくはない。冬君とこうしている時間が、私の心を満たしていく。


「雪姫、あのさ」

「なに?」


 意を決したように言う冬君を私は見やる。


「俺、文芸部に入ろうと思うんだ」


 冬君の言葉に――私は思わず、冬君の手を強くギュッと握りしめていた。


「……海崎君も彩ちゃんも文芸部だもんね。そう……だよね」


 まただ。チクチクと胸が痛くなる。冬君を独占したいのなら、私がただ学校に行けば良い。行ってない自分には何も言う資格もない。でも、私が知らない時間に、冬君が私じゃない誰かに笑顔を見せる。それがたまらなくイヤだと思っている自分がいて。思わず、冬君から手を離して俯く。


「……雪姫、何か勘違いしてない?」

「し、してないよ。応援するもん。冬君がやりたいことを、私がどうこう言うべきじゃないし」

「やっぱり勘違いしてるじゃんか」


 と冬君は顎を指で摘んで、無理矢理顔を上げさせる。


「勘違いなんか――」


 私の唇に、冬君の唇が重なる。ただ唇と唇が触れただけ。時間にすれば、ほんの僅か。その触れ合いを、私はどれだけ求めていたんだろう。よく物語にあるように、体に電流は流れない。レモン味でもない。ただただ、私の心を満たし――信じられなくて、感情が掻き乱れる。


「ふ、ふ、ふ、冬君?!」


 嬉しくて、恥ずかしくて。心臓が暴れまわって。でも混在した感情を包み込むように、冬君は躊躇なく私を抱きしめた。


「何で、勝手に離れようとするの?」

「離れようだなんて――」


 したくなかった。でも、私はワガママだから。誰にも冬君を渡したくないから。そんな感情ばっかり募ってしまう。


「俺は、雪姫と一緒に文芸部に行きたいの」

「え?」


「瑛真先輩も言ってだでしょ? 『下河さん、私たちと文フェスで本を出さない?』って。あの時の雪姫、参加したそうだった。だったら、焦らなくても良いけど、一歩踏み出さないといけないって、そう思った」


「……私のた、め?」


「それ以外に、俺は理由が無いよ。本を読むのは好きだけれど、小説は書けないし。雪姫以外の理由なんて無いから」

「ん。うん。バカみたいだね、私」


「え?」

「文芸部って女の子が多いから。きっと今もそうだと思うんだけれど……。冬君が他の子に――私の知らない場所で微笑むのが耐えられなかった」

「だと思った」


 冬君はクスリと笑む。


「え?」

「自意識過剰だと思うけど、雪姫が不安そうだったから。もっと触れて、俺は雪姫の傍に居るんだよって言いたかった。俺、他の子に笑ってあげるほど器用じゃないし、余裕もない。だけど――イヤだったらゴメン。キスは……ちょっと強引だった」

「い、イヤじゃないから!」

「そっか……」


「うん。だって私、もっと冬君に触れたかったんだもん」

「雪姫?」


「でも不意打ちじゃイヤ。ちゃんと触れさせて? 私には冬君がいるんだって、ちゃんと教えて? 私の不安を全部奪い取って欲しい。一方的じゃイヤ。私のことをしっかり見て、キスして欲しい。私の冬君だって。私だけの冬君だって教えて欲しい。そうしたら、もっともっと頑張れるから」

「うん」


 冬君はコクリと頷く。

 私は目を閉じる。


 風の音を聞きながら。

 葉が揺れる音を聞いて。


 冬君の呼吸を聞きながら。


 温かい感触が、唇に触れる。

 私は、その温度を求めしまう。


 味覚なんてするはずが無いのに、甘くて。溶けて、蕩けてしまうように甘くて。

 こんなにも冬君を求めている。


 そしてあなたは、私の諦めていたことを一つ一つ、叶えていく。

 ただの夢じゃない。


 願った夢が叶ってしまえば、それは現実だ。冬君は私が諦めていた夢の全てを、こうやって叶えてくれる。でも叶えてもらうだけじゃダメだ。今度は私が、自分の足で歩んでいかないと。夢見るだけじゃダメだから。冬君と一緒に、私が夢を現実にしたい。


「冬君」

「うん?」

「大好き――」


 だから、今度は私から背伸びをして冬君の唇を求める。

 この物語に名前をつけるとしたら。

 やっぱり、そうだよね。


 君がいるから呼吸ができる。


 冬君と私の物語を綴りたい。もっと冬君を知りたい。貪欲でワガママな私は、こんなにもあなたを求めてしまう。


 読むだけじゃイヤだ。白紙に物語を綴るのは他人じゃなくて、私なんだ。他人任せの物語はもうたくさんだから。

 だからごめんね、と私は冬君にそう呟いてしまっていた。

 私ワガママだから、絶対に離してあげない。

 だって。




 ――私、あなたと一緒だったら、呼吸ができる。


作者注

水筒にコーヒーを淹れると酸化しやすいです。

サーモスタイプの水筒、もしくはアイスコーヒーがお勧めです。

こちらのをサイトをご参考までに。


https://loohcs.jp/articles/5164

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ