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53 君とみんなとピクニック③


「儂も知りたいな」


 と爺ちゃんが言う。風が吹いて、頬をそよぐ。そんな春風と同様の穏やかな声。だけれど、一瞬でその温度を爺ちゃんの言葉が下げた。


「どういうつもりなのか教えてもらおうか、冬希? 学生の本分は勉学だと思うのだが」





■■■





 隣で、雪姫の喉元がひゅーひゅー言う。雪姫は自分で呼吸を整えようと、その手で喉元を抑える。


「……って、冬希? あれ? なんかお嬢ちゃんの調子が悪そう――」

「爺ちゃんのせいだよ! 悪ふざけが過ぎるから! だいたいそんなキャラじゃないんだから、まず普通に挨拶をしろって!」


 一気に捲し立てて、俺は雪姫を包み込むように抱きしめる。誰が見てるかなんて、もうどうでも良い。ただ、雪姫の呼吸を落ち着かせる。それしか考えられなかった。


「冬?」


 婆ちゃんは首を傾げるが、説明している余裕なんてない。俺は実際に見ていないが、海崎や空君達を前にして、雪姫は引きつけを起こしたことがある。これを教えてくれたのは、黄島さんだった。


 雪姫と接していて気付いたことの一つ。雪姫は何より否定されること、そして失うことを恐れている。上川家からの否定は、直結して全てを拒絶されたと雪姫が解釈してもおかしくない。


 躊躇っている猶予は、一秒だってなかった。だから、雪姫が安心できるように俺は言葉を一つ一つ大切に言葉を紡いでいく。


「雪姫、大丈夫だから。悪意で言っているわけじゃないから。それに、もしも悪意をこめていたとしても。俺は雪姫を置いていかないし、離れない」


 雪姫がそれでも離れようとするので、なお力強く抱きしめる。胸にその顔を受けることで、ようやく呼吸の乱れが落ち着きはじめてきた。


「……冬君に迷惑をかけてた。私がしっかりしないと、もっとちゃんとしないと。冬君がお祖父さんさんに怒られちゃう――」


「爺ちゃんは、怒ってないから。それに怒っていても構わない。その時は、時間をかけて認めてもらうだけだから。迷惑なんかかかってないからね。俺は雪姫の傍にいるって決めたんだから、怖がらなくていい。誰が何て言っても、一緒に歩こう? 大丈夫だから。俺にとっての最優先事項は雪姫だから」


 ようやく雪姫が抵抗を止める。ポロポロと溢れる感情を、俺はこの胸で受け止めながら。


 誰に理解されなくても良い。雪姫は頑張っている。今日はキャパオーバーになってもおかしくないほど、外の世界で人と関わった。だから誰であっても無頓着な言葉で雪姫を傷つけさせたくなかった。


「あ、あの! 上川のおじいさん!」


 と言ったのは海崎だった。


「下河は、理由(ワケ)があって学校に行くことができていません。人と会うと過呼吸になってしまいます。今日、ようやくこうやって会うことができたのは、上川のおかげなんです。下河には上川が必要だって思ってます。僕らはおじいさんから見れば若くて、間違ってばかりかもしれません。でも、それでも、上川も下河も真剣に交際しています。それは僕から見ても明らかです。お願いです、下河のことを認めてもらえませんか? お願いします!」


 頭を下げる海崎に、俺は唖然とする。海崎がそんな風に思ってくれていたことが、驚いたし、照れ臭いし――何より、胸が熱くなる。


「私からも、お願いします」


 そう言ったのは黄島さんだった。


「雪姫は、本当はよく笑う子だったんです。みんなのお姉さんさんで。ずっとみんなを気にかけてくれて。でも笑えなくなってから……外に出ることも呼吸も、当たり前のことができなくなってしまったんです。上にゃ――上川君に出会うまでは。私からもお願いします。雪姫と上川君のことを認めてあげてください。雪姫には絶対、上川君が必要なんです!」


「お願いします」


 黄島さんに続いて、言ったのは空君だった。


「俺は難しいことは分かりません。でもずっと姉ちゃんを見てきたから、冬希兄ちゃんが姉ちゃんにとってかけがえのない存在なんだってのは分かる。姉ちゃんは確かに学校に行けてないけれど……。でも今、頑張っているから。呼吸が苦しくなりそうになっても。また過呼吸になるリスクが起きるとしても、こうやって外に出ることができたのは、冬希兄ちゃんのおかげなんです」


「私は……。今日初めて、お兄さんとお姉さんに会いました。だから、全然分かってないかもしれないけれど――」


 天音さんが、言葉を選びながらポツリポツリと言う。


「お姉さんがお兄さんのことを想っているのと同じくらい、お兄さんもお姉さんのことを大切に想っているのは、とても良く分かります。私たち、幼いかもしれないけれど。恋する感情を抱いた時って、いい加減な気持ちで恋なんかしません。いつだって本気です。それはお姉さんも一緒――ううん。違う、誰よりも真剣だって思うんです」


 天音さんは、真剣に爺さんに語りかける。


「だって、私もそんな恋がしたいって思ったんです!」


 チラッと天音さんが、空君を見やるのが見えてしまった。思わず微笑ましく思ってしまうが、その感情を俺はなんとか飲み込む。


 少しだけ、雪姫から離れて。でもこの手は絶対に離さない。俺はそんな気持ちをこめて、雪姫に寄り添う。俯いているが雪姫も、もう離れようとしなかった。呼吸はまだ浅いが、だいぶ落ち着いてきたのを感じる。


 ここまでみんながアシストしてくれたんだ。俺が自身の感情に翻弄されるのは、ちょっと違うと思う。今は自分が想っている気持ちを、爺ちゃんと婆ちゃんに、ただただ素直に伝えるだけだ。


「爺ちゃん、婆ちゃん。改めて紹介をさせてもらっていいかな?」

「お、おぅ」

「えぇ」


 爺ちゃんも婆ちゃんも、コクンと頷く。


「こちらは、お付き合いさせてもらっている下河雪姫さん。俺の一番大切な人だよ」

「ふ、冬君……」


 震えながら声を出すので、思わず、握っている手に力をこめる。心配しなくても大丈夫と。その気持を一心にこめて。


「……ち、違うの、冬君。私もおじいさんとおばあさんに、ご挨拶をしたい……から。こんな私だけど、自分の口で……しっかりご挨拶したい、って。そう思うから」


「無理してない? 別にそれは今じゃなくても――」


「今じゃなきゃダメだと思うの。折角、こうやってお会いできたから。どこの馬の骨か分からない女じゃ、おじいさんもおばあさんも不安だって思うから」


「あなた達を見ていたら、そんな風には思わないけれど。でも雪姫さんのことちゃんと知りたいって、確かに思うわ」


 婆ちゃんが小さく微笑む。その言葉に押されたのか、雪姫がコクンと頷く。


「し、下河雪姫です……。上川冬希君とお付き合いをさせてもらってます。みんなが言う前に、本当は私の口から言うべきだったんですけど……。私の人生のなかで、冬君と出会えたことは、特別だって思ってます。彼がいてくれるから、今も呼吸ができる。こうやって外にも出られた。おじいさんとおばあさんにお会いできたって、そう思ってます」


 深呼吸をする。俺は雪姫の手を握りながら、静かに雪姫の隣で寄り添って彼女の言葉に耳を傾けて――頬が熱い。本当に俺は雪姫に大切に想われていると、実感する。


「私が弱くて、冬君に支えてもらってばかりです。だから――。守られてばかりじゃなくて、私自身でも立ち上がって、息をしたい。そのうえで、冬君を守れる人になりたい、ってそう思ってます。だから――。冬君を絶対、不幸せにはしません。冬君を幸せにします。私が冬君を幸せにしたいんです。だから、だから――」

「分かったわ。よく分かった」


 婆ちゃんは、ニッコリ微笑んで俺を見る。その目は穏やかで。あなたがねぇ? そう明確に言っている。

 ふんわりと、婆ちゃんは雪姫へ笑んだ。


「こちらこそ、孫をよろしくね」





「なぁ、霜月(しもつき)

「何かしら?」

「これ儂、悪者じゃない?」


 婆ちゃんは、派手にため息をついた。


「だから……。人の恋路をからかうもんじゃないと何度も言っていたでしょう」

「う……」


「あの子、良いこと言ったわね。『いい加減な気持ちで恋はしません』って、これは私たちが刻みつける必要があると思うのよ」


 と婆ちゃんは天音さんを見ながら言う。


「返す言葉もない。それに孫にプロポーズするくらい想っている子となれば、それは大事にしなちゃ、だな」


 やめろ爺ちゃん、蒸し返すな。こういう時の雪姫は無自覚なんだ。プロポーズとか、そんなことはまだ考えているはずなくて――。


「……重いかもしれないけど、私はそう思っているからね」


 ボソリと雪姫は呟く。


「し、幸せにしたいと思うのは俺だってそうだからね」

 隠していた本音がつい零れてしまった。





■■■





 爺ちゃん達にコーヒーを淹れながら、微妙に張り詰めた空気を感じる。無理もないか。ただ、雪姫の呼吸が安定して、今は喘鳴も聞こえないのが、救いだった。俺と雪姫はその手は離さずに、ピッタリと寄り添う。

 爺ちゃんはコーヒーを啜りながら、息をついた。


「まずはお詫びをさせておくれ。決して嬢ちゃんを否定したかったわけじゃないんだ。孫が今まで見せたことのない笑顔を見てしまったら――ついからかいたくなってしまった。ほんの出来心なんだ。だから……むしろ孫を笑顔にしてくれてありがとう」


 そう爺ちゃんは言う。確かに、と思う。昔の俺はそんなに笑えていなかった。雪姫と出会ってから、よく笑うようになったのは間違いない。


「儂らも自己紹介をさせてもらおうかの。儂は、中区で【恋する髪切り屋】というしがない理髪店をを営んでいる、上川師走(しわす)だ。これからも冬希のことをよろしくお願いしたいと思ってるよ。それから――」

 と爺ちゃんは、雪姫に視線を向けた。


「認めるとか、認めないとか、そんなつまらないことを言うつもりはなかったんだ。ただ、冬希とあんなに仲良くしている嬢ちゃんが、どんな子なのか気になっただけで。本当にすまん」


 爺ちゃんがしょぼりとうなだれる。


「私も自己紹介させてもらいますね。妻の上川霜月です。同じく主人と【恋する髪切り屋】を営んでいます。もしもご利用の際は、いつでもご用命くださいね? あなた達なら最優先で予約とるからね」


 と婆ちゃんはニッコリ笑って言う。所作がいちいち綺麗なんだよな、この人って。


「恋する髪切り屋……上川……上にゃんて、あの上川……? 世界の?」


 黄島さんがブツブツと呟く。できるだけ家族の話題は出したくなかったんだが、こうなったら仕方がない。見れば雪姫は何のことか分からなくて、首を傾げていた。

 でも説明するなら、一番は雪姫からだ。


「黄島さん、今度また説明するから。今日はこらえて」

「え?」


 黄島さんが目をパチクリさせる。肯定したようなモノだ。自分でもイヤになる。


「……家族ありきで人と関わりたくなかったの。ちゃんと説明するけど、まずは雪姫に伝えてからにさせて」

「うん、分かったよ。上にゃん」


 黄島さんはコクンと頷いて納得してくれた。


「それにしても……」


 と言ったのは婆ちゃんで。


「雪姫さんの髪、本当に綺麗ね」

「え……?」


 雪姫は困惑するが、俺もそう思う。手で梳いていて、本当にサラサラして心地よくて。ついつい、もっと髪を梳いていたい衝動に駆られてしまう。


「その……。冬君がよく髪を梳いてくれるので。せめて髪だけは、綺麗にしていたいな、って……」


 その刹那、風が雪姫の髪を揺らした。花の香り以上に甘い雪姫の甘い芳香に、愛しさがより募っていく。俺、どれだけ雪姫のことが好きなんだろう。本当に重症だって思う。


「少し整えたら、見違えるのにね。ちょっと髪が厚いから、野暮っぽさがあるけど。冬? あなたがカットしてあげたらいいんじゃない?」

「ば、婆ちゃん! ちょ、ちょっと待って――」


「何でそんなに動揺してるのよ? だって冬、そのためにこっちに来たんでしょ?」

「わ、分かってるって。でも、俺まだ雪姫に話してないことがあるの! そういうことは俺の口から言いたくて……」

「雪姫さんの初めては、全部俺がもらっちゃうってヤツ?」


 婆ちゃんは時々、とんでもない爆弾を投げ放ってくるから油断ならない。


「いいから、そういうの。もう黙って! ちゃんと俺の口から言いたいの!」

「はいはい。そこまで好いていながら、今まで話していなかったことが、私は問題だと思うけどね?」


 と婆ちゃんは、雪姫に向き合う。


「雪姫さん? もしも冬がしっかり伝えられなかったら、私達に聞いてもらって良いからね。小学校やオーディションの時の動画があるから、観せてあげるから。冬は殺陣が上手かったからね。格好良かったのよ、あの時の冬。――これ私達の連絡先ね」

「ば、婆ちゃん!」


 婆ちゃんがさらっとメモ紙に一筆したためて、雪姫に渡す。実は婆ちゃんが一番厄介だったりする。未だにこの人に口で勝てる気がしないのだ。放っておくと、この場でかつての上川冬希を全て暴露されかねない。


「さて、儂らはそろそろ帰るかの」


 と爺ちゃんはそう言って、おもむろに立ち上がるので、俺は目を丸くした。


「帰るって? また夜来るの?」

「阿呆。そう度々来るか。気が向いたから来ただけだ。予約も今日はなかったからな。抜き打ちの方が、自然な冬希を見れると思った。ただ、それだけよ」

「……絶対、飛び込みの来客がいただろ?」


「儂も霜月も、気に入った人しか切らないからの。来られても切るかどうかは別問題だし」

「自由過ぎだろ……」


「じゃが、冬希が切らないのなら。嬢ちゃんの髪を整えてやっても良い。儂はそう思っとるよ?」

「……帰れよ、クソジジィ」


 今の俺は不機嫌な感情を隠すことができなかった。どれだけ雪姫に対して独占欲が強いんだ、と自分でも呆れてしまう。

 と、クイクイと雪姫が俺の袖を引っ張る。


「雪姫?」

「ダメよ、冬君。おじいさんに、そんなことを言ったら?」

「う、うん……」


 雪姫は、真っ直ぐに爺さんと婆さんに視線を向けた。すーっと大きく深呼吸をする。


「……今日は、お会いできて本当に良かったです。私――もっと頑張ります。冬君を支えられるぐらい。冬君を幸せにできるぐらい、に。それと――」


 言葉を濁す。思案して、顔を赤く染めて。意を決したかのように、雪姫は真っ直ぐ背筋をのばす。真っ直ぐな言葉を、ゆっくりと爺ちゃんと婆ちゃんへ紡いだのだった。





■■■





「髪を切ってもらうなら、私は冬君にお願いしたいです」

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