52 君とみんなとピクニック②
――いただきます。
みんなの声が重なる。ただ、それだけなのに。ただそれだけのことが――今までできなかった。
思わず、俺は雪姫を見てしまう。
雪姫も俺のことを見る。
彼女が望んだことの一つ。
俺が雪姫と出会う前に望んでいたことの一つ。
君は俺が、外に連れ出したってきっと言う。ある意味ではそうだけど、それだけじゃない。君が俺をここまで連れ出してくれた。そう思う。閉じこもって、イジけていただけの俺を。
だからあの夜に交わした言葉が、今でも俺の胸を熱くする。
――二人で月に飛び込んで。
一人だけじゃない。片方だけじゃない。自分だけじゃない。二人だから。こうやって来ることができた。だから自然に嬉しいという感情がこみあげてきて、頬が緩む。見れば雪姫も同じように破顔していた。
「あのね」
黄島さんが、呆れたと表情で物語るが、何を呆れられたのか分からない。
「なんで視線だけで、そんなにイチャつけるかな」
「目と目で通じ合っている感じが、お姉さんもお兄さんもステキです」
「いやいや、天音さん。これを家でやられるこっちの身にもなって――」
「空君?」
天音さんがニッコリ、空君に視線で訴える。
「え? あの? 天音さん?」
彼女はニッコリ、笑みを崩さない。本当にお淑やかに微笑むが、その目はまるで笑っていなかった。
「えっと……翼?」
「うん。良かった、ちゃんと空君に通じた」
にっこりと笑んで、天音さんが言う。俺は雪姫と目を見合わせて、思わず笑みが溢れる。その視線はもちろん、空君に向けて。
「……な、なんだよ。冬希兄ちゃんも姉ちゃんも」
「別に?」
と雪姫はニコニコ笑って言う。
「二人が通じ合ってるの、何だか良いなぁって」
「ね、姉ちゃん! これは違うからね! 姉ちゃん達みたいなバカップルと一緒にしないで! ただ友達が言いたかったことが俺は気になっただけで――」
「うん。それが嬉しかったよ、空君」
天音さんがにっこり微笑む。
「ただすぐ分かってくれなかったのは減点だからね。空君のばか」
天音さんが頬を赤く染める以上に、空君の顔が真っ赤で。空君がどういう気持ちなのかはさておいて――。
(尻に敷かれるってのは、こういう感じなのかな)
妙にに可笑しくて。ついつい笑みが溢れてしまった。
「おーい。先に食べるよ、上川?」
と海崎が雪姫の唐揚げに手を伸ばそうとするので、俺も慌てて箸で唐揚げをつまむ。
「冬希兄ちゃん……。弁当作りの時、さんざん味見してたじゃん」
空君は呆れたようにそうは言うけどね、ソレとコレは別問題。やっぱり一番に俺が雪姫のお弁当を食べたいと思うって――どれだけ、独占欲が強いんだろう。
■■■
「うん、美味しい」
俺は雪姫の唐揚げを頬張り、幸せいっぱいになる。この味だ。今まで唐揚げはいろいろな場所で何となく食べていたけど。改めて雪姫の唐揚げは別物だって思う。味付けがくどくない。それでいてご飯が進む。つい何個でも食べれてしまう魅力があった。
「冬希兄ちゃんって、本当に美味しそうに食べるよね。姉ちゃんのティータイムの時にも思ったけどさ」
「雪姫のお弁当、実際に美味しいから」
「……確かに、これは美味しい。美味しいけどさ、まさか重箱で来るとは思わなかったよ。ゆっき、ちょっと張り切りすぎじゃない?」
「冬君と作ってたら、つい」
黄島さんの言葉にペロっと雪姫は舌を出す。
「へ? 上川も作ったの?」
驚きの声をあげたのは海崎だった。
「サンドウィッチ、ポテトサラダ、豚の角煮は冬君作だよ、海崎君」
「えぇ?!」
海崎が何故か、無念そうに脱力していた。
「えっと? 海崎はどうしたの?」
「ひかちゃん、料理はからっきしダメだからね。しかし豚の角煮なんてら手間のかかるものを」
「ん? 圧力鍋使えば、あとは放っておくだけじゃない?」
「そんなさらっと言うけどさ……」
「cafe Hasegawaで働こうと思ったら、これくらいはね」
「だったら自分で弁当くらい作れるじゃん」
「んー。自分のことは後回しにしちゃうんだよね」
俺の言葉に妙に海崎は納得する。
「ま、上川ってそういうヤツだよね」
「え?」
「自分のことは後回し。誰かのこと――特に下河のことを最優先するじゃん?」
海崎にそう言われるが、どうなんだろう? と思う。昔は、あいつらの背中に隠れて、自分で決断なんかできなかった。優柔不断で、結局決めてもらっていた。そんな自分が、故郷を離れてこの街に来た。それだけでも驚きだと思うのに、こうやって雪姫のために行動できている。
「冬君はそれで良い、って私は思っているよ」
雪姫は満面の笑顔を浮かべて、そう言う。その笑顔に俺は思わず見惚れてしまう。
「冬君は優しいから、きっと頼まれたら断れない。今までは他の人との接点が少なかったから、そんなことなかったけど。でも、これからは分からないから。だからね――全部、私が独り占めするんだ」
「え?」
「冬君の世話を焼くのは私の仕事だし。今日のように、私や仲の良いみんなのために、料理をしてくれるのは、それはそれで嬉しい。でも、そこまでだからね。冬君の優しさもカッコ良さも、ソレ以上誰にも教えてあげない。今さら気付いたって誰にも渡してあげないから」
「お、おぅ?」
雪姫のストレートな言葉に、頬が熱くなる。俺は本当に雪姫に大切に思われているんだなぁと、改めて実感する。
「……んぐ。姉ちゃん。そういうことさらっと言うのヤメて。聞いているコッチが恥ずかしいし、喉をつめるかと思ったよ」
空君がサンドイッチをなんとか飲み込みながら言う。自覚がない雪姫は首を傾げるのみだった。
「冬君。彩ちゃんのお弁当も美味しいよ。彩ちゃんの卵焼きは、出汁がきいてるね。でも冬君は甘いほうが好みかな?」
箸で差し出されたので、パクリと口に頬張る。うん、これも美味いけど。確かに雪姫が作る甘い卵焼きの方が好みで――。
「「「「えー?!」」」」
そんなに声をあげるほどのことじゃ――あ、これは所謂、あ~んというヤツか。いや、でも今さらなんだよね。
「……そうだった。この二人、お弁当作っている時から、このテンションだったんだ……。いや、そもそも家でティータイムの時からそうだった。違う種類のお菓子を食べさせあっていたもんね! あぁ胸焼けする! 胃薬が欲しいー!」
と空君が絶叫していた。
「じゃぁ、空君も。はい、あ~ん」
と天音さんが躊躇なく、唐揚げを箸で摘んで差し出す。
「や、やらないよ?」
「そ・ら・く・ん?」
天音さんはニコニコ笑顔を浮かべて、空君のアクションを待っている。
「やらないか――」
天音さんは笑顔を崩さない。しばしの沈黙下の駆け引きの後――根負けしたのは空君だった。うん、顔が茹でられたように真っ赤だ。こんな空君はなかなか見られない。
「いいなぁ。今度は私もお弁当を作ってきたいかも」
「いや、これ以上お弁当あったら食いきれないでしょう」
「空君のばーか、そういう意味じゃないから」
「え? 今なんで俺、罵倒されたの? どうして?」
「自分で考えてみたら?」
プイッと天音さんはそっぽを向く。
「そもそも翼って、お弁当が作れるの?――って、痛ッ。痛い、痛いって!」
天音さんが容赦なく、空君の頬を抓った。うん、今の発言。全面的に空君が悪いね。
「……お姉さんに比べたら、美味しく作れないの知っているし。ちょっと言ってみたかっただけだし!」
彼女の手料理と実家の味を比べるのは悪手と言われるけれど。雪姫の料理と比較したようにも聞こえるから。ちょっと今のは空君に非があると思うよ。
「だ、だから。そういうことじゃなくて。俺も苦手だけど、どうせなら一緒に作りたいな、って。それに姉ちゃんが料理を始めたの最近だから、食う機会、なかったからね。だいたいお弁当は冬希兄ちゃん専用コースだから比べようがないし。俺は純粋に翼のお弁当が食べたいって思ったの。それなら翼にも俺のお弁当を食べて欲しいと思ったんだよ」
「え……」
今度は天音さんが、みるみるうちに、顔を――耳朶まで真っ赤に染めていく。うん、空君。君ってヤツは。俺も雪姫も無自覚に相手に対して行動する傾向があるけどさ。空君、間違いなく君もだよ。
分かってるのかな?
君のお弁当を食べたい。でも俺のお弁当も食べて欲しい。――そう言っているのに等しくて。それは特別な関係の二人でなければ、そもそもそんな言葉は出てこないから。
「そ、そういうことを……。空君は、他の人にも言うの?」
声を震わせながら、天音さんは聞く。
「ん? そんなこと言うわけないじゃん。翼にだけだよ」
と空君がニッと笑って言って――。どうやら天音さんのキャパは限界を迎えてしまったようだ。
「……空君のバ、バカ、他の人にそういうこと言ったらダメなんだからね!」
「え? あ、うん。うん? いやだから、こんなこと言ったのは翼が初めてだし」
だから天音さん、キャパオーバーだって、空君。思わず俺は雪姫を見る。雪姫も苦笑を浮かべているが、止めるつもりはないらしい。
「こんなこと翼にしか言えないからね」
空君は優しく微笑んでそう言う。察するに、こんなシチュエーションになるの天音さんだけだから。天音さん以外に言う機会そもそも無いからね。とそう言いたい空君と。
特別な関係として認識している天音さんと。今、この二人には大きな隔たりがある気がする。
(まぁ、そこも含めてかな。外野がお節介を焼くことじゃないよね)
そう思う。
「なんか良いなぁ、僕も料理頑張ってみようか――」
「ひかちゃんはダメ。絶対、ダメ。そもそもセンスがない。死人がでる」
黄島さんの真剣な言いっぷりに俺は目を丸くした。
「いや、そこまでじゃ無いと思うんだけど――」
「電子レンジで卵を破裂させなくなったら考えるよ」
海崎? それは料理云々の前の話だけど?
「あれは、たまたまで……」
「揚げ物で、火柱をあげたことあったよね?」
「えぇ、と……」
「ひかちゃんのお母さんからも、釘を刺されてるからね。やるなら絶対に私と一緒だから。いい?」
「う、うん……」
友人の新たな一面を知った瞬間だった。
■■■
あれだけのお弁当も、みんなで食べればあっという間。最後のお楽しみは【cafe Hasegawa】のいちご大福だった。頬張ると、その柔らかさと甘さでほっぺが溶けそうになる。流石、美樹さん。流石パティシエール。雪姫曰くパティコン大賞受賞の腕はダテじゃない。いや、バイトで働いているから、それは分かっているつもりなんだけど。
俺は紙コップに淹れたコーヒーを啜る。隣では同じように、雪姫がカフェオレを火傷しないように、口をつけていた。空君から連絡をもらってから。デザートがあるなら、と。コーヒーを淹れておいたのだ。コーヒー豆はいつか淹れようと、下河家に置かせてもらっていたので。
「ゆっきのはカフェオレ? それってもしかして――」
「いや、お店のクオリティーはムリだよ? 本当に適当に淹れただけだから」
俺はそっぽ向くが、雪姫は嬉しそうに微笑んでいる。
「でもカフェオレ、ゆっきだけじゃん? 良いなぁ。私も上にゃんのカフェオレ飲みたいぞ」
「お兄さんが淹れたんです、このコーヒー? まるでお店のを飲んでいるみたい!」
天音さんが驚きの声をあげた。喜んでもらえたらのなら、これほど嬉しいことは――。
「冬君。いちご大福の粉がほっぺについているよ?」
と雪姫がハンカチで拭いてくれる。
「ゆっきはもう妻レベルですか――ね、って、え?」
黄島さんが目をパチクリさせた。何故か拭いた後、俺の頬に雪姫が唇で触れてきたから。
「ゆ、雪姫?」
「ゆっき?」
「下河?」
「お姉さん?」
「姉ちゃん?!」
俺を含めたみんなが、雪姫の行動に狼狽える。イタズラをした子のように、雪姫ははにかんだ笑みを浮かべながらチロッと舌を出した。
「だって。なかなか落ちなかったんだもん」
「ね、姉ちゃん……。あのね、場所を考えて。そういうことは、二人だけの時にしてくれない? とても目に毒だからね! よかったよ、清掃活動の時にヤらかさなくて」
そう空君が言うけれど、心なし雪姫の頬が赤いしつないだ手も火照っている。
分かってるよ、と俺は雪姫に囁く。ティータイムをするのは自分達の特別な時間。それをほんの少しだけ、他の人と共有してしまった。それは雪姫にとって確かに前進ではあったけれど。でもね。一抹の寂しさを感じていのは、俺も一緒だからね。
――二人のティータイムがこれから変わるわけじゃないからね。
俺は雪姫にそう囁く。
雪姫は俺を見る。どうして分かったの? と、そう言いた気で。でも俺の言葉を理解して、雪姫はすぐに満面の笑顔を浮かべた。
「だから言ったそばから、あれほど二人の世界に入るなと――」
「まぁまぁ、空っち。この二人にそりゃムリだから。むしろしっかりその感情出しきってガス抜きした方が良いと思うんだよね。というわけで、そろそろ二人の馴れ初め、聞かせてもらって良いかな?」
黄島さんがニヤニヤして言う。我に返り――気恥ずかしさが込み上げてきた。
今さら? と思うかもしれないけれど。不器用に、手探りしながら今日まで二人で来た。その時間は短かったけれど、濃密でその一瞬一瞬が俺にとって宝物になった。それは本当に二人だけのかけがえのない時間で。だからそれを晒すのは、ちょっと――いや、かなり気恥ずかしさがある。
でも、と思う。ナイショにして隠すのも違うと思う。俺は雪姫のことが知りたい。雪姫にも俺のことを伝えたい。同じように、友人達にも伝えたいと思う。結果、呆れられるとしても。俺がどれだけ雪姫を大切に想っているのか。余すことなくず知って欲しいと思ってしまう。
「それは是非、儂も知りたいな」
「えぇ。興味がありますね、あなた」
みんなには聞き慣れない――俺には聞き覚えのある二人の声。俺は声の主達に首を向けた。
そこに立っていたのはグレーのジャケット、リボンタイ、シルクハットに白い髭を生やした壮年の紳士。もう一人は色を麦わら帽子を被り、抑えたチェック柄のワンピースに身を包んだ婦人だった。
知っているか、知らないかと言われたら――とてもよく存知あげている二人なわけで。
「なんで……じーちゃんとばーちゃんがいるの?」
ようやく俺は言葉を絞り出した。
一瞬の沈黙。その沈黙はすぐに破られる。
「「「「えー!?」」」」
言葉にならない言葉が、日曜日の公園で反響して――昼寝をしていた野良猫たちが何事かと片耳をピンと立てているのが見えた。
ニヤニヤとこっちを見やるじーちゃん。微笑ましそうに笑みを溢すばーちゃんに視線を送りながら。俺は大きくため息をついた。
遠慮から俺から離れようとした雪姫の手を、改めてしっかりとその手を握ってみせる。
雪姫の喉元から、ひゅーひゅーと小さく喘鳴が漏れ出したから、なおさら。
誰の前であっても、俺は雪姫に対する対応を変えるつもりはない。この指で、雪姫の指を絡めて。絶対に離さないと、意思表示を示した。
――離れる必要も遠慮する必要もないから。そのままで良いから。大丈夫だから。俺はずっと傍にいる。
俺は、雪姫の耳元でそう囁いた。




