44 君がいる日曜日
今日は日曜日なのに慌ただしい。まず町内清掃がある。協力金、千円を払えば免除されるルールがあるが、学生一人暮らしには惜しかったので毎回参加している。もしかしたら友達ができるかもしれないという淡い期待があったのだが、結果仲良くなったのは町内会平均年齢65歳トップのミドル層だった。まぁ、悪くはないし、買い物行く度に割引してくれるし【cafe Hasegawa】でも絡んでもらった。売上にも多少なりとも貢献できたのではないかと思う。
「上川君、今回もありがとう」
声をかけてくれたのは、町内会長の高岩厳さんだった。副会長の高樹梅さんもいる。
「あ、いえ。町内のことなので。それに協賛金払うのキツいですしね」
と素直に言うと、梅さんがカラカラ笑った。
「いいよね、そういう素直さ。アタシらとしても若い子が参加してくれるコトは大歓迎さ。今日もよろしくね!」
そう梅さんに言われて、俺も気持ちを切り替えて頷く。
今日は慌ただしい。町内清掃の後は、昼から【cafe Hasegawa】でのバイト――予定だったのだが、それは取り止めになった。
――バイト代は昨日分につけておくから、今日は雪ん子ちゃんと一緒に過ごしたら?
美樹さんからのLINKメッセージ。
ただ、何で迷ってしまったんだろう。雪姫に日曜日はバイトがあるからと言ってしまった建前からか。それとも、あまりにガッツキ過ぎと思われたくなかったからか。だって、まるで甘えん坊じゃないか。昨日も会ったのに、今日も会いたいだなんて。
だから、海崎と出かけることにした。本屋めぐり、レコード店をしてラーメンを食って帰るという恒例コースで。土日は雪とのリハビリをしていなかったので、そんなスケジューリングで定着しつつあった。
そして夜には、じーちゃんとばーちゃんに会う。たまに会っておかないと、一人暮らしを禁止されたらかなわない。それだけ心配してもらっている自覚はあるので、祖父・祖母孝行はしっかりしたいと思っている。
結局、学生が何を偉そうに――と爺ちゃんに拳骨を受けるのが目に見えているけれど。
「え? 上川?」
「上にゃん?」
「冬希兄ちゃん?」
聞き慣れた三人の声に俺は目を丸くした。なんで、と思う。
町内清掃に、海崎と黄島さん、それから空君がいたからだ。俺は何回も瞬きをして、目を疑った。
「上川って、同じ町内会だったんだな」
「まぁ、そうじゃないと時間をとって雪姫とリハビリをして、その後バイトって無理だよね」
と黄島さんが納得したように言う。
「今まで、君らを見たことなかったけど?」
思わず聞く。
「子ども会として参加していたからね。もう卒業しているけど、腐れ縁でお手伝いをしていてさ。今日もこの後、チビっ子達の面倒を見ながら、公園清掃だから。まぁタイミングの問題だったのかもね」
「そうか。まぁ、俺は自分の組の担当をやるから、ココでバイバイだな。海崎、終わったら連絡を――」
「そっちの方、人手が必要なんじゃないか?」
話を聞かれていたらしい。会話に割り込んできたのは厳さんだった。
「まぁ、保育園児から小学生までの混合部隊だから。手は焼きますからね、人手が多いのは助かりますけど」
と海崎は答える。
「まぁ、こっちは年寄りが人海戦術でゆっくりやるから、上川君はそっちを手伝ってやってくれないかい?」
そう言ったのは梅さんで。
「それは凄く、助かるかも!」
黄島さんも笑顔で言う。交渉成立とばかりに、海崎、黄島さん、厳さん、梅さんは頷いた。
「お、おい? 海崎? 俺、子ども会のことなんか、全然分からないけれど?」
「いいの、いいの。必要なのはパワーと子どもから愛されるキャラだから」
「はい?」
俺は目をパチクリさせる。でも海崎は人の悪い笑顔を浮かべていた。
「上川ってさ、【気まぐれ猫】とか言われているけど、結局面倒見が良いもんなぁ。ちゃんと構ってくれるし、反応返してくれるし。チビ達も喜ぶと思うよ」
全然意味がわからないが、海崎が勝手に納得しているし、黄島さんもウンウン頷いている。
「そっか、その手があったか」
ボソッ呟いたのは、空君だった。
「え?」
思わず空君を見る。
「冬希兄ちゃん。姉ちゃんのことで相談があるんだけど、さ。聞くだけ、聞いてもらって良いかな?」
■■■
俺は全力で、駆けていた。
なんて不純だ、って思う。
――ずっと、姉ちゃんが子ども会を手伝ってきて。俺は姉ちゃんの代わりに来てるんだけど、チビ達も姉ちゃんに会いたがっていてさ。今日、リハビリとして、一緒に参加してもらえないかな?
自分の気持ちを、飲み込む。
むしろ俺が会いたくて。
でも会いたいと、そう言うのが恥ずかしくて。照れくさくて。
理由ができてしまった途端、飲み込んでいた本音を隠すことができなくなった。
息を切らしながら。全力で駆けていく。
俺はバカか。
会いたいなら、会いたいって。最初からそう言えば良かったのに。
――それは良いね。下河なら色々なことが分かっているから、僕らも助かるよ。それにまた会いたいって思っていたしね。
――姉ちゃんには、連絡を入れておくからね。
――上にゃん、慌てなくても良いからね。先にやっておくから。
そんな声を背中に受けながら、俺は全力疾走をしていく。下河家に到着する頃には、動悸で目眩を憶えた。
息を少し整えて、インターフォンを押そうとした瞬間、ドアが開いて。
雪姫が、少し驚いた顔をして目の前に立つ。
既視感を憶える。
二回目だ。
雪姫の家を訪れた時の再来のようで。あの時、持っていくプリントがなかった。でも、下河雪という女の子と折角交わった接点を失いたくなかった。もっとたくさん言葉を交わしたい、話をしたい、友達になりたい。そう思っていたから。
「あ、お、おはよう?」
俺の口から漏れたのは、そんな気の利かない一言で。
その刹那――。
雪姫が、俺の胸に飛び込んできた。
腕を俺の背中に回して。小さな呟きを、聞き漏らすほど俺は難聴じゃなかった。
「……会いたかった」
なんだ、と思わず脱力しそうになるのを何とかこらえた。俺も雪姫を抱きしめる。バカみたいだな、って思う。結局、息を切らして全力疾走して来た方が格好悪かった。雪姫が俺と同じように、会いたいと思ってくれていた。最初から、素直に言葉に出せば良かっただけの話だったんだ。
でも、その前に空君に頼まれたことを、雪姫にお願いしないと。
「あのさ、雪姫? 無理でなければ、ちょっとお願いがあるんだけど。少し手伝ってもらっても良いかな?」
町内清掃――子ども会担当の公園掃除について伝える。雪姫は満面の笑顔で頷いてくれる。
「冬君がいてくれるなら、多分大丈夫」
雪姫が抱きしめる力をぎゅっとこめた。それは、不安の現れかもしれない。
だったら、俺にできることは雪姫が望むこと、全部を叶えることだと思う。
雪姫の一番でいること。傍にいること。一緒にリハビリを頑張ること。色々な場所に二人で出かけること。でも、その前に俺から紡ぐべき、言葉がある。
「雪姫、あのね。俺も雪姫に言いたいことがあって。公園に行く前に、それだけ言わせて」
「え?」
雪姫が俺を見上げる。
「――会いたかった」
雪姫の髪を、この手で梳きながら。
我慢していた言葉を、こうやって囁くだけで。全部、こうもあっさり満たされて、心の奥底まで暖かくなっていく。
「私も、会いたかった。朝からずっとずっと会いたいって思ってた」
俺の胸に顔を埋めながら。思わず時間を忘れてしまいそうになって――。
と、LINKの通知音が鳴った。
■■■
sora:慌てなくて良いって黄島先輩は言ったけどさ。物事には限度ってモノがあるからね。イチャイチャして時間忘れそうな気がしたから、先に釘を刺しておくよ。間違っても玄関前での、公開イチャイチャは勘弁だよ? ご近所の目ってモノがあるからね。お宅のお姉ちゃん、最近、お盛んですね? とか聞かれても、俺が困るから。その際は「お盛んです」って答えるからね! 知らないからね!
■■■
「大丈夫? 無理してない?」
俺は雪姫を見ながら聞く。緊張でやや表情が強張っている。でも呼吸は落ち着いているのが見てとれた。雪姫は、俺の腕にしがみつくように抱き着いている。
「うん。こうしていると、落ち着くから」
「……向こうについたら、ちょっと離れようね?」
流石にこの姿を色々な人に見られるのは、恥ずかしいと思ってしまう。
「うん……。でも手は繋いでいて良い?」
「それは、もちろん。だって、雪姫がまた発作起きたら困るし」
俺はコクンと頷く。それだけで、雪姫は安心したように笑顔を咲かせる。
「不思議だなぁ、って自分でも思うよ」
「ん?」
「冬君がこうやって手を握ってくれるだけで。冬君の温度を感じるだけで、呼吸が平気なの。あんなに外に出るたり、人と会うことが苦しかったのに。冬君がこうしくれるだけで苦しくなくて。一時期、心療内科の薬あけもらったことがあったけれど、服用していた時はただ眠くなっただけだったから。息苦しさも発作も全然収まらなかったから」
「そっか」
そう言えば、と思う。俺はその頃の雪姫をよく知らない。それはきっと俺自身のこともそうで。俺も雪姫に話していないことがたくさんある。
――ずっと我慢してたけど。もう我慢しなくて良いんだよね?
カフェオレを入れた日。雪姫に好きだと伝えたあの日。雪姫が言ってくれた言葉を思い出す。
今日の俺は何に遠慮しているんだろう。そう思う。遠慮する理由なんて、もう無いのに。むしろ遠慮して、雪姫に寂しい想いや不安な想いをさせる方が、よっぽどイヤなはずなのに。
「ごめん、やっぱりこのままでいよう。雪姫を近くに感じたいから、このままが良い」
「うん」
コクンと雪姫は頷く。
「でも手を離して作業をしないといけないもんね。だからね、冬君」
「ん?」
「できるだけ傍にいて欲しい。手が繋げない時は、私の傍にいて欲しい。私を見て。私を一人にしないで。あなたの一番だって、私に教えて欲しいの。そうしたら、それだけで頑張れる気がするから」
「分かった」
俺もコクンと頷く。
「俺の一番は、雪姫だよ」
だってね、と俺は雪姫の耳元で囁く。大好きだからね――。
遠慮なく。躊躇いなく、俺はそう囁いた。
公園に足を踏み入れる。
雑草を引き抜いたり、ゴミを集めたり、ヤンチャな子ども達は走り回ったりと、それぞれ忙しい。保護者の面々がの協力がなければ、公園清掃が終わりそうにない。
空君や海崎、黄島さんは子どもたちにジャレつかれながら、公園清掃に勤しんでいた。
あ、子ども達のタックルで、空君の集めたゴミが空に舞う。なるほど、海崎が言うように必要なのはパワフルさらしい。俺、もう帰りたくなってきた。
「雪姫姉ちゃん?」
一人の女の子が声を上げた。小学校6年生くらいの、ちょっと大人びた表情の子だった。
喧騒で埋め尽くされていった公園が、一瞬で静になる。
と、その子が全力で雪姫に抱きつく。
「やっと、来てくれた!」
すると、その子を皮切りに、雪姫を知っている子達がわらわらと、押しかてくる。思わず俺は一歩引こうと手を離そうとしたが――雪姫は、むしろぎゅっと掴んで離さない。
「お待たせ。遅くなってごめんね」
そう雪姫は微笑む。
「このお兄ちゃんのおかげで。ようやく来れたから。今日はよろしくね? みんなも手伝ってくれる?」
「「「「もちろん!」」」
今まで遊び呆けていた子まで、声を上げる。俺は――周囲の大人たちも思わず目を丸くした。
「みんなでやったら、早く終るものね」
「そうしたらお姉ちゃんと遊べる?」
「冬君と一緒なら喜んで」
「そこのお兄ちゃん、ずっと手を握ってるけれど、お姉ちゃんのカレシ?」
「そう。私の一番大事な人。一番大好きな人だよ。私の息が苦しくなっても、すぐに助けてくれる人。私の王子様かな」
そう俺の目を見て、雪姫が言う。
歓声がいたるところから上がる。いや、保護者の皆さん、あなた方はちょっと落ち着こう。黄島さん、あなたもだよ。
「お兄ちゃんはどうなんですか?」
「雪姫お姉ちゃんがここまで言ってるのに、スルーとか。ちょっとそれは無いんじゃないかな?」
「雪姫お姉ちゃんはこう言ってますが、お兄さんはどう思っているんですか? 男らしく、はっきりさせてください。お兄さんの口から聞かせてください」
最近の小学生はマセていると聞くが、芸能レポーターも顔負けだ。ただ、みんなニヤニヤしているので、良い性格をしていると思う。
でも、もう隠す必要もないから俺が言うべき言葉は決まっていた。つい遠慮をしてしまいそうになる、さっきまでの弱気な自分を飲み込んで。
「雪姫は俺の一番大切な人で、一番好きな人だよ。この気持ちは、雪姫にも負けないって思ってるよ」
子ども達の歓声と、周囲の大人まで何故か拍手がわいて。いや、そこは作業に集中してもらえたら。意識したら、メチャクチャ恥ずかしいのですが――。
「冬君を好きな気持ちは、私の方が強いよ」
いや、なんでそこで張り合うかな、雪姫さん?
「気落ちの強さって、目に見えないから。でも俺が一番雪姫のこと好きだし、絶対譲らない。そう思ってるよ」
「目に見えないなら、なおさらだよね。冬君より先に私が好きになったんだもん。誰よりも先に冬君の素敵なトコロ、私が見つけたから。絶対、誰にも譲らないんだから」
「うん、それは俺も一緒。誰にも雪姫のこと、譲らないよ」
「大好き、冬君」
「大好きだよ、ゆ――」
「い、い、い、いい加減にしろー!」
プルプルと体を震わせて吠えたのは空君だった。見れば、海崎も黄島さんも大人達も――そして意味が理解できた子ども達は、みんな顔を真っ赤にしていた。意識すると、俺まで体が火照ってくる。
「こ、公衆の面前でイチャつくな!」
「もぅ、空ってば。イチャついてないから。ただ聞かれたから答えただけじゃない」
「姉ちゃんに羞恥心ってモノはないのか?」
「あ、あるよ? それは勿論。あるけど、ただ冬君には遠慮しないって決めたの。言葉を迷って言えないくらいなら、しっかり大好きだって伝えて、私だけの冬君なんだってちゃんと示したいって思うの」
「示す意味ある?」
「あるよ。言葉にしないと伝わらないって、イヤってほど実感したから。だから空にだって冬君はあげないよ?」
「ば、バカ! このバカ姉は何を言って……」
「上にゃんと空っちの絡みも、なかなか――」
「収拾つかないから黄島先輩は黙って!」
ガルルと今にも噛みつきそうな空君に俺はつい苦笑を浮かべてしまう。そして海崎からは疲労困憊のため息が聞こえた。
確かに周りが見えなくなっていたのも事実。だから俺は雪姫にたけ聞こえるように囁く。
「できれば、なんだけどさ」
「冬君?」
「そういう言葉は、俺と二人きりの時に聞きたいし、言いたいよ?」
「ふ、冬君?」
何故か雪姫が頬を赤く染める。勢いで言っていたが、急に意識してしまっただと思う。でも雪姫に徹底的に意識して欲しい。貪欲な俺は心の底からそう思ってしまう。
「だってね、俺が雪姫を独占したいから。でも言葉にしっかりしたいと思う。だから――雪姫、大好きだよ」
「……だからさ」
空君が肩を落とす。
「作業を進めたいの! 子ども会だけ、いつまでたっても清掃が終わらないじゃん! 公衆の面前でイチャつくなって意味わかってる? 姉ちゃんも冬希兄ちゃんも?!」
空君の絶叫と、子どもたちの楽しそうな笑顔がはじけて。
雪姫と俺は、つられて笑いが溢れた。
でも――この手は離さない、離してあげないとお互いにしっかり手を繋いだままで。
(ごめんね、空君)
遠慮しないって決めたし、雪姫の一番でいたいって決めたから。
やっぱりこの手は離せない。
「空っち、落ち着くのよ。どーどー」
「黄島先輩、俺は馬じゃない」
「あの二人、絶対何かあったよね。いや、もう想像できるけど」
「詳しくは本人達から作業が終わってから聞いてください。でも燃料は投下しないで。これ絶対!」
「燃料?」
「あの二人、無自覚だからキッカケさえあれば、いつでもイチャつきますからね! その後の責任は一切、置いかねます。ちょっとでも心配した俺がバカみたいだー!」
「なんか、でもアレだね。ああやって、子ども達と清掃しているの見ると――まるで夫婦みたいだね」
「あ、今のアレ聞こえたね」
「変に意識させたな、海崎先輩!」
「え、僕?」
「燃料投下しちゃいけないって。だから清掃中! そんなにくっつくな! 保護者の皆さんの目に毒でしょ!」
「いやいや。みんな既婚者だから。むしろ経験者だからね、空っち」
「作業に集中して! 『ウチも久々に旦那と――』とか、そんな深夜トークを子どもの前でしないで!」
「むしろ皆さんが燃料投下しまくっている感じ?」
「海崎先輩、上手いことは言わなくていいから!」
「おーい、子ども会。どんな感じや? ――お? あれ雪ん子か? あの子もそんな子をするようになったんだなぁ。こりゃお熱いことで」
「ラブラブってヤツさね」
「厳さん、梅さん、お願いだから燃料投下しないでっ! そこ意識しない、くっつかない! 作業に集中する! 保育園児も小学生もカップル作らない! え? 僕……あ、イヤイヤイヤ。作業、作業に集中! 集中してっ!」
「空っちって年下にそういえばモテるよね。主に保育園児に」
「さ、作業に集中して、お願いだからっ! 集中してっ! 俺はお婿さんにならないから――」
子ども会担当の公園清掃は、まだまだ終わらない。
混沌のまま次回へ続く――。




