閑話4 「シルシ」
これは、ほんの少しだけ先の物語。
物語を、ほんのちょっとだけ早送りした、何ら変わらない日常の延長線。
当たり前の二人の、いつもと変わらない 日々の物語。
確実に二人のシルシを刻みつけていた、明日よりちょっと向こう側の――そんな物語。
■■■
海水浴にはまだ早い季節。白い砂浜を、俺達は裸足で歩き回る。砂浜n足跡をつけて。波がさらって。足跡を消していく。雪姫はムキになるように、足跡をつけていく。
「そんなにムキにならなくても」
俺は苦笑して言う。
雪姫はその手を離そうとせずに。むしろ指と指を絡めて、僅かの距離を――隙間を埋めるように、擦り寄る。
「分かってるもん、私はワガママだから」
「雪姫?」
「シルシが欲しいって思っただけなの。冬君と一緒に来た場所ってシルシが。刻みつけたいって、そう思っただけだから」
と言って雪姫はハッとした表情になる。ワガママをまた言ってしまった、そんな顔で。
(お馬鹿ちゃんめ)
雪姫のストレートな感情をワガママだなんて思ったことは一度もない。それは、嬉しくなる【おねだり】でしかないのだから。
「今さら、だからね」
「冬君?」
「今までも散々、雪姫にシルシ刻みつけられているからね。どうしたら良いと思う?」
「え?」
「――雪姫のことしか考えられないんだよね。これでもかってくらい、雪姫にシルシをつけられた。そう思ってるよ」
「それは、私の方がだよ」
雪姫が真っ直ぐに俺を見る。
「冬君のことしか考えられないのは――冬君に、たくさんシルシをつけられたから、だもん」
「うん。でも、まだまだ足りないよ。もっともっとシルシをつけたいって思ってるからね」
波の音を聞きながら。
いくら、俺たちの足跡を消されても。
消えないシルシが、こんなにたくさんある。
■■■
「上川君、僕らと一緒にプチ旅行に行かない?」
「へ?」
雪姫の父――大地さんからの提案に、俺は目をパチクリさせた。娘とお付き合いすることに寛容に受け止めてくれているとは思っていたが、旅行も一緒となると流石に戸惑う。
「雪姫の発作を止められるのは、上川君だし。こうなる前は結構、家族で旅行、一緒に行っていたからね」
雪姫は他者の前にいると過呼吸になってしまう。でも家族の前と――俺の前では何故か大丈夫で。
それだけじゃ言葉足らずだ。俺が彼女の手を握ることで、発作が落ち着く。今考えても、この関係は不思議だなって思う。
俺は雪姫の弱さを逆手にとって、自分の弱さを埋めていないか? そう思っていた時もあった。
でも――。
「冬君も一緒に旅行ってくれるの?」
途端に雪姫の表情に笑顔が咲く。どれだけ自分を大切に想ってくれているのか。その笑顔で分かってしまうから、悩むだけ無駄だと思ってしまう。
「父ちゃん、結局は別行動になる未来が俺には見えるよ」
「私も。雪姫と上川くんの仲の良さに耐えられないんじゃないかな?」
と空君と春香さんがニマニマしながら言うけれど――。流石に両親を前にして、ゼロ距離になるなんてことはしない。時と所と場合。TPOはわきまえているつもりだから。
「冬希兄ちゃん。兄ちゃんを前にしたら、姉ちゃんの辞書にTPOなんて文字はないからね?」
「冬君――」
言うや否や、俺に胸に雪姫が飛び込んでくる。大地さんの視線が痛い。すいません、と思う。でも雪姫が甘えたいって思ってくれたら、俺には拒否する選択肢は無いから。
結局、TPOなんか放り投げて、俺は雪姫を受け止め――抱きしめていた。
■■■
「ん?」
ガラス瓶が波打ち際にプカプカと浮かんでいた。瓶の中には、便箋が一枚。コルク栓でしっかりと封をされていた。思わず、手に取る。
好奇心から、開栓してみた。
【Could you be my friend ?】
(私と友達になってくれませんか?)
そう書いてあった。その下にはE-MAILアドレスが記載されている。アドレスから察するに、エリーという子が出したものらしい。
俺は雪姫を見る。
雪姫は不安そうな目で、俺を見る。その顔を見たら、俺のとる行動はたった一つしかなかった。
再び、瓶に戻して栓をする。そして、そっと海に戻した。
「いいの?」
と雪姫が言う。
「え?」
「冬君、友達が欲しいって、前に言ってたから」
「それは最初の頃の話でしょ?」
雪姫と出会った、あの頃。俺には友達と言える人がいなかった。高校に進学してもコミュニティーに入りこむことができなくて。結局、一人ぼっちで過ごす方が楽だと、そう思い込むことにした。
そんななか、俺は雪姫と出会えた。
「私は友達には、もうなってあげられないもん」
ぎゅっと俺の手を握る力をこめる。
「友達のまま、なんてイヤだから。あの時に戻るのはイヤだから」
「うん、分かってるよ」
俺も頷く。
「引き返せないくらい、雪姫にシルシをつけてもらったからね」
鼓動、心音、胸の疼き。切ないくらい雪姫を求めてしまう。友達という関係じゃ満足ができなくて。雪姫にとっての一番でいたい。そう思ってしまう。
「シルシでいっぱいにされたのは、私だって一緒だもん」
「そっか。それは嬉しいかも」
俺がニッと笑むと、雪姫が俺の胸に飛び込んできた。最近の雪姫はまったく、遠慮がない。
「冬君。ワガママを言っても良い?」
「もちろん」
俺は頷く。
「知らない誰かに、冬君が優しい言葉を囁くのも、書くのも耐えられない」
「うん」
「私にしか見せない顔を、他の人に見せるのはちょっとイヤ」
「そんな顔、俺してるの?」
「とても、優しい顔をしてる。私が弱音を言っても、甘えても全部受け止めてくれるし。今さら冬君の魅力に気付いても、誰にも渡したくな――」
「シルシ、たくさんつけられたからね。今さら誰も欲しがらないと思うよ?」
「売約済みだって、今から、もっとたくさんシルシつけるから」
「お手柔らかにね」
「私にもたくさん、シルシをつけて」
「喜んで」
最近の俺は、雪姫に対してまったく、遠慮がなかった。
波の音が、優しく囁いて。
水面が足を冷やし、これが本当に現実だと諭す。
心音で繋がるお互いの鼓動がむしろ熱くて。
夕方の凪程度じゃ、この熱は収まらなくて。
シルシをつけては、重ねて。
吐息が漏れて。
シルシを重ねる。
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これは、ほんの少しだけ先の物語。
物語を、ほんのちょっとだけ早送りした、何ら変わらない日常の延長線。
当たり前の二人の、いつもと変わらない 日々の物語。
確実に二人のシルシを刻みつけていた、明日よりちょっと向こう側の――そんな物語。




