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39 猫氏と猫達はお役目を全うする


 行きは甘い匂いがした。コイツらが甘い匂いを嗅ぐわせるのは今に始まったことじゃないが、その甘さがじょじょに高まっていく――そんな感覚で。


 この匂いを何と例えたら良いのだろう。


 甘くて、でもどこか切なくて。人間風に例えるなら、レモンの果汁を垂らしたように。波紋が広がって、ままならない恋心に翻弄されている。


 でもと思う。その切なさすら、二人は心地よく、そして愛しく思っているように見えた。


 月夜を歩く二人の距離はあまりに近かった。月が照らし、そして雲に隠れて。まるで二人の心情を察するようじゃないか。

 猫たちが見守るなか、相棒が雪姫嬢に囁く。


「月が本当に綺麗だな」


 周りの猫達があんぐり口を開けて。文字通り空いた口が塞がらない。やれやれ、と俺は尻尾をパタンパタンと振る。


 猫はニンゲンが思う以上に博識で、芸術に精通する。

 その言葉の意味を知る猫は、呆れて鳴き声すら出せない。


 だが、俺は相棒(ふゆき)らしい――そう思う。


 以前の雪姫嬢は、放っていたら消えてしまいそうな脆さがあった。ヘドロに引き込まれて、沈んでいきそうな。でも今の雪姫嬢からは花の芳しい香に包まれている。沈み込ませるような悪臭、それは一切感じなかった。


(良かったじゃないか)


 小さく俺は笑む。相棒は絶対に嬢を置いて離れない。その事実があるだけだ。だから単純に信頼を寄せたら良いし、不安なら言葉に出せばそれで済む話だったのだ。


 ――世話がやける。


 それにしても、と思う。冬希は月の光と雪姫嬢の姿を重ねたといったところか。雲に隠されても、地球の裏側に行っても、光を受け止めて淡い月光を射すように。

 トラウマを抱えながらも前向きな姿勢を見せる雪姫嬢と月を重ねたのも、不思議ではなかった。


「だから、冬君! そういうトコなの! そんなこと、軽はずみに言ったらダメだよ。他の子にそういうこと言ったら絶対にダメだからね!」


 雪姫嬢の言葉が響く。

 彼女の一言に同感である。その一言は愛の告白に等しいからな――相棒。


「ふぅん」


 俺の隣でティアがニヤニヤしている。


「ねぇルル? 距離、だいぶ近くなったんじゃない?」

「ますますあのお姉ちゃん、好きが隠せてないね」


 とモモもニコニコして尻尾を振る。


「ルルの相棒君もそうよね」

「素直に言葉にしたら、それで成立しちゃうのにねぇ。冬兄ちゃん、もう一押しだよ」


「そこは勘弁してやれ。人間は俺たちのように匂いをかげない。手探りで気持ちを探るしかないんだからな」

「お兄ちゃんは匂いをかごうとしてくれなかったけどね」

「うるせぇよ」


 そっぽ向くが、二匹とも微笑ましそうに俺を見やるのが腹ただしい。

 と、目的地についたようだ。


 【cafe Hasegawa】に二人は入っていくところで。

 がんばれ、相棒。俺はそう心の中で呟く。


「がんばれ、上川君。雪姫ちゃん」

「がんばれ、冬お兄ちゃんとゆっきちゃん」


 ティアとモモがそれぞれ声をかけるので、思わず目を丸くした。


「だって、応援してあげたいじゃない?」

「あんなに想ってるんだもの。そりゃ幸せになって欲しいよ」


 と、雪姫嬢が一瞬、振り返って俺らに視線を向けた。すぐに踵を返して店内へと消えていく。


 届いた、なんて思わない。言語が違う生き物が交われるなんて、そこまで俺も夢を見ていない。


 ただ、がんばれ。そう思う。貴女をヘドロに引き込む過去よりも、傍にいる冬希を見てあげて欲しい。きっと、雪姫嬢ご欲しがってることなんか、あっさり冬希は応えてくれるはずだから――。





■■■




 風がふわっと舞い上がる。漂う甘さに俺は思わず、鼻がひくついた。


「今日はありがとう。気をつけて帰ってね」

「またね、雪ん子ちゃん」

「今度は文芸部で待ってるからね、下河さん。もちろん上川君もね」


 それぞれが手を振る。相棒も雪姫嬢も頭を下げて。その間、全く手を離そうとしていないお互いの姿に目を見張る。


 先刻までのレモン果汁を垂らした甘酸っぱさは微塵も感じなかった。その代わり、覆い尽くす香りは、まるで季節外れの金木犀のようで。


 二人はいつもと同じように手を握る。今までとは――違って、拳一つ分の隙間すら無い。雪姫嬢が擦り寄るように、甘えるように相棒に体を預けていて、俺は思わず目を丸くする。


「冬君、あのね」

「うん?」


「言葉でどう伝えればいいのかよく分からないの。でも、言葉にしないと抑えられないから」

「雪姫?」


「――好きだよ。大好き。こんな言葉じゃ足りないくらい、冬君のことが好きなの」

「俺もだよ。雪姫のことが好きって言葉じゃ、足りない。そう思うよ」

「嬉しい」


 雪姫嬢はふにゃっと唇を綻ばせる。


「冬君は、いつから私のこと好きって思ってくれたの?」

「いつ……。正直、悩むな。雪姫の家に2回目行かせてもらった時、コッチで初めて友達ができたって喜んでたんだよね、俺」


 冬希は言葉を選びながら、そう言う。


「でも決定的に好きだなって思ったのは、多分、裏山に連れていってもらった時だと思う」

「海崎君と彩ちゃんに会った時だね」


 雪姫の言葉に相棒はコクリと頷く。


「俺と雪姫の関係って、学校に行けて幼なじみたちと仲直りできたらお終いって思っていたから。雪姫が否定してくれたのが嬉しかったのと……」

「嬉しかったのと?」


「自分で言っておいて、あれなんだけど。やっぱりこの隣は誰にも譲りたくないって思っちゃってさ。どれだけ独占欲強いんだよ、って思うけど」

「強くないよ。多分、冬君を想う気持ち、私の方が重いもん」


「雪姫?」

「私、冬君がストラップをくれた日があったでしょ? 息が苦しくなっちゃった、あの日……」


 相棒は頷く。


「冬君が私を呼びかけてくれて、呼吸が楽になったあの日が忘れられないの。多分あなたのことを意識していたのはその少し前から。でも、冬君に本当の意味で恋しちゃったのは、あの日なんだと思う」

「そっか……」


 冬希は俯く。隠したつもりかもしれないが、猫の視野は夜こそ視界良好だ。サ赤外線暗視カメラで確認する以上に、お前ら二人とも顔が真っ赤なの見えているからな。


「あの日、私は色々な幻を見ていた。過去に私を否定した人も。海崎君達のことも、弥生先生も」


 冬希が驚いて顔を上げる。


「別に恨んでいるとか、海崎君達に酷いことをされたとか、そんなことじゃないの。弥生先生は無関係だしね。ただ――冬君をあの人達が奪っていく。そんな幻想に私が囚われちゃっただけ」


「……」


「あのね、冬君。家族以外、誰と話しても呼吸が苦しくなって。初めてだったの。面と向き合って、苦しくなかった人って」

「それは偶然、その日が調子が良かっただけで――」


「違うよ。調子で決まるんだったら、きっともっと早く色々な人と話すことができていた。冬君だけだったの。話をしていて、呼吸ができたの」

「そっか」


 冬希はそれ以上否定をしなかった。いや、その言葉を含めて雪姫嬢を受け入れると決めた。そういうことなんだと思う。


「運命みたい。こういうことを言うと、笑っちゃうかもしれないけれど」

「笑わないよ、俺もそう思ってるから」


「……今まで辛かったことも、イヤだったことも。今日、冬君の言葉を聞くためだったんじゃないか、って思うの。未だに、本当は夢だんじゃないかって思っちゃう。ウソ告なんじゃないか、って。でも冬君がそんなことを言うわけないって、言い聞かせて。こうやって握ってくれる温もりはウソじゃないって――」


「ウソ告?」

「ウソの告白をすること。罰ゲームとかで。よくラノベであるよ?」

「――それは、何だかイヤだな」

「え?」


 雪姫嬢は目をパチクリさせた。


「……俺、気持ちが抑えられなくて、言葉が出たけど。今でも信じられないって思ってる。雪姫が好きすぎて。誰にも譲りたくなくて。俺だけの雪姫でいて欲しいって思っていたから」

「ふ、冬君?」


 おい相棒。ほどほどにしないと、雪姫嬢が恥ずかしさでオーバーヒートするぞ?


「でも、すなんりと言えなかった。ずっと悩んでいたから。雪姫に嫌われたら、俺、もう立ち直れないって思っちゃって」

「そ、それは私もだよ……」


「でも絶対、誰にも譲りたくなかったんだ。そう思ったら、気持ちを伝える選択肢しかなくて。ウソの告白なんかできるワケないよ」

「う、うん……」


「だから、雪姫が不安になるんだったら、何回でも言うよ。俺、雪姫が好きなんだ」

「私も、大好きだよ。だって私の方が冬君を先に好きになったんだもん」

「先着順?」


「違うよ。私の気持ちの方が重いよって話」

「時間経過はそうかもしれないけど、気持ちの面で言ったら俺の方が重いからね」


「うん。冬君が甘やかしてくれるのはよく分かってる。でも、それでも私の方が重いと思う。だって絶対、誰にもこの隣は譲らないもん」

「譲ってあげるつもりないし、雪姫の隣は俺だから」

「うん」


 雪姫嬢がニッコリ笑って頷く。

 お前ら、気付いて無いだろうなぁ。ティアとモモを始めとした――猫どもが死屍累々になっている、この光景を。


 と、イヤな匂いが鼻を刺激する。

 アルコールの匂い。

 下卑たニンゲンの笑い声が、猫の聴覚を刺激する。

 数にして10人か。


「ルルの親分」


 控えていた幹部の一人――クロが俺の指示を待つ。


「相棒達の香りに、悪酔いして動けないヤツはいないだろうな?」

「それこそ、まさかですよ。余興と本番を勘違いしているバカはこの組にはいませんからね。お役目、しっかりと務めさせていただきやす。姫とお嬢にシバかれるのはご免ですから。親分のツレと、フィアンセには指一本触れさせません――いいな、野郎ども!!」


 とクロは檄を飛ばす。猫たちにも気合いが入ったようだ。

 

「あまり騒ぎは起こしたくない。やり過ごせるようなら、やり過ごせ。ただ、避けられないようなら分かっているな?」

「へい、実力行使の方が性に合ってますから、むしろ望むところです」


 クロは頷く。


「最初から潰してしまえば良いのに。お兄ちゃんってば、甘すぎるよ」

「ま、そこがルルの良いところだけどね」


 とティアはお見通しと言いた気に、苦笑を浮かべる。


隠密体勢(ステルスモード)で包囲網を適宜縮小。右翼側第3隊、第4隊は冬希と雪姫嬢の防衛に注力。陣形は崩さず、タイミングをみて各個撃破とする。当面待機。指示を待て!」

「「「「いえっさー!」」」」


 俺の号令に猫どもが一斉に吠えた――って、声がデカい。お前ら、うるせぇよ。静かにしろって!


「親分もお静かに。接敵までおよそ、あと2分です」





■■■





 そして例の奴らと相棒は予定通り遭遇した。

 奴らの一人が、舐めるように相棒と雪姫嬢を見やる。


「上川……それに下河、か? 陰キャなお前らが、こんな時間に何をやってるんだ?」

「おい、知り合いかよ?」


「先輩、うちの学校のヤツですよ。地味で目立たないから忘れてましたけど。下河は不登校で最近、学校に来てなかったヤツですけどね。そうか、お前ら付き合ってるのかよ?」


 奴はニヤニヤしながら言う。品性がゼロで、聴いてるだけで反吐が出そうだ。


「女か。おい陰キャ、ソイツは置いていけ。そうしたら特別に見逃してやるよ」

「先輩、それはワルすぎですってー」


「バーカ。イケメンに可愛がられた方が、女だって嬉しいに決まっているだろう? しっかり可愛がってやろうぜ、みんなでな」

「共犯にしようってんだから、なおワルですって」


 下卑た笑い声が響く。

 冬希が雪姫嬢を庇うように立つ。バカどもから漂うアルコール臭。拭えない不快感に、冬希はその表情を歪ませて――いや、あれは完全に相棒の逆鱗に触れてしまったようだな。


 冬希の声が、この夜闇に凛と響いた。







「酒臭い息を雪姫に吹きかけるな。メチャクチャ不愉快だ――」


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