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30 君が不安に思うこと



「冬君。私ね――」


 雪姫の声を聞いた途端、俺は衝動に突き動かされていた。思考はゼロタイム。余計なことを考える余裕はまるでなかった。

 買ってきたペットボトルを放り出して、俺は雪姫を抱き締めていた。


「え、ふ、冬君……?」

「雪姫の話はしっかり聞くよ? でもその前に、ちょっとこうさせてくれない?」

「そ、それは……むしろ、私の方が――」

「それなら、意見が一致だね」


 自然と笑みが零れて。自分でも距離が近いと思う。雪姫に拒絶されたらどうしようかと思ったが、そう思うより早く、体が動いていた。


 考えてみると、今日の雪姫は少し気持ちが不安定に感じた。


 距離が少し空くだけで、呼吸が浅くなる。距離を埋めたり、その手に触れることで呼吸が落ち着いて。極め付けは、雪姫が俺の肩に頭を乗せた瞬間だった。この時、まるで怖がるように体を固くしていた雪姫が、一番脱力して――リラックスしているのが分かった。不安が俺を煽る。


「嫌なら、離れるから」

「い、イヤじゃないよ!」


 雪姫の必死の物言いに、俺は苦笑を浮かべる。やっぱり彼女は優しい。


「そっか。俺は雪姫が消えて、いなくなってしまいそうって、ちょっと思っちゃってさ」

「そ、それは、私が、私の方が――」


 その目に涙をためた雪姫は、両手を俺の背中に回す。俺は目をパチクリさせた。まさか雪姫からそういう行動に出ると思っていなかったから、少し戸惑うが――拒否する理由がない。


 距離が近い。友達としては過剰な距離感であることを自覚している。それでも、もっともっと雪姫に近づきたくて。この距離がもどかし感じる。今日は特に、雪姫までの距離がまだまだ、遠く感じてしまう。こんなに近いのに。


「冬君」

「うん?」

「……もうちょっとだけ、このままでいさせて」

「もう少し、このままって言ったのは俺だよ」

「その気持が大きいのは、私の方だもん」


 雪姫がぎゅっと、さらに力をこめる。俺は、雪姫の髪を手で梳く。彼女が不安に感じた時の恒例行事。でも、それだけじゃないな、と思う。こうすることで、俺自身の気持ちが落ち着くのだ。俺が雪姫との距離をもっと近くしたいと思っているし、彼女のことをもっともっと知りたいと思っている。


(俺ってこんなにも貪欲だったんだだなぁ)


 変なところで自分に感心をしながら。自分は執着しない人間だって思っていた。だから、ドコか冷めた目で、通り過ぎる人々を見ていた気がする。誰かと仲良くしたいという気持ちは当然あったし、自分からコミュニティーに飛び込んでみようと思った時も、あったけれど。


 通り過ぎていく人達と同じようには、雪姫を見ることができなくて。この友達が笑ってくれると嬉しい。友達(ゆき)が不安だと焦る。自販機を探しながら、片時も雪姫の顔が離れなくて。


 戻ってきたら、雪姫が本当に消えてしまいそうで。雪姫がいなくなってしまいそうで。そう思った。


 距離は近い。それは自分でも分かっている。周囲から見たら、友達の定義から外れるかもしれない。でもこの瞬間、誰にどんな風に思われても構わない。雪姫が笑ってくれたら――それしか考えられなかった。


 俺は友達(ゆき)が誰よりも大切に感じている。改めて実感した。




■■■




 ようやく落ち着いて、二人でベンチに座る。勢いで行動して、ペッドボトルを放り出してしまった。雪姫のレモンティーはまだしも、俺の炭酸ジュースは開栓後、大惨事を巻き起こしそうになった――とだけここでは言うにとどめさせて欲しい。ただ、雪姫が呆れたような。でも堪えきれず可笑しそうに笑ってくれた。それで俺は十分で。


「もぅ、冬君ったら!」

「いや、だって。後先を考えていなかったし。まさかこんな風になるとも思っていなかったから。とりあえず制服は汚れなかったし、雪姫にもかけてないし――」

「友達にジュースかけられたとか、どんなサプライズだろうねぇ」

「かけてないじゃん」

「自分でかけそうになったけどね」

「ヤメて、思い出すだけで恥ずかしい」


 と俺が視線をわざと逸らすと、雪姫がクスクス笑って。お互いに一口飲んで、息をついて――と、視界の隅で、雪姫が手を伸ばそうとして、引っ込めたのが見えた。寂しそうに、膝の上に置く。


「雪姫、ちょっと手を握っても良いかな?」

「え?」


 返事を待たずに俺は手を握る。


「嫌なら離すから」

「イヤじゃない」

「なら良かった」


 俺はニッと笑って見せる。


「どうしたの?」

「うん?」

「冬君がこうしたいって、その……言ってくれたの、初めてだったから」


 そういえばそうだったのかもしれない。手を握るのは、リハビリをする時、雪姫が過呼吸にならないようにするため。そんな大義名分をお互いに言い聞かせてきた。。雪姫からずっと求められていた。それも確かにそうで。

 でもね――。


「俺も、こうしていると安心できるんだよ」


 本心から俺はそう言った。雪姫は俺の顔を見る。今日はずっと泣くのを必死に堪える雪姫の顔ばかりで。それが少し辛い、と思う。それだけ雪姫が、自分の気持ちを飲み込んで我慢し続けてきたということなのかもしれない。


「雪姫の近くにいることを実感するし。やっぱり一人じゃないって、感じる。何より雪姫と一緒に過ごせることが幸せだって思っているんだよね、俺……あ、あれだね、何かこうやって改めて言うと結構恥ずかしいね、コレ」


 苦笑すると、雪姫が俺に身を任せるよう寄りかかる。まるで擦り寄るようで。猫を連想させる。貴島さんは俺を気まぐれ猫と言うが、雪姫は甘え猫だなって思ってしまう。普段、遠慮と我慢ばかりしているから、なおさらそう思う。


「イヤじゃない?」

「イヤって思ったことは無いよ。だって、俺が落ち着くんだもん。雪姫と一緒にいると安心している自分がいるんだよね」

「イヤなら離れて良いから――」

「それ、さっき俺が言ったヤツだからね」

「冬君の専売特許のように言わなくても」


 雪姫がぶすっと頬を膨らませる。別に本当に怒ったワケじゃないと思うが、俺が譲らないので、照れ隠しに拗ねてみせたようで。悪戯心に火がついた俺は、指でその頬をつく。ぷしゅっと、空気が抜けて。雪姫がますます頬を膨らませる。


「冬君が私で遊ぶー」

「遊んでないよ? 真剣に雪姫のこと見てるけど?」

「冬君が私のことを弄ぶー」

「雪姫のこと弄んでもいいの?」

「も、弄ぶの?」


 雪姫は俺の顔を見あげる。その意味を考えてしまったのか、顔は真っ赤で。ちょっと意地悪しすぎたかな。俺は小さく笑んで、雪姫の耳元で囁く。


「専売特許ってワケじゃないけどさ。雪姫の隣にいるのは、俺が良いかな」

「え?」

「だって他の人には譲りたくないって、思うから」

「私の隣なんか、物好きな冬君しかいてくれないもん」

「じゃ、俺の独占で。予約しておくね」


 ふふっと俺は笑ってみせる。あながち冗談じゃないから、自分もタチが悪いと思う。自分の気持ちが抑えきれなくなっているのを実感する。必死だなって思う。だってさ?


 ――雪姫のいない生活、それがもう想像つかない。


 雪姫が消えてしまいそうで。いなくなてっしまう。そう感じたら止まらなくて。。だったら、消えてしまわないように抱き締めてでも、どんな方法でも繋ぎ止めてみせる。照れ? 外聞?――雪姫を失うことに比べたら、些細なことだ。


友達(ゆき)がいてくれないと、俺が困る。困ってしまう」

「うん……」


 きゅっと雪姫は、手を強く握り締める。俺も。握り返す。


「以前、イヤなことがあったら教えてって言ったけど。イヤなことだけじゃなくって。心配なこと、不安なこと、全部教えてほしい」

「いいの?」


 ハッとしたように雪姫が顔を上げる。


「だって、友達って役割が終えたら、それでオシマイとか、そういう関係じゃないでしょ?」

「……それ、以前私が冬君に言ったヤツだよね」

「それは雪姫の専売特許?」

「もぅ」


 ぷすっと再度、雪姫は頬をふくらませた。


「冬君の隣は私が予約しました。この場所は、絶対誰にも譲りません」

「かしこまり」


 ニッと俺は笑んで見せる。


「冬君」

「うん?」

「私の話を聞いてくれる?」

「むしろ聞かせて欲しいよ?」


 俺は雪姫の目を覗き込むように、彼女を見やってそう囁いた。





■■■





「このままじゃ、冬君がいなくなっちゃう。そう思っちゃった」

「……」

「冬君とこうして過ごせて、歩いて。外出できて。呼吸が苦しくなくて。幸せって思うの。でもふとした瞬間に不安になって。冬君がいなかったら、やっぱり私は呼吸ができないと思う。冬君がいなくなってしまったら、きっと私は呼吸ができない。私は、こんな風に笑えない」


 俺は黙って、雪姫の言葉を聞く。今は口をはさむべきじゃないと、思ったから。


「冬君は私のリハビリの為に頑張ってくれているのに。いつまでも結果が出なかったら、見放されるんじゃないか、呆れられるんじゃないか、もうリハビリに協力してもらえないんじゃないかって思ったの。そう思ったら怖くなって、不安で。冬君が遠くに行っちゃいそうで。まだ私は何もできてなくて、変わることができてないって――」


 今日は本当に衝動が抑えられない。雪姫の肩を引き寄せて、そして俺の膝に体を倒す。


「え? え?」


 いわゆる膝枕だ。前回してもらったお返し――なんて言うつもりは無い。お互いが消えて、いなくなってしまいそうと思っているのだから、不思議な話しで。俺は雪姫の髪を、この手で梳く。本当は櫛で梳いてあげたいな、とそんなことを思いながら。


「冬君? え?」

「雪姫はがんばっているよ」

「へ?」


「外に出ることが、どれだけ雪姫にとって、ハードルが高いのか。それは雪姫にしか分からないと思う。でも、少なくとも雪姫はがんばっている。俺はそれを見ていて。常に呼吸が安定していないのも知っている。苦しいから、俺の手を求めてくれている。俺はそれが嬉しいって思ってるよ」


 ぎゅっと、雪姫が俺の服を掴む。その顔を俺の下腹部に埋めるように。


「俺が、土曜日に喫茶店でカフェオレを淹れさせて欲しいって誘ったことだって。雪姫にとってはストレスが強いこと、知っているよ」

「……違うから。それは本当に嬉しかったんだよ……」


 声を震わせながら言う。泣いているのが、俺でも分かった。でもあえて、そのことには触れない。


「無理な時は、言ってくれていいからね。俺は待つし、一緒に乗り越えたいし。ずっと傍にいる」

「……それは本当?」

「え?」

「ずっと、傍にいてくれるって、言ってくれたこと。冬君、それは本当?」

「言ったよね? 雪姫の隣は俺が先約だって」

「うん」


「雪姫は勘違いしているけれど、雪姫は俺にとって一番の人だから。そもそも、だよ? 雪姫のいない生活が俺にはもう考えられない。雪姫は、目標ができたって言ったでしょ? 俺が勤めている喫茶店にも、学校にも行きたいって。それは俺の目標でもあるんだよ? 雪姫と一緒に過ごせたら、本当に嬉しいって思うから」


「一番って思ってくれるの?」


「一番だって思うし、一緒にいたいよ。何度も言うけれど、俺の生活のなかで雪姫は必要不可欠なの。息をするぐらい、雪姫が必要だって思っているよ」


「リハビリ、なかなか進まなくても愛想つかさない?」

「進んでいるよ。こうやって外に出られているじゃん」

「冬君がいないと出られない」


「じゃぁ一緒にいよう」

「これからも一緒にいてくれるの?」


「これからも、その先も一緒にいるつもりだけど? 友達ってそういうモノでしょ?」

「いなくならない?」

「ここにいるよ」


「こんな弱い私、嫌いにならない?」

「弱さを見せてくれるぐらい、信頼してくれたってコトでしょ? 俺は嬉しいけどね」

「今日ね……本当は、傍にいて欲しかった――」


 もう雪姫の声は、感情が崩れて。嗚咽が混じり合って。そこには触れず、俺は雪姫の髪を手で梳き続ける。


「ごめん」

「ち、違う。冬君が一生懸命、私のことを考えてくれているのは分かっているから。ただ怖くなっただけなの。また一人になるのは怖くて、冬君がいなくなったら、私もう笑えないって思ってしまって――」

「そっか。なら二人でずっと笑うしかないね。俺、雪姫がいないと困るから。この隣を誰にも譲るつもりないし」


 雪姫が俺の腰に手を回して、より距離を埋めるように抱きつく。不安な感情を、霧散させようと必死なんだと思う。


「私も冬君の隣、誰にも譲らない。絶対に譲らない」

「ん。かしこまり」


 わざと、おどけて見せて。


「カフェオレ、楽しみにしてるね」

「それは……かしこまりました、よっと」


 一気に緊張が駆け上っていく。このタイミングで、そう言われるとは思わなかった。


「喫茶店までは、一緒に行ってくれる?」

「最初から、そのつもりだったよ。一人にしないから安心して。帰りもちゃんと送るからね」

「うん……」


 背中を回した雪姫の手が、少し強く俺を抱きしめる。距離を埋めるように。不安を少しでもかき消すように。


 高校生の俺たちに、未来のことは正直まだよく分からない。

 それでも。


 今日ぐらいは、いつもより距離が近くても、自分の感情を晒しても許してもらえるよね?


 リハビリを頑張る君に、ヨコシマな気持ちで向き合いたくないけれど。

 抑えられない感情が、ずっと燻って。


(多分、これが好きってことなのかな?)


 自分のよく分からない感情に翻弄されながら。胸が苦しくなるのを感じながら、俺は雪姫の髪を梳く。自然と紡いだ言葉が――二人の言葉が重なって。





「「この隣は、絶対に譲らないから」」




【通りすがりの高校生達の会話】


「あれって、上川君じゃ?」

「女の子の方は」

「下河さんだよ。ほら、今、不登校の」

「あの二人、付き合ってるの?」

「どう見てもそうだよね?」

「てか、上川、あんな風に笑うのか?」

「いや、それがね。海崎君と黄島さん情報だと、まだみたいで」

「ウソだろ?」

「これで付き合っていないとか、どんな冗談だよ」

「じゃ、俺にもチャンスある?」

「は?」

「いや、下河さん、メチャクチャ可愛いじゃん」

「入り込める隙間があると思う?」

「ですよねー」

「完全に二人の世界だし」

「そこで猫までもだえて爪とぎしてるよ」

「猫ズ、その気持ちよく分かるゾ」

「私も猫と一緒に爪とぎしたい気分になったー」

「付き合ってないのか。信じられないけど、なんだかもどかしいなぁ」

「むしろ尊い」

「てぇてぇ」

「下河さんが学校来られるようになったら、応援してあげたいね」

「上×下サポーター結成だね!」

「「「「おー!」」」」

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