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29 猫氏は君に語りかける



「冬君、今日のお弁当はどうだった?」

「あ……本当に美味しかったよ!」


 ベンチに腰をかけたまま、二人の会話は続いている。

 と、ティアが俺に囁く。


「あの好青年、ルルの同居人君だよね?」


 俺は肯定する代わりに、組の連中に指示を出す。


「今日は、解散だ」

「え、でも、ボス。今から良いところで。この雰囲気なら、キスとかしちゃうんじゃ――」

「しねぇよ。コイツ、ヘタレだし。それに今は騒いでやるな」


 俺は視線を向ける。今、目下、冬希の好きなオカズを聞き出そうと必死な雪姫嬢を見やる。俺の耳が、雪姫嬢の心音がより早くなるをの聞き取る。


 勇気を出して、聞こうとしているのがイヤでも分かって。彼女が振り絞った勇気を、興味本位な猫達の存在で潰したくない。


「まぁ、モニタリングは私とティアちゃんで継続するから。みんなにはまた報告するね」


 とモモが言う。その顔はお兄ちゃんの同居人をもっと知りたいと、好奇心旺盛さを隠そうとしない。と言うか――お前らも、散れよ。


「へい、承知しました。お前ら、今日はこれで解散だ。姫とお嬢にここは託す。良いな」

「「「うっす!」」」

「解散!」


 声がでけぇ! 鳴くな、バカ猫ど――も?


「俺さ、唐揚げ好きなんだよ。だから、一昨日入れてくれたから、すごく美味しかった……」

「そっか。良かった! また頑張って作るね!」

「でも、どれも美味しくて。毎日食べたいって、思っちゃった」

「毎日……」


 周りが騒ごうが、何をしようがコイツらには関係無いですよ、と。雪姫嬢の匂いが、恥ずかしさと嬉しさで充満しているのが分かる。きっと、あれは顔が真っ赤だな。


 相棒の無自覚さはいつものことだが。雪姫嬢を前にすると、磨きがかかってさらにヒドい。LINKのメッセージ、音声通話を聴いていて思うのは、無自覚にストレートすぎる言葉の数々で。


 雪姫が作ってくれるお弁当以外、食べれなくなる。美味しすぎて――とか。

 雪姫と一緒にいる時間が好きだよ――とか。

 もっと雪姫と色々な場所に行きたいね――とか。

 雪姫の笑顔、本当に可愛い――とかとか。


 コッチが耳を塞ぎたくなるのだが、実際に会ってる二人を見ると、なおヒドい。甘い匂いもさることながら、お前ら、見られているの全然気付いてないだろ?


 同じ高校の生徒がチラチラ、見てるぞ。


 ――学校の生徒に見られて、雪姫が過呼吸になったら心配だから。できるだけ、人が少ないトコロをチョイスしているんだよ。雪姫に負担をかけたくないし、ね。


 毎晩、相棒からの一方的な報告を聞き流していたが。冬希、お前ってヤツは……。いや、これは雪姫嬢にも言えることか。二人の世界に入り込みすぎて、周りが見えていないだろ?


 ――正確には雪姫嬢は周囲からの視線を敏感に感じていた。だからこそ、より相棒との距離を埋めようとしているのか。呼吸が、少し距離が空くだけで不安定になる。その瞬間、まるでねっとりと泥に侵されていくように。ヘドロのような悪臭が鼻についた。


 でも、それも一瞬で。

 冬希が雪姫嬢に触れたり、声をかけるとソレはあっという間に霧散して、瞬く間に甘く芳しい香に包まれる。


(これは相棒から聞く以上に、根が深いかもな)


 そう思う。これはかなり気にかけて注視しないと気付かない、本当に些細な変化で。彼女は何事もないように振る舞うから、なおタチが悪い。


 雪姫嬢を取り巻く不安が、真っ黒いヘドロとなって、彼女を押しつぶそうとしている。きっと彼女は、誰も信じないことを担保に、今まで自分を保ってきたんだろう。相棒と出会い、自分の内面を表出すことができた。でも、それは抑圧していた感情をさらけ出す、諸刃の刃でもあるわけで――。


「そろそろ、行く?」


 と冬希が声をかけて、雪姫嬢もコクリと頷いて、ベンチからゆっくり立ち上がろう――として、ふわりと体が崩れそうになる。

 刹那、冬希が抱き締める。その動きに迷いがなくて、俺は目を細めた。


「雪姫、大丈夫?」

「あ、うん。なんだか少しフラフラしてしまって……」

「顔が赤いよ? もしかして脱水じゃない? しっかり水分摂れてる?」

「え? う、うん……。摂っているつもりなんだけど……」

「熱は、ないようだね」


 とその手で雪姫嬢の額に手を当て、それから首筋にも触れる。雪姫嬢がますます、沸騰する勢いで顔を真っ赤にした。

 相棒。雪姫嬢の顔が赤いのは、間違いなくお前のせいだぞ?


「水分を買ってこようか?」

「え……?」

「すぐに戻ってくるから。あ、でも――うん、やっぱり止めよう。雪姫の気分が落ち着くまでココで――」

「でも冬君は喉が乾いたよね? 私は大丈夫。ただちょっとだけココで休んでても良い?」

「もちろん。できるだけ早く帰ってくる。こういう時、スポーツ飲料が良いと思うけど、雪姫はやっぱりレモンティーが良い?」

「え、冬君、何で知って――」

「だって、雪姫の好きなものを俺も知りたいって思ったら。普段どんなものが好きなんだろうって、気にして見ちゃってさ」


 相棒は心の底から、嬉しそうに笑う。好きな飲み物を当てることができた、そう言いた気で。


「冬君、あの……」

「うん?」

「早く帰っ――あ、な、何でもない。これもリハビリの一環だもん。大丈夫、こうやって出られたし。土曜日は、冬君のバイト先に行かせてもらうしね。だから大丈夫だよ」


 雪姫嬢はニッコリと笑んで見せた。俺から見れば、明らかに嘘で塗り固めた、そんな笑顔を見せながら。


「うん。すぐ戻るからね」


 そう言うや、相棒は駆け出す。雪姫嬢は言いたかった言葉を、全部飲み込んでしまったのか。


 膝の上で拳を固めながら。その手を震わせる。


 雪姫嬢の匂いが、泥で溢れていく。彼女はまるで泥沼に沈んでいってしまうようで。泥が花を枯らすように。甘い匂いも、生命力を感じさせる根も。光を受け止める緑も、全部泥に飲み込んでいくように影を落としていく。


 雪姫嬢の喉元がひゅーひゅーと鳴き出す。その喉元に手を当て、過呼吸を何とか落ち着けようと必死で。雪姫嬢は相棒が向かった方向に、自然と手をのばして。


(やれやれ――)


 無理に感情に蓋をしようとするからそうなる。

 俺は彼女の膝に乗り、その手をペロリと舐めた。


 彼女が目をパチクリさせて俺を見る。

 時間がまるで、凍りついたかのように。


「……ルルちゃん?」

「おあー」


 呼ばれたので、答えてあげる。相棒の代わりに、少しだけ付き合ってやろう。これは単なる気まぐれだ。





■■■




「ルルちゃん……?」

「おあー」


 相棒が、LINKで俺の写真や動画を雪姫嬢に勝手に送りつけていることを、俺は知っている。人をダシにしてと思うが、今回はそれが役立ったと言うべきか。


 彼女の過呼吸が次第に落ち着いていく。

 俺の頭を、恐る恐る撫でながら・俺の毛を彼女の涙が濡らす。


「ルルちゃんって、冬君みたい。こういう絶妙のタイミングで、欲しいものをくれるんだもん。二人とも、本当にそっくり」


 指で涙を拭い、笑ってみせながら雪姫嬢は言う。俺はチラリと、相棒がいるだろう方向を見やる。まだ帰ってくる気配はない。それから、俺はもう一度、彼女を見やる。


『俺の相棒は、雪姫嬢を見捨てたりしないぞ。ちゃんと帰ってくるから』


 人間に言葉をかけても、伝わらないのは分かってる。でもこの匂いを嗅いでしまったのだ。放っておくほど、薄情でいられないのは冬希のせいだろうか。だいたい、何となく言葉が伝わるのは、相棒くらいで――。


「……ルルちゃん、冬君はちゃんと帰ってくるって、言いたいの?」

「おあー」


 そう言っている。貴女が、過去にどれだけ辛い目にあったのかは俺は知らない。だから無責任な言葉でしかないと思う。でも、俺は猫だからな。自由にしか言ってやれない。


『ウチの相棒を、貴女を傷つけた奴らと一緒にしてくれるな。冬希は雪姫嬢を大切に想っている。それは分かるだろ?」

「……ルルちゃん」


 雪姫嬢は俺の体を恐る恐る撫でた。見上げてみれば、その目は涙をたたえて、感情が今にも決壊しそうで。


「……私、冬君と一緒にいる時間が幸せなの。今までに感じたことがないくらい幸せで。でも、抑えつけていた気持ちが溢れそうになって。誰にも期待なんかしないって決めていたのに。でも幸せすぎて。だから冬君がいなくなった未来を少しだけ想像しちゃって……冬君がいなくなってしまったら、私はきっともう笑えない。そう思ったら突然怖くなって。本当はずっと傍にいて欲しかった。冬君はリハビリをあんなに一生懸命付き合ってくれているのに。こんな弱い気持ちを晒したら、冬君に嫌われちゃいそうで――」


「おあー」


 嫌わない。相棒はそんなことぐらいで嫌わないし、貴女を絶対に否定しない。そんなことで揺れるはずがない。


「冬君は、嫌わない?」

「おあー」

「冬君は、いなくならない?」


 そう言っている。貴女が冬希を求めるのと同じくらい、冬希も雪姫嬢を求めている。だから、冬希は雪姫嬢がヘドロに沈みそうなら、絶対、そこから救い出す。だから勝手に一人で沈もうとしちゃダメだ。

 そして、雪姫嬢が思うその気持ちをストレートに言ってあげたら良い。


 と、ティアとモモがベンチに乗り、俺の横へ擦り寄ってきた。


「みゃー」

 同じくモモも。


「みー」

 二人は声を揃えて言う。


『ルルの相棒だもの。あなたを置いていくわけないじゃない?』

『お兄ちゃんの同居人さんは、あなたを置いていくほど薄情じゃないと思うな』


 雪姫は目をパチクリさせて、そして微笑む。自分の目尻から溢れた感情を拭いながら。


「ルルちゃん、二匹とも彼女? それはちょっとどうかと思うよ? でも――二匹とも、ルルちゃんのことが大好きみたいだね」


 あきれ顔で。それからをクスクスと笑って。


 俺はまっすぐ雪姫嬢を見やる。貴女の頭の中で、思い描くイメージは何だ? ヘドロにまみれた自分自身か。過去に傷つけてきた奴らの残像か? それとも――。


「ルルちゃん、私ね。今、冬君のことで頭がいっぱいになってる。さっきまで冬君がいなくなったらって、そんなことばかり考えていたのに。不思議だね、ルルちゃん達

が励ましてくれたおかげかな?」


 そうか。そう感じてくれたのなら良かった。


「……私が、気持ちをさらけ出したら、冬君の迷惑になるかなって思ってた。今が幸せだから。冬君が傍にいてくれたら、それだけで幸せって思えたから。でも私の気持ちを全部見せるのが怖くて。もし嫌われたら、私は立ち直れないって思っちゃって。でも、ちょっとだけ勇気を出してみようかな、って。そう思えたよ。冬君に私が思っている不安を伝えてみよう、って思うの」


「おあー」


 それで良いんじゃないかな。とりあえずぶつかってみたら良い。でも相棒はそれでブレることは有り得ないから。


「まだ、ルルちゃん達のように、冬君に本当の気持ちは言えそうにないけれど……」


 真っ赤になってそう言う。ティアとモモを見て意識してしまったんだろう。どうせならもっと意識して衝動のままに本心を晒してしまえ、と思う。でもさすがに雪姫嬢にはハードルが高すぎるか。


(ま、少しずつ乗り越えていけば良いさ)


 そんなことを考えていると、甘い匂いが流れてきた。

 雪姫嬢のことしか考えていない、そんな純粋な香りを周囲に撒き散らして。


 俺は雪姫嬢の膝から飛び降りて、背伸びをする。

 王子様が戻ってきたから、俺の役目はココまで。


 ニンマリ笑みを浮かべる。俺は跳躍して草叢の中へと飛び込んだ。ティアとモモも俺に続く。

 タッタッタッと急ぐ足音。


「雪姫、お待たせ。呼吸、苦しくない? って――大丈夫……じゃない、ね?」


 慌てて相棒が、雪姫嬢の手をとる。


「へぇ」

 と目を細めたのはモモで。

「鈍感じゃないんだね、ソコは感心カンシン。最初、お兄ちゃんは超鈍感で、それはそれはヒドい――」

「今、俺の話はどうでもよくない?」

「ルルが鈍感で、無節操で、誰に優しくて、無鉄砲なのも今に始まったことじゃないけどね。あの頃は本当にどうしてやろうかと思ったから」


 とティアまで。酷い言われように苦笑が浮かぶ。ま、あの時は悪かったと思っているが、今は相棒と雪姫嬢のことで。


 すーっと深呼吸する音が聞こえた。

  大丈夫だ、雪姫嬢。貴女の不安をぶつけても、冬希はそんなことぐらいじゃ揺れたりしない。

 だから、何度も言うけれど。――絶対に大丈夫だから。




■■■




「冬君。私ね――」

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