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23 君への感情/君の感情


 昼はあんなに晴れていたのに、今は天気が崩れて、雨が降り止まない。バイト先も、流石に客足が20時を過ぎて、パッタリ途絶えてしまった。


【cafe hasegawa】


 それが俺のバイト先だ。店主・長谷川さんとその奥さん、美樹さんが経営する小さな喫茶店。美樹さんが選曲するジャズとともに、店主が自家焙煎したコーヒーの香りが仄かに漂う。オシャレな大人空間――そんな言葉が似合う喫茶店で。


 ただ歴史は古く、マスターは二代目。すでに40年以上の歴史があるから、侮れない。

 お客さんが来ないことをいいことに、俺はカフェオレを淹れる練習をしていた。珈琲を淹れることも、時に任せてもらうことが増えた。


 マスター曰く

 ――上川君が淹れる珈琲は、また違う趣がある。もうちょっと練習したら、店で出してみようか?


 俺は目を丸くする。マスターにかなわないことは重々承知している。豆から自分で選び、焙煎過程の細部にまでこだわりを持っている人だ。その本格的なまでのこだわりに、惚れてリピーターは後を絶たない。


 プラスアルファ。夫婦が出す料理やスイーツの数々が絶品なのだ。

 リブステーキといったメインディッシュも。パフェやアップルパイといったスイーツも。その日限定メニューもあったりするから、連日通うファンも多い。でも、この店の本質はあくまで、こだわり抜いた珈琲で。


 俺は、自分が淹れたカフェオレに、口をつけた。

 珈琲の酸味、渋みがやや強い。バランスがやはり難しい。一般的なカフェオレじゃなくて、雪姫に適したカフェオレにしたいと思っていて。


 欲を言うと、自分が描くイメージはカフェラテの方がやりやすいのだが、ラテはより渋みが強い。結局のところは、イメージよりもまずは味を追求しないと、雪姫に飲んですらもらえない。


 いや、雪姫は優しい子なので、そんなあからさまな拒絶をしないことは分かっている。でもどうせ、初めて飲んでもらうのなら、雪姫にとっての最高の体験であって欲しい。


 悪天候でお客さんの流れが途絶えたのを良いことに、俺はカフェオレの練習をさせてもらってるわけだ。


 快く許可してくれたマスターと美樹さんには本当に感謝で。

 と。トントン。階段を降りてくる足音がして。


「上川君、今日もお仕事お疲れー」


 スエット、パーカー姿のゆるい格好で店内を覗く女の子が一人。


瑛真(えま)先輩、お疲れ様です」


 俺はチラッと彼女の方を見やる。長谷川瑛真先輩。マスターの一人娘。海崎達を除けば、俺が唯一気さくに話せる人かもしれない。同じ学校なのだが、校内で話したことは実は数える程しかなくて。


 きっと瑛真先輩とは、ココで他愛もない話ができるから良いのかもしれない。


「また、カフェオレに挑戦してるの? ちょっと味見させてよ?」


 興味津々に言ってくる。


「すいません、これは一番最初に飲んでもら人がいるので――って、これ何回も説明してますよね?」

「ちょっとぐらいいいじゃん。お父さんとお母さんは飲んでるわけでしょー?」


「マスターと美樹さんはお師匠さんだから。味を審査してくれる人は必要でしょ? そこは例外と言うか。でも、やっぱり一番最初は雪姫に出したいって思うから」

「それは耳タコだけど、雪姫ちゃんね。この前聞いた時は【下河さん】って言ってたのにねぇ」

「……それは、その」


 自覚があるだけに、俺は顔が熱くなる。特別な感情は抱かない。そう決めたはずなのに、すぐ揺らいでしまって。雪姫との距離が近いのは、彼女が人との距離感に不器用になっているから。そこは絶対、勘違いをしないように。俺はそう言い聞かせる。


「上川君、もう一回やってみようか?」


 マスターに言われて、俺は工程を同じように繰り返した。雪姫が飲みやすいように、渋み・酸味を極力抑えた豆の配合。だけど、珈琲の芳醇な香りは引き立つように。


 カフェオレは珈琲とミルクの配合比率、1:1。これが黄金比だ。だが俺はここに少しだけ、ほんの少しだけミルクの比重を増やす。


 そして、ここからだ。俺はもう一手間を加える。何回も繰り返した成果が出た。今回は本当にイメージ通りに描くことができた。

 俺はマグカップをマスターと美樹さんの前に置いた。


「イメージは完璧、と」


 マスターは呟き、香りを確かめている。美樹さんは、ニコニコしながら、マグカップを見やる。


「一番目に飲ませてもらうカフェオレが、こんなに気合入ってたら嬉しいだろうねぇ。ねぇ、マコちゃん」

「だね。俺も、こんなに気持ちをこめて珈琲を淹れた記憶は無いからさ。豆のブレンドまで考慮して考えている上川君は本当にスゴイと思うよ」

「私は、いつも淹れてくれるマコちゃんの珈琲が大好きだけどね」


 コトンと美樹さんがマスターの肩に頭を寄せる。


「娘の前でイチャイチャするのやめてくれない?」


 瑛真先輩がゲンナリした顔をするが、ここまで仲良しでいられることは逆にスゴイと思う。二人は本当の意味で信頼できる関係なんだと思う。

 マスターがマグカップに口をつける。この瞬間が、一番、緊張する。


「……これは良いな。今までで一番良いんじゃないか?」

「そうね。珈琲通には物足りないと思うけれど、珈琲が苦手な人の取っ掛かりとしては、本当に最高かも」

「香りは活かされている。いや、ミルクと相まってより引き立っているのか。それでいて、カフェオレの味を殺していない。これは、限定商品で良いから、ウチで出したいなぁ」

「え? へ?」


 マスターに褒められることがないので、思わず固まってしまった。と言っても日頃、(けな)されているわけじゃない。


 ――個人が、片手間で作ったカフェオレとしてなら120点かな。

 優しく囁きながら。決して、マグカップの中身を残すことなく。そんなマスターからもらった今回の言葉。嬉しくないワケない。


「良かったね、上川君」


 そう瑛真先輩が言ってくれる。さり気なく美樹さんのマグカップに手をのばして――見事に避けられて。


「瑛真ちゃん、まだまだ甘いね」


 そうニコニコ笑いながら、美樹さんはマグカップに口をつける。


「あー! お母さん、ズルい!」

「んー。お・い・し・い」


 満面の笑顔を見せて。可愛らしく笑っている。瑛真先輩はマグカップを奪おうと必死だが、美樹さんは紙一重で先輩の猛攻をいなしていく。

 美樹さんは空手有段者。長谷川家最強なのである。インドア派の先輩がかなうはずもなく。


「楽しくなってきちゃった。瑛真ちゃん、久々にお母さんの正拳突き受けてみない?」

「ヤダ、お母さんの受けたら私、死んじゃうじゃん!」


 先輩が瞬時に顔を青くした。美樹さんは残念そうな顔を浮かべつつ、その笑みを絶やさない。オシャレなカフェに不釣り合いかもしれないが、これもまた【cafe hasegawa】の日常風景だ。

 先輩が息を切らしつつ、カウンター前の席に腰を掛けた。


「それで、下河さんにどうやってご馳走するつもりなの?」

「それなんですよね。多分、雪姫は大勢の人がいると過呼吸になっちゃう気がするから、無理もできないし」

「かと言って、自宅じゃこの味、出せないだろうしね」


 と美樹さん。そうなのだ。この味は【cafe hasegawa】で用意した豆や器材を使ってこそ出せる味なのは自覚している。そういう意味では、全て自分が作り上げたカフェオレとは言い難い。いや――とも思う。マスターが作り上げた味に、肩を並べようとすること、そのものがおこがましい。

 自虐的な想いをめぐらしていると、マスターが俺の肩に手を置く。


「次の土曜、夕方なら予約が無かったはず。貸し切りにできるけど、どうする?」

「え?」

「それも難しかったら、他の方法を探すしかないけれど、どうかな?」

「良いんですか? そんな自分のワガママを――」

「スタッフの友達が喜んでくれるなら、これ以上の対価はないよね。君がここまで努力をしたんだ。最高のカタチで最高の時間を提供したいじゃない?」


 マスターは微笑んで、そう言ってくれる。雪姫次第、そして雪姫の家族の了解も得る必要があるけれど。できれば実現させたい、そう思う。貸切料金がとか、そんな小さなことは思わない。どんなにお金がかかっても良い。雪姫に自分が出せる最高の一杯を出してあげたい。そう想った。


「あ、料金の心配とか、そんなことは心配しなくて良いからね。君は下河さんを幸せにしてあげる。それだけを考えたら良いから」


 俺の考えなんか、とっくにお見通しのようで。マスターは柔和な笑みを絶やさずそう言う。


「そんな……そこまで、ご迷惑は……」

「それは違うわよ、上川君」


 と美樹さんが言った。


「女の子は誰でも、幸せになる権利があるの。それを私達はただ応援したいだけ。だから、徹底的に幸せにしてあげてね」

「だってさ、上川君」


 と瑛真先輩はニヤリと笑む。


「で、さ。これが落ち着いたら、文芸部を手伝ってくれたら良いからさ」


 ニンマリと笑む。いや、先輩。あなたの本当の目的はそれだよね? 毎回誘ってくれるのは嬉しいが、俺は今、雪姫のリハビリを最優先したくて――。



 ピロン。

 俺のスマートフォンがLINKの通知を伝えた。マナーモードにするのを、すっかり忘れていたらしい。





■■■




yuki:明日の朝、学校に行く前に私の家に寄ってもらって良いですか? できれば、お昼ごはんを買う前に来てください。大事なお話があります。




■■■



「下河さんからのLINK? いいねぇ、本当に仲良しだね」


 瑛真先輩がニヤニヤしながら覗き見する。だけど俺はそれどころじゃなかった。


「雪姫が……怒ってる?」

「へ?」


 先輩は目をパチクリさせる。


「雪姫がメチャクチャ怒ってる……」

「え、この文面からじゃ全然、分からないけど?」


 文章だけ読めば、そうだと思う。最近の雪姫の文章は、感情が露わで。嬉しいことは嬉しいと。楽しいことは楽しいと、文面からストレートに感じる。でも今日の文章は、むしろ感情をあえて抑圧しているように感じたのだ。


「あらあら、バイト先の娘とジャレているの分かっちゃったのかもね」

「「ジャレてないし!」」


 美樹さんの言葉に、同時に反論する俺と先輩。美樹さんは、楽し気にクスクス笑う。

 気が気じゃない俺は、LINKを返信しようとしてマスターにその手で止められる。


「あ、すいません。今、仕事中でした。ごめんな――」

「そうじゃないよ」


 とマスターは俺に囁くように言う。


「感情が頑なだと感じているのであれば、SNSでのコミュニケーションは逆効果だと思うよ。それよりは『了解』くらいでとどめて、明日、しっかり話をしてきたら良い。しっかりと面と向かってね」

「……はい、分かりました」


 俺は頷く。まさに焦って聞き出そうと、確認しようとしていたから。


「しっかり受け止めてあげて。それだけ内にこもっていた子が、感情を前に出そうとしているってことだよね? それってすごく勇気が必要なことだと思うから」


 俺はコクコクリと頷くことしかできなかった。




■■■




fuyu:分かった。明日、7:30前なら行けると思う。何か気になることとか、俺がダメなことがあれば遠慮なく教えて。


 メッセージを打つ。返信はすぐに返ってきた。


yuki:明日、直接会って、しっかり冬君と相談がしたいです。


fuyu:了解です。





■■■




 そこからは既読マークがつくのみで。

 雪姫からメッセージはなくて。余計に不安に感じてしまう。


 俺は小さく息をつく。雪姫を不快な想いにさせてしまったのなら、すぐ改善したい。そう思う。でも、その原因がイマイチ分からないから、困惑してしまうのだ。大切なトモダチをそんなことで失いたくない。


「いやいや、青春だね」


 とマスターがニンマリと笑む。


「お父さんは、下河さんが怒ってる理由が分かるの?」

「流石に、内容まではわからないけどね。でもね。ね、美樹?」

「そうね。本当に怒っていたら『相談したいです』なんて言葉がでてこないと思うから。まぁ、次回の上川君の出勤までお預け、ってことで」


 クスクス笑う美樹さんの声が聞えているが、その意味を理解することが今の俺にはできなくて。

 大切な友達を無意識に傷つけて、怒らせてしまった――その恐怖一色に、俺のなかは埋め尽くされていた。

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