16 君のお菓子を次もまた食べたい。(そして先生と幼馴染は苦労する)
「弥生先生、雪姫――あ、下河さんから預かり物があるんだけど?」
朝のホームルームの後、俺は先生に声をかけた。思わず、昨日からずっと名前で呼んでいたので、つい癖になっていた。慌てて言い直すが、担任はニンマリと笑む。
だから、そんな関係じゃない。勘繰るなってば。変な勘違いは、雪姫を困らせるからやめてほしい。
「名前で呼ぶ関係か。随分、進んだようで」
「だぁかぁらぁ!」
「分かってる、分かってるよ」
弥生先生はクスクス笑った。絶対この人、生徒をオモチャにして楽しんでいるよ。
「それで渡したいものって?」
「今じゃない方がいいかも。雪姫――下河が作った――」
「もう言い直さなくていいんじゃない?」
「あぁ、ニヤニヤするなって。下河――雪姫が」
「なんで言い直したし」
「うるさいよ! 雪姫がスコーン作ってくれたんだけど食べるか? ってお誘いなんだけど。どうやら、いらない感じだな」
「へ?」
今度は、弥生先生が硬直した。目が点になるってのは、こういう状態を言うのかも。ザマァと思ったのはナイショだ。
「それは……どういう……カミカミ君?」
「ビックリしたのは分かったけど、人の名前で遊ぶのヤメろ」
「それは、どういう下河君?」
「今のはワザとだよね?」
「えっと、上川君?」
「俺の頬をつねって現実を実感するのヤメテ、先生? 痛いし」
「夢じゃない?」
「痛いから!、イテェし!」
最早苦笑いである。
お互い、ゼェゼェ息を切らして、話が進まないので、深呼吸をした。
――閑話休題。
「改めて、聞きましょう」
今さら教師然として振る舞われても、説得力のカケラもない。まぁ弥生先生らしいし、そこを指摘したらすでに話が進まない。この時点で700字経過。一話2000字で終わらせたい。しかし最近の傾向として、すでにその目標は破綻しかけているの。是非とも軌道修正が必要なのだ。
「何の話し?」
「さぁ?」
何でそんなことを思ったんだろう?
――もう一回、仕切り直し。
「雪姫が昨日、スコーンを作ってくれたんですよ。それで、弥生先生も食べたいんじゃないかな、って言ったら持たせてくれて」
「君って子は……」
何故か呆れられた顔をされた。意味が分からない。
「いらないんですか?」
「いや、いるよ。有り難くいただくけどね。でも、上川君、君は少し女心ってヤツを学ぶべきだと思うんだよ」
「は?」
「分かんないだろうなぁ、分かんないだろうねぇ。どうして男ってこういう生き物なんだなろう。大君も本当にそうだったし……もう少し気持ちに気付けよって思っちゃうよ。鈍感男子なんて、小説のなかだけで十分なんだって。下河さん、がんばれ――」
今度はブツブツ呟き出す。弥生先生も雪姫のことしかり、教師としても色々な問題を抱えているんだろうな、とそう思う。そっとしておこう。何かあればすうぐ協力してあげよう、と思った。
と、ひょこっと海崎が顔をのぞかせる。
「上川、雪姫が作ったお菓子なの?」
「あ、うん。まぁ、ね」
「俺もご相伴に預かってもいいかな?」
「は?」
海崎、ヨダレ出てるけど? お前、そういうキャラだったのか? ちょっと意外だ。
「それと今の雪姫の状態を教えてもらえたら嬉しいな、って」
「なるほどね……」
まぁ断る理由もないか。俺は小さく頷いた。
「それじゃ、お昼はお弁当もって、図書室に集合ね。司書室でランチにしましょう?」
弥生先生はニコニコ笑みを浮かべる。今から楽しみで仕方ないらしい。
と――、俺の方をじっと視線を送るヤツが一人。茶髪で、片耳にピアスをつけてヤンチャな出で立ちだ。今まで接点も何もないクラスメート。名前はえっと……?
その彼に、まるで恨みでも買ったように睨まれていた。
「圭吾じゃん」
海崎が言うと、ヤツは興味を失ったように踵を返した。
俺は、彼の後ろ姿を視線だけ追いかける。
決して気持ちの良い視線じゃなかった。
あんなに遠慮なく敵意を叩きつけられたら――。
■■■
図書室そのものに、あまり縁がなかっただけに蔵書量と室内の広さに目を丸くしてしまった。
(これ、広すぎない?)
目をパチクリさせてしまう。
規模感から言っても、公立図書館並みに、書架が設けられ綺麗に分類されている。
入学当初、学校内を見て回ったはずだ。ほとんど記憶になかったのは学校に馴染めなかくて、周りを見る余裕もなかったんだろうな、とぼーっと考える。
弥生先生は、俺と海崎を引き連れて、図書室の奥――司書室兼文芸部・部室へと向かった。入れば、まるで喫茶店かと勘違いするような内装で。サイフォンやミルまで用意されていて、目が点になる。これじゃ、まるで俺のバイト先のようじゃないか。
「食後にコーヒーでも淹れようかな? でも私はどうも上手くなくてね。サイフォンでやるとどうしても失敗しちゃうんだよねぇ」
「というか図書室って、飲食厳禁なんじゃ……」
「ここは司書室ですから。あくまで図書委員と文芸部員の本拠地。良い仕事と良い創作は良い環境からなのよ、ワトスン君」
「さいでっか」
俺は肩をすくめながら、昼飯を取り出す。今日は健康面に配慮をして――焼きそばパンだ。
「……それだけ、上川?」
「へ? いっつも、こんなもんだぞ。必要な栄養素は――」
「足りているわけないでしょ!」
弥生先生が渋い顔をする。
「焼きそばパンは、野菜も入っているし」
「ぜったいに足りないって」
弥生先生は飽きれた表情で、お弁当のおかずを蓋に乗せてくれる。
「いや、いいって」
「今日は下河さんのスコーンがあるからね。でも、それにしても食べざかりの青少年の食事じゃないよ」
「だから、顔色が悪いんだな、上川って」
海崎にまで言われた。
「先生としては、君が足りているって言うならそれまでだけど。ソレ下河さんに言えるのかな?」
「う……」
まぁ自分から見ても、栄養量は足りないな、と思っている。でも面倒と思ってしまうのもまた事実で。そう言えば、と思う。雪姫と食べる時は妙に食欲が湧くんだよなぁ、と。そう思う。
「それと、お弁当わけたの下河さんに内緒だからね」
「へ? 別に良くね――」
「良いわけあるか! 絶対ナイショ。私は生徒を敵に回したくない!」
「はぁ……」
よく分からないが、頷いておいた。海崎も俺を見て呆れたように、ため息をつく。いや、俺のドコに非があったのか全然分からないんだが。
「あのね。少なくとも名前で呼ぶことを彼女は許しているわけでしょ?」
「まぁ、友達だしね」
何故か、弥生先生は頭を抱える。
「ちなみに雪姫――下河は、上川のことをなんで呼んでるの?」
海崎、なんで言い直した? 普通に呼べば良いのに、なんでそこで壁を作ろうとするかな?
「ん、えっと。雪姫は俺のこと【冬君】って……」
俺の一言で、二人は同時にむせこむ。いや、食いモノ吹き出すなって。汚いから。
だが、二人は信じられないモノを見るような目で、俺を一瞥した。
「上川だからこそ、踏み込めたのかな」
「上川君にお願いして良かったのか悪かったのか、教師としてはちょっと複雑だわ」
そして二人は大きくため息をつく。
「「でも世間一般は、それを友達って言わないから」」」
二人の声が見事にハモる。いや、分かんないし。もう少し、俺に分かるように解説してくれないか?
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いつもはダラダラ、本を読みながら食べる俺だが、今日は違った。ミルを借りて、コーヒー豆を挽く。時間がないので、普通に挽いて。ペーパードリップ式で、簡単にコーヒーを淹れていく。コーヒーケトルで、ゆっくりゆっくりとお湯を注ぐ。
「手際が鮮やかね」
と弥生先生は感心する。アルバイト先のマスターのようにはいかないが、趣味の範疇ならソコソコ美味しく淹れることができるんじゃないかと自負している。
芳醇なコーヒーの香りが立ち込めた。
そしてお楽しみのスコーンである。紙袋から取り出すと、二人は目を丸くした。
「これは美味しそう……」
弥生先生、海崎がじゅるりと言うのが聞こえそうだ。だが、と思う。
「俺の分、デカくないか?」
まぁ、海崎が一緒なのはイレギュラーなので、俺の分から海崎に――。
「いや、それは上川君が食べるべきでしょう」
「上川がそれは食べないと」
ふたりとも口を揃えて同じことを言う。え? と思いながら。でも、それじゃ二人の量が少なく――。
「お願い、上川君。私、下河さんに恨まれたくないから。上川君の分は上川君が食べて。そしてしっかり、彼女に味を伝えてあげて」
「僕も。むしろ横入りに近いから。本当にごめん、上川!」
何故か懇願された。まぁ二人がそれで良いならと、俺も納得をする。
そして食べる。あぁ、やっぱり雪姫のお菓子は美味しい。改めて思う。コーヒーに口をつけながら。うん、アメリカンでイメージ通り淹れられたんじゃないか? これ豆が良いなぁ。やっぱり。
見ると、二人も表情が溶けてしまって全身で美味しいと言っている。
「なにこれ? 美味しすぎる」
「もう、小学校の時とは別物なんだけど。美味しすぎてヤバイって!」
二人の反応に俺まで、嬉しくなる。俺はLINKを立ち上げて、雪姫にメッセージを送信した。
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fuyu:今、美味しくスコーンいただいています。弥生先生も、海崎も、すごく美味しいって。やっぱり雪姫はすごいね。こうやって思っているのは俺だけじゃないってことよね。今日、コーヒー淹れたんだけど、それともすごくあったよ!
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ん? と思った。既読は付いたが返信が無い。俺は思わず首をかしげた。
「どうしたの?」
と弥生先生が口をもぐもぐしながら聞いてくる。美味しくて幸せと、その顔に書いてある。
「いや、先生も海崎も美味しいって言ってくれたよって、LINKしたんだよ。それと淹れたコーヒーとも良く合うよって」
「「――バカ!」」
またしても二人仲良くハモる。でも怒られる意味が俺には分からない。
「へ?」
「早くLINKしてくれ、上川!」
「え?」
「私達は良いの。上川君の感想を送信してあげて! はやく、早く!」
「はぁ」
二人に促されて、俺は頷く。元よりしっかりと、雪姫に伝えるつもりだった。俺はスマートフォンをフリックしてメッセージを伝える。
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fuyu:俺も美味しくいただきました。こうやって、ご馳走になっていると、また次も食べたいって欲が出ちゃうな。図々しいって思うけれど、本当に美味しくてさ。
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とすぐに既読がついて返信があった。
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yuki:そう言ってもらえてすごく嬉しいです。今日は少し手抜きで、ホットケーキなんですけど、良いですか? リハビリの方、もっと頑張りたいって思っちゃって
fuyu:もちろん。今日も行くから、よろしくね。
yuki:はい、よろしくお願いします。
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俺はこの間も雪姫とやりとりができて満足だが。なのだが――。
美味しいものを食べた後だというのに、海崎も弥生先生も妙に脱力をしていた。
「どうしたの、二人とも?」
そんなに、ぐったりして?
「「なんでもない!」」
やっぱり仲良く、二人でハモっていた。やっぱり俺には意味が分からない。
まぁ、そんな挙動不審な二人は置いておいて。
そんなことがどうでも良いくらい、今から雪姫に会えることを楽しみにしている俺がいた。
【弥生先生と海崎君の反省会】
「とりあえず九死に一生を得た感じかなぁ」
「なんで気付かないんだ、上川」
「私もよく下河さんのことは理解できていないけれど、既読スルーだったのは、やっぱりヤキモチってヤツよね? スコーンも上川君用があったし。他人のためにコーヒー淹れてあげたとか地雷でしかない気がする」
「同感です。下河は人見知りが強いですけど、仲良くなったらグイグイですからね。間違いなくヤキモチだと思います。ただ、ビックリ」
「ところで、名前呼びから苗字呼びに変えたのは遠慮から?」
「そりゃそうですよ。間接的にしか分からない状況ですけど、二人とも甘々ですもん。そんななかに、俺は飛び込みたくないし、無自覚なヤキモチにさらされるのゴメンです。でも下河と仲直りしたいのは本当ですけどね」
「なるほどね。ただ、結論としては、一致ってことかしら」
「一致ですね」
「上川君が無自覚すぎる」
「下河、無自覚すぎる」
「「とっとと付き合え」」




