132 猫氏の目の前で、彼女と相棒はオセロを裏返す
黒と白。
まるでオセロのようだった。
葦原建設の社員たちの作業着は黒。
町内会、青年団有志――走り屋集団【朱雀春風】
俺たちファミリーも、その白に混じる。
「来たか」
ニッと大地パパが唇を綻ばす。その横でクチュンと、聞き慣れた可愛らしいクシャミが聞こえた。
(ママさん?)
見れば、雪姫嬢の御母堂――下河春香が、白の特攻服に身を包み、敵陣を睨んでいた。
「大地さん、こんな時に猫ちゃんと遊んでいる場合じゃ――」
「大丈夫」
大地パパは楽し気に笑む。
「こいつら、すげぇから」
屈んで、掌を差し出す。俺は無言で、前足の肉球でタッチする。それから、敵陣に向けて、雄叫びを上げた。もう言葉は不要だ。【家族】達が呼応するように、威嚇を始める。
ディア、モモ、そしてクロが好戦的に笑む。俺たちにとっての合戦の合図だった。
「……なにこれ?」
「一緒に戦ってくれるってこと?」
「黄島、海崎。なに当たり前のこと言ってんの? 今さらだろ?」
「いや、今さらって……」
「偶然が重なっただけなんじゃ――」
「おあっ」
俺は鳴く。どう解釈してくれたって構わない。まぁ、当然の反応だって思う。
別に猫を理解して欲しいだなんて思わない。せいぜい、足を引っ張ってくれなければ、それで良い。
「ルルさんは、泥舟に乗ったつもりで任せておけと仰せだ」
「大船ね」
春香ママ、ナイスアシスト。大地パパは、IT企業夏目のソフトウェアエンジニアリング最高責任者だったと思うのだが?
「大地が国語力弱いの、相変わらずだよね」
「仕事できてるの?」
海崎パパ、黄島ママと言いようが辛辣だった。
「うっせー。プログラミングは、世界共通なの! 小面倒くさい書類は事務方が、やってくれるから、良いの」
「その皺寄せ、広報部も巻き込まれていることお忘れなく?」
ニッコリ、春香ママが笑む。下河家の力関係を垣間見た気がする。相棒がんば――いや、それより細菌は、俺の扱いがぞんざいな気がしてきた。
「そりゃ、自業自得ってヤツでっせ、親分」
「お兄ちゃん、本当にみさかいないもんね。やっぱり、もいじゃおう?」
「ちょ、ちょっと今、そんな話をしている場合じゃ――」
「ルル、そんな話をしている場合じゃないわ。来るわよ?」
ティアに警告されるまでもない。泥臭い、まるで下水のような匂いが充満して、鼻につく。
「なに、ペチャクチャお喋りしとるんじゃ、ワレ?!」
「兄貴、ヤバくないですか? あいつら安芸疾走疾駆集団【朱雀春風】ですよ?!」
「引退した走り屋に、何ビクついてる? 葦原建設のバッグには、葦原先生と国民国防委員会、蘆屋組がついているの忘れたのか?」
国民国防委員会は急躍進するリベラル派政党。次の与党とも囁かれている。蘆屋組は、国内最大規模の反社会組織。国民国防委員会の資金源とも言われていた。葦原は蘆屋の分家に位置する。以上、クロ調べ。結論、クソ野郎どもだった。
――親分。三下どもは、雪姫嬢に圧力をかけて、きっと【なかった】ことにする魂胆でっせ。
クロの言う通りだ。本当にクソ野郎どもだって思う。だが、だからこそ。俺は爪をのばす。遠慮は無用だ。そう思った通りに行くと思うなよ?
俺は爪を舐める。
「「行くぞ、全面衝突だっ!」」
俺と大地パパが吠え上げる。人間には猫が同じタイミングで猫が鳴いたようにしか、思えなかっただろうけれど。
黒と白。
まるでオセロ。
盤面の遊戯と言うには、感情剥き出しで両者、雄叫びを上げて――。
(……へ?)
ふんわりと、甘い匂いが漂う。
ティアとモモと視線が交じりあって。お互いに、困惑の色を浮かべた。
「邪魔くせぇぇぇっ!」
鉄パイプを大地パパに向けて振り回す、敵さん。大地パパは、構わずヤツに突っ込もうとして――。
からん。
鉄パイプが落ちて、ころんと転がった。
綺麗な上段蹴り。ロングスカートから、足が伸びて。まるで猫が背伸びをするように、優雅で。ゆっくりと、その足を戻していく。
(……は?)
流石の俺だって、こんなこと予想できなかった。
「えっと……お邪魔します?」
まるで場違い。相棒――冬希の言葉に、俺も目を大きく見開くことしかできなかった。
■■■
「な、な、な――」
「何しに来たんだ、このバカップル!?」
大地パパと俺の声が見事に重なった。ちなみに後者が俺である。
「ルル、そんなに『おあーおあー』言わなくても、心配してくれているのは分かってるか、さ」
失敬な。「おあーおあー」なんて、鳴いてない! 俺は由緒正しい猫らしく『にゃー!』だ!
そんなことよりも。あちら側を見れば、虚を突かれたのも一瞬で。顔を真っ赤にして、鉄パイプやらアーミーナイフを振りかざすが、それを冬希はひょいひょいと、軽やかに躱している。
(だから、お前は何やってんの?!)
一歩間違えれば、大怪我だ。右肩骨折してるヤツが出てきても、クソも役に立たない。
「クソがっ! 吹っ飛べ――」
吹っ飛んだよ、アイツが。見事に雪姫嬢の正拳突きをくらって。
「冬君、無理しすぎ!」
「俺はなんともないよ?」
「肩に支障があるかも、でしょ? 絶対に、無理しちゃダメ!」
「雪姫ってさ、時々、過保護すぎない?」
「そんなことないよ。冬君は自分のことを大事にしな過ぎなの! ほら、包帯の結び目ががほつれてきているよ?」
そう言って、結び直す。ポカンと、俺も大地さんも、誰も彼もそんな二人を見ていた。
「……あ、あの。え?」
あちらさんの一人が、鉄パイプを所在なげに持っている。振り上げたものの、この空気。うん、とりあえず重いから下ろしたら良いと思うんだ。
「呑気にかまえている場合か! たたんじまえ――」
兄貴って言われたヤツが、吠えかけたその刹那。パタパタと賑やかに足音が響く。
「ごめん、お母さん! 雪姫を止められなかっ……た?」
「って、父さん?」
彩音嬢、光る坊が自分達の両親の正装を見て、目を丸くした。なるほど、と思う。匂いを辿れば、彩音嬢はある程度、了解済み。光坊はまったく、知らなかったらしい。
見れば、COLORSの面々、冬希母、空坊、翼嬢、Kゴリに、瑛真嬢、音無嬢まで。フルメンバーでの出動だった。
「ルルが出て行って、大地さんがいない。これは、もしかしてって雪姫が言うからさ。そんなワケないじゃん、って言っいけど……雪姫、大正解だったね」
「えへへ」
冬希に、髪を撫でられながら褒められ、雪姫嬢はご満悦である。いや、だからな? 今、そういうことをしている場合じゃなくて――。
「てめぇら、舐めてんの――」
「兄貴! COLORSの翠様が! 朱音さんも! 蒼司さんまで!」
ブンブン、興奮した部下に、兄貴は振られていた。その視線に気付いて、蒼司はにんまり笑む。
「蒼司です」
「朱音です」
「翠です」
「(ほら、ふーも!)」
小声で、朱音嬢が小突く。
「(俺も?)」
「(冬君のCOLORS、私も見たいかも)」
「(見たい、見たい)」
雪姫嬢のおねだりに、彩音嬢が目を輝かせて首肯する。光坊、収拾がつかなくなるから、そこで拗ねないでくれ。
「……真冬です」
「「「「4人そろって、COLORSです!」」」」
なぜか、ここで登場のサウンド・エフェクト。光坊が、スマートフォンから再生。タイミングも絶妙。ミニダンスを披露して、この場が一瞬で、熱狂に包まれた。
「コラ、ちょっと、話を――」
「ちょっと、お前は寝てろや。ほら、ねんねは上手ってな」
大國が、何かに八つ当たりをするかのように、ボディーブローを叩きつける。なんかだ、兄貴が可哀想になってきた。それから、Kゴリ。それを言うなら「あんよは、上手」だ。
と、この場の熱気が引くのを見計らって、雪姫嬢がクスリと微笑む。
「とりあえず、お話をしましょう? みなさん、全員正座ね?」
満面の笑顔で――雪姫嬢がとんでもないことを言ってきた。
■■■
「あ……あの雪姫? その、なんで俺達まで……」
大地パパをはじめとした【朱雀春風】の面々、芦原建設の連中を含めて、全員正座しているこの状況は圧巻だった。
「お父さんには、まだ聞いていません。そのまま待機、聞かれたら答える」
にべもない。
「あ、あの……。雪姫?」
「お母さん、お父さんと同じことを言わせないで。良い大人が特攻服なんか着込んで、恥ずかしくないの?」
バッサリ。言われて、今の自分の姿を自覚したのか、春香ママは俯いて顔が真っ赤。この二人、グローバル展開するIT企業【夏目】の技術責任者・広報責任者だ。絶対、この姿は部下には見せられないと思う。親の威厳は、埃ともに吹き飛んでいった。
「てめぇ、舐めた真似を――」
汚い言葉は、最後まで吐き出せない。なんといっても、うちの【家族】が包囲し、正面には子猪が駆けつけてくれた。本当は熊のキャサリンも助っ人予定だったのだが、人間が駆けつけてきて、麻酔銃で撃たれたらかなわないと、今回は泣く泣く断念したのだ。ただし、近場で控えており、臨戦態勢で臨んでくれている。
「それは良い手かも。おじさん、ありがとう」
ニコニコして、雪姫嬢そんなことを言い出した。握っていた冬希の手を――その甲に、雪姫嬢は口吻をする。
「ゆ、雪姫?」
「ゆーちゃん?」
「姉ちゃん?!」
「下河?!」
「ゆっき?」
「下河さん?」
「雪姫姉?」
「雪姫?!」
それぞれ、雪姫嬢の行動に思考が追いつかない。匂いは甘く、そして驚くくらい平静だった。奇行に走っているワケはなく、あえて意図的に行動している。強くなったな、と感激――している場合じゃなかった。
「冬君充電をしました。これで落ち着いて、話せるかなって思って」
ニッコリそんなことを言う。前言撤回――何しに来たんだ、このバカップル。
「……暴力で衝突するのは、違うって思うんですよね?」
冬希には過剰防衛だったと思うのだが……いえ、なんでもないです。だから、睨まないで、雪姫嬢。尻尾が縮こまる。
「ちゃんと、お話をしましょう? おじさん達は、私にお願いがあったんでしょう?」
雪姫嬢は、にっこり笑って、そう言ったのだった。




