130 朱音さんとプリンと雪姫姉
――ごめん。
ふーの口にした言葉の意味が理解できなかった。
手をのばそうとする。
でも、するっとすり抜けて。
また、だ。
また。
私は、ふーの手を掴めない。
ずっと、私の後ろをついて来たくれたじゃない。それなのに、それなのに――。
ぐしゃり。
それは、過去に聞いた……そんな音じゃ表現できないほどの残響音。
ギターが砕け、破片が飛び散り、剥き出しになって――。
まただ。また、あの音が再生される。
私は、それまで浮かれていた。
ふーに追いつきたくて。追い越したくて。
だから――。
柊さんに褒められ、有頂天になっていたんだ。
――朱音は間違いなく、ステージに咲く花だ。真冬にはない才能があるよ。
違うよね?
今なら言える。今、気づいても遅い。
ふーと歌いたかったの。
一緒に踊りたかったの。
みんなで一曲を作り上げる。
それは、ふーがいたから出来たことで。
第一線で活躍するプロデューサーも。私たちの引き出しにない音楽を作れる作曲家も。その世界をより際立たせるエンジニア――よりも、ただ冬と一緒に歌いたい。
(……いまさらだ、今更すぎる)
――みんなと相談をした結果、COLORSを脱退することを決めました。最後は、この曲を演奏したいと思います。ね、蒼司?
――う、う……ん。聞いてください、【息継ぎ】……。
相談なんか、何一つ受けていない。
冬のアコースティックギターは、誰の演奏よりもあの瞬間、本当に綺麗で。美しくて。繊細で。もっと、一緒に歌いたくて。
それなのに、曲が終わってしまう。
拍手。
真冬を呼ぶ声。
ほら、こんなにいるじゃん。
真冬のパフォーマンスを愛している人達が。
泣いている子もいた。
泣いている子が――。
目が。
目が開けられない。
どうしたら良いか、分からない。
照明の光が乱反射して。
そう、例えば、今のように――。
「朱音」
ふーが私を呼ぶ声が優しい。その声に私は、ようやく我に返った。ふーの顔を正視できない。ただ、翳りを――距離を感じてしまう。もう、あの時間には戻れないと知る。
「朱音、蒼司達が戻ってくるまで、時間があるでしょ?」
「あ、え? うん、多分……」
頷く。今はただただ、その変な遠慮が痛い。
「俺、雪姫にプリンを買ってくるから」
「へ?」
目をパチクリさせる。確かに、昔からふーは、甘味が好きだった。カフェでアルバイトをすると聞いた時、思わず言葉を失った。でも、冬なら似合うそう思った。
(……上川皐月と小春の子がバイト?)
何より彼はギタリストだ。その指を怪我したら――。
今と過去の感情が平等に渦巻いて、消えてくれない。
「それまで、雪姫をよろしくね?」
「ちょっと、待ってよ? 下河さんが、また具合が悪くなったら、どうするのよ?!」
「……多分、大丈夫だと思うけれど。もし、まずそうなら連絡して。最速で戻ってくるから」
ふーは下河さんに視線を向けて――小さく微笑んだ。
それから、ふーは踵を返して、玄関の方へ。必死に彼を見ようとするのに、光が乱反射する。流れる感情が滴になって、止まらない。
ぱたん。靴を置く音。そして、がちゃんとドアを開ける音がして。
すーすー。
そんな音が、寝室から聞こえてきた。
「……ど、どうすれば良いの?」
本当なら、この部屋を出て行かないといけないのは私だ。
でも、アパートを出ても、どこに行って良いのかも分からない。まるで、迷子の子どものようで。
(……バカみたい)
何がステージの花だ。
オーディエンスを朱で染めるのは誰だって?
本当に欲しい人の心すら、染め上げられないのに。
手持ち無沙汰で、気になって。そう言い訳をして、下河さんの眠っているベッドに近づいて。
喘鳴がウソのように、下河さんはすーすー寝息をたてていた。
(良かった……)
そう思う。
胸中は複雑だ。
この子がいなかったら――そう思うのに。
それなのに。
下河さんを憎めない。
と。
ぱちっ。
下河さんの目が開いて。手が伸びた。
「……へ?」
私が目をパチクリするのを余所に、下河さんは――私を《《ベッドの中に引き込んだのだ》》。
■■■
「ちょ、ちょっと?! 下河さ――」
むぎゅっと、彼女に抱きしめられていた。この子、意外に着痩せするタイプ? なんか落ち着くというか……いや、そうじゃない。考えることは、ソレじゃない。ココはふーのベッドで。
下河さんの、甘い香りに混じって、感じる【ふー】の匂い。汗とも違う。異性を感じさせる、その匂いが、むしろ懐かしいと思ってしまう。
(だから、そうじゃない!)
落ち着け、私! そう自分に言い聞かせるタイミングで、さらに下河さんが、私を抱きしめた。
「……冬君の匂いって落ち着くよね?」
「は?」
言うに事欠いて、とんでもない爆弾発言をする下河さんだった。
「……朱音さんは匂いはそこまで感じない? 私は冬君のことは何でも好きなんだけど、匂いも大好きなんだけどね」
「だ、大好きって……下河さん、匂いフェチ?」
むしろ、変態かって思ってしまう。
「だいたい、何でも好きって。それは無理があるよ」
人間だ、長く付き合っていければ、相手のイヤなことも見えてくる。例えば、ふーは、本心をなかなか晒してくれない。全部、自分一人で解決をしようとする。いつか、下河さんだって、そんな【ふー】気付くはずなのだ。
「そうかな?」
「そうだよ! だって、ふーは――」
「相談してくれなかった?」
「え……?」
絶句する。でも、下河さんは笑みを絶やさない。そんなの、些細な問題だって、言わんばかりに。
「冬君は、我慢して。飲み込んじゃうもんね」
「知ってるなら……わざわざ言うことないじゃん……全部、好きなんて、そんなの……」
そんなのウソだ。
軽々しく言わないで欲しい。
何も知らないから、そんなことを言う。
一番近くにいたのに、何も言わずに去られた人の気持ちなんか、下河さんに分かるはずがない。
「それでも私は、冬君の全部が好き」
ぎゅっと、私を抱きしめる。そんなの詭弁だ。きっと、ふーはまた、また抱え込んでしまう。ふーはきっと、下河さんの手を振りほどいて――。
「だって、一人で抱え込ませるつもりはないもん」
下河さんは、断言する。
「な、何よそれ……。私とは違うって、言いたいの?」
「そんなこと、言うつもり無いよ」
「だったら! 振られてザマァって思っているんでしょ――」
こつん。
私の額と、下河さんの額がぶつかった。
「思わないよ、そんなこと」
「口ではなんとでも……」
「立場が違えば。タイミングがズレたら、きっと私がそうだったから」
下河さんが、至近距離で私を見る。
「は? 何を言って。そんなこと、結果が全てで。私は事実、ふーに拒絶されて――」
「冬君は、今でも朱音さん達との写真を大切にしているよ?」
「へ……?」
ポカンと、きっと間抜けな顔をしているに違いない。
「私と出会うまでの冬君は一人ぼっちだった。唯一の心の支えは、朱音さん達だったから」
「あり得ない!」
あり得ない、あり得ない。そんなことは、絶対にあり得ない。だって、私達は、ふーの抱え込んでいた感情に何一つ気付くことができなかったのだ。
今、このタイミングでそんなことを言われても、全然納得できない。
「……そんなこと言うのなら、返してよ! 私のふーを返してよ!」
「それは無理」
とくん、とく打つ鼓動。どっちの心臓の音なんだろう。とくんとくん。どくん、どくんと。二つの音が混じって。
「……私ね、怖かったの」
下河さんは、言う。
「冬君が、朱音さんを選ぶんじゃないかって」
唇が乾く。喉の奥まで、ヒリヒリする。
「放っておけば良かったのに、って。ずっとそう思っていた」
私だってそう思う。放っておいてくれたら良いのに。もう、私達の色は混ざらない。それが今のCOLORSだから。
「でもね、想いが交わらなかっただけで。全部、なくなっちゃうのは、ちょっと違う気がするの」
下河さんは、その指で溢れ出る感情を拭う。
「私のことは、いくらでも憎んでくれて良い。でも、冬君のことだけは嫌いにならないで」
「……そんなの無理だよ」
言葉を吐く。
無理だよ、そんなの無理だ。無理に決まってるじゃん。だって――好きなんだよ。今でも。何もかも終わってしまった今だって、こんなに好きなの。
(好きなの)
どうして、どうしたら、どうして――。
ぎゅっと、抱きしめられる。
私の感情が弾けて。
慟哭って、こういうことを言うのだろうか。
やり場の無い感情ごと、下河さんに抱きしめられて。
一番、晒したくない人の前で、私は子どものように泣きじゃくったのだ。
■■■
「なに、これ?」
ふーが、目をパチクリさせる。そんな表情もできるんじゃん、って。
そう、つい見惚れてしまって――口の中に広がる甘さも忘れてしまう。
「あのね、雪姫姉――」
「なに、朱音ちゃん?」
何気ない会話に、呆気にとられているふーは、雪姫姉に「あ~ん」プリンを食べさせられていた。そして、次は私の番。ちゃんと、私とふーが間接キスにならないように、と。プリン、スプーンは別という、完全な配慮のもと。
(かなわない)
苦笑が漏れた。
「……私、甘いのが苦手なんだけど、さ」
「やっぱり、ムリ?」
彼女は、私の目を覗きこむ。
「そういうワケじゃないけど……」
食べたら太る。ふーに見てもらえなくなる。そもそも、追いつけない。そんな一心で、スイーツを絶っていた気がする。だから、口に運ばれた甘さ――そんなに悪くないと思ってしまう私がいた。
「あ、あのさ。雪姫? これは、どういう――」
ムニッ雪姫が、ふーの頬を抓った。
「痛いっ、いひゃい、ひひゃい!」
「冬君は朱音ちゃんのことを見過ぎです!」
あまりに、理不尽な物言いに、やっぱり笑いが溢れる。もし、私に姉がいたらこんな感じなのだろうか。もし、ふーに普通に甘えられたら、こんな風に笑えていたんだろうか。そんな意味の無いifばかり、考えてしまう。
「だから、二人にいったい何があったのさ?」
ふーの発する疑問は、プリンを口に放り込まれて――黙る。
「うん、甘くて美味しい」
そう頬に手を当てながら。
どさくさに紛れて、唇に唇を寄せながら。
「ちょっと、雪姫姉! 何やってんの?」
「うん?」
コテンと首を傾げて見せるの、あざとい。絶対、わざとだ!
「美味しいプリンの食べ方?」
「それなら、私も――」
「ダメです~!」
「なに、これ……? いったい、何があったの、冬?」
「COLORSって、五人でしたっけ?」
戻ってきた、蒼司と翠の声を聞きながら。
ふーのプリンがダメならと。私は、雪姫姉のプリンに食らいついた。
「あー! ゆっくり食べようと思っていたのに!」
「雪姫姉こそ、私の食い過ぎ!」
「ん~。朱音ちゃんの美味しいし」
ニコニコ笑って、そんなことを言う。
「ドレを食べたって同じだから!」
やっぱり笑みが溢れて――止まらない。
「……いったい、何なの?」
ふーが目をパチクリさせるのを尻目に。私は、雪姫姉のプリンに、子どものように食らいついたのだ。
■■■
――ごめん、雪姫姉。私は、やっぱりふーが好き。
――うん、良いよ。冬君の隣は、絶対譲らないけれどね。
――もっともっと、歌もダンスも上手くなって、ふーの視線を独占するから。
――うん。
――だから……あと、少しだけ、幼なじみでいさせて。
――朱音ちゃん。あなたはやっぱりオバカです。
――え?
――そんなの関係なしで、友達だよ。不器用な冬君が、全部なかったことになんて、できるわけないんだからね?
――だって、友達だもん。




