表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
142/152

129 朱音さんは【ふー】の歌が好き


「朱音、()()()()()ー!」


 私の後ろを、いつもトテトテとついて歩く、男の子。

 上川冬希は、そんな子だった。


 保育園が一緒。

 最初は、そんな認識だった。

 公園で、お母さんの弾くギターに合わせて、歌を歌っている子がいる。


(歌なんか、何が楽しいのかな?)


 蒼司や他の男子とサッカーをしながら。藤棚の下で演奏をする音。それから、時折聞こえる歌声が妙に気になっていた。


「あぁ、上川君のお母さん? おおっぴらに騒ぐの、本人はイヤがるけどね。ほら、神原小春。あーちゃんは、知らないか。ママにとっては、憧れの人だったのよね」


 そう言って、ママが映像を見せてくれたのを憶えている。

 保育園で、一人で絵本を読んでいるアイツとは、全然違う。人間って、こんなにキラキラするんだと思った瞬間だった。


 私は、神原小春という人に、虜になったんだ。









 ズルいって思った。

 今日も藤棚には、アコースティックギターの音色が響く。


 小さな子達との、合唱が響く。

 でも、そのなかで、ひときわ澄んだ声が聞こえて――息が止まりそうになった。


 神原小春の声と、重なる幼い声。

 保育園で聞く、舌足らずな声とはまるで違う。


「朱音ちゃんも、気になったんだ?」


 一コ上の、(みどり)姉が同じように、覗きながら言う。


「翠姉ちゃんは、行かないの?」

「あんなに上手に歌えないよ」


 翠姉が目を細めながら、音楽に耳を傾ける。

 メロディーが耳に飛び込んできた。


 対等って、こういうことを言うんだろうか。

 子ども騙しじゃない。


 幼いながら、私はそんなことを思ったんだ。

 その歌声が途切れる。


 視線があった。

 視線が絡んで。


 ふんわりと、冬希が微笑む。

 風が撫でる。


 あの時のふーは、女の子のように髪が長くて。

 遅れて、ギターを紡ぐ、手を小春さんが止める。


(……ジャマしちゃった――)


 こみ上げてきたのは、後悔。

 どう言って良いのか、分からなくて。感情がグチャグチャに溢れてくる。どうしてだろう、この時の私は「世界で一番悪いことをした」そんな強迫観念に駆られて、泣きたくなって。背を向けようとして――。





一緒(いっちょ)に歌おう?」

 舌足らずな声で、ふーが言う。

 精一杯の声。

 普段は、そう上手く言葉が言えないから。男の子達が、笑い者にするのに。


 ――この子、発達障害かもしれませんね。

 保育士の先生が、そう言うのを聞いたことがある。


 ――じゃあ、私も発達障害だったんですね。

 小春さんが、そう聞き返す。あれは、ふーのお迎えの時だったんだと思う。


 ――私もね、子どもの頃は、言葉が遅いってずっと言われてましたから。


 にっこり笑う。

 ――冬が、ステキに歌うの、私は知っているからね。


 神原小春より、ステキに歌う人なんか、いるわけないじゃん。


 そう思っていた私は、なんてイヤな子だったんだろう。

 それなのに。


 満面の笑顔で、私に手招きをして。


 翠姉――翠に手を引かれた気がする。

 それからのことは、ちょっと記憶が曖昧で。


 小春さんが弾くギターにあわせて。

 冬と一緒に、歌っていた。

 聞いているだけだった、翠を輪の中に引き込んで。


 サッカーを誘いに来た蒼司を、私が手招きをして。

 いつのまにか、みんなで一緒に歌うことが当たり前になっていたんだ。





■■■





「朱音、あのさ」

「なに?」

「僕がギターを習いたいって言ったら、笑う?」

「――どこに笑う要素があるの?」


 小学校5年生になって。男の子と女の子が、それぞれのグループに分かれる。それでも、この四人は、公園で一緒に歌い続けていた。ふゆが、子役のお仕事で、歌えない時も増えていたけれど。


 ――朱音ってさ、本当に神原小春が好きだよね。

 ――違う、違う。朱音(アッカー)が好きなのはね……。

 ――それ以上、言ったらぶん殴るからね!


 友達と、そんなバカなことを言い合って。いつから好きだったのって、よく聞かれた。多分、ふーが、私を手招きしてくれた、あの日から。


「……なんで、私なの? そういうのは蒼司の方が――」

「なんでだろう?」


 コテンと首を傾げる。


「蒼司なら『良いんじゃない』って、いつも言ってくれるけど、朱音なら『ダメ』なら『ダメ』って、言ってくれるでしょ?」


 ふーの言いっぷりに、私は思わず吹き出した。確かにね、って思う。蒼司はムードメーカーで、色々考えてくれるのだが、言葉がけが適当な面は否めない。


 ――良い、塩梅でしょ?

 なんて本人は言うが、おじいちゃんかって思ってしまう。


「それで、朱音はどう思うの?」


 じっと、ふーが私を見る。

 狡いよね、そういう目で見てくるの。


 ふーは、いつも真っ直ぐに私を見てくるから。

 目だけじゃない。


 声も。

 指先も、髪も。必ず、後をついてきてくれる存在感も。


 それから――ふーの歌声が、やっぱり好きで。

 ずっと、聞いていたくて。


 彼の歌を汚さないように、ボイストレーニングを始めた自分がバカみたいって思うけど。


「……別に、私に相談しなくても、ふーの中で答えは決まってるんでしょ?」

「う、うん――」


 思考を巡らすように。それでいて、自分のなかで、確信を得たように満面の笑顔で、頷いたんだ。





■■■






「ダメよ! ムリだから」


 珍しく、おばさんが声を荒げるのが、聞こえて、ふーがギターの弦を爪弾くのを止める。キッズギターから初めて。今や、大人と遜色ないギターを紡ぐ。


(ふーなら、納得なんだけれどね)


 嘆息が漏れる。

 引退しても、神原小春は、神原小春。後輩アイドルからの相談、そして育成に少なからず関わっていた。レコーディングスタジオが、ふーのプレイルーム代わりだったと聞いて、目を丸くするしかなかった。


 プロと比べられたら、そりゃ中学生だ。おばさんの次に、上手いぐらいの感覚だったけれど。翠に誘われて、高校の学園祭に行った時に実感したのだ。


(へたくそ? ちがう? ふーが、上手すぎる?)


 よりによって、神原小春のカバー曲なのが、いただけなかった。日頃から、おばさんっと歌っていたんだから、当然だ。ボイストレーニングの課題曲でもあったから、なおさらに。


「――だからダメ! 絶対にダメだからっ!」


 おばさんがココまで声を荒げることが、そもそも珍しい 私とふーは顔を見合わせて。それからリビングを覗く。

 あの瞬間を、今でも忘れられない。


「この子……あの子よね!?」


 ぐいっと、私はその手を掴まれた。


「ちょっと、柊……?」

「あ、ごめん。小春」


 苦笑を浮かべながら、ずいっと、私との距離を詰めてきた。


「アイドルやってみたいって思わない? 君たち三人、ステージで映える! 華があるから! 男の子もいるから失礼な言い方かもしれないけれど、君たちなら、第二の神原小春になれるよ! 私のマネージャー人生をかける! 保証するから!」


「……柊?!」

「あ、ごめん。肝心なことを言ってなかったよね」


 少しだけ、距離を空けて。それから、柊さんは深呼吸をした。


「アイドルグループ、スカーレット合唱団が突如、リーダーの脱退で、活動休止になっちゃったの。本当にあの、バカプロデューサーったら!」

「柊?」


 今にして思えば。

 世代交代が必要だと、脇を固めていたアイドルさんを追放したプロデューサーと、冬に冷淡だったうちのマネージャーは何が違ったんだろう。


「フェスで穴が空いちゃってね。もちろん、他のグループを当てがっても良いんだけど。ココは君たち三人に是非――」

「……ちょっと、待ってください。《《三人》》って?」


 一番聞きたかったことは、そこだ。


「そりゃ、もちろん! 朱音ちゃん、蒼司くん、翠ちゃんのことで……」


 柊さんは目を丸くした。

 私は、勢いよくその手で握りしめて――。

 






■■■







 コポコポ。

 コーヒーメーカーから漂う香が、鼻腔をくすぐる。懐かしいって思う。そういえば、ふーにライブ前にコーヒーを淹れてもらっていたっけ。


 と、無造作にマグカップをふーが置いた。



 ――少しの間、席を外すね。

 そう、蒼司からのLINKメッセージを尻目に、ふーを見やる。声が掠れそうになる。でも、なんとか言葉を紡ぐことができた。



「……下河さんは、大丈夫?」

「うん、今は寝てる」


 ふーが頷く。

 僅かに聞こえる、下河さんの寝息が私の鼓膜を震わせた。それにしても、と思う。下河さんが半覚醒しているとは言え、右肩の骨を折っているクセに、彼女を支えようとする幼馴染に、目を疑う。


 言われるがまま、自分の本音を飲み込んで。私の背中に隠れていた幼馴染みはドコに消えたのか。私は、こんなふーを知らない。


「……懐かしいね」

「へ?」


 私は目をパチクリさせる。ふーが、何かしら想い出を抱いてくれていたことが嬉しい。思わず、頬が緩みそうになって――。


「あの時も、ダイニングだったよね。柊さんに、水をぶっかけたの」


 私は口をパクパクさせる。


(よりによって、そんなことを思い出さなくても良いじゃない!)


 顔が紅くなるのを自覚する。

 だって、衝動だったんだ。


 私達は、四人だ。

 三人と、言われたことが悔しくて――。


「ありがとう」

「ふー?」


 彼の笑顔が眩しい。


「四人って言ってくれたことが、本当に嬉しかったんだ」


 満面の笑顔。

 いつ振りだろう。

 こんな、冬希の笑顔を見たのは。



「あのね、ふー!」

「ん?」

「あの――」


 ダメだった。

 ずっと、ふーの笑顔を見たいと思ってきた自分がいて。


 ふーに認めて欲しくて。

 頑張ったね、と褒めて欲しくて。

 昔のように、髪を撫でて欲しい。そう思ってしまう。


 またCOLORSに戻るよ、って。そう言って欲しくて。

 だから、私は、わたしは、私は――。



「ふー! あのね、私――」


 衝動で、感情が弾けた

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ