123 ジャッジメント・アップダウンサポーターズ!
職員室のドアを後ろから開ける。いわゆる、生徒用入り口から。
ガラガラガラ。
立て付けの悪いドアが、今日はなおさら音が響く。
教職員の誰もが、視線を向ける。
廊下側にはパイプ椅子が用意されて、スクールカウンセラーの添田先生。事前の打ち合わせ通り、サポーターズのみんなも、パイプ椅子に着席して――なんで、志乃ちゃんが私の席に座わるの? それじゃ事前の打ち合わせと違……。
「夏目先生」
物静かだけれど、有無を言わさない。そんな言霊を宿して、校長の声職員室に響いた。
「否――教頭代行」
ずんっと、その声が職員室中に響く。手招きをして、教頭席を指さす。
校長席の前で、猿轡よろしく、タオルで口を縛られた教頭が「んー! んー! んー!(教頭は私だっ!)」と頭頂部まで真っ赤にして叫んでいるのが分かる。
それにしても――。
今年一年で退職する。だからこそ、ムチャができたのだ。孤軍奮闘していた校長と手を取り合ったのも、そんな打算でしかない。
(でも、やられた……)
強面で。どこぞの地下組織の会長のような出で立ち。でもこの人は、アップダウンサポーターズ、町内会副会長の梅さんの夫、高樹竹山その人で。
――あの人はタネキだけどね。やる時はやるヤツだから、上手に利用しておくれ。
あぁ、梅さんの笑顔が目に浮かぶ。
何がなにが。あなたの旦那さんは正真正銘の化け狸だって思う。
私は覚悟を決めて席に着く。
化け狸ところか化け猫が、一人の女の子のために、あんなに奮闘したのだ。私がココで手をこまねく理由がない。
――さぁ、裁判を始めようじゃないの?
■■■
「……こ、こんな不当な扱い、許されると思っているのか?!」
タオルを外してあげれば、開口一番、教頭は未だ自分が優位だと思っているらしい。
「教頭先生、これはどういうことなんですか?」
添田先生が、口を開く。
「あぁ! 添田先生、お見苦しい所をお見せしました! 我々は、見事に嵌められたのです。下河さんの登校を利用して、校長と夏目先生が、我々を陥れた。彼女はよっぽど、教頭の椅子が欲しかったようですな! 教育を政治の場と勘違いするとは、本当に嘆かわしい!」
「そうですか……」
唾を撒き散らすな。そして、嘆かわしいのはお前だ。何を添田先生肯定してもらったと思ってるのか。現在進行形で、添田先生から送られる視線が、ゴミを見る目とイコールなことに、いい加減気付きなさいって。
彼女があの映像を見るのは、これで二回目なんだから。
「だいたい、ここに上川と下河がいないのはおかしいだろ!」
「そうよ、そうよ!」
「俺達へ暴力を振るった当事者が、呼ばれなにのは依怙贔屓だ!」
「不当な拘束をするんだ、ちゃんとした証拠があるんだろうな!」
「上川を出せ、上川を!」
「証拠を!」
「俺達が被害者だ!」
「出るところに出ても良いんだよ? 教育委員会に話を持ち上げても。ただし、もちろん根拠のない話は、潰されるだろうけどね?」
最後に、ニンマリと芦原総司が笑う。
完全に隠蔽できる、そう信じている顔だ。
一方、音無ちゃんが、こめかみを抑えながら深くため息をついた。
「音無副会長、お前も同罪だ! 大学入試に差し支え――」
「あなた方はバカですか?」
音無ちゃんの声は、まったくブレない。
「いえ、バカなのは知っていました。私が提示した書類を、ちっとも作れないどころか、生徒会執行部としての業務も遂行できない。今年度の体育祭も学園祭も絶望的と思っていたので、なおのこと丁度良いです」
「は、何を言って。今さら、謝っても――」
「ご安心ください。あなた方の謝罪は不要です。罪を認めてくれたら、それで結構。罪に相応しい罰を受けたら良いと思います。瑛真ちゃん、お願いしますね」
「オケケオッケー♪」
この場に不釣り合いなくらい、上機嫌に口笛を吹いてみせる。
と、前面にスクリーンが下りる。
カチャカチャと、海崎君がパソコンのキーボードを叩いた。
職員室の照明が落ちて、プロジェクターから映像が投射される。
「なにが……」
そんな生徒会長の声は、スピーカーから聞こえてきた、脳天気な声でかき消された。
『ハロー、エブリバディー! 皆さんの心のオアシス、お口の恋人、任せて安心・恋のホットステーション、文芸部の芥川媛夏だよ? 憶えてたー? 自習中、暇だよね? ちょっとここらへんで、切り替えて、今話題のホットニュースをお届けしようと思います。なお、この番組は全学年全教室、そして職員室を介して、全世界にライブ配信中です。それじゃ、みんな短い時間だけど、いっくよー! 準備は良い? せーの!』
――アップダウンサポーターズ!
バラついた声が。でも力強く、校内にそんな声が谺したんだ。
■■■
ジジジジジ。
ノイズに混じって、何度も聞いた音声が鼓膜を震わせる。
雑音が混じるが、夏目コンピューター製集音マイクは、確かに彼らの声を取り込んだ。
――下河を学校に行かせるな。
――あいつ、本当に気持ち悪いよな。
――もう過ぎたことを、まだ根に持っているのかよ。
この音声データだけで反吐が出る。保健室だけには、流さないようにしているが、どうか二人がそのまま隔絶されていますように。だって、これを見たら、きっと上川君は激昂する。
ここからは映像に切り替わる。
ちゃりん、ちゃりん。
鈴の鳴る音とともに。
画面が揺れる。猫にくくりつけさせてもらったカメラからの映像は、疾走感があって、リアルだった。
と、その動きが止まる。
まるで、獲物をこれから狩るかのように、息を潜める。その呼吸音まで、マイクは拾っていた。
――総司は帝王学について学ぶ必要があるの。あなたのアシストが今後も必要だわ。
本人不在の校長室で。校長の椅子に座る教頭。その膝に跨がるのは、芦原秀実。生徒会長、芦原総司の母だった。
その指先が艶めかしく、教頭の禿げ頭を撫でた。
映像は切り替わる。
生徒会執行部の本部室。そこに音無さん以外の生徒会メンバーが集っていた。
――僕は下河さんが何がなんでも欲しい。もちろん協力してくれるだろ?
――そこまでいくと、執念だね。
――純愛だって言ってくれ。彼女は本当に頼るということを知らないんだ。いくらでも勉強してくれたら良いと思う。でも最終的に、彼女を救うのは僕だ。
――地味子を良いように遊んでポイ捨てするつもりが、のめり込んでるじゃんか。
――違う。ただ、教えているだけだよ。正しい選択をしないと、賢く生きられないって。僕は公平に、生徒達を見てるだけだ。
――へいへい。それが拗れてるって言うんだよ。ま、飽きたらどうせ俺達が、もらうんだけどな。
は
――上川君は、私にちょうだい。元COLORSって、それだけで特別感あるじゃん。地味かどうかは、ともかくさ。そこから芸能界のお友達を紹介してもらっても良いし。
下卑た声が響く。
映像は切り替わる。
教頭が、下河さんに迫る姿が映る。
――挙動不審過ぎる。これは、上川からもらったシャープペンシルだったか?
教頭が、下河さんからシャープペンシルを取り上げる。
――君はもっと賢い生き方をすべきだ。テストのように、形式的なもので評価されるほど、社会は甘くない。強い者に従うのは、生き物の摂理だ。処世術ってヤツだよ。私が口添えをしたら、君はもっと過ごしやすくな。
ハゲが、雪姫ちゃんに迫る。不快感が限界突破して衝動で行動しそうになるのを、何とか抑える。本当なら今すぐ、目の前の教頭を今すぐ殴ってやりたい、そんな衝動に駆られた。
そのタイミングで、また映像は切り替わる。
図書室にカーテンが引かれ、本棚が乱暴に倒された。それから彼らは、狐のお面を被る。その映像を見た瞬間、生徒会の面々が息を呑むのが聞こえた。
雪姫ちゃんが司書室から出てくる。その強張った表情まで、防犯カメラは鮮明に映し出す。歯がゆい、この映像を見てなおさら思う。あの瞬間、何もできなかった自分が、本当に歯がゆい。
映像は続く。撮られていると知らずに、ご高説を述べることに夢中だった。
――とっとと、退学すれば良かったのに。誰も待ってなんかいないのに、何で来たんだよ?
――お呼びじゃないの。あなたの居場所は、そもそもココには無いからね。勘違いしないで。
――ま、必要にされるとしたら、その体ぐらいじゃねぇ? 俺達のストレス解消に付き合ってよ? それぐらいしか価値ないし、良いよな? 答えは聞かないけどさ
――お前の王子様、来てないみたいじゃん。怖じ気づいたじゃねー?
好き勝手言ってくれる。雪姫ちゃんの表情が伺い知れない。ただ、震える体を押さえ込むように、立ち続ける。押しつぶされそうになりながらも、諦めていない。その姿勢に目が離せない。
私はこの結末を知っている。だから、動画の画面越し。ついこの時の雪姫ちゃんに声をかけたくなる。
もう少し。もう少しだけ、耐えて。
もうちょっとで、主人公がやってくるから。
生徒会の面々が、克明に記録された映像に言葉を失っている。
そして、その瞬間が来た。
硝子が砕ける、その反響音が集音カメラがこれでもかというくらいに拾って、耳が痛い。
カーテンが揺れて。
数条の光が漏れ、差し込んで。
粒子がキラキラ煌めく。
そこで画面は変わる。
海崎君の編集は、本当に上手い。
上川君が握っていたであろう、防犯用スティール・スティックが視認できない。差し込んだ光に、カメラのフォーカスが間に合わない。そんな演出。場面は転換して、仮面はたたき割られ、素顔を晒した生徒会の面々、そして大田君の顔。
克明にカメラは捉えていた。
■■■
しぃん、と職員室は静まり返る。ゴクリと、唾を誰かが飲む音まで、鮮明に響いた。
「……こ、こんなの……」
ギリリ、歯軋りをするのは教頭。顔を真っ赤にそめて、ゆでタコのようだった。
「プライバシーの侵害だ! まぎれもなく盗撮じゃないか!」
「何言ってるんだ、ハゲ」
大國君が容赦ない。
「お前のセクハラの方が、犯罪だ。それこそ出るとこ、出るか?」
「盗撮ではなく、抑止と言って欲しいですね。本来なら、自身の倫理のもと行動して欲しいところ。貴重な図書室の資料を足蹴にした、その人間性を疑いますね」
「これ、ゆっきのだから返してもらうね」
音無さんに続いて、黄島さんがひょいっと教頭のジャケット――胸ポケットから、白いシャープペンシルを取り出した。
「普通に考えて、学力を確かめるテストで、カンニングを疑うとか言いがかりに程があるよね。削ってない鉛筆を渡すとか、本当に陰険」
黄島さんの物言いに、教頭はその禿げた頭頂部まで真っ赤にさせ、顔を歪ませる。その一方で、芦原総司は涼しい顔で、こちらを見やっていた。
唇を綻ばせて、笑んでいる。
――この程度、揉み潰す。
そう、唇が動く。
私は、悠然と笑みを返した。
芦原君が、きょとんとして私を見返す。
『しっかりと映像、確認をしてもらったでしょうか。ここからは再びMCの芥川媛夏だよ! 実は今回の映像は世界配信中! アンドモアなんとこちらの番組とコラボしてるんです! ここからよろしくお願いしますね! ちょっと私、メッチャ興奮してきたー!』
『はい、バトン受け取りました。COLORSの蒼司です!』
『……茜です!』
『翠です!』
『安芸FM放送キーステーションに、全国38局でオンエア! 【COLORSのカラフルカラーズ】! 今回は特別編成でお送りします! よろしくね!』
スクリーンには、DJブースに座るCOLORSの三人を映し出す。
ポカンと、芦原君が口を開けているのがなんて滑稽なんだろうって思ってしまう。
つい笑みを抑えられない私は、本当に悪い教師だ。でもね、悪い子にはお仕置きをしないとでしょ?
私は、さらに満面の笑みを湛える。
さぁ、それでは改めて。
――裁判を始めましょう?
【その頃、保健室では――】
「Zzz……」
「すーすー」
「雪姫……」
「冬君……ぎゅーして」
「ん」
「もっと」
「ん」
「おあー?」
主人公とヒロインは今、夢の中。
白猫が呆れたと言わんばかりに淡白な眼差しを送っていた気もするけれど――これは夢。ささやかな夢。微睡みながら、眠りの淵に落ちていく。
そんな夢を見ていた。




