122 アップダウンサポーターズ出陣
「……な、な、なんでこんなことに……」
まるで金魚がエサを食べるように、口をパクパクさせていたのは、教頭・禿末熒、頭頂部がキラリと光る54歳。
校長の椅子を虎視眈々と狙い、その政治のために、芦原議員に近づいた。そのコネで教育長ともパイプがある。そんな彼が未だ校長になれていなかったのは、葦原議員の妻――PTA会長、葦原秀実と、あまりにも密接な関係になりすぎたからだ。
(普通に考えたら分かるじゃん。エロハゲ、馬鹿なの?)
そんな暴言を今ここで声にしなかった私は偉い。
だいたい、私にも志乃ちゃんにもエロい目で視線を送るの、本当にヤめて欲しかった。
――大人の火遊びには、片目を瞑る。
議員仲間に、そう笑い飛ばす芦原議員自身、火遊びでは済まない女性問題を抱えていた。掘れば掘るほど、そんなゴシップが出てくる。芦原は、それを武勇伝として語るのだから、ピントがずれているとしか言いようがない。
教頭は、そんな芦原の情報網を侮った。それがコネクションを得ながら、ポストを得られなかった原因だと知らずに。
でも、そこから一歩踏み込まず防衛策を講じてこなかった芦原も、三流と言える。
時計型端末に表示される報告書。そして想定外と言わんばかりに愕然とした表情の教頭を見比べる。
わりと初期の段階で、春香と葉月がこの情報は抽出してくれた。行動が遅くなったのは、上川君と雪姫ちゃんの意志を最大限に尊重したかったから。そして、下河さんを追い込んだのが、生徒会長だと割り出すことが遅れたから。彼らが、ここまで行動を起こすとは、想定外だった。
それだけ、下河雪姫を追い詰め――追い出したかった。彼女は自分たちの顔を知っていると、思い込んで。
(……でも雪姫ちゃんは、彼らを認識していなかったのよね)
生徒会長は、過去に告白してきた男の子。その一人ぐらいの認識だ。そういう意味では、恋愛は残酷だと思うが、同情はしない。
芦原総司は、雪姫ちゃんを所有することを望んだ。彼を拒絶した女性は、雪姫ちゃんが初めてだったから。
そして、その取り巻きは、遊戯する感覚で、雪姫ちゃんを追い詰めた。まるで公園の砂場、そこをたむろする蟻に、水を流し込んで喜ぶ善悪の区別がつかない幼児のように。
(私は悪い教師だ――)
本来なら生徒一人一人を平等に見て、彼らの課題に寄り添うべきだ。更生まで考えて。
それなのに私は、雪姫ちゃんと上川君に、完全に感情移入している。彼らを許せない私がいるのだ。
吹き出す感情。唇を噛んで、なんとか抑える。
でも、これでピリオドだ。
「教頭先生、どちらに行かれるんですか?」
静かにこの場から去ろうとしていた教頭に、私はニッコリと微笑む。
「……こ、校内巡回だっ!」
一瞬、言葉を失って。それから、すぐにそんな言葉を紡ぎ出せるのもある意味、才能か。足早に教頭は去ろうとして、パタッとその足音が止まる。
ひゅっ。
風が凪ぐ、そんな音がして。教頭の首筋に薙刀を突きつけるのは、袴姿の音無さんだった。
弓から薙刀への武器交替。流石すぎた。
「な、なんのつもりだ……」
たらっと、冷や汗が流れる。音無さんは、酷薄なまでに、冷たい笑みを浮かべる。
「今、この事態以上に巡回すべき案件は、校内にないと思いますが?」
「無論だ! 職員室に、応援を呼びに行く! 不埒な不良生徒を速やかに拘束しなくては――」
「ですよね」
音無さんが、にっこり笑う。
「は?」
「ね? 瑛真ちゃん?」
見れば、瑛真ちゃんも満面の笑みで――ジャランと手錠を掲げる。
「は?」
カシャン。
教頭の両腕に手錠がはめられた。
「な、な、な、な、これは、どういう――」
「あぁ、ご安心なく。全てが終わったら、ちゃんと解錠しますから。重要参考人として、職員室でお話を聞かせてくださいね」
「ふざけ、ふざけるな……」
ガシャン、ガシャンと手錠を外そうとするが、無駄なことだった。スナック「女王蜂」の依頼を受けて雑貨屋「生活のカナメ」がオーダーメイドで作成したコラボ製品である。教頭の非力な力で、脱出できるほど柔な商品じゃない。アップダウンサポーターズの全力をを舐めないでいただきたい。
「ぐあ、痛いっ、まって、ちょっと、歩く、歩かせて――」
階段でもまるで容赦がない。
荷物を引きずるように、音無さんは、この救いようのないハゲを連行していったのだった。
■■■
「冬君……ありがとう」
「へ?」
「冬君は、私にとってのヒーローなんだって。今日のことで純粋にそう思ったの」
「それを言ったら、雪姫は最高のヒロインじゃないかな?」
「私が?」
「うん。守られるだけじゃなくて、一緒に立ち向かってくれたでしょ。俺はそんなヒロインに憧れるんだよね。ま、俺が主人公は有り得ないと思うけど――」
「そんなことないよ!」
「ゆき……?」
「私にとってのヒーローは、やっぱり冬君だって思うから」
「それじゃ、俺のヒロインは雪姫って言い切って良い?」
「私じゃなきゃイヤ。他の子をヒロインにしないで欲しい」
「雪姫……」
「冬君……」
しばしの無音。間髪入れず、私は問答無用で保健室のドアを開けた。
ガラガラッと大きな音をあえてたてて。
その唇と唇が触れそうになる、その刹那。
ビクンと体を震わせ、慌てて上川君と雪姫ちゃんが離れる。不自然に、その間隔を空けながらもその手は離れないのだから、思わず頬が緩んでしまう。
「上川君、下河さん、やっほ〜」
「志乃ちゃん先生もいますよー」
私の後から、志乃ちゃんが元気よく手を振る。あの図書室の惨状だ。養護教諭として怪我人の確認をしてもらっていたのだ。
志乃ちゃん曰く、怪我人ゼロ。
なお、倫理観皆無の子は、手当の必要無しとアルコールを吹きかけて終了。痛みで呻く様は阿鼻叫喚。地獄絵図である。控えめに言って、優しい笑顔で覆い隠した「鬼」がそこにいた。
「そのまま続けて大丈夫だよ?」
「「しませんから!!」
笑顔の志乃ちゃんに必死の抵抗。でも、すぐにお互いしか見えなくなる君達が悪い。そして何よりココは、公共の場「保健室」である。決して、某ホテルの代替場所として使って良い場所じゃない。もちろん図書室も同様。ここは教師として上川君に、ちゃんと忠告を――。
「ま、弥生ちゃんのファーストキスは保健室だったもんね――」
「にゃ、にゃ、何を言ってるの?!」
私は慌てて、志乃ちゃんの口を塞いだのだった。
「はい、仕切り直しね」
「志乃ちゃんが言うな」
私の抗議の声も何のその。クスクス笑ってそれだけで有耶無耶のにするのだから、本当にタチが悪い。
教頭に詰め寄られた時は、何気なく躱してくれたのは志乃ちゃんだ。そうでなければ、もっと早く雪姫ちゃんの退学が決まっていたに違いない。味方だと心強く、敵に回せばあっという間に退路を塞がれる。戦場カメラマンの妻、朝倉志乃を侮ってはいけない。
「……テスト、再開ですか? それとも、不合格――?」
雪姫ちゃんが、体を強張らせる。一瞬、息が浅くなるが、上川君が強く手を握るだけで、その呼吸がおさまるから不思議だ。
「あ、あの弥生先生!」
「へ?」
ち、近い! 上川君、近い! き、君って睫が長いんだね――って、そんなことを感心している場合じゃなかった。
「俺が最悪、退学なのは仕方がないと思っています。でも、雪姫だけは! 雪姫はみんなと――」
「そんなのダメに決まってるじゃない」
ぐいっと、雪姫ちゃんが上川君を引き寄せる。
「私だって、拳を振るったよ。だから、冬君と同罪だって思う。冬君が退学なら、私も退学だよ」
「あの、もしもし?」
「でも雪姫!」
「でも、じゃないよ。一生懸命、私のことを考えてくれた冬君を置いて、私だけ学校に残るはおかしいよ。それに、私は冬君がいないと息できないもん」
「……クソガキ団のみんなが、雪姫のことを待って――」
「冬君だって、そのクソガキ団のお一人だって、私は何度も言ったよ?」
「あの、だからもしもし? いい加減に私の話を――」
「それは嬉しいって、思うけど。でも、やり過ぎたのは事実で」
「だから、怒られるのなら、少なくとも私も一緒だから。冬君を絶対に一人にしないよ」
「ん、うん……ごめん、ありが――」
「君達はまず、人の話を聞きなさいぃっって!」
堪忍袋の緒が切れた、私の怒号が保健室内に響き渡った。
上川君と雪姫ちゃんは、目を白黒させる。
「上川君も下河さんも、自分だけで抱え込みすぎ。周りにもっと頼って」
「「へ?」」
「全部、自分でやろうとしない。ここから先は、大人の仕事だから」
「先生?」
上川君が目をパチクリさせる。
「私たちが、何の手を打たずに今日まで来たなんて思わないでよ? でも、ここまでコケにされたことは、本当に不本意だったけれどね」
「えっと……?」
困惑している上川君に、私はニッと微笑んでみせる。
「担任として、上川君に指示を出すね」
私は静かに指を差す。
「上川君は、下河さんと保健室で待機。学力テスト観実施分は、延期し後日開催とします。私が職員会議に行っている間、ヒーローはヒロインをしっかりと守ること。指先一本、触れさせたらダメですからね」
芦原総司、生徒会役員。そして大田太を始めとした、関係者は拿捕した。後は、彼らの罪を暴くだけだ。
でも、そんなことよりも上川君は口をパクパクさせ。そして雪姫ちゃんは真っ赤になって俯いている。
「き、き、聞いてたの?」
「なんのこと?」
「いや、だから……だから!」
「それは『冬君は、私にとってのヒーロー』ってくだり? それとも『雪姫は最高のヒロイン』ってあたり?」
「最初から聞いていたんじゃないですか!」
上川君が羞恥心から真っ赤になって叫ぶ。当たり前じゃん、鍵穴からしっかり覗いたわよ。あんな美味しいシーン、私と志乃ちゃんが見逃すワケないじゃん。
「良いと思うけれどね。下河さんにとって、真冬君は正真正銘の主人公だと思うから」
志乃ちゃんはクスリと笑む。それから上川君の髪を乱暴に撫で回した。
上川君が抵抗しようとする姿を尻目に、思わず唇が綻ぶ。雪姫ちゃんが、少しだけ不服そうな表情を見やれば、なおさらに。
そうそう、そういう年相応の表情が、私はずっと見たかったんだ。
(だから――。)
それぞれ、物語の登場人物は全力で向き合っているのに、作家気取りでシナリオを勝手に作り上げようとする、そんな大人は見るに堪えない。
自分の物語を棚に上げて、誰かの物語を蹂躙する出演者も。
シートでふんぞり返って、文句を言うだけの観客にも。
(だから――。)
「主人公君、ヒロインちゃんをよろしくね」
■■■
廊下を歩く。
授業は全て、停止させた。
臨時の職員会議が開かれるため、全教室、で生徒は自習だ。
普段なら、自習となれば悪ふざけする生徒が少なからずいるはずなのに、まるで息を潜めているかのように、空気が重い。
それでも、お構いなしに私達は歩み進める。
隣には志乃ちゃんが。
歩み進めれば、途中から瑛真ちゃんが。
そして、海崎君も。寄り添うように、黄島さんが。
大國君も。
最後に音無さんが合流して。
誰が言うでもなく、拳を突き上げる。
――アップダウンサポーターズ!
廊下に、そんな声が残響したのだ。




