116 雪ん子ちゃんと生徒会長
「下河さん、久しぶりだね。来てくれて、本当に良かったと思ってるよ」
校門の前、生徒会長が心底嬉しそうに微笑んだのだのを見て、俺は思わず、雪姫をかばうように前に出る。
雪姫が、誰かとと交流することは歓迎したい。でも、そのタイミングが登校を決めた今じゃない気がするし、まして生徒会執行部、そしての取り巻きを連れて、威圧してくる人と、仲良くできるはずがなかった。
「……取り囲んで、何のつもりですか。葦原生徒会長?」
臆することなく、前に出たのは音無先輩だった。
「イヤだな。君が無断欠席したから、代わりに僕らがピンチヒッターになっただけじゃないか。人数って意味なら単純な話で、僕に信頼を寄せてくれている。ただ、それだけの話だよ」
それから、生徒会長は、興味深そうに、俺たちを見回して、それから大國に視線を止めて、目を細めた。
「へぇ。昨日の敵は、今日友の友? それとも犬っころだから、簡単に餌付けされちゃった?」
生徒会長の言葉に、俺は目を見開く。自分の感情が沸騰するのを感じた。自分たちのことの顛末を知っている。そのうえで、この男は煽りにきた。好意的とは言い難い視線は、まだ許容の範囲内だ。まだ飲み込める。でも、友人を犬と揶揄したことは、許せないと思ってしまう。
「せっかく、情報提供してあげたのになぁ。つまんないの」
ボソッとそんなことを囁く。この周囲にいる人間にしか聞こえない程度の声量で。その声も、登校で左右から流れる、人の波であっさりと、消えてしまう。
(――そういうことなんだ)
納得してしまった。教室で見せた、大國の敵意しかない目。対峙した時の過剰なまでの激昂。こいつが煽っていたのかと思うと、腸が煮え返る。なんで、そんなことを――と思考を逡巡するまでもなく、理解してしまう。
彼の熱のこもった視線の先には、雪姫がいるから。
「君には用はないんだ。んー、誰だっけ。あぁ、COLORSを追放された元芸能人だったよね。ネームバリューもないから、誰も相手にされなかったんでしょ? 余所から来た部外者はちょっと引っ込んでいてくれないかな?」
さも楽しそうに、毒を吐いてくる。
生徒会長、芦原総司。代議士を父に持ち、スポーツ万能、学力も音無先輩、瑛真先輩に次いでの3年で、3位。柔和な笑顔、柔らかいトーンは、異性に羨望の的。間違いなく、学内で注目のアイドルだった。ただ、絶対に仲良くなれない。
「下河さんも、音無さんも、文芸部の面々も、もう少し友達を選んだ方が良いんじゃないの? そこの犬と品性が同等だって、疑われるよ?」
そう軽蔑した視線を、大國に送る。
(やっぱり、絶対に仲良くなれないっ――)
衝動的に、前に踏み出そうとした瞬間――2方向から、引っ張られた。
左肩を、大國に。
左腕を、雪姫に。
「止めとけ。折角、うまく話がまとまったのに、新たな暴行事件って言われるのもつまらないだろ?」
忌々しげに大國は言う。
そういうことか、と納得してしまった。
だって学校は、俺と大國を傷害事件を起こした生徒として、休学処分にしたかったのだ。その思惑を、彼ら生徒会が糸を操っていたとしたら。あまりにも、姑息すぎだろ、って思う。
でも、非好意的な視線を受け止めたら、イヤでも彼の真意を実感してしまう。
と、雪姫が俺の手から、指をゆっくりと離す。
「雪姫?」
呼吸が少しだけ、浅い。だから、吸い込む。深呼吸をする。気持ちを落ち着けようと、何回も何回も呼吸をしているのが分かる。
と一歩、前に出る。
生徒会長は、嬉々とした笑顔を浮かべた。
「話が早くて助かるよ、下河さん。よそ者じゃ、君のことを理解できるワケないからね。君がメンタル的に辛いことも理解している。でも、僕なら良いカウンセラーも紹介できるから。だから僕が君を――」
しゅっ。
風が過った。
生徒会長の髪を、一瞬、巻き上げる。
拳が、彼の額の前で寸止めされた。
「え――?」
「さっきから、馴れ馴れしい。おまけに気持ち悪い。それに、あなたはいったい誰なんですか?」
「へ?」
生徒会長長が、目を大きく見開く。雪姫から、そんな反応を受けるとは思ってみなかった、と。そんな反応を見せた。それなのに、とうの雪姫はまるで、素知らぬ顔で。
「行こう、冬君」
「え、えっと、雪姫?」
「行こう、冬君。ただでさえ、一緒にいられる時間が少ないんだから」
「あ、え、でも、雪姫。呼吸は――」
「ん? ちょっと、空手の型をするのに、息を整えただけだけど?」
「そういうのって、人に向けちゃダメなんじゃ?」
「正拳突きの極意は【己の心意に添え】って、クマさんも言ってるから」
ラーメン熊五郎店主。そして、空手道場師範。あなたの教えは、非常に教育的指導が必要なようです。
「それとも『キモッ』って正拳突きした方がよかった?」
「いや、というか。初動が正拳突きはダメでしょ」
「気持ちが抑えきれなくなって、行動に出ようとした、冬君には言われたくないかな?」
雪姫はニッコリ笑って言う。「ね、大國君?」
「しらねぇし」
そう言いながら、先を歩く大國の耳が赤い。
と、またしっかりと、俺の左腕に、その手に指を腕を、雪姫は絡めてきた。
「雪姫?」
「離れてごめん。でも、もう勝手に離れないからね」
「いや、別に、それは――」
「ちょっと、冬君が寂しそうだったの、分かってるから。でも、冬君もひどいと思うな」
「へ?」
「私、あんな人になびかないからね?」
雪姫が離れて、ちょっとだけ落ち込んだのは事実だ。でも、そんなことまで感じ取られていたと知って、気恥ずかしくて、頬が熱い。
「可愛いなぁ、冬君」
そう腕に抱きつきながら、雪姫に誘導されるように、歩み進める。
チラッと、生徒会長を見やる。
俺からは、その表情を伺い知るコトができなくて――。
「冬君がよそ見してる」
「いや、違うから」
「可愛い子に目移りした?」
「違うって」
「本当?」
「うん」
「だったら――」
雪姫が、少しだけ背伸びして、俺に囁く。
「え、いや、それは――そんなの無理だって」
雪姫の発言にあたふたする。人の目がある。視線だって集めている。それなのに、この子はいきなり何を言い出すの。
――今すぐ、ほっぺにキスしたい。
と、間髪入れず頬に暖かい感触が触れる。
声にならない、歓声が湧く。
それを、俺はどこか遠くの場所で見ているかのような――映画館でシートで、ロードムービーを見ているような感覚に陥って、明らかにフリーズしてしまっていた。
(……キス、された?)
ようやく実感して、頬どころか全身が火照る。
「やりすぎ」
「生徒指導に呼ばれるよ?」
ぽかん、ぽかんと、それぞれに小さくゲンコツを振り落としたのは、黄島さんと光だった。いや、俺は何も悪くないよね?!
「だって、冬君が一人で寂しくなっているのも、不本意だし。生徒会長さんに、目移りしているのも納得できないし」
よりによって、彼に目移りとか無いから!
「ちゃんと名前を知っていたじゃん、ゆっき」
黄島さんが、呆れた表情で見やった。
「だって、冬君や、みんなを小馬鹿にする人だもん。『誰なんですか?』って扱いで良いと思うの」
「……雪ん子健在だね」
「むしろパワーアップしてるよ、ひかちゃん」
安堵した、そう言わんばかりの笑顔を、溢して二人は先を歩く。
「それじゃぁ失礼しますね、誰かさん」
「誰かさん、折角挨拶運動を始めたんだから、せめて三日坊主を目標に頑張って!」
ひどい捨て台詞を置いて、音無先輩と瑛真先輩が、駆けてきた。
まるで煽るようで、彼がより悪感情を抱かないか心配になって、視線を向けようとして――。
「今度は、誰に目移り?」
やっぱり、雪姫に笑顔で視線を引き戻された。
■■■
「……し、下河さん、下河さんだぁ……」
図書室の奥、司書室で。あまりに感激してむせび泣いていたのは、我らが担任。夏目弥生先生だった。
「おはようございます、夏目先生」
ペコリと、雪姫がお辞儀をする。担任が思い浸る様に戸惑っているのが、分かる。でも、弥生先生の気持ちは分かる。前担任から引き継いで、登校拒否に真摯に向かい合ってきたのは、弥生先生だけだった。そう考えると、本当にあの時、弥生先生の「お願い」を引き受けて、良かったって思う。
「かみかわ、君も、本当にありがとうねぇ」
「分かった、分かりましたから、ちょっと離れて!」
感極まって、俺に抱きつかないで。鼻水で制服べちゃべちゃになる! 何より、雪姫の視線が怖い! 身も心も凍るから!
「保健室の先生もいますよー!」
ニコニコ笑って手を振るのは、志乃さん――養護教諭の、朝倉先生だった。
「えっと、弥生ちゃんがこんな感じなので、私から説明します。文芸部の皆さん、副会長さん、とりあえず弥生ちゃんを引き離して。全然、お話ができないから」
「「「「「了解!」」」」」
「ちょ、ちょっと待って! まだ、ちゃんと上川君にお礼が言えてないから――」
「はいはい、ゆっきのお礼参りはイヤですよね。弥生先生は、ちょっと落ち着こうね」
黄島さんに、雑になだめられていた。
「基本的に、下河さんは司書室で個別授業を受けてもらいます。空いている教員が、授業を行う感じなんだけど、初日は現在の学力を確認したいので、テストを行います。ここまではオッケー?」
雪姫は真剣な表情で頷いてみせる。ココまでは、昨日、弥生先生経由で聞いていた。隙間時間で、一緒に勉強をしていたが、いかんせん授業を受けていないハンディキャップは大きい。
「テストの点数に一喜一憂する必要はないからね。あくまで、今の下河さんの学力を知りたいの。そこから方針を決めていいたいって、思っているから」
「はい」
「それと、これはやむ得ないんだけれど、司書室で個別授業だから、その間は真冬君――上川君と、離れる形になるけれど、大丈夫?」
そこも雪姫はコクリと頷く。
授業中なので、スマートフォンを出すことはできない。必然的に、お守りのストラップを握れない、ということだ。プレゼントしたデジタルメモ【メモ太】も触れられない。先生達の見守りがあっても、不安要素は多い。でも――。
「大丈夫です。昨日、冬君とシャープペンシルを交換して、お守りにすることにしましたから」
ブレザーから覗く、紺色のシャープペンシルをそっと指で触れる。
「でも、無理はしないでね? 私も定期的に巡回に来るようにするからね」
志乃さんがそう言ってくれるのは、本当に心強い。それに比べて、うちの担任は――いや、なんでもない。今度の標的が、瑛真先輩になっているが、そこは放っておこう。
「ココまでで、何か質問はある?」
「……えっとそれじゃ、一つだけ」
小さく、雪姫が手を上げた。
「はい、どうぞ」
「この前、冬君の制服から匂いがしたのは、一人は夏目先生って分かったんですけれど。もう一人は、もしかして、朝倉先生ですか?」
にっこり――目は少しも笑わずに、雪姫は、まさかのそんな質問をぶつけてきたのだった。
■■■
「それじゃあ――」
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
「うん。雪姫も頑張ってね!」
「うん」
「……あのさ、ゆっき。もう、遅刻寸前なんだけどさ。このやりとり、かれこれ五回目だよね? まだ、やるの?」
ホームルーム開始を告げるチャイムが無情にも鳴って。
学校内にいながら、職員会議に遅刻した、教諭2名。そして遅刻した生徒、若干名が校内を駆け抜けることを除けば、いつもと何ら変わらない学校の風景。それなのに、と思ってしまう。
廊下を全速力で駆けて。
3階の図書室から階段を駆け下りて。対面の南校舎へ。何をやっているんだろうって、自問自答しながら。
でも、頬を緩むのが止められないのだ。
雪姫が学校に来てくれたことが、ただ嬉しくて。
本当に嬉しくて。
こみ上げてくる感情が止まらない。
本当に嬉しくて。
【とある三年生のぼやき】
「な、な、な、なんで、一緒にいたじゃん! なんで、普通に戻って、ホームルームに間に合ってるの?!」
「まぁ、副会長ですからね」
「理由なってない! なんで私だけ遅刻なのよ?」
「副会長ですから」
「だから、全然理由になってないからね!」




