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110 「もっと笑えば良いのに、ね」


「それじゃ、自己紹介としゃれこみましょうか!」


 保健室で、三人の女性に囲まれて腰がひけそうになった。――会話を切り出したのは、恋バナ先生と生徒間では有名な我らが、夏目弥生先生だった。


「え、っと……。2年C組の、上川冬希です?」

「もぅ、なんで疑問形かなぁ。上川君ノリが悪いぞ! ココはもっとはっちゃけて!」

「へ?」


 弥生先生の言っている意味が全然分からず、首を傾げてしまう。


「上川君のちょっといいトコ見てみたい! そぉれ! ユッキ!ユッキ!ユッキ!――さぁ上川君の好きな人は?」


 なぜ飲み会の、一気飲みコールをアレンジしようと思ったのか。多分、俺はこの瞬間、笑いが引き攣っていたように思う。相変わらず、生徒に何を言わせようとしているのさ、この教師は?


「……えっと、これは雪姫? って言ったらいいんですか?」

「だから、そこは疑問形じゃなくて、断言して欲しいトコだけど、とりあえずOK!」

「おっけー!」


 とパチパチ拍手をしてくれたのは、保健室の朝倉先生だった。産休代理ながら、生徒の話を真剣に受け止めてくれると、男女問わず人気だった。


「……夏目先生、これ必要?」


 こめかみをピクピク震わせている添田先生。うん、あなたは良心的だって思うよ。初めてお会いしたけれど、親近感がわいてしまう。


「もちろんです! それじゃ、今度は志乃ちゃんだね。志乃ちゃんのちょっと良いトコ見てみた――」


「はい! 朝倉志乃です! 保健室の先生です。ちなみに、教員免許の他に、看護師と保健師の資格もあります。よろしくね」


「ちょ、ちょっと、志乃ちゃん?! そこは、ちゃんとコールしてよ!」

「だって恥ずかしいよ、あれ? 私は、(よう)ちゃんコールをしないとなんでしょ? それはそれで、アリよりのアリだけど、それは陽ちゃんにだけ言いたいかなぁ」


 ニコニコ笑って、そんなことを言う。いや、さりげなくノロケられた気がするのだけれど――と、朝倉先生と目が合った。満面の笑顔で、俺に向けて微笑む。


「……懐かしいなぁ。上川君は憶えてないかなぁ。陽ちゃんの付き添いで、行かせてもらったんだけどね?」

「へ?」


 目をパチクリさせてしまう。でも、まるで記憶にないのだ。陽ちゃんというお相手すらも――。


「もっと笑えば良いのに、ね――」


 そう朝倉先生が呟いて。俺は目を大きく見開いてしまう。だって、その言葉は……。






■■■





 カシャ。

 カシャ。


 ひっきりなしに、シャッターを切られる。フラッシュがまぶしい。撮影する度に、彼は不満そうな表情を浮かべ――やがて。飽きたようにカメラを無造作に放り出した。


「もっと笑えば良いのに、ね」


 そうカメラマンに言われて、思わずため息がもれた。そんなことを言われても、と思ってしまう。笑い方なんか、すっかり忘れてしまった。


 目の前のカメラマンは、朝倉陽一郎。ヘアスタイリスト、世界の上川とよくコンビを組んでいるカメラマンだ。【カメラ小僧の神様】なんて言われ方をしている。


 もともとは、戦場カメラマンとして名を馳せた人だった。まるで息遣いや鼓動まで感じてしまうような、そんな写真を撮る。でも、彼は被写体を選ぶ。誰でもお金を積めば撮ってくれるわけじゃない。結果、【カメラ小僧の神様】の写真は、プレミアム価値がつくことになった。


 俳優やミュージシャンがこぞって彼にオーダーをしたがる。朝倉陽一郎は、そんな写真家だった。


 そんな彼がCOLORSを撮りたいと言い出したのだ。マネージャーの柊さんが、どんな手札を出したのかと思ったものだ。


 てっきり他のCOLORSメンバーを撮りたいのだろうと思っていたら、希望する被写体は俺だった。柊さんの猛抗議で、今も耳が痛い。でも、陽一郎さんは、ニコリともせずに、俺を見て言うのだ。


 ――俺は俺が撮りたいものを撮るから。


 柊さんが、自分の意見を引っ込めた。

 きっと次の交渉手段を講じようと、思考を切り替えたからに違いない。そんなことを呆然と思っていると、またフラッシャがたかれ、シャッターが切られた。


「へ?」


 俺は目をパチクリさせてしまう。


「それ、それ! そういうカオを待っていた!」

「……はい?」


 俺が言うのを待たずに、シャッターを次々切っていく。それこそ、身構える余裕すらなかった。その後ろで、陽一郎さんのマネージャー――奥さんが、クスクス笑っている。


「真冬君って呼んでいいかな?」


 そう言いながら、唇は綻んだままで。俺は、コクコクと頷くしかない。その瞬間も、撮り続けるのだから、このカメラマンは本当に容赦がなさ過ぎる。


「ちょ、ちょっと?!」

「ふふ。真冬君、もう、観念してね?」

「はい?」


「だって、陽ちゃん。身構えられた写真って大嫌いなんだよね。自然な表情を撮りたいんだって。逆に、ステキな表情を見つけたら、こらえ性が無いから。ちょっと、しつこいかもよ?」

「いや、自然な表情も何も――」


 パシャパシャ。パシャパシャ。


「ちょっと、朝倉さん?!」


 パシャパシャ。パシャパシャ。パシャパシャ。パシャパシャ。


「だから――」


 パシャパシャ。パシャパシャ。

 つい、苦笑が漏れてしまう。


「……その顔、良いね」


 ようやく、彼はニッと笑みをこぼした。


「冬って呼んで良い? COLORSのみんなは、そう呼んでいるんだろう?」


 陽一郎さんは、そう言う。この間も切れ目なく写真は撮られていた。それなのに、シャッター音がBGMのように溶け込んで、違和感を感じなくなった自分に驚く。むしろ、このシャッター音が心地よいとすら感じていた。


「抱え込みすぎなんじゃない?」


 彼はカメラを弄びながら、そう笑う。


「ずっと不思議に思っていたんだよね。COLORSって、個々のポテンシャルが高いけど。でも4人でいる時が、一番パフォーマンスを発揮しているって思っていたから。ずっと興味があったんだよね。その中心にいる真冬って子が、特にね」

「……別に僕は中心になんかじゃ。華もないし――」


 唇を噛む。それは、自分が一番よく分かっていることだ。


「あぁ。勘違いさせちゃったか。華がある人っているよね。COLORSの三人は、そういう意味では、『華』かもね。でも、花が咲いて実がなるには、葉が必要だし。何より根がしっかりしていないと。それなのに、君の周りの大人は切り花ばっかり作りたがっているように見えるんだよね。作り物の笑顔で、誰が魅せられるかよって話でさ」

「……へ?」


 この時の俺は、陽一郎さんの意図がまるで理解できていなかった。そんな俺の心理状態を見透かすように陽一郎さんの奥さんは、ニッコリ微笑む。


「はい、どうぞ」


 と陽一郎さんの奥さん――朝倉先生――志乃さんが渡してくれたのは、クッキーだった。断るのもどうかと思い、素直にいただく。

 口に放り込んだ瞬間、きっと俺は呆けた顔をしていたんだと思う。


「美味しい?」


 ニコニコ笑って聞き返す。


Cafe(・・・・) Hasegawa(・・・・・・・・)って、お店のクッキーなの。真冬君のために取り寄せてみました! 美味しいクッキーを食べたら、誰しも笑顔になっちゃうよね?」


 この間も、フラッシュは焚かれ。雨のようにシャッターを切られながら。口の中に甘さが広がっていく。そう言えば、って思う。スタジオミュージシャン達との打ち合わせに夢中になって、すっかり食事を摂ることを忘れていた。





「――うん、そうやって笑ったら良いと思うの」







■■■




「――うん、そうやって笑ったら良いと思うの」

「……志乃さん?」


「大正解! でも、気付くの遅いよ。いつになったら、気付くのかなぁってずっと思っていたのに! 1ヶ月だよ、1ヶ月! ちょっとひどいんじゃないかな?」


「ま、上川君は音無さんが生徒会副会長って気付かないくらい、他の人に無頓着だからね。黄島さんにいたっては、クラスメートの認識すらなかったもんねぇ」


 そこ、ニヤニヤ笑わない。あの件は本当に反省しているんだから。


「雪姫ちゃん以外、目に入らないかー。まぁ納得だけれど」


 ひどい言われようだが、俺はそれどころじゃなかった。


「いや、え? でも、え? 志乃さんは、陽一郎さんと東京に――」

「君のお父さんと一緒に、陽ちゃんは、イギリスですよー。お仕事じゃない限り、私達の拠点はコッチだからね」

「え? でも、あの、え?」


 もう口をパクパクさせるしかなかった。


「まぁ、つもる話はあるだろうけれど。本題はそこじゃないんだな」


 ニッと笑んで、弥生先生は添田先生を見やる。添田先生の強い視線を感じる。まるで、品定めをされているかのようだった。


「……私は、あなたを認めていないからね」


 空気が凍てつくようで。

 絞り出すように、添田先生はそう言う。でも、俺は意味が分からず、首を傾げてしまう。


「夏目先生が、色々画策をしてくれたんだろうなって思う。あのタイミングで、あなたのお母さんが来るとか、あまりにタイミングが良すぎるでしょ。いったい何を企んでいるの?」

「へ?」


 あまりの予想外の言葉に――俺は今日、何回瞬きをしたら良いのだろう。


「下河さんは、学校にまともに来れる状況じゃない。彼女は適正な治療を受けるべきなの。これ以上、彼女を振り回すのはいい加減に――」

「あぁ、そういうことですか」


 ようやく俺は納得して――それから、ペコリと頭を下げた。添田先生が目を丸くする。


「な、何のつもり……?」


「だって、それだけ雪姫のことを心配してくれたってことじゃないですか。そういう人が弥生先生の他にもいたんだなぁって思ったらね。ありがとうございますって、そんな言葉しか出てこないなぁ、って」


「な、何を言って! 私はあなたを認めていないって――」


「そんな簡単に、人を信用なんかできないでしょう? 一番怖いのは、無関心だって思うし。それだけ、雪姫のことを心配してくれた。俺はそれだけで、満足ですから」


 だって、雪姫は無関心にさらされて傷ついたから。このカウンセラーの先生は、本気で雪姫のことを心配してくれている。それならって、思う。本気で、この人と向き合わないと失礼だ。

 俺が雪姫のことをどれだけ、大切に思っているのか、ちゃんと伝えなくちゃって思う。


「高校生の恋愛ごっこが何を言って……」

「好きな人のために一生懸命になるのは、そんなにおかしな話なんですか?」

「え?」

「好きな人のために一生懸命になるってことは、イコールで恋愛ごっこになるんですか?」


 添田先生は、まるで呆けてしまったかのように俺を見る。でも、本心だ。今まで妥協して、諦めることが俺は多かった。だって仕方ないって背中を向けたら、それで楽になれるから。あとは、もうそれでお終いだったから。

 だけれども、雪姫のこととなったら話は別だ。


(――妥協する、理由がない)

 と、見れば、弥生先生がクスクス笑っていた。


「ね、ブレないでしょう? 上川君って、こういう子なんだって」

「あの抱え込みすぎの真冬君って思えないなぁ」


「志乃ちゃん、一応、その名前は内緒(オフレコ)だからね。この学校ではシーだよ?」

「じゃあ『冬君』って呼んじゃおうかな?」


「それ、間違いなく雪姫ちゃんに睨まれるヤツだから。妥協案はせめて『上川君』だと思うよ」

「分かるなぁ。私も他の子が『陽ちゃん』って呼んできた時は、心穏やかじゃなかったもん」


 外野が勝手に盛り上がるなか、添田先生は俺に向けて――それから深々と頭を下げた。

「へ?」


 俺は思わず、目が点になってしまった。


「……正直、自分の感情が整理できていない。私は専門職(カウンセラー)として、彼女が適切な治療を受けるべきだと今でも思っているし、この学校の環境が適切とは思えない。でも、あの電話の声を聞いたら……」

 

――だったら好きってちゃんと言って。


 脳内に電話越し、雪姫の声が再生されて顔が熱くなる。今さらながら思う。職員室で公開告白したようなものだった。


「上川君、可能なら君もクリニックに来てくれないかしら」

「え?」


「かなり無理なことを言っているとは思う。でも、下河さんのあの声を聞いたら、思っちゃったの。今が、学校に行ける最後のチャンスなんじゃないかって。それこそ、彼女が希望するなら、保健室登校でも良いから。今このタイミングを逃すべきじゃないってそう思ってしまって。君にこういうお願いをするのは違うと思うんだけど、でも、下河さんの、あんな声を聞いたら――」


「あ、あの、添田先生、お、落ちついて!」


「落ちついてなんかいられないから! さっき、君にはかなり失礼なことを言ったって思う。試すようなことを言って本当に申し訳なかった。でも、それでも――」


「いや、だからですね。クリニックにはそもそも一緒に行くように、ご両親にお願いされていましたし。保健室登校は、むしろ、俺がこれから相談したいと思っていて、だから――」


「分かっている、私も無理なこと言っているのは! でも、君の力が必要だって、痛感したんだ。下河さんの可能性を閉ざしたくないの。お願い、上川君!」


「いや、だから、ちょっと聞いて?!」


「添田先生って良い人なんだけど、一生懸命すぎて周りが見えなくなるのが、玉に(きず)だよねぇ」


「だから教頭先生に、(そそのか)されるのかなぁ」

「だね」


「そこで納得してないで、弥生先生も何か言って? というか添田先生、俺の話をちゃんと聞いて?!」


 そんな俺の声はまるで聞こえていないと言わんばかりに、彼女は俺の手を掴んで、ブンブン振る。


「上川君、本当にお願い! 下河さんのために協力して!」


 そんなに手を振らないで。振動で、肩が痛い! 距離が近い! カウンセラーなら、俺の心の叫びも分かって! いや、まず俺の話を聞いて?!


「お願い、上川君っ!」

「だから、まず俺の話を聞いて、って――いっ、()ぇっっっ!!」



 俺の叫びが、校内に響き渡っていたと、(のち)に光から聞く。

 こちらが相談したいことをようやく言えたのは、その30分後のことだった。






■■■





「あのね、冬君」

「へ?」


「勇気、出してみようって思ったの」

「雪姫?」


「受診前だけど、私、学校に行くよ」

「……ゆき?」


「だって、冬君のことが心配だもん。家で、一人で待ってなんかいられないよ」

「あの、雪姫さん? 俺のことなら大丈夫だから――」


「そういうことを言う時の冬君は、大概、無理をする傾向にあるんです……でも最初は、図書室か保健室で頑張ってみようかなぁって思うけど。やっぱり、怖さもあるから」

「うん」


「でもね、今の冬君を誰かに任せたくないの。もっともっと、近くで過ごしたいから。待っているだけなんて、絶対にイヤだから。私、冬君のことに関しては何一つ、妥協してあげないからね?」









 ――私、冬君のことに関しては何一つ、妥協してあげないから。



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