106 小春さんと雪姫さんと甘えっ子
「結論ありきなんだけどさ。この二人、半身のように想い合っているから。そもそも離れるとか、絶対に無理だからね?」
絶対に冬を連れて帰る。そう意気込んで、東京を出たのに。向こうの家の子――下河空君の言葉に、私は大きく目を見開くことになった。
それは、冬と雪姫さん、それぞれの距離感を見れば一目瞭然で。でも、それだって幼い高校生の恋愛。いつかは、良い思い出と、きっと振り返られる。
自分がひどいことを言っている、その実感はあるけれど――。
「空君? なんかそれ、俺がココに居られなくなるように聞こえるけど?」
息子の言葉に私は大きく目を見開いた。
「え? そうでしょ? それだけ心配していたから、兄ちゃんの母ちゃんが来たワケでしょう?」
「それは、イヤかな」
冬の口から紡がれたのは、明確な拒絶だった。
「だって、東京に戻っても俺の居場所なんか無いし。母さんが心配してくれるのは嬉しいけど、お世話してくれるのは、きっとお手伝いさんだから。それに母さんが忙しいことも知っているから」
「でも、ふゆ、冬――」
私は口をパクパクさせるばかりで。でも思うように言葉が出てこない。確かに私はUP RIVERの経営で忙しい。そんななかでも、懸命に冬との時間を作ろうと必死だった。COLORSに冬が在籍していた時はもっと時間を――。
(……冬と一緒の時間を過ごしていたと思っていたのは……COLORSがあったから? ウソ……?)
今さらながら、愕然とする。冬に明確に拒否をされたこともショックだった。昔は、「お母さん、お母さん!」と追い縋っては、私を抱きしめてくれた。私がギターを弾けば、真似をしたがって。あの子達が一緒になって歌い始めて。今思えば、それがCOLORS結成を決めた最初の一歩だったのかもしれない。
――この子には、音楽の才能がある。この子の歌を、私だけが独占するのは、もったいない。
そう思ったんだ。
――でもね、小春。真冬には、ステージに立つ華は無いわよ? どうしても、他の三人と比べると見劣りしちゃうから。純粋にミュージシャンとしてなら、もしかしたら才能はあるかもだけど。だけど、そんな音楽家はいくらでいるからね。
柊の言葉が突き刺さる。彼女は神原小春時代から、私を支えてくれた辣腕マネージャーだ。些かビジネスライクに物事も人材も見る傾向があるが、その視点は的確だと思う。ショービジネスの世界では、甘い感覚では生き残っていけない。
ただ、もうちょっと心に寄り添ってくれたらと思わなくもない。彼女の経歴がむしろプライドとなって邪魔をしている気がする。冬がCOLORSを辞めてから、他のアーティストの子達がレーベルを脱退していったのは、偶然とは思えない。
でも、そんなことよりも。何よりも――。私は愕然としてしまったんだ。冬との時間を誰よりも大切にしていたつもりだったのに。こうやって思い返してみれば、冬とのここ最近の思い出は、COLORSで止まっていたんだ。
唾を飲み込む。
言葉が出てこない。
「なぁ、皐月。それから小春さんも。冬希は今までもかなり、あんたらを応援していたと思うぞ? ただな、そろそろ親の都合で判断するのは、止めたらどうかの?」
そうお義父さん――師走さんが、苦い顔でため息をもらす。いつだって、私達を応援してくれていたお義父さんから、そういう言葉を聞かされると思っていなかっただけに、息が止まりそうになる。
「親父、それはちょっと言い過ぎなんじゃ? 俺たちはただ、冬希が心配で――」
「心配は日本に戻ってからにしなさい、皐月」
お義母さん――霜月さんの言葉は、容赦がなかった。
「小春さんは、まだいいわ。仕事を置いてでも、駆けつけてきたんだもの。どれだけ、冬を心配してくれていたか、分かるもの。でも、皐月。あなたは、どこからモノを言っているの?」
「それは……。ただ、俺にも仕事が――」
「えぇ、そうね。あなた達が仕事ができたのは、冬希のおかげよ。全部、飲み込んであなた達を送り出したんじゃない。私達との同居を考えた時だってそうよ。元の皐月の部屋は、皐月と小春さんの功績で埋め尽くされているから。あの時、冬が何て言ったか忘れたワケないじゃないでしょう?」
忘れるわけがなかった。お義父さんとお義母さんが私達をずっと応援してくれていたことも。冬がその軌跡を消したくないって、言ってくれたことも。でも、でも――。
「あの!」
そう言ったのは、雪姫さんだった。姿勢を正して、真っ直ぐに私を見やる。でも、その喉元からひゅーひゅーと、喘鳴が鳴るのがかすかに聞こえて。片手で、首元を抑えながら。それでも、怯まずに、真っ直ぐに視線を向けるのだ。
冬が言っていたのは、こういうことなのだと理解をする。
(私は誤解をしていたのかな――)
学校に行けなくて。トラウマがある。でも、前向きにリハビリを頑張っている女の子がいる。
そんな友達がいると、冬から聞いた時――何が友達よ? と呆れたものだ。お母さんを騙せると思わないで? と。こちとら、どれだけアイドル達の色恋沙汰を見てきたとことか。
でも、一方的に冬に庇護される。そんな子をイメージしていた。もしくは、上川皐月と上川小春のネームバリューに近づきたい、そんな軽忽な感情で寄ってきたのかと思った。でも、この子はそのどちらでもない――。
(戦う目をしているよね)
ステージの上で花開く、アイドルの子達は時としてこういう表情を見せる。
こんな視線、最近とんと見なくなったと思う。
そんな、雪姫さんの口が開く。その唇の艶やかさに目を奪われてしまうのは、冬のコーディネイトのせいだけじゃないって思う。
「冬君のお母さんを責めるつもりは、全くないんです。ただ、伝えたくて」
「へ?」
私は目を丸くする。
「私……。絶対に冬君を幸せにしますから」
「え?」
私はゴクリと唾を飲み込む。場が凍りつくとは、こういうことを言うんだろうか。
でも雪姫さんはいたって真剣で、その言葉は止まらない。
「東京に行くよりも、ドコにいるよりも絶対に冬君が幸せでいられるように、私が支えますから。だから、お願いです、冬君の気持ちをしっかり聞いてあげてください!」
「姉ちゃん……。それ求婚の挨拶だから」
弟君が頭を抱えていた。
「雪姫、そういう言い方はズルいよ。雪姫を幸せにするのは、俺だからね?」
冬が私に見せたことがないような笑顔を浮かべて言う。ちょっと、なんで冬は雪姫さんの髪を撫でてるの? 向こうのお父さんもお母さんも見てるでしょ? ちょっと、冬! 私にだって、そんな笑顔を見せたことないじゃん、そんなのちょっと、ズルい――。
「だって、私は今までたくさん冬君から、幸せをもらってるよ? 今度は、冬君にお返しする番だもん。だって、冬君を幸せにするのは私だから。他の誰でもないからね」
「それは俺だって、そうだよ。雪姫と一緒にいるだけで、俺は本当に幸せだから。雪姫にもっともっとお返ししなくちゃ、って思うしね。俺は雪姫がいない生活は考えられないから」
「私だってそうだよ。私は冬君がいないと、息ができないんだもん。でも、守られるだけの女の子じゃいたくないの。絶対、冬君を幸せにするから」
「それじゃ、二人で絶対に幸せにならなくちゃだね?」
雪姫さんが、満面の笑顔を咲かせて――二人が頷いたかと思えば、その手を離すまいと、指と指が絡み合って。
私は呆然と見やることしかできなかった。私はいったい何を見せられているんだろう?
「流石に気を使っているの? 今日は控えめだよね」
弟君の言葉に、私は目を丸くする。
「これで、控えめ?」
「だって、兄ちゃんの母ちゃん。あの二人、すぐにお互いのことしか見られくなっちゃうからね」
「それで良いの?!」
「だから、半身なんだって」
私はつい、下河家のご両親を見てしまう。
「冬希君には、本当にありがとうしかないんですよ。だって、雪姫をもう一度笑わせてくれたのは彼なので。雪姫をもらってくれたら嬉しいかな? ね、大地さん?」
と彼女はご主人を見やる。
「ん……。もう、観念した。だって、雪姫のあんな笑顔を毎回見せられたらたらさ……。それに、冬希君は本当に良い子だから」
そう嘆息を漏らす。え? え? こういうのって、普通は向こうのお父さんが「娘はやらん」ってちゃぶ台かえすのが定番なんじゃないの? なんで、私が「息子はやらんー!」って言っている空気感になっているの?
「ちょ、ちょっと! さー君も何か言ってよ?!」
半ば八つ当たりにも近いと自分でも思う。
「あ、その……なんと言えばいいのかな。冬、高校生には……まだ、ちょっとそういうのは早いんじゃ……ないかな、って思うんだけど?」
「父さんが『小春をコーデして、日本一のアイドルにしてあげる』って言ったの、高1だっけ? そう考えたら、早すぎるってことはないよね?」
「そ、そうだけど……」
「ちょっと、なに論破されているの!?」
私が頭を抱えたくなった。
(というか、冬になにを教えていたのよ、さー君?!)
それは二人だけの内緒で。お義父さんもお義母さんも知らないやつで――。
「ほぅほぅ」
「なるほど、そういうことだったんですね」
ほら、二人がニヤニヤしているじゃない!
「それに母さんが言ってくれたんだよね。相手の想いに真摯に添えって。自分の感情を赤裸々に紡げって。そうしたら、舞台を巻き込んで自然と化学反応が起きるから、って」
それは役者としての心構え! ノロけたワケじゃない!
「それ、なんとなく分かるよ。冬君のことを考えたら、もっと前に進みたいって思えたし。自分の気持ちに素直なればなるほど、もっと冬君のことを好きだって、自覚するから」
「うん、俺もだよ」
自然と、二人が肩を寄せ合う。あ、あの? 冬? 私がココにいることを忘れてない?
「あぁーあ。兄ちゃんの母ちゃん、完全に燃料を投下しちゃったよね?」
「してない、してないよ!?」
「どんなキッカケだって、この二人にとっては、幸せの要素になるからね。それで、どうするの? やっぱり冬希兄ちゃんを、東京に連れて帰るの?」
「んぐっ――」
下河空君にまっすぐ見つめられて、思わず変な声が漏れてしまう。ごまかさない、逸らさない、曖昧にしない。この子は中学校3年生だって聞く。そんな年代の子が、どんな経験をしたら、こんな大人顔負けの表情をするようになるんだろう?
でも、それは雪姫さんもそうで。それから久しぶりに会った、冬にも当てはまる。まさか、子がこんな表情を見せるなんて、想像もしていなかったから。
「ま、結局は冬の気持ちを大事にしてあげて欲しいかの」
お義父さんが、髭を撫でながら言う。それは、でも。そんなこと、でも、それじゃ――。
言葉がグルグル回るって、喉の奥に貼りついて、声が出ない。
思わず見やれば、雪姫さん、ちょっと冬と距離が近いんじゃない? いや、違う? 冬が近いの? ふ、二人とも近い、近いから!
と、冬が私に向けて、これでもかと言うくらい、柔らかく微笑む。
「ふゆ?」
「母さん、あのね。それから父さんも」
冬が囁くように言葉を紡ぐ。それなのに、私の鼓膜にその声が重く響いて。画面の向こう側では、さー君が目を丸くしているのが見えた。
「俺は雪姫と――みんなと一緒に、これからも此処の学校に通うから。だから、そっちには行かないよ」
再度、拒絶。今までの冬だったら、絶対そんなことを言わなかった。
「何を言って……だって、雪姫さんは学校に行けてないじゃな――」
「行ったよ」
冬は言い切る。
「これからも行くから。俺と一緒に雪姫は行くから」
そんな冬の言葉を聞いて、私は口をパクパクさせるしない。これで二回目だ。冬が、私を明確に拒絶をしたのは。
COLORSを辞めた時、そして今この瞬間。私は息が止まりそうになりながら、ようやく声を絞り出す。
「ひ、ひ、一晩、考えさせて! もう少しだけ、冬と話をさせて!」
気付けば私はそう叫んでいたのだった。
■■■
そして、今に至るわけなのだが、冬は今もベッドの上ですーすー寝息を立て、夢の世界から帰ってきてくれない。
――小春さん、ご飯まだなんだって。冬君、少し離れても良い? ご飯を作ったら、すぐに戻ってくるからね。
そう雪姫さんが囁いても、冬はなかなか彼女を離そうとしない。一方、私が頬に手を触れると、これじゃないと言わんばかりに、私の手を払うのだ。ちょっと、扱いが酷すぎる。
――小春さんが、お腹が空いたままじゃ、かわいそうでしょ? 終わったら、ちゃんと戻ってくるからね?
猫がすり寄るように、雪姫さんの首筋に、口吻を落としていく。いや、だからね? 冬? 私はここにいるんだけど? 見ているから? 見えているからね?
――こらっ。冬君、本当にワルい子だよ。小春さんがいるんだから、ダメだって。ルルちゃんも、ドサクサに紛れて舐めないの!
雪姫さんが、くすぐったそうに身を捩って。でも、それから笑みを零す。
――冬君は本当に寂しがり屋なんだから。
そう言って、冬の髪を撫でて。
私はその言葉に大きく目を見開いてしまう。
(雪姫さんは何を言っているの……?)
冬はしっかりしていて、真面目で。私の話を受け止めてくれていて、でもクールで。甘える素振りなんて、私が会社を興してから、一回もなくて――。
(……冬はずっと我慢していたの?)
このワンルームに、コンソメスープの優しい匂いが広がって。それから、さらにケチャップの匂いが広がっていく。何かを炒める、そんな音がして。それだけで、私を満たしていく。
ほどなくして、サラダ、野菜たっぷりのポトフ、それからオムライスが完成したのだった。
「雪姫さん、これって……?」
「オムライスにはメッセージを書くの、定番ですよね?」
にっこり、そう笑う。そこにはデフォルメタッチに家が描かれていて。
そのなかに、koharuそれからsatuki――fuyuki、そう書いてあったんだ。
■■■
ご飯はコンビニで済ますから、私はそう言ったのに。
――冬君のお母さんが来てくれたのに、そんなことさせられるワケないじゃないですか。
雪姫さんは、そういう。でも、母って名乗って良いんだろうか?
柊や他の社員なら『神原小春に、そんなことをさせられるワケないじゃないですか』って、きっと言う。同じようだけど、でも全然違う。雪姫さんは、私を私として見てくれている。冬を冬として、見てくれていたんだ。
私は冬に、自分のワガママを押し付けた。そして何もしてあげられていなかったことに、今さら気付く。冬が寂しがり屋だって知らなかった。あれは幼い時の話で。今はしっかり者で。COLORSの精神的支柱だったから。でも、あんな風に笑う冬を、私は本当に知らない。きっと、COLORSのみんなだって、きっとそうで。
(私は本当に、何も知らない――)
そう思ったら、
あれ?
おかしい。
やっぱり、私も若くないんだ。視界が滲む。まっすぐ見られない。これは、きっと老眼てヤツだ。きっと、そう。絶対にそう――。
「小春さん……?」
心配そうに言う声。でも気遣われる資格なんか私にはなくて――。
感情に抗う私を、ふんわりと温かい温度が包み込んだ。
「え?」
「冬君が一生懸命考えていたように、お母さんもずっと考えていたんですよね?」
「そんなこと――」
「冬君から聞く思い出に、小春さんに対してのマイナスな感情はありませんでしたから」
にっこり笑って、そう言う。
「尊敬してる、って。だから、お仕事を応援したいんだって。冬君、そう言っていましたから」
「あ、あ、あ――」
言葉にならない。声にもならない。冬はそんな言葉をかけてくれないから。ただ、いつも気遣ってくれて。いつも、私のことを心配してくれていた。だから、冬の大変な時だから。今度は私が、私が冬を守るんだって、そう飛び出して来たのに――。
「お母さんが、頑張っているの、冬君は知っていますから」
雪姫さん。そんなこと、このタイミングで言うの、本当にズルいよ。
ポトフの湯気が。
オムライスのケチャップが。
そ風味が。その香りが。
ゆらゆら、私の感情を、なおさら揺らして――。
私の感情は、ものの見事に決壊してしまったんだ。
【作者からのお詫び】
すいません、主人公、まだ寝ていますm(_ _)m




