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100 白猫は芳しい香りを肴に酔いしれて



 尻尾をパタンパタンと振りながら、彼らのやりとりを肴に、この時間を満喫していた。


「俺はお前を認めたワケじゃねぇから! 上川、肩を組むな、くっつくな! 光、お前もだっ!」

「ごめん、パパ。ちゃんと乗り越えてみせるからね」


「誰が娘が欲しければ俺を倒せって言った?! あと、俺はパパじゃねぇ」

「……圭吾君が私のお父さんとか、ちょっと想像できないんだけど?」


「あぁぁ、ゆーちゃんの視線が痛い! やっぱりゆーちゃんは【雪ん子】だ!」

「良かったね、【雪ん子】に睨んでもらって。念願だったんでしょう?」


「光!? それ、俺がまるでマゾみたいじゃんか?」

「ふぅん。ケイゴリはマゾ……マゾゴリ」


「黄島、それもうあだ名ですらないからな?!」

「大國ってさ」


 冬希がクスクス笑う。


「可愛いって言われない?」

「バカじゃねぇの?!」


 大國の反論を余所(よそ)に、雪姫嬢が放つ温度がなお下がる。


「圭吾君、ちょっと(拳)でお話しようかな? ちゃんと(タイマンで)お話しないといけないって、私、思ったんだよね」

「……えっと、言葉は嬉しいはずなのに、背中が寒いのはどうして?」


 大國(ゴリ)は聡い。雪姫嬢の隠された言葉まで読み解くとは、流石クソガキ団だ。でも、雪姫嬢の嫉妬がまさか自分に向けられているとは思うまい。この瞬間も、雪姫嬢がどれだけ冬希のことを好きなのか。甘い匂いが鼻をひくつかせる。


 それぞれの感情は、決して甘さだけではないけれど。


 道を分かてばそのままで。生きていれば、生き物なら当たり前のこと。仔猫がいつまでも、同じ場所で体を擦る寄せる道理はない。巣立った猫が、こうして集う可能性はどれくらいあるのだろうか。


 今この瞬間、混じり合う匂いはこれでもかというくらいに、甘くて。でも酸味も爽やかさも入り乱れて。それでいて鼻につかない。


「良かっね、ルル」

「お兄ちゃんも雪姫ちゃんも頑張ったもんね」


 両側でそれぞれ寄り添う温度が、そう囁く。一番、頑張ったのは雪姫嬢だ。彼らのジャレつく応酬を聞きながら、俺は目を細めた。






■■■





 時間を少し巻き戻して。冬希が光坊に呼ばれて、アパートを出てすぐのこと。


 今の匂いとは、まるで真反対の匂いを醸し出す雪姫嬢がいた。ヘドロに沈み込んでいた時のあの頃とは、まるで違うけれど。そう、例えるなら冬の雪原。

 ただ、体育座りで壁にもたれかかる。


「雪ん子ちゃん?」

「ゆっき、大丈夫?」


 大國の母君と、彩音嬢が声をかける。曖昧に、雪姫嬢は頷いてみせるのが、なんとか。


 せめての救いは、相棒と繋がるスマートフォンが仮とはいえ復旧したことか。スマートに作業する光坊の才能の一端を垣間見た気がした。

 5分おきのLINK。それが雪姫嬢の最大限のワガママだった。匂いは雄弁に物語る。


(行ってほしくない! 他の人なんか、どうでも良い――)


 本音のワガママを言えば、冬希を困らせてしまう。そして、雪姫嬢の本音は、冬希を傷つけた大國を許せない――その感情も揺らいで、そんな自分に戸惑っている。


 そりゃ、そうだろう。

 トモダチと思っていた子が、冬希を傷つけたのだ。その攪拌された感情は、一言で表わせるはずもない。

 ペロっと、俺は雪姫嬢の手を舐める。


「ルルちゃん?」


 まずはメッセージを送ったら良い。今この瞬間だって、冬希が雪姫嬢のことを忘れるはずがないから。


「……うん、いつも、ありがとう」


 コクンと、雪姫嬢は頷く。スマートフォンを送信してメッセージを送れば、程なくして返信が返ってくる。メッセージを見る雪姫嬢の頬が緩み、緊張が解けたのが分かる。浅かった呼吸が、通常の息遣いに戻っていく。


「ゆっきをすぐに安定させる上にゃんマジックは相変わらず凄いよねっと。でも、まさか歩きスマホじゃないよね?」

「うん……そこは注意しておく。これ以上、事故とか耐えられないもん」


 雪姫嬢がもう少しLINKのメッセージの頻度を落としたら――と思うのは野暮か。

 今この瞬間だって、雪姫嬢は不安で仕方がないのだ。


 衝突、交戦、暴力――。


 これまでの経緯を考えても、そんなイメージが湧き上がってくるのは、致し方がないと思う。俺はそんな感情を少しでも拭おうと、雪姫嬢に寄り添って……。


「ねぇ、ゆっき? 待っているだけで良いの?」


 そう言ったのは彩音嬢だった。


「へ?」


 雪姫嬢、それから俺も目をパチクリさせた。


「なんか、ゆっきらしくないんだよね。だって、ゆっきは、上にゃんのことを想って、ココまで来たワケでしょ?」

「そ、それは……。無我夢中だったし……。途中で、ルルちゃんが、居てくれたから……」

「この子、良く公園で見るよね。君、上にゃんの家の子だったんだね」


 こちらこそ、うちの【家族(ファミリー)】がお世話になっている。主に、彩音嬢と光坊の恋話(コイバナ)で、だけれど。それから、ありがとう。青のレースは眼福モノである――。


(って……ふんぎゃあぁ?!)


 雪姫嬢が、俺の尻尾を全力で掴む。ティアやモモ並に容赦がない。


「ゆっき……?」

「ちょっとルルちゃんの彼女さん達に代わって制裁しないとって、思ったの。彩ちゃん、ルルちゃんはちょっとエッチにゃんこだから、気をつけてね」


 そう雪姫嬢が言うものだから、彩音嬢は慌てて膝を閉じて、スカートを抑えてしまう。あぁ、もったいな――。


(……ふんぎゃあぁ?!)

 再び激痛に悶える俺だった。







「ルルちゃんは、格好良いところがあるのに、そういうトコは本当に残念ニャンコだよ」


 尻尾をグルーミングしている俺を尻目に、半ば呆れ顔で言う。ティア、モモに続いてニンゲンにまで、そんな表情をされるとは心外だった。

 冬希だって、わりかし同類なのだ。スマートフォンが復旧したら、雪姫嬢に隠しフォルダーを教えてやろうと心から誓う。


「なんか、ゆっきって上にゃんトコの猫と、仲が良いよね」

「ルルちゃんって言うの。私からしてみたら、お兄ちゃんができた感覚かな?」


 そう雪姫嬢が俺の頭を撫でる。そんなことで俺は誤魔化されな――誤魔化さ――ごま――つい、目を細めてしまう。


「すっかり、ゆっきに懐いてるじゃん」


 そう苦笑を浮かべながら、ズイと雪姫嬢の前に座る。


「むしろ、上にゃんとゆっきの子どものように見えるけどね」

「こ、こ、子ども? 彩ちゃん、そ、そ、それは考えたことがなくもないけど、ちょ、ちょっと早いよ」


 雪姫嬢が真っ赤になりながら、手をパタパタさせている。沈み込んだり、昂揚したりと忙しい限りだ。大國の母君は、そんな二人を見て、クスクス笑っている。

 ただ彩音嬢に一言、物申したい。俺は子どもじゃない。冬希の保護者だからな!


「うんうん、そういう顔だよ。ゆっき」

「え?」


「上にゃんと一緒にいる時や、上にゃんのことを考えている時のゆっき、本当に幸せそうなんだもん。そういう顔の方がやっぱり良いね」

「う、うん……」


「本当は、待っているだけなのはイヤなんでしょう?」

「……」


 雪姫嬢から肯定する、そんな匂いが強くなった。


「ゆっきはさ、上にゃんのことクソガキ団の一員って思える?」


 彩音嬢の言葉に、雪姫嬢が顔を上げた。


「……思っちゃ、ダメなの?」

「むしろ、大歓迎かな。本当に昔から一緒にいたんじゃない? ってくらい、ゆっきと上にゃんは息ピッタリだからね」


 ニッコリと彩音嬢が笑んで。――だから、さ。そう言葉を続ける。


「男子達ばっかりで、私達にナイショなのはズルいって思うんだよね。ひかちゃんには『ごめん』って謝ったら、きっと許してくれると思うし」


 雪姫嬢が顔を上げる。不安だったり。飲み込んでいた嫉妬や迷いだったり。そんな攪拌された感情が溶けていくのを感じた。


(やれやれ。そんな表情(カオ)をされたら、保護者としては放っておけないだろ?)


 とん、と爪を立てないように雪姫嬢の肩にダイブする。彼女が目を白黒させるのとは裏腹に、甘い匂いが混ざって。まるで森の深部を彷彿させる緑が香って。

 こんな匂いを香らせる雪姫嬢は、前を向くと決めた時なのだ。


「ルルちゃん?」


 キョトンとした顔で。それから満面の笑顔を浮かべて。


「一緒に来てくれるの?」


 是非もない。

 だから仰せのままに。俺は雪姫嬢に、猫流のお辞儀をしてみせた。



 コクン。彼女は満面の笑顔で頷く。


 そこからの雪姫嬢は、水を得た魚。空を飛ぶ鳥、解き放たれた家猫のようだった。





■■■






「ごめんね、雪ん子ちゃん。うちのバカをよろしくね」


 そんな大國の母君の言葉を背中に受けながら。

 御母堂、大変申し訳ない。


 今の雪姫嬢は、冬希のことしか頭にないのだ。しかしながら、彼らの保護者として、その約束を確実に果たすことをココに誓おう。どうかご安心を――って、早い、早い! 雪姫嬢、早い、スピード、早すぎるから、し、舌、舌を噛む、待って、マジ早いっ――。



…。

……。

………。




■■■



 

「ひかちゃん……ごめん、ゆっきを止められなかった……」


 息を切らしながら言う彩音嬢に、心から同情の意を表したい。


 途中で様子を伺いながら、さり気なく男子たちに割り込もうとした、彩音嬢の計画は見事に破綻パァになったわけだけれど――。


 光坊の笑顔を見れば、そんな画策も全く無意味だった。


「彩音が来てくれて良かったよ」


 そうニッコリ微笑まれたら。

 彩音嬢の顔を見上げるまでもなく、その匂い嗅げば、その感情は明らかで。


 割に合わないのは、あまりのスピードに目を回した俺だけだった。




 





■■■







「おい、上川! ちょっと、ゆーちゃんにくっつきすぎだ! (けがら)わしい、離れろ!」


 大國の言葉に、雪姫嬢がその眼差しを向ける。なるほど、確かにこんな視線で睨まれたら絶対零度だ。【雪ん子】の名は伊達じゃないらしい。


「……なんで、圭吾君に指図されないといけないのかな? 圭吾君はいつから、私のお父さんになったの?」

「い? ゆ、ゆーちゃん、いや、そういうつもりじゃ――」

「雪姫、パパって呼んであげて。大國、きっと喜ぶよ?」


 冬希、お前はそこで火に油を注ぐなよ。絶対ワザとだろ?


「ば、バカ! 誰か喜ぶかよ!」

「パパ?」

「ぬはっ?!」


「見事にクリティカルヒットじゃん。ケイゴリって、本当にバカだよねぇ」

「黄島、だからゴリって言うなっ!」

「ゆっき、ちょっとゴリに言ってあげてよ?」

「え?」


 何やら彩音嬢が雪姫嬢にゴニョゴニョと囁いた。


「えぇ? そんなのイヤだよ」

「雪姫。ぜひ、俺も聞きたいかも」


「……ん。冬君がそう言うなら……い、一回だけだからね?」

「うんうん」

「な、何だよ?」


 逆に得体の知れない恐怖に、大國(ゴリ)(おのの)いている。本性は小心者なのだから、可愛気があるってものだ。

 と、雪姫嬢は大きく息を吸い込んだ。


「……パパ、お小遣いちょうだい?」

「ぬはっ?! ぐはっ?!」


 大國、あっさりノックダウン。このゴリ、あまりに単細胞過ぎた。


「ケイゴリ改め、パパゴリだね。よろしくね」

「よろしくじゃねぇし。もう原型ないだろ! お前、本当にあだ名つけるの致命的にセンス無いから、マジやめろ!」


「ひかちゃん、ゴリゴ13(サーティーン)が怒るよー」

「そういう危険な匂いがする物言い、マジでヤメろ! それから黄島がパパとか言うと、パパ活してそうでマジで気色(ワリ)ぃ」


「ちょっと、そういうの風評被害だからね。見た目で判断するとか、本当にサイテー!」


 それから彩音嬢は光坊を見やる。彼がどう受け取ったのか気になって仕方がないのだ。本当に可愛いことで。


「ひかちゃん! 私そんなことしていないからね!」

「バイト以外じゃ、ほぼ彩音と一緒にいるのに、いつパパ活をするのさ?」


 と光坊が苦笑する。


「どうせ、バイト先がパパ活なんだろ?」


 だから大國(ゴリ)、そういうことを言うから顰蹙(ひんしゅく)なんだって。

 もう少し男子たるもの、紳士としての嗜みを持つべきだ。レディにその物言いはあり得ない。


 男は優しくなくちゃ生きている資格がない。鰹節の味を知らなければタフとは言えない。by(バイ) 俺。


「違うから! ちゃんと【生活のカナメ】っていう雑貨屋さんでアルバイトしてますー! ひかちゃん、ゴリの言うこと信じちゃダメだからね!」

「今度、バイト先に行ってみても良い? 彩音が働いている姿、気になるんだよね」

「それは恥ずかしいから絶対にダメー!」


 賑やかで。かしましくて。それでいて、これでもかというくらい、淡い匂いに包まれる。それぞれの感情を嗅ぎながら、一際甘い感情なら隠せない。

 相棒と彼女が、その指を絡ませているのを尻目に。

 俺はゆっくりと目を閉じた。








「親分、お楽しみのところすいやせん」


 といつの間にか、忍び寄るように参謀(クロ)が声をかけてきた。


「お楽しみとか、そういうのじゃないからね」

「たまには、こんな時間を満喫するのも良いよね。それにしても、彩ちゃん、本当に可愛いー」

「飼い猫に、応援されているとは、露にも思わないだろうけどな」


 俺は苦笑を漏らして。そして、つかの間の休息に浸ろうと、ティアとモモのグルーミングにこの身を任せている。

 最近、こいつらに無理をさせているのを自覚しているから。たまにはこんな時間も良いだろうと、とつい思ってしまう。


「へい。でも、親分、他の子とお話をする時は極力ジャマをするなって――」

「ルル、それはどういうことかしら?」

「お兄ちゃん? 今日は彩ちゃんにまで色目を使ったみたいだし。本当にどこまで節操なしなのかなぁ?」


 クロ、何で今それを言うの? 二匹とも、爪を引っ込めて。あれは仕方がないというか、緊急事態だったと言うか――。


「と、冗談はさておきですね。まぁ実際、事実ではあるんですけど。本当にむやみやたらとよその猫を【家族(ファミリー)】に引き入れるのヤメてくださいね? 組織運営って親分が思う以上に大変なんですからね」


 クロ、だからそれを今ココで言わないで!


「……また、メス猫が増えたの?」

「やっぱり、お兄ちゃんのイチモツ、矯正した方が良いよね?」

「待て、待って! マジ待って! 話せば分かる、話せば――」


 そんなに睨まないで。股間が今この瞬間ヒュンってなる!


「……って言っている場合じゃないんですけどね、親分。こんな甘い匂いを近くで嗅いでたら、そりゃ鼻もバカになると思いますけど。ちょっと気合入れてくだせぇ。臭い匂いが坊達に近づいてますぜ」


 お前のせいだと毒突きたいのを抑えて。クロの言葉に、慌てて意識を切り替えるけれど――ほんの少しだけ遅かった。







■■■






 無造作に葉を踏む音が重なる。数にして、三十人を越えるか。自分の無警戒さが悔やまれる。情報戦を展開したのは【家族(ファミリー)】や【サポーターズ】だけじゃないということだ。

 そうでなきゃ、この人数をこのタイミング、この場所に揃えるなんて、できるはずがない。


「親分、あの時のバカが数人。それから葦原に探りを入れた時に確認したヤツもいやすね」

「ルル? 自称スラッガーの太田(だいた)君までいるじゃない。どうやら、悪いお友達がいるみたいね」


「クロ、【家族(ファミリー)】たちは?」

「へい。万が一と思って、第3師団と第4師団を控えさせておいて正解でしたね」


 それだけ聞けば十分だ。俺は戦意を隠すことなく爪をのばす。

 ティア、モモ、クロも同様に。


 枝を乱暴に。そして無造作に折る、そんな音が響いて。

 そんななか、下卑た笑みが俺の鼓膜を刺激する。






「圭吾ちゃん、久しぶりじゃんか」


 ヤツはニヤついて、そう言う。


「俺達と()()して、こんな可愛い子たちを独り占めってワケ? それはちょっとズルくないかな。折角だからさ、俺らにも紹介してよ。仲良く、遊ぼうぜ?」

  



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