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98 大國君と海崎君



 無我夢中で走っていたら、いつの間にか裏山に来ていた。俺達の秘密基地――ツリーハウスを通り過ぎて。オヤジの会――PTA、父親グループ有志が本気を出して作り上げた力作は、代々のクソガキ達の【秘密基地】になっていた。でもクソガキを卒業した俺達が、入られるはずがない。


 道を駆け上がって。

 もう忘れられた、あの神社へ。


 獣道を踏みしめれば、枯れ葉が小気味良い音を返してくれる。あの時はクソガキ団のみんなと一緒だった。


『圭吾、頭に虫!』

『だから裏山はイヤだって言ったんだ! 取って、取って!」

『ムリだよ、あんなデカいカマキリ! 彩音、お願い!』

『私だって、ムリ!』

『カマキリ?! 聞きたくなかった!』


 保育園の時に蜘蛛の巣に頭から突っ込んで以来、一貫して虫への苦手意識があった。それなのに裏山での冒険へとしゃれこむから、我ながらバカだって思う。


『――圭吾君は、仕方ないね』


 ニッと、雪姫――ゆーちゃんが躊躇わずに、カマキリの首を指先で摘む。そうだった、と今更ながらに思い出す。この子はいつだってそうだった。


 ヨワムシだって、バカにしない。

 誰かが困っていたら、颯爽と手を差しのべることができる。でも、イタズラをする時は“とことん”な、そんな子だった。


(……俺はそんなゆーちゃんが好きだったんだ)


 切り株に腰をかけて、消化しきれない感情を持て余す。

 どうしてこうなった?

 いつからこうなった?


 ――ゆーちゃんから、離れてしまったのは俺だ。


 女の子と一緒に遊んでるのダサくない? そう言ったのは町田だったか。太田(だいた)だったのか。もう憶えていない。でも気恥ずかしくなって、クソガキ団から足が遠のいた。男子達(アイツら)とバカをやるのは、それはそれで楽しかった。


 でも、物足りない。


 パズルのピースが合わないのに、無理やり嵌め込んでいるような感覚だった。違和感と物足りなさがあって、釈然としないまま。でも、これで良いんだ。そう思って過ごしていた。


 未だ距離感を変えない海崎光に一抹の羨ましさを感じながら。

 そんななか、アイツらの言葉を聞いてしまったんだ。





――病原菌。





 笑える。感染症に発症しただけで、人を後ろ指さすとか、どれだけダセェんだ。沸騰した感情を抑えることなんかできなかった。


 髪を染めたのは何のためだ? 耳にピアス穴を開けたのはどうしてだ? イキがっていたのは俺だ。でも、ヨワムシのままでいたくなかった。だから変わりたかった。それなのにどうだ? 友達(ダチ)って思っていた奴らが、一番傷つけて欲しくない人に牙を剥いて――。


 振り上げた拳に後悔はない。でも……。


 気付いた時は、全部手遅れ。ゆーちゃんは、人前で呼吸(イキ)ができなくなった。学校に来なくなったことすら、後で知る。


(俺が一番、だせぇ……)


 目頭が熱い。感情の端から端まで悔しさが滲む。未だに思い出すのだ。下河家の玄関、そのインターフォン越し。今でも耳につく。


 ――ひゅーひゅー。ひゅーひゅー。

 それから苦悶して、必死に何かを抑える声にならない声が漏れて。


『姉ちゃん、もう良いから。俺が代わるから』


 割り込んできた声は、ゆーちゃんの弟、空だった。


『……大國先輩。あんた、アイツらとつるんでいただろ? 今さら姉ちゃんに何の用だよ?』


 明確な拒絶を感じて、唖然とする。


『悪いんだけど、もう来ないでくれる? 今の姉ちゃんにとって、あんた達は毒でしかないから』


 突きつけられた言葉に反論することができない。ただ、口をパクパクさせているうちにブチっとインターフォンの通話が切断されてしまった。







「――お互い、本当に不器用だよね」


 はっと我に返る。

 あの時――下河家の玄関で声をかけてくれたように。同じセリフ、同じ苦笑を浮かべながら、海崎光が笑顔を向けて立っていた。





■■■






「……な、何の用だよ。わ、笑いに来たのかよ?」


 気まずさに声が上擦る。光はまるでクソガキ団の時と同じような笑顔を浮かべて、それから首を横に振る。


「笑いに来た、と言うよりは、ケンカをしに来た、かな? 圭吾、バカなの?」

「あぁ?!」

「凄んでも、怖くなんかないからね。金髪にしても、耳にピアスしても、僕からしたら、圭吾は圭吾だから」

「な、何が言いたい――」

「何しに冬希のトコに来たのさ?」

「うっ……。それは、アイツにワルイと思って……」

「全然、謝罪の態度じゃないからね。まさか、お母さんに言われて渋々来たわけじゃないでしょう?」


 光の言葉に喉が詰まる想いになる。下河雪姫は騙されている。知らないからって、彼女の弱さに付け込んでいる。そう()()()()は言っただろう?


 ――今の雪姫をまず見ろよ。少なくとも、雪姫に邪魔と言われない限り、俺が遠慮する理由がないから! 何もしていないくせに、勝手に雪姫を悲劇のヒロインにするな! あの子が一番頑張っているの、そこをまず見てよ!


 あの時の上川の真剣な眼差し。そんな……って思ってしまう。聞いていた話と違って戸惑う。


 ――嬉しい。


 上川が紅茶の感想を言った時の、ゆーちゃんの満面の笑顔が離れない。あんな笑顔、クソガキ団にいた時も見たことがなかった。一方の俺のどくだみ茶は、かなり濃い目に抽出されて、一口飲んだだけで顔が歪むくらい苦い。


 ――私が一番じゃないんだ。


 光がすでに上川の家に遊びに来たと知った時、ゆーちゃんの表情は今にも泣きそうで。


(やめてくれ!)


 と思う。そんな表情、まるでゆーちゃんが上川に()()()()()()みたいじゃないか。


「あのね、圭吾」


 呆れたと言わんばかりに光は息を吐く。


「本当に下河に嫌われたくないのなら、ちゃんと見てあげて。僕らはクソガキ団の【雪ん子】としてしか、下川を見ていなかった。クールで、強くて、凛として、いざとなったらみんなを守ってくれる、そんなみんなのお姉さん。圭吾も、そう思っていたんでしょう?」

「……だって、ゆーちゃんは実際――」

「違うからね」


 光に全否定されて、俺は絶句する。


「僕ら勝手に【雪ん子】のイメージを作っていただけだから。本当の()()は甘えっ子で、寂しがり屋で、弱い面もあるから。その弱さがあるから、ずっとみんなを守り続けようとしてくれていたんだ」


 唾を飲みこむのが、やっとだった。反論の材料を必死に探す。でも、思考を巡らせば、巡らすほどに、上川に向けた、ゆーちゃんの笑顔が瞼にちらつくのだ。俺達の幼馴染歴はそれなに長い。でも、あんなに笑顔を浮かべるゆーちゃんを俺は知らない。


「光はそれでいいのかよ!」


 激昂した感情は八つ当たりでしかないと自分でも分かっている。

 と、光の双眸に冷たさが宿るのを感じた。


「……意味が分からないよ?」

「お前はどうして、他人行儀に”下河”呼びなんだよ? 雪姫って言ってあげたら――」

「だって、二人にとって特別だから」

「意味がわかんねぇよ!」


 本心だった。光が距離を置く意味が分からない。だって、俺たちはみんなでクソガキ団で……。そんな感情が渦巻くのに、うまく言葉にならない。


「……冬希が、下河を『雪姫』って言うのと同じタイミングで、下河が『冬君』って冬希を呼んだ意味。圭吾には分かる?」

「何だよ、それ――」

「特別なんだよ。二人にとって、名前で呼ぶってことは」


 光は、一抹のブレもなくそう言い切る。


「そんなことを言ったら、俺たち幼馴染は、誰よりも深い絆があるだろ! 部外者なんかに負けないくらいの!」

「僕らの誰も、下河を支えることができなかった。圭吾にそれはできたの?」

「それは……」


 言葉に詰まる。インターフォン越し、ゆーちゃんの過呼吸の症状が、今でも耳につく。空に拒絶されて、それから足が遠のいた。結局、俺はゆーちゃんに何もできなかったのだ。


「冬希だけなんだ。下河を呼吸させてあげることができたのは。外に連れ出すことができたのも。冬希がいるから、下河は呼吸ができたんだ」

「そんなの、ゆーちゃんの状態が良くなってきたってだけで――」

「圭吾が道場で、冬希にからんだ日。下河は過呼吸になったけど?」

「へ?」


 俺は目を丸くした。あの時のゆーちゃんの流れるような動作が、今も瞼の裏に焼きついている。





■■■







 あの日。

 熊さんの空手道場で。

 競技用瓦が回し蹴りで粉砕された。破片が、礫が雨のように降り注ぐ。


『ゆーちゃん?』

『……どんな理由があっても、冬君を傷つける人は許さないから』

『ゆーちゃんはソイツに騙されて――』

『そんなこと聞いていない!』


 ゆーちゃんの突き放すような声が耳から離れない。でも、信じたくなかった。考えれば考えるほどに、生徒会長(アイツ)の言葉が益々、真実味を増してくるのだ。






■■■






「光は本当にそれでいいのかよ?」


 姑息な誘導だと思う。そんな言い方をしてでも、何がなんでも上川を認めたくない自分がいた。


「……言っている意味が分からないよ」

「誤魔化すなよ。光も、ゆーちゃんが好きだったろ? 抜け駆けはしないって約束しあったじゃんか。あ……そういうことか」


 わざとらしく俺は手を打つ。


「彩音ってキープがいるから、別にゆーちゃんじゃなくても良いってことか。そこまで本気じゃないから――」


 たん。

 ステップを踏む音がした。


 光の拳が、俺の頬を過ぎる。無風なのに俺の髪が揺れて。光の正拳突きが、ずんっと後ろの樹を撃つ。

 ギシギシと、巨木が揺れた。


(これ、習って1ヶ月にならないヤツの拳かよ?)

 ――正拳突きの極意は、己の心意に添え。

 道場で、散々言われてきたことだった。


(意味分かんねぇし。強ければ良いじゃん)


 そう思っていたのに。それなのに。唾を飲み込むがやっとで。

 光の気迫を感じた。(から)っぽな俺にはない、必死に誰かを守ろうとする、そんな気概を。それは、あの時の上川の一挙一動に通じるものがあった。


「圭吾、僕のことをどう言っても良い。でも、彩音を貶める言葉は絶対に認めない」

「おい、光。お前、経験者の俺とやって……」


「言ったでしょ、僕は圭吾とケンカしにきたって。彩音と同じように冬希のことだってそうだよ。冬希は友達だから。友達への侮辱は、絶対に許さない」


「俺とはもう絶縁ってコトかよ!」

「……バカなんじゃないの?」


 心底呆れたと言わんばかりに、ただ俺を見やる。見透かされたようなその眼差しに、俺は思わず目を逸らしてしまう。あいつらから離れたのは俺なのだ。光や彩音が声をかけてくれたのに、やっぱり無視し続けたのも俺で。唯一残した接点が、熊さんの空手道場だったんだ。


「下河に本当に嫌われたいのなら、そうしていたら良いよ。冬希に敵意を向ける人、下河は容赦しないからね」


 ぐうの音も出ない。それは、あの日ゆーちゃんと対峙して、イヤというほど痛感したことだった。


「そんな顔したってダメだよ。圭吾は実際のところ、どうしたいのさ?」


 光に言われて気付く。自分の感情(キモチ)が瓦解しそうになっていることに。


「……ゆ、ゆーちゃんに嫌われたくない。上川が、わ、悪くないのも分かっている……でも、み、認められない、そんな簡単に、あ、諦められな、い――」

「うん。で。どうするの?」

「でも、上川に謝らないと……」


 分かっている、俺の骨折は自業自得なんだ。でも、上川が怪我をする必要は全くなかった。それなのにアイツは、当たり前のように頭を下げて。俺にまで気を遣って。



 ――大國は大丈夫なの? 熱は出てない? 痛く……ないワケはないと思うけどさ。本当にごめん。でも、助けようとしてくれてありがとう。



 絶句した。当然ように、そんなことを言う。

 上川はお人好し過ぎるだろ?

 本当はアイツが怒り狂って、俺を非難して良いはずなのに。


(ダセェ、俺は本当にダセェ……)


 でも溢れた感情を抑えることが、俺はどうしてもできなかった。


『圭吾君は、本当に泣き虫だね。大丈夫、私に任せておいて』


 バカにするでもなく。呆れるでもなく。ただ包み込むように、ポンと小さな胸を叩いて見せたあの日。ゆーちゃんの声が、今さら耳の奥底で響いた。

 泣き虫のままじゃダメだ、このままじゃダメだ。ずっとそう思っていたのに――。

 





■■■








「うん、冬希。ごめん、下河には僕からもちゃんと言うから。うん、ありがとう――」


 気付けば、光がスマートフォンで通話をしていた。


「……光?」


 俺はゴシゴシと、腕で目尻を拭う。通話を終了させた光は、にっこりと笑みを溢す。


「男同士で、話してみようよ。冬希、この場所を知っているし。ちょっとなら、下河も許してくれる……と、思う。うん、まぁ多分……」


 語尾がそこまで自信なさ気にフェードアウトされると、むしろ心配になってきた。感情がぐちゃぐちゃになって、思考の整理ができない。


「勝手に離れていったのは圭吾だけどさ。僕は圭吾の友達を辞めたつもりはないからね?」


 予想外の言葉に、俺は目を丸くした。女の子とつるむのはダサいと距離をおいたのは俺だ。幼馴染だクソガキ団だといったところで、一番疎遠だったのはやっぱり俺なんだ。


「友達がバカやっていたら、そりゃ全力で止めなきゃでしょ。何回も言うけど、僕は圭吾とケンカしに来たんだからね?」


 ぽかんと、拳骨が頭に振り下ろされた。

 少し痛くて。

 妙に熱くて。

 やけに暖かい。

 そして。やっぱり、感情が抑えられない。





■■■







「――やっぱりさ。お互い、本当に不器用だよね」


 そう呟く光の呆れ声も、頬を触れる風も。さわさわと揺れる梢の音も。小鳥のさえずりも。

 全部、ぜんぶ。子どもみたいな感情に呑み込まれてしまったんだ。


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