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97 君が淹れる煎茶とミルクティーそれから「どくだみ茶」



「ゆーちゃん?!」

「圭吾君?!」

「え、っと?」


 困惑している俺を尻目に。たん、と。隣でステップを踏む音が聞こえた。


「雪姫?」

「……許さないからっ」


 雪姫が感情を露わに、拳を振り上げようとするモーションを見せた。間に合わないと思いながらも、俺は慌てて左手をのばす。


「え? ふ、冬君?」


 感情に身を任せて、踏み込もうとした雪姫がバランスを崩す。


「へ?」

「……冬君?」


 気づけば、バランスを崩した雪姫に、まるで押し倒されたような姿勢になっていた。


「ゆーちゃん?!」

「あらま?」


 大國は唖然として、彼の母は興味半分、楽しさ半分でマジマジと俺たちを見ていた。


「あのね、雪姫――」

「もう、冬君の、寂しがり屋さんなんだから」


 でも雪姫からは、まるで予想外の言葉が漏れた。

 ふわっと、雪姫が俺の髪を撫でる。


「でも、ちょっと待っていてね。今、圭吾君としっかり、お話をしてくるから」

 そう言って、ぐっと拳を固めた。


(……ちょ、ちょい、待ち?!)


 雪姫のいう「お話」が、どうしても「拳で語る」気がして、思わず左手で引き留めてしまう。

 そんな俺の行動が予想ができなかったのか、雪姫は目を白黒させながら、倒れこんだ。


 鼻先がくっつきそうなくらい、二人の距離が近い。目と目があって視線が絡みあえば、まるで世界から音がかき消えてしまったかのように、全てが雪姫で埋め尽くされてしまったのを感じる。


「今日の冬君は、本当に甘えん坊さんだね」


 すっと、雪姫の腕が俺を包み込むように、俺を抱きしめた。とくん、とくんと心臓が鳴るのを感じる。今だけは右肩の痛みも麻痺してしまったかのように、意識の外に飛んでいってしまう。もっと近くへ、元近くに雪姫の傍にいきたい。そう思ってしまう。自然と雪姫が目を閉じる。艶やかな唇に触れるその寸前で――。






「冬希、下河?」

「上にゃん、ゆっき、玄関で何をやっているの?」


 聞き慣れた声に、二人は反射的に起きる。ようやく現実を認識したその途端――右肩に激痛が走った。





■■■





「粗茶ですが」


 雪姫がぺこりと、大國のお母さんにお茶を出す。それから、ごく当たり前のように俺の隣に座った。その光景を信じられないと言いた気な視線を送る大國。今さらだよねと、苦笑を浮かべる光に黄島さん。想像もしていなかった光景が目の前に広がって――自分の部屋なのに、居心地が悪い。


 そして、この短い時間に、俺の台所事情が雪姫には筒抜けになった。まぁ、もともとたいしたモノは置いていないから良いか――と思索していると、雪姫がじっと俺を見やる。こういう時の雪姫は、俺の考えていることがエスパーよろしく筒抜けなんだ。これは台所事情について、後でみっちりとお説教がありそうな気がする。


「えっと、ゆーちゃん? こっちに座らないの?」

「だって、私の隣は冬君だもの」

 

 大國の隣には彼の母、光。それから黄島さん。

 一方の雪姫は、気にすることなく、こてんと俺の肩に首をのせる。その動作、一つ一つが大國に抉るようなダメージを与えている気がした。そして無邪気そうに見せて、確信的に行動するから雪姫は本当にワルい。主に独占欲で「自分の冬君」を示すために。


(……こそばゆい)

 つい、そう思ってしまう。


「それと、ゆーちゃん……俺のお茶だけ黒いのは、どうして?」

「どくだみ茶だって。健康に良いんじゃない?」


 見れば大國の湯呑だけ、真っ黒い。ちなみに雪姫の言うことに誤りはない。母さんが、健康に良いからと送りつけてきた茶葉のうちの一つだ。自分の母親ながら、元トップアイドルの名前は伊達じゃないと思う。40代になった今も、息子から見て綺麗な人だと思う。でも肌艶一つとっても、多様な努力の成果なのだから、プロ意識はむしろ向上していた。


 ――だって、冬? マネージメントオフィスの社長が、ブクブク太っていたら、信用に値しないじゃない? 所属するアーティストだけじゃなくて、マネージメントする側も見られているんだからね?


 スペシャリストとしての誇りはたいしたモノだが、高校生の息子にどくだみ茶を送るそのセンスは疑いたい。でも、ドコかピントはズレていて。それでいて全力で。いつも一生懸命なのが母さん――上川小春という人だった。


「なんで上川だけ、別なんだよ?」

「冬君って最近、コーヒー以外にも紅茶を飲むから、淹れてみたんだけど……それで良かった?」


 大國の問いかけもスルーの雪姫さんだった。俺はそんな気まずさを紛らわすため、淹れてくれたミルクティーを(すす)る。ほんのりと甘くて、背中にのしかかっていた疲労感が、溶けていくような錯覚を憶える。


「あ、うん……美味しい。雪姫の影響かな? 雪姫の淹れてくれた紅茶が、いつも本当に美味しいから。またリクエストをしても良い?」

「嬉しい。でも、コレは茶葉じゃなくて、カフェインレスのティーパックなの。眠れなくなったら、困ると思って。このシリーズ、私、好きなんだ。でも元気になったら、また茶葉から淹れるからね!」

「……ゆっき、わざわざ買ってきたの?」


 黄島さんは目を丸くする。


「……行けたら良かったんだけどね。今回はお母さんにお願いしたの。だって、冬君は放っておくと、コンビニのお弁当か急速エネチャージゼリーになりそうなんだもん。だから食材は追加済みです」

「本当に愛されているよね」


 光がニヤニヤ笑うから、頬が熱い。雪姫に大切に想ってもらっている。本当に心底、そう感じるんだ。遠慮して自分の気持ちを押し込めていたのが、本当にバカみたいだって思う。


「そういえば――」


 と、雪姫のその視線が温度を下げて、光の方へと向く。


「……海崎君は、冬君のアパートを前から知っていたの?」

「あ――」


 光の言葉がつまる。あのさ、視線が泳いだ時点でダメだって思うんだよね。


「……私が一番じゃないんだ」


 雪姫の目の色が消えて、不満そうに頬を膨らませている。俺は動く左手で、雪姫の髪を撫でた。


「そんな風にされても、ごまかされないもん」


 ますます頬が膨らんでいく。俺はそっと、雪姫の耳にささやく。


「滞在時間、10分未満は、カウントに入る?」

「え?」


 雪姫は目をパチクリさせる。俺は光に視線を送った。ウソは言っていない。何となく雪姫の反応は予想できていたから。でも、ココで光に変に慌てられると、全て台無しだ。こういう時の雪姫は、感情がカチンコチンに凍りついてしまって、溶かしてあげるのが大変なのだ。

 見れば、光がコクンコクンと、全力で頷いていた。


「文芸部で書く作品の資料を、冬希に借してもらったんだ」

「資料?」

「うん。ほら、女の子のファッションとかよく分からないから……」


 視線の先は本棚に置いてある雑誌へ。ヘアスタイリングの勉強も兼ねて父さんから送られてくるファッション雑誌だった。


「ふーん。そんなことなら、ひかちゃん、私に聞いてくれたら良いのに?」

「女の子に聞くのは恥ずかしいからだよ! 彩音、キャミとかまで見せようとするじゃんか!」

「今さら恥ずかしいも無いと思うけど? やっぱり、ひかちゃんドキドキしちゃう?」

「彩音はもう少し、自分の立ち位置を理解して?!」


 光のご意見はごもっとも。文芸部に所属しているのが不釣り合いなくらい彼女は、オシャレで、陽キャと言われるグループに在籍していてもおかしくない。そんな黄島さんは、光との距離を詰めようと、一切行動に妥協がない。


 ――オシャレな黄島さんに陰キャな文芸部って不釣り合いじゃない? いくら幼馴染でも、海崎に無理に合わせなくて良くない?

 ――オシャレしていたら、文芸部にいちゃいけないの? そもそも君たちを振り向かせたくて、コーデしているワケじゃないんだけど?


 毎回のように誘ってくる【チーム陽キャ】に黄島さんは、そう切り捨てる。本を読むことが好き。小説を書くことが好き。ソレ以上の理由なんかいらないでしょ? まるでそう宣言をするかのように。


 雪姫との距離感を誤ってしまった黄島さんの後悔が、そんな言葉を紡がせたのかもしれない。


 でも、それ以前に隠す気もない感情(キモチ)が眩しいと思ってしまう。

 見ていたら、何となく分かってしまうんだ。


 光への好意を隠さない黄島さん。そして、きっと雪姫に片思いをつのらせていた光。きっと今でも、その感情に気づいてすらいない雪姫。



(まるでラブコメの主人公とヒロイン達だね)



 今さら雪姫を諦めるつもりはないけれど。やっぱり、その関係に土足で踏み込んでしまった感覚は拭えなくて――。


「雪姫? (いた)ひ、いひゃい、痛い、痛い!」


 気付けば雪姫にぎゅっと頬を抓られていた。


「……冬君。今、絶対に自分は蚊帳の外って思っていた」

「お、思ってないよ?!」


 確かに思っていたけどさ。雪姫、エスパーと言うよりは、もう魔法使いクラス! ちょっと勘が鋭すぎるから!


「あの時と同じ顔してたもん。私は絶対に冬君を一人にしないし。冬君が不安に思ったことは、何一つ見逃してあげないから」

「いや、それは気のせいで――」

「うん。それなら、私の気のせいなんだね。私が勝手に不安になっただけだから、冬君がしっかりと受け止めて」


 ぎゅっと、問答無用で抱きしめてくる。最早、俺に抵抗させる余裕も与えずに。


「雪姫……大國と、大國のお母さんがいるから!」

「うん、いるよね。でも。私は冬君しか見えてないから大丈夫」

「全然、大丈夫じゃない!」

「私は問題ないよ? 誰かの視線を気にして遠慮するつもりないから」

「いや、でも。それは俺もそうだけど、それとこれは別問題というか……」

「冬君の気持ちを素直に言ってくれたら、それで良いよ」

「それは……」

「それは?」

「……考えてました」

「うん、よくできました」


 そう言って、雪姫が一瞬体を離したと思ったその刹那、また俺は雪姫に抱きしめられていた。


「へ? 雪姫さん?」

「素直に認めてくれたのは花まる。えらい、えらい」

「えっと? え?」


 雪姫が俺の髪を撫でながら。それから宙に花まるを描いて。そして、囁く。


「でも、冬君はちょっと、私を見くびり過ぎだと思うんだよね」

「え?」


 俺は思わず目をパチクリさせてしまう。


「誰よりも、私にとって冬君が大切だから。それが冬君に通じないのなら、ちゃんと知ってもらわないと。私がどんな人よりも、誰よりも、冬君のことを大切に思っているってことを」


 そう言って、なおぎゅっと抱きしめてくる。雪姫の吐息が、息継ぎが、呼吸が、言葉まで。全部、耳朶に甘い温度を残していく。


「冬君のことが好きだよ。大好きだよ。それが冬君にちゃんと伝わってないのなら、何回だって伝えるから。あなたが、私を息させてくれたのに、今さらズルいよ? 私、絶対に離さないって言ったもん。昔から知っているクソガキ団のみんなには感謝しているよ? だってみんなが居てくれたから、過去があって、今の私がいるから」

「うん――」

「でも、今の私が呼吸(いき)できるのは、冬君のおかげだからね。あれだけ、カラフルな世界を私に見せておいて、今さら退()かせてあげないよ? 絶対、離してあげないからね」

「うん……」


 今の俺はただ頷くことしかできなくて。

 と、ポカンと叩かれる音がして、目を見開く。大國のお母さんが、彼にゲンコツを振り下ろした、その瞬間だった。


「痛っ! 何をいきなり――」

 大國が目を白黒させながら悶絶する。


「いつまでボサッとしてるのさ? 二人の仲睦まじい姿を観覧しにきたワケでも、お茶を御馳走になりにきたワケでもないでしょう?」

「そ、それは……」


 呻くように声を絞り出して、それから大國は俺の方へ向き合う。その空気を察したのか、雪姫はゆっくりと俺から離れて、隣で姿勢正しく正座をした。でも、その表情は剣呑そのもので。大國の選択肢によっては、実力行使も厭わないと、拳を固めているのが見て取れる。いざとなったら、雪姫を制止させないと、と、むしろそっちの方でドキドキしてしまう。


 でも、それは杞憂だったんだ。

 大國が頭を下げた。

 お母さんも、同様に。


「悪かった……」

 絞り出すような声で、大國はそう言ったんだ。





■■■




「え、えっと? 顔を上げて? お、お母さんも。謝罪をしないといけないのは、むしろ俺の方で。大事な息子さんを怪我させてしまいました。本当に申し訳――」

「上川君」


 と大國のお母さんは、俺を見やる。


「それは違うからね。バカ息子からも、それから熊さんや長谷川さん、海崎君達からも聞いたから。上川君に、非はなかった。うちの子が(こじ)れていただけだから。だいたい、そう思っていたのなら、とっとと告白の一つでもして――」

「ちょっと、母ちゃん! 余計なことを言うのヤメて!」


 大國が慌てる。でも、やっぱりそういうことなんだよな、って思う。雪姫のことをずっと、想い募らせていて。大國の視点で考えれば、俺は単なる部外者で。大切な幼なじみを横から掻っ攫っていった存在で。そりゃ、仲良くしたいとは思えないのも当然で――。


「圭吾君?」


 雪姫は首を傾げる。大國は観念したように息を吐く。


「そうだよ……好きだったんだよ、ゆーちゃんのことが! それなのに、ゆーちゃんが大変な時に何もできなくて。何もできなかった俺よりも、上川が行動していて。でも、他所(ヨソ)から来たヤツに、ゆーちゃんの何が分かるんだって、意地を張ってたんだ! バカみたいだろ、軽蔑したろ? でも、俺だって、ゆーちゃんのことを誰よりも一生懸命、考えていたんだ! 考えていたつもりだったんだ! 上川になんか絶対負けないって、そう思っていたんだよ!」


 大國の双眸から溢れる感情に気付く。


「あんたね、本筋がずれているよ。そういうことじゃなくて――」

「うるせぇ! 俺が悪かったよ。全部、俺のせいだよ! これで良いんだろう? これで満足かよ? 悪かったな!」


 そう言うや否や、大國が立ち上がる。唖然としてしまい、彼が部屋から飛び出すことを止められなかった。慌てて追いかけようとして、光に制止される。


「ひかる?」

「やれやれ。圭吾って昔から不器用なんだよね」


 そう言ってから、大國のお母さんの方に視線を向ける。


「圭吾も言いたくないこと、聞かれたくないことがあると思うので。そこはそっとしておいて欲しかったと思いますね」


 そう苦笑を漏らして。大國のお母さんは、気まずそうに目をそらした。


「それから、冬希は下河の傍にいてあげて」

「でも――」


 と言って今さらながらに気付く。ひゅーひゅーと雪姫の呼吸が浅くなっていたことに。迷わず、俺は雪姫の手を握りしめた。


「冬君……」


 雪姫は俺の腕にしがみつく。ゆっくりと呼吸が落ち着いていくのを感じた。ほんの些細な行動で、雪姫をこうやって追い込んでしまう。きっと離れてしまうと、この一瞬で不安を募らせてしまったんだ。そんな自分の行動が、あまりにも浅はかだった。


「下河がこのアパートに一人で来たこと、そのものが奇跡だからね。散々見せつられたけどさ、やっぱり下河には冬希が必要ってことなんだよね」


 クスッと笑って、光は立ち上がる。


「光?」

「まぁ、ココは僕に任せて。クソガキにはクソガキ団が責任をもって対処しなくちゃね。ただ冬希、一つだけお願いがあるんだ」

「へ?」

「圭吾が、冬希と話したいって思ったら、ちょっとでも良いから聞いてあげてくれない?」

「そりゃ、大國がそう思うのなら、いつでも――」

「良かった」


 光は俺の言葉を聴いて、心底安堵したのか、ニッコリと笑顔を浮かべる。


「それじゃ、僕は圭吾とちょっとケンカをしてくるね?」

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