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96 君に「あーん」されるまでに至る攻防と、招かれざるお客様


 いつのまにか、うつらうつらとして眠り込んでいたらしい。思わず右腕を動かそうとして、鈍痛に顔が歪んだ。そうだった。俺、肩が折れちゃったんだって今更ながらに気付く。と、ひんやりとした心地よい感触が、額に乗るのを感じる。


 目を開けたら、雪姫が俺の額に濡れタオルを乗せてくれているところだった。


「雪姫?」

「……熱上がってきたね。骨折が原因で熱が出るかもって弥生先生が言っていたから」


 そういえば、と思う。病院で、そんな説明を受けた気がした。記憶がグチャグチャだ。整理してこれからのことを考えないと、でも焦燥感がどうしても募って――。


「雪姫?」


 つんつんと、雪姫に頬を突かれる。


「冬君はね、ちょっと難しく考えすぎるトコがあるよね?」

「へ?」


「今はしっかり休むのが大事だけど、ご飯を食べなくちゃね。食欲はある?」

「いや、正直無いけど。それくらい自分で――」


「冷蔵庫に何もなかったから、お母さんに食材を買ってきてもらったけどね」

「そ、そんな。それは悪い――」


 今度は、人差し指で唇を塞がれた。


「冬君のお世話をするのは私だよ。それにみんな、冬君を他人だなんて、思ってないよ? だから悪いなんてことないよ」



――俺たちは君を一人になんか絶対にさせないからね。


 そう言ってくれたのは、大地さんだった。


(一人で過ごすことは慣れているはずなのに)


 そんな言い訳が喉元まで込み上げれはま――ルルが俺の膝の上で、尻尾をぱたんぱたんと振った。良かったじゃないか、そう言いた気で。


「ルルちゃんも、冬君のことよく、本当によく分かってるね」


 とルルと俺の頭を撫でる。あの雪姫さん? 俺まで猫扱いしてない?


「解熱剤を飲むにも、ご飯を食べないと、胃が荒れちゃうよ? 熱もそうだし、痛みがあるから、今は冷静に考えられないと思うけど」

「それは……」


 あっさり論破されてしまった。ウチの彼女さんは手強いったらありゃしない。と、時計を見る。もうお昼はとっくに過ぎて、15時を回っていた。


「雪姫、ご飯は?」

「まだ食べてないよ」


 にっこり笑って、さも当たり前のように言う。


「だって、冬君と一緒に食べたいもん」

「なんか、ごめ――」

「謝らないで。でも今の冬君、初めて会った時の私みたいだね」


 そう言えば、と思う。あの時の雪姫は、身構えてひたすら謝ってばかりだった。雪姫が抱えていたものを考えたら、それも仕方ないと今なら思ってしまう。でもあの時の俺も、オムライスを失敗して、謝ってばかりだった気がするからお互い様だった。


「ありがとう」

「へ?」


 それこそ予想外な雪姫の言葉に目を丸くする。


「冬君がいるから、こうやって外に出られたんだよ。私一人の力じゃ無理だったけれど、こうやって冬君の傍に来られたから。ここまで来たんだもん。もう、怖いことなんか無いよ?」


 にっこり笑って、そう言う。


「知らない間に、冬君が傷ついたり、一人で痛みに耐えていることの方が怖いよ。それを他の誰かが支えるのはもっとイヤ。知らなかったなんて耐えられない。冬君を支えるのは、私が良いの。他の人じゃイヤなの。私じゃなきゃイヤだから」


 雪姫のまっすぐな言葉、真っ直ぐな眼差しに吸い込まれそうになる。


「それは俺もそうかも……」


 もしも、そんな事態になったら他の誰にも譲りたくない。まして知らなかったなんて耐えられな――あ、そういうことか。ようやく、納得する。


 雪姫はふんわりと笑顔を浮かべながら、エプロンをつける。彼女がずっと愛用していたエプロンだった。


「これ? お母さんが一緒に持ってきてくれたの」


 はにかむように微笑んでから、雪姫は「ふんす」と小さく力こぶを作って気合いを入れて見せる。


「待っていてね、今すぐ作るから。卵粥にしようと思うの。それなら食べられそう?」

「あ、うん。もしあれなら、俺も手伝う――」

「骨が折れている人が何を言っているのかな」


 呆れた表情を浮かべる。つんと指で額を弾かれた。


「あ、でも。一つだけ、して欲しいことがあるかも」

「へ?」

「私も不安だったから、冬君がちゃんとココにいるってことを確かめたい」

「え、雪姫?」


 唇が触れて。暖かい感触が伝わる。ただそれだけなのに、血が巡るのを感じる。生きている。息をしている。雪姫が傍にいてくれる。それを強く感じるのだ。


「何度でも言うけどね。冬君がいてくれたら、私は前に進めるし、強くなれる。冬君がいなかったら、息ができない。私にとっては、冬君が全てだから。だから、遠慮しないで?」


 雪姫がそんなことを言うから。一人ぼっちでいることなんか、慣れっこだったのに、やっぱり雪姫といると、知らない自分を垣間見る。


 ほんの少しだけ、距離を縮めて。


 肩が痛いから、少しだけ体をよじって。

 また、唇を通じて、温度が体中を巡っていく。


「……これは冬君をもっともっと甘えっ子さんにするプロジェクト推進だね」


 これ以上、甘えさせられたら、自分の理性はどうなってしまうんだろう。そんな考えが頭の片隅で過りながら、やっぱり雪姫の温度を貪りたいと思ってしまう俺だった。





 程なくして、お粥の優しい香りが部屋中に立ち籠める――までには、もう少しだけ、時間を必要になったのは、きっと止まらなくなった俺のせいだ。






■■■






 雪姫の手にかかれば、ささっとお粥ができ上がってしまう。まるで魔法のようだった。どうしても、料理をするとなると、色々考えすぎてしまう。人の為になら徹底的にやるのに、自分の分となると途端に面倒臭くなってしまうんだ。


 俺と雪姫の二人分。俺に合わせてくれるのが分かるが、それで足りるのか不安になってしまう。


「冬君は、私を食いしん坊だと思っているのかな?」


 ぷくぅと頬を膨らます。


「いや、そういうことじゃなくて――」

「そんなに慌てなくても怒ってないからね」


 クスクス雪姫は笑みを零す。


「……正直ね、必死になって家を出てきたから。冬君の顔を見て安心したら、気が抜けちゃって。だから、そこまで空腹は感じていなかったの」


 そう言った刹那だった。雪姫のお腹が、きゅーっと小さく鳴るのが聞こえる。


「あ、ちが、違うから。これは違うからね!」


 パタパタ、顔を真赤にして手を振る雪姫に思わず苦笑がこぼれる。


「ありがとう」


 ごめんじゃなくて、ありがとうが良いって思った。ここまで一生懸命、自分のことを考えてくれた人を俺は知らない。


 その一方で雪姫のためなら、どんなことだって躊躇わないと、心底そう思う。でもそれはきっと、お互い様で。そんな当たり前のことが、こうやって直面して言葉にしないと気づかない。


「うん。口にあえば良いんだけど」

「それを、雪姫のお弁当を楽しみにしている俺に言う?」


 思わず、吹き出してしまう。雪姫が作ってくれたメニューには満幅の信頼があった。


 もう待ちきれなかった。いただきます、と言葉も早々に、左手でスプーンを使い、お粥を掬うのが意外に難しい。右手で茶碗を抑えようとして、また鈍い痛みが神経を駆け巡る。


「いっ、痛っ……」

「無理しないの」


 あっという間に、雪姫にスプーンを奪われてしまう。


「はい、あーん」

「え、いや自分で、た、食べられるから!」


「今、食べられなかったけど?」

「何とか、た、食べる!」

「無理だと思うけどなぁ」


 もう一度、試みてみるけれど、やっぱり茶碗に逃げられていく。何とか掬うも、慌て過ぎたのか、口の中で粥が熱い。慌てて、左手でコップを掴み、麦茶を飲み干す。


「はい、あーん」


 と雪姫が自分のスプーンで、お粥を掬う。それを迷いなく口へと運んでくる。すでに雪姫の吐息で冷まされて、絶妙の温度になっていた。口腔内が火傷することもない。と、隠し味に味噌の風味を感じた。それが、俺の食欲を刺激して、空腹を感じるから不思議だ。

 雪姫の作るご飯は、本当に魔法がこめられている気がする。


(食事に、そこまで執着してなかったのになぁ)


 一人で食べることが多かったから栄養さえ()れたら良い、そんな感覚だった。それなのに、雪姫のお弁当やスイーツを楽しみにしている自分がいる。一緒にティータイムをするのが、本当に幸せだと、心待ちにしていたのだ。でも、これ以上雪姫に甘えてしまったら、それこそ骨抜きに――。


「骨抜きにしたいって、思ってるから遠慮しなくて良いからね」

「え?」


 俺は目をパチクリさせる。


「だって、私が冬君を独占したいんだもん。本当はね、一番大変な時に傍にいたのが弥生先生だったってこと、それが悔しかったんだけどね」

「でも、それは仕方がないと言うか――」


「うん。仕方ないって思ってるよ。だから、冬君をお世話をするのは私だし、誰にも譲りたくないの。冬君の目に私だけを映すのは無理って分かってるけど。それでも、私だけを見て欲しいって気持ちは、やっぱり消えないから」


 雪姫の瞳が、俺を捉えて離さない。むしろ、俺が雪姫から目を離すことができない。こんなに想ってくれる子を、むしろ無碍にできるはずがなくて。むしろ雪姫から離れたくない、誰にも譲りたくないと想っている自分に気付く。


 悪夢のなかで息もできず喘いでいたのに、今は何もかも包み込まれて、雑念が入り込む余地すらなかった。


「はい、冬君」


 もう一度、スプーンを差し出されて。

 まるで小鳥のように(つい)ばんで。

 うん、本当に美味しいって思う。


「だから、知らないままってイヤだから。冬君の全部知りたいし、他の人よりも誰よりも、冬君の一番でいたいんだからね」

「う、うん……」


 思わずその瞳に吸い込まれそうになる。気恥ずかしさから、もう一口、お粥を口につけたその刹那――。



 来客を告げるチャイムが鳴った。







■■■





「ちょっと、見てくるね?」

「あ、ゆ、雪姫! 俺が行くから!」


 と慌てて立とうして、テーブルに右肩をぶつけてしまう。痛みに目を白黒させている間に、雪姫はトテトテと、玄関へと向かってしまった。


 エプロン姿で出るとか、数少ないご近所さんに見られたら、新婚さんと冷やかされるの必至だ。でも、時はすでに遅し。


 ぎーっと、軋むようにドアが開く音がした。このアパートに来る来客なんて、たかが知れている。いったい誰が――。





「ゆーちゃん?!」

「圭吾君?!」




 玄関の向こう側から、そんな声が聞こえる、まさかの声に俺の方が唖然としてしまう。慌てて玄関に出向けば、左腕を三角巾で吊っている男子と、その母親と思わしき女性。

 その彼女が、俺を見て深々と頭を下げるのが見えた。


「え、っと?」


 困惑している俺を尻目に、彼女が彼――()()()()の頭を無理矢理、下げさせた。一緒に同じ病院に搬送されて、無事だったことは確認をしていたし、弥生先生からも聞いていたけれど。

 改めて大國が無事だと知り、ほっと胸を撫で下ろしたその刹那――。


 たん、たんと。

 隣でステップを踏む音が聞こえた。


「雪姫?」

「……許さないからっ」


 雪姫が拳を振り上げようとするモーションにようやく気付く。間に合わないと思いながらも、俺は慌てて左手をのばしたのだった。

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