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89 君との境界線 / what a wonderful world?


「てめぇが何でココにいるんだ?」


 大國圭吾が敵意剥き出しで、感情を叩きつけてくる。そこからの彼の行動は早かった。

 彼の白い道着に注意も視界も奪われた。


 アイツもココの門下生だったのか。

 なおさら雪姫のことを近くで知っていた存在だったのか。

 いわゆるコイツも幼馴染なのか。


 この瞬間で色々な感情が錯綜する。雑念が過ぎた。母さんやCOLORSのことで、心をかき乱され過ぎた。


(これ、まともに受けたらヤバいヤツだな)


 冷静にそんなことを思う自分がおかしい。これも子役時代、そしてCOLORSの時代、映像や舞台の世界にお世話になったお陰だ。だいたい父さんや母さんの周囲は、ホンモノと言われる人達で溢れすぎている。経験させてもらったことは有り難いが、同じことを要求されても困る。


 ――冬、軸が大事だからな。体幹を崩すなよ。逆に、相手に軸をズラすように錯覚させることは有効打だ。誘い込め。


 スタントマンは、こともなげに言うのだからイヤになる。

 あの時は、あくまで魅せるための演技なのに。そう思っていた。


 でも、今なら分かる。

 演技は偽物だ。


 本物を知らなかったら、とことん贋作になる。だったら、どうしたら良いのか? 自分自身が本物になるしかない。自分らしさなんか、未だに分からない。でも、押し込めていない自分なら、自然と表出できる。雪姫の隣で、こうやって笑える自分がいるのだ。


 だから、迷わない。

 軸をズラす。


 大國の蹴りは避けられない。だから、ちょっと後ろにステップを踏んで。ほんの少しだけ、体を左右に揺らす。力を分散させてなお、俺は強かに壁に体を打ちつける。


 ――チッ。


 大國が忌々しそうに、舌打ちをした。拳を上段から振り下ろそうとして、同じように軸をずらそうとする。ここから体勢を――。


 その動きが、止まった。

 大國が、ブレーキをかけたのだ。


 目の前に飛び出した、光の動きが予想できず。でも繰り出された拳は、光の頬に吸い付くように打ち付けた。光まで、壁に体を打ち付けてしまう。


「なんで邪魔するんだ、光!?」


 大國が吠える。痛みに表情を歪ませながら、光はゆっくり立ち上がる。


「なんで、って? 友達が理由もわからず、攻撃されているのを見ていられなかっただけだよ。冬希は大丈夫?」

「俺はたいしたことはないけど――」

「そういうことかよ」


 大國の目がギラつく。


「光。お前、幼馴染よりも、部外者を取るってことかよ?!」

「言っている意味が分からないよ。僕から見たら、一方的に、圭吾がふっかけているように見えるよ。一体、何が理由で――」

「うるせぇって!」


 大國の怒号と。


「ひかちゃん? 上にゃん?」


 黄島さんの声が飛び込んできた。

 視線を向ける余裕もなかった。


 ひゅーひゅー。

 そんな呼吸音が聞こえて。


 喉元を押さえている雪姫が見えた。雪姫と俺の視線が交わる。

 雪姫が大きく、目を見開いた。


 その刹那だった。

 風が舞い上がる。


 何かが砕ける音が派手に響いた。

 積み上げられていた、競技用瓦を雪姫の回し蹴りが、粉砕したのだ。破片が雨の雫のように舞う。


 そのまま、雪姫の蹴りが大國に肉薄する。

 目を点にして――凍りついたのは、大國だった。かろうじて、その手で雪姫の攻めを捌く。


「ゆーちゃん?」

「……どんな理由があっても、冬君を傷つける人は許さないから」

「ゆーちゃんはソイツに騙されて――」

「そんなこと聞いていない!」


 雪姫が感情を吐き出す。その瞬間、空気が凍りつくようだった。大國が唇を噛み締める。


 見れば、その音を聞きつけたのか、チビッ子達や美樹さん、熊伍郎さんまでわらわらと道場から出てくる。


「空手の技で暴力はダメなんだぞ、圭吾兄ちゃん!」

「お兄ちゃんをイジメる人は許さない!」


 チビっ子達がまるで俺を守ろうとするかのように、両手を広げて立つ。


「圭吾っ! チビ達の言う通りだ。空手の拳は誰かを傷つけるためのものじゃな――」


 熊伍郎さんの声を無視するかのように、大國は唾を吐き捨て、そのまま背を向けてしまう。

 大國は、そのまま振り向くことなく、道場の敷地内を出ていった。


「ま、待てって! 圭吾!」


 追いかけようとした熊伍郎さんを、美樹さんが止めた。


「な、なんだよ、長谷川。今ココでガツンと言わないと――」

「熊ちゃん、落ち着いて」


 美樹さんは苦笑を浮かべる。


「圭吾君もね、複雑な心境だから。今は気持ちを持て余していると思うの。もちろん、今日のことは決して許されないわよ? でも、それは私が師範代として、キッチリ稽古で教え込むから。今はちょっと任せてもらってもいいかな?」


 そう美樹さんが、言うのと同時だった。雪姫の手が俺の頬に触れる。


「冬君、ケガしてないよね?」


 凍てつくよううな空気は一瞬で霧散して。いつもの雪姫が、心配そうに俺を覗き込んでくれていた。


「いや、光が守ってくれたから。光、本当にありがとう」


 見れば、光の頬が真っ赤に腫れ上がっていた。慌てて黄島さんが、濡れタオルを持ってくる。


「いや、彩音、大丈夫だから。そんなにダメージないかあ。これぐらい、放っておいたら――」

「ダメだよ、ひかちゃん。ちゃんと冷やさないと!」


「いや、でも大丈夫だから……って、彩音、近い! 距離が近いから!」

「近くないと冷やせないでしょう?」


「じ、自分で冷やすから!」

「ひかちゃんは、そうやって、自分のことを後回しにする。絶対にダメだからね? だいたい、経験者に立ち向かっていこうなんて無謀にもほどがあるから」


「それを言ったら、冬希だって」

「上にゃんは、真冬時代からアクションシーンをスタントなしでやるような人だもん。比べる対象が間違っているよ」

「いや、だからって。だから、ちか、近い――」


 逃げようとする光を、黄島さんが抑えつける。空手道場の先輩あること以前に、光は黄島さんに頭が上がらないらしい。思わず、雪姫と目を見合わせて、それから自然と笑みが溢れた。




「神聖な道場でラブコメすんなーっ!」

 瑛麻先輩の絶叫も、子どもたちの賑やかな声にかき消されてしまったのだった。





■■■





 レコード特有の少し掠れたノイズとともに、音が紡がれて。張り詰めた緊張が解けていく。いつも絶妙の選曲は、Cafe Hasegawaに来た人を癒やしていく。

 今日の選曲はルイ・アームストロングの"what a wonderful world"

 マスターの選曲は本当に絶妙だった。


 昼食をCafe Hasegawaで食べるというだけで贅沢だけど。でもピザをつまみながら思う。何より贅沢だと思ってしまうのは、この面々と一緒に食事ができること。雪姫が隣にいること。それが、なんて幸せなんだろうと思ってしまう。

 熊伍郎さんは、本業のラーメン屋があるので、彼だけあの場で解散となってしまったのが、名残惜しい。


『今度、絶対飲むからなぁ! 上川君っ!』

『熊ちゃん、高校生にお酒誘っちゃダメ』


 ポコンと、美樹さんにゲンコツされて、みんなに笑いを振りまく、お茶目な師範だった。


 でも――と、その気持ちに影が落ちてしまう。


 大國はこの人達とずっと一緒に過ごしてきた。幼馴染という関係で。そして、クソガキ団の一員だった。俺はその中にはいないし。大國はその中にいた。その差は歴然だって思ってしまう。


 まるで線を引かれたかのようで。ついそう思ってしまう。


 "what a wonderful world"――その素晴らしき世界。大國からそんな場所を奪ってしまった。そして、俺が土足でその場所に上がり込んだ。それこそ、大國が敵意を飛ばしてきた理由なんだと思う。


 ――ゆーちゃんは騙されている。


 その声は敵意と呪詛に満ちていた。

 でも、その一方で雪姫は、彼にそんな風に呼ばれていたのかと。妙に感心してしまった。


 だから、線を引かれた。そう思ってしまう。その感覚はどうしても拭えない。自分の思考が錯乱しているのが分かる。

 と――。


「……大國君、あんなことを言う子じゃなかったんだけどね。冬君、私が来る前に何があったの?」


 雪姫の言葉に目を丸くした。

 純粋な眼差しを俺に向けて。そして、首をコテンと肩に傾げる。


 その瞬間、やっぱり線を引かれた。そう思ってしまう。


 境界線を。

 ココから先は入られない、と。

 そう言われた気がしたんだ。


――柊さんは、冬のためを思って言っていると思うよ? 一度さ、ちゃんと話し合うべきなんじゃないかな?


 COLORSの時代。幼馴染の一人、蒼司に言われた言葉が今さら脳裏に残響した。


――柊ほど、信頼できるマネージャーはいないからね。冬、ちゃんと相談するのよ?


 母さんに言われた言葉が、鼓膜を震わす。その言葉が波紋を広げて、いつまでたっても消えてくれない。


 線を引かれた。

 境界線を。

 その向こう側には、素晴らしい世界があって。


 でも冬希(キミ)はココから先には入られない。

 改めてそう言われた気がしたんだ。





■■■





「上川君。15時までお休みなのに、ごめんなさい」



 突然、音無先輩に声をかけられ、はっと我に返る。


「音無ちゃん?」


 瑛真先輩が、怪訝そうに首を傾げた。一方の音無先輩はCafe Hasegawaの制服を身に纏っている。先輩は午前中から夕方までのシフト。俺は午後から閉店までのシフトだった。


「あのね、午前中の子が熱でお休みになったんですよ。それと思いのほか、恋するカフェオレのリクエストが多くて――」

「音無さん、恋するカフェオレはあくまで上川君の出勤時のみの限定メニューって言ったはずよ? まぁ、人気があるのは分るけどね。それに人手が足りないのなら、私が行くから――」


 と美樹さんが立ち上がろうとした瞬間だった。


「良いですよ」


 そう言って、俺は立ち上がる。


「え?」


 雪姫が目を点にするのを尻目に、俺はできるだけ冷静に振る舞うように務めた。

 みんなも戸惑っているのを肌に感じる。

 でも、あのまま座っていたら、自分の感情を制御できない気がしたんだ。




―― 大國君、あんなことを言う子じゃなかったんだけどね。

――冬君、私が来る前に何があったの?



 線を引かれた。

 境界線を。

 ココから先は入られない、と。

 そう言われた気がした。

 脳内が、雪姫が喋ってもいない言葉まで捏造して囁く。でも、それは雪姫の本心なのかもしれない。



――冬君、大國君に何をしたの?


――残念だ。本当に君には何にもない。

――君は、本当に空っぽだ。



 追い討ちをかけるように、柊さんの声まで入り混じった。

 俺を責め立てる、その声が止まらない。





「冬君?」


 空想の声なのか、現実の声なのか判別がつかない。鼓膜の奥底で残響する声がひたすら止まらなかった。


 だから――。

 そんな声から逃げ込むように、俺はバッグヤードに滑り込んだんだ。


what a wonderful world / ルイ・アームストロング

(作詞・作曲 ジョージ・ダグラスとジョージ・デヴィッド・ワイス)

詳細はWikipediaをご覧ください。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%AE%E7%B4%A0%E6%99%B4%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%8D%E4%B8%96%E7%95%8C

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