ドミノ1 御手洗花 → 料理上手な女性
桜井真美。結婚五年目。三十歳。
真美の夫は、秘密の仕事に就いている。
彼女に妄想癖があるわけではない。
夫は食品メーカーのセールスマンだと言い張って世界を飛びまわているが、それが真実でないことは結婚前から気がついていた。
些細な悪事を見過ごせない正義感。
どんな状況でも焦らない精神力。
アスリートだとしてもありえないほどに、鍛えられた体。そこには多くの古傷が刻まれていた。
未だに半年に一回は大きな傷を負って帰ってくるし、その際には会社が契約しているという専門の病院に必ずかかることになる。
一緒に買い物にでかければ、仲良く手を繋ぐ親子を見ては「平和とは素晴らしいものだ」と目を潤ませる。
夫婦で箱根に旅行した際に、射的屋で百発百中を成し遂げた時には、この人は自分のこと隠すつもりがあるのかと心配になったほどである。
ここまでくれば、子どもにでも分かる事実であった。
彼女の夫は嘘が苦手な人である。
真美に対して、気を許しているからこそのうっかりなのか?
外ではうまく秘密にできているのか?
気を揉んでばかりなのだが、直接尋ねるわけにはいかない。
話せるならば話してくれているはず、そう断言できるほどに真美は夫のことを信頼していた。
特殊な事情から、仕事の愚痴を聞くこともできないと悩んだ彼女が思いついたのは、栄養面――料理でのサポートだった。
アスリートの家族と同じ発想。彼女の場合はアスリートではなくソルジャーの伴侶なのだが。
努力の甲斐あってか、
「世界一美味しかった料理が、ぶっちりぎりで世界一になった」
と、毎回最高の笑顔を見せてくれるようになった夫に、真美は満足していた。
「日常に帰って来れた気がするよ……」と、すぐに戦士の目をすることだけは、止めた方がいいとは思うのだが。
夫との濃すぎる日常の反動か、真美が家の外と交流することはほとんどなかった。
投稿頻度の高くないSNSも、日常のことなど記載せず、ひたすらに仕事や宣伝についてである。
人と会うのが苦手であり、在宅のイラストレーターである真美は、その日常を理想的だと気に入っていた。
そうして多くの人間関係は望まない彼女だが、少し前から新たな繋がりを手に入れていた。
某レシピサイトへの投稿である。
きっかけは夫が勧めてくれたから。
体を癒せるように栄養価に、心を癒せるように彩にこだわって、手間と愛情を込めたメニューたち。
彼が世界一美味しいと褒めてくれるレシピなら、見知らぬ誰かも喜んでくるかもしれない。
手軽なうえに、直接誰かと接する必要もない。
仕事の道具として、撮影に流用できる機材を持っていたことも幸いして、すぐに彼女は投稿を開始した。
開始して一年。
気がついたのは、自分のレシピとサイトで求められるものには、ずれがあるということだった。
手軽や時短という要素も入っていない。
元シェフだとか、有名料理店の味とかの肩書もない。
下ごしらえが丁寧であり、他者の同メニューと比べて工程があまりにも多いレシピを、求めている人間は多くはなかった
かといって、真美はサイト用に特化したメニューを作る気はかなった。
どこまでいっても、自分が作りたいのは夫を笑顔にする料理だったからである。
作ってみましたの報告やコメントがつくことは、ほとんどゼロ。
世界一美味しいといってくれる夫の期待を裏切っているような感覚が、何よりも真美をしょんぼりとさせた。
もう少しだけ続けようか、そろそろ止めようか。
彼女が真剣に悩み始めた、ある日のことだった。
三カ月ぶりに書き込まれたコメント。
その文章に目を通しながら、真美はパソコンの前で固まっていた。
*
Flower1710さんの感想
いつも参考にさせてもらっています。
日常的に食べたくなる慣れ親しんだメニューで、特に色彩が美しいSakuraさんのレシピにいつも感動しています。
もちろん味だって最高です。
丁寧な工程の解説も、不器用な私には大助かりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
最近、Sakuraさんのお弁当用レシピで作ったメニューをきっかけに、気になる男性と何度も会話をすることができています。
今日は特に嬉しい言葉をかけてもらえたので、どうしても我慢できなくてコメントを残させていただきました。
本当にありがとうございます!
レシピや料理の内容とは関係ないコメントで申し訳ありません。
これからも応援しています!
*
画面には精一杯のありがとうが溢れていた。
私と彼の自慢のメニューは、他の誰かも笑顔にできるメニューであることを知った。
目頭が熱くなる。
夫に、このコメントのことを話そう。
レシピサイトへの投稿を勧めてくれたことに、ありがとうと言おう。
目元を拭いながら真美は思った。
Flowerさんと気になる人が上手くいくといいなぁ、と。
お読みいただきありがとうございます (*ᴗˬᴗ)⁾⁾
桜井さんのドミノはどこに繋がるのでしょうか。
次の話はまた、花と日向の物語へと戻ります。