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第二話 きっかけは突然に


「うっまぁ……」 


 芸術品のように艶やかな二八蕎麦。

 その最後のひと口を、啜りあげた青空日向の心に浮かんだのは、今日も変わらず「美味い」の一言であった。


 近隣住民に愛される蕎麦屋『そばやん』。

 築三十年近い歴史を誇るのに、丁寧に磨き上げられた床やテーブルからは、店主夫妻の心構えが窺い知れた。


 時刻は宵の口。本格的に店が混み始める前に、日向は夕餉ゆうげを楽しんでいた。 

 店内には日向を含めて三人の常連客。日向以外の二人は早めの晩酌に笑顔を零している。



「おっちゃん、今日も美味しかったよ」


 蕎麦湯を運んできた、割烹着姿の男性に日向は声をかけた。


「ヒー坊はそれしか言わねえから、張り合いがねぇな」


 威勢のいい言葉とは裏腹に、店主の顔に隠し切れない笑みが零れた。


「俺は、本当のことしか言ってねえよ」


 小学生の頃、初めて祖父に連れられて来てからは、最低でも週に一度は食べ続けてきた味である。

 第二の故郷の味とも呼べるほどに親しんでなお、感動させられるのだ。

 日向の言葉に嘘はなかった。


「日向君のいうとおりじゃな。美味すぎて、儂なんて一瞬天国が見えたもの……綺麗な花園じゃった」


 隣の席に座っていた老人が、同意の声をあげた。


「舌の肥えたお茶爺ちゃじいも、こう言ってるんだぜ。俺だって三回に一回は美味すぎて気絶しかけてるからな」

「え、いや、それ美味しい以前に、何か危なくねぇか?」


 常連客の過剰な誉め言葉に店主はちょっぴり恐怖した。

 使っている材料に、アレやコレな感じなものでも混入しているのではないかと。


「まあ、気絶は冗談だけどよ、それくらい美味いって話さ」

「へっ、ありがとよ……そんなことよりも茶太郎ちゃたろうさん、ヒー坊に話があるんだろう?」


 照れ隠しの言葉を残して、店主は厨房へと帰って行った。

 日向は、茶太郎と呼ばれた老人へと顔を向けた。



「お茶爺が、俺に話?」

「いやぁ、日向君が最近暇しておると聞いてな。急にアルバイト先が店仕舞いしたんじゃろ?」


 茶太郎の問いに「おう」と日向は頷いた。

 二日前という新鮮な話題だが、狭い界隈での話であり噂が最速で回っていても驚きはなかった。


「まあな、区の大規模開発の絡みで立ち退くことになってよ。期限までは時間があるけれど、前倒しでって話さ」


 日向は丸一年、世話になった天文ショップの姿を思い浮かべた。


「なるほど、そういう事情か」

「たんまり、お金をうけとって楽隠居だって笑ってたよ。俺も退職金みたいなものを貰ったしさ。

 暗い話じゃねぇから、いいんだけどな」


 とはいえ、大学も二年目が開始して二週間。カリキュラムが確定し、どうやってバイトのスケジュールを組もうかと考えていた矢先の話である。

 日向は次のアルバイト先を探していた。


「なんとも景気のいい話じゃなぁ」

「景気がいいって、お茶爺の会社だって調子いんだろう?」

「ふぉふぉふぉ、まあなぁ」


 目を細めて、白いひげをフサフサと揺らす好々爺。

 その正体は老舗玩具メーカー、ブラウンスマイルの代表取締役である。


「結構なことじゃねえか」

「その会社のことで相談があってのぅ。つまり現在、日向君は暇なんじゃろ?」

「そりゃまあ、暇っちゃあ暇だけど……」 


 煮え切らない態度で日向は返事をした。

 やることがないという意味では暇だが、至急アルバイトを探さなければならないという意味では、時間に余裕があるわけではない。


「それならば、うちで働いてみないかい?」

「おぉ、スカウトってやつかい?」

「スカウトってやつじゃな」


 ニヤリと笑みを浮かべた日向に、茶太郎もニッコリと笑顔を返す。



「ウチの会社で新しいことを始めようと思うとるんじゃが、そのためには日向君の若者らしいセンスを期待したくてな」

「それを俺に期待するのは間違えてるぜ。この前だって、お茶爺と盆栽の話で盛り上がったばかりじゃねぇか」


 ゲームはアナログが好きで、動画サイトではガーデニングと落語、宇宙の話ばかりを見ている。


 事実若いのだから、若いセンスとやらが幾らかは存在しているかもしれない。

 だが、それが自身になみなみと溢れているとは日向には到底思えなかった。


「会話をしていると、しっかりと若者らしい感性も持っていると思うがの」

「いや、正直自信がねえよ」

「まあ、それとは別件でも日向君の人脈も必要なんじゃ」


 話をしているうちに、ほろ酔いが覚めてきたのか、茶太郎の顔には社長としての一面が覗いていた。


「日向君は軽井沢工業さんとの縁で、あの周辺にも顔が利くだろう?」

「あの辺りのおっちゃんやおばちゃんには、顔を覚えられているとは思うけどな。

 顔が利くじゃなく、面倒みてもらったって話だぜ」


 幼馴染とともに悪戯をして叱られたり、お菓子を食べさせてもらったり。

 迷惑をかけてばかりだと日向は頭を掻いた。


「ほっほっほ、それでいいんじゃよ。

 伝統工芸との融合をコンセプトに、玩具造りを考えようというプロジェクトも別に立ち上がっておってな。

 海外旅行客のお土産やら、ネットでの通販が狙いじゃな」

「なるほど、二つの意味で俺が必要ってわけか?」

「うむ。人柄も含めると三つの意味じゃな。君以外に適任はおらん。

 というか、断られたら、全力で地面に体を投げ出し駄々をこねるつもりじゃ、ワガママな五歳児ばりにな」


 絵面を想像して、日向は首を激しく横に振った。

 駄目だ、アウトなやつだと。 


「いやいやいや、お茶爺が地面でジタバタしてたら、心配で救急車呼んじゃうから」

「む、そうなのか、歳はとりたくないのう……」

「……年齢関係なく、大人がやらないほうがいいと思うぜ」


 残念がる茶太郎をみて、このお爺ちゃん、本気で駄々をこねる気だったのかと日向は戦慄した。


「以前に誘った時は、関係性が変わりそうで嫌だといっておったが、今回は結構本気でスカウトじゃな。

 もちろん、あまり時間は拘束せんし、学生でいる間のアルバイトという形でじゃよ?」


 茶太郎は言い含めるように条件を口にした。

 己の夢を知っているだろう、彼からの気遣いを日向は感じ取った。


「うーん……いいぜ、お茶爺の世話になるよ」

「おお! 本当かね」


 茶太郎は嬉しそうにひげを揺らした。

 軽い調子で話しているが、相手が本気で話していることが、長い付き合いから日向には感じ取れた。


 それに以前誘われた時とは、日向の胸のうちには大きな違いがあった。


 ある女性の存在。

 自分が関わったアナログゲームが完成したら、彼女が喜んでくれるのではないか?

 楽しそうな未来を想像して、日向は了解の意を茶太郎に伝えた。


「ふむふむ。時給や勤務形態を、これから煮詰めないとならんなぁ」

「社長って呼んだ方がいいかい?」

「会社ではそうかもしれんが、それ以外の場所ではお茶爺が嬉しいのう」 


 茶太郎は笑った。日向が慣れ親しんだいつものお茶爺の顔で。


「それからもう一つ、できればでいいんじゃが……」

「なんだい?」

「日向君の大学の知り合いで、うちみたいな玩具に興味ある子はおらんかのう?」


 日向の脳裏に、一人の女性の姿が浮かんだ。

 つい数秒前にも、思い浮かべたばかりの同級生。


「新しいプロジェクトに、もう一人くらい若いセンスが欲しいなぁと思ってな」

「もう一人か……ぴったりの子がいるぜ。俺なんかよりもずっとさ」


 日向は破顔した。

 茶太郎のためにも、花のためにも、これ以上の話はない。


 もしも彼女が、この話を受けるのならば……。

 

 新しい日々が始まる予感に、日向は鼻歌でも歌いたい気分だった。


お読みいただきありがとうございます (*ᴗˬᴗ)⁾⁾


お茶爺は、容姿も性格もサンタさんみたいなお爺ちゃんです。


次話は明日の昼頃を予定しております。

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