第九話 というかドレスコードって何ぞや?
日向は花と連れ立って、地上へと向かう階段を上っていた。
最後の一段を同時に上りきると、どちらからともなく目を合わせる。
待ち合わせ場所であるホテルは、地下鉄麹町駅の地上口から徒歩数分。
ここまでくれば、目的地まではあと少し、にわかに日向の中で緊張感が高まり始める。
あくまでおまけであり、相手をリラックスさせるべき立場の自分がこれではいけないと、日向は隣を歩く女性へと目を向けた。
景色を確かめるようにキョロキョロと周囲を見渡しているが、その姿からは緊張感は感じられない。
伸びた背筋に、凛々しさを感じさせる引き締まった表情は、緊張しているわけではなく彼女の平常運転である。
肩から力が抜けた自然体な姿に、この話し合いは上手くいくだろうと日向は顔を綻ばせた。
「モニカさんの緊張で急にホテルさんと会うことになるなんてラウンジで、青空君になってたよ、どうか」
「緊張で取り乱しきってるな!?」
表面だけが平常運転だった彼女に、思わず日向は声をあげた。
「え、何、どうしたの?」
「御手洗さん、落ち着けって何って、取り乱し方がエグいことになってるぜ」
アルバイトに誘った時もそうだが、花は混乱すると会話が意味不明になる特徴があるらしい。
「あ、ごめん……ホテルのラウンジで急にモニカさんと会うことになるなんて、青空君がいなかったら緊張でどうにかなってたよ」
「いや、すでにどうにかなってた気がするけどな……」
彼女のなかでは、先ほどの取り乱し具合は無かったことになっているようだ。
「モニカさんとは、本当に友だちみたいにやりとりしてたから、自分でもこんなに緊張するとは思ってなかったんだけど……」
「いい意味で会うのにドキドキしてるってことだろう? 遠い地に住む友達で、偉大な先輩なわけだからな」
「うん」と頷く動作すら固くなっている。
目的地が近づくにつれ、花は明らかに緊張が酷くなっているようだった。
「御手洗さんの気持ちも分かるけどよ、友だちと思ってる相手に異常に緊張されたら寂しかねえかい?
気さくにハグしてハイタッチするくらいで丁度いいんじゃねえの?」
彼女の緊張が少しでも軽くなればと、冗談めかしたトーンで日向は言った。
「寂しいか……そうか、そうだよね」
花の顔にわずかだが笑顔が戻った。
そもそもの話、日向は今日の顔合わせについて何の心配もしていなかった。
向こうは乗り気で、話は確定している。
花から話を聞いてみる限りでは、先方は日本に住む若い友人と会いに来たという感じにしか聞こえないのだ。
「それに、対策も万全だろう?」
「遊び続けてただけな気もするけどね」
「俺の場合は、色々な知識が増えたからありがたかったぜ」
「私も、改めて気づくことはいっぱいあったよ」
あれから二回ほど出社する機会があったが、「これも仕事じゃ」という社長の一言で、ヴェーバー・シュピール製のゲームをひたすらプレイし続けていたのだ。
基本は二人で、時には色々な部署の社員と一緒に。
結果的に二人は様々な社員と交流することとなり、これも一つの狙いなのではと日向は茶太郎の手腕に感心していた。
喋りながらも、歩みを止めることなく日向は花と歩き続けた。
ホテルまでの道順は複雑ではなく、頭の中に完全に入っている。
「俺としては、モニカさんと会うことよりも、待ち合わせの場所に緊張するぜ。
幼馴染にコーヒー一杯千五百円だって脅されたけど、マジなのかねぇ……」
「私もネットで調べたけど……服装って、本当に普通で大丈夫なのかな」
高級なホテルのラウンジなのだが、周囲に不快感を与えるもの以外、特にドレスコードは存在していなかった。
日向にしてみれば「というかドレスコードって何ぞや?」というレベルなのだが。
「御手洗さんは綺麗な感じでまとまってるからいいけどよ、俺こそ大丈夫かね」
「青空君もいい感じだと思うけど。お互いスーツで合わせてくればよかったのかな……」
「五百円のざるそばに、百五十円のかき揚げをつけるかどうか、迷ってるような俺には判断できないぜ」
「私だって、好きなお菓子でさえスーパーで割引の時にしか買わない大学生だからなぁ」
目の前に近づいてきたのは、縦にも横にも巨大な建造物群。
ホテルだけではなくモールも併設されているとのことだが、「どうだ小童ども」という迫力がデザインから滲み出ている。
二人が話す内容が愚痴めいているのも仕方がない話であった。
どこが目的地に一番近い出入口かも分からずに悪戦苦闘するが、案内板をみながらモールの中を進みようやくホテルへとたどり着く。
道中で有名なコーヒーチェーンを見かけた時は、心の中でガッツポーズをしたほどである。
入り口で止められることもなく中に進入を果たすと、懸念の一つはあっさりと解消された。
時刻は昼食時よりは少し早いが、宿泊客以外にもランチやカフェだけを楽しむための人も多いようである。
その中には、気取った服装ではない人が散見され「案外普通の人もいるな(ね」)」と二人はほっと息を吐いた。
憧れの人が目と鼻の先にいるからか、花はエレベーターに乗る時には完全に無言になっていた。
日向はただ、彼女の横に付き添い続けた。
目的のラウンジに到着すると、柱以外全面ガラス張りの絶景が二人を迎えた。
窓の向こうは風雅な日本庭園であり、この眺めのためだけに整えられているのかと日向は驚いた。
商談中なのかスーツ姿で話し合うものから、リラックスした様子で一人くつろぐものまで。
様々な顔ぶれで、ラウンジに置かれた椅子は半数以上が埋まっていた。
目的の人物は一際目立つ容姿をしており、すぐ見つけることができた。
相手もまた、こちらに気がついたのだろう。
立ち上がると花に向けて控え目に手を振った。
暗めのブロンドに青い瞳の老齢の女性。
身長は百七十二センチの日向よりと、同じかやや低い程度。
ピンと背筋を伸ばして薄く微笑むその表情は、真面目そうなのに冷たい印象を感じさせることはない。
花とどこか似ている。
それが、日向が初めてモニカ・ヴェーバーを見た時の印象であった。
お読みいただきありがとうございます (*ᴗˬᴗ)⁾⁾
このあと二人は1350円のカフェオレを頼むことになります。
2/22記
本作はここまでで一旦終了とさせていただきます。
まだ一区切りにもいたっていないため完結中と設定するのもおかしな話ですので、再開予定はありませんが、そのまま連載中という形で放置させていただきます。
もしも続きを楽しみにしてくださっていた方がいらっしゃいましたらば、申し訳ございません。




