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マーゴ・ドリット(Mago dritto)

作者: 緋色の猫


 私は十八歳の、どこにでもいる平凡な女だ。ただ、ちょっと人と話すのが苦手で、ちょっと無口なだけで。

 この、剣と魔法が支配する世界で、剣にも魔法の才能にも見込まれなかった、ただの女だ。

 こんな私だが、他の人よりは頭の回転が速いと思っている。想定外なことが起きても、冷静に対処できるくらいには。

 でも、まさかここまで想定外だと判断に困るというものだ。

 そう、こんな町中の道端で、こんなこと。











「好きです。結婚してください」


「……」


 私は、押し黙った。そしてこのまま逃げてしまおうかと思った。

 しかし逃げようと思っても、目の前の相手の容姿に問題があり、躊躇ってしまう。

 相手が普通の男なら私は躊躇なんてしなかっただろう。あわよくば股間に蹴りを入れて逃げ去った筈だ。

 それが何故、私が逃げていないのか。


「───君、迷子なのかな?」


 相手は、まだ十もいかないであろう男児だったのだ。

 男児は依然として真剣な目で、私の瞳を射ぬいた。


「違います。いや、違くありませんが、今は些細なことです。結婚してください」


 ……どうすればいいのだろう、この子。


「えっと、お母さんは?」

「両親は共に天に召されました」

「ごめんなさい」

「構いません」


 キリッとした男児の表情こそ凛々しいものの、どうにも締まらないのは何故だろう。

 そのだぼっとした服を着ているせいで可愛らしさが倍増しているからか。そうなのか。きっとそうに違いない。


 さぁ、どうしよう。

 この子には両親がいない。迷子だとも言っていた。

 いきなりプロポーズしてきたこと以外に、怪しい部分はない。逆に、プロポーズしてきたことのせいで格段に怪しい。


 ちらっと横目で男児を見れば、片膝を着いた状態を崩していない。

 この子は、道ですれ違った私を呼び止め、いきなりプロポーズしてきたのだ。人目も気にせずに、だ。

 つまり、現在進行形で私達の周りには野次馬が集まってきている。

 人の目が嫌いというか苦手というか、とにかく地味に生きたい私にこの状況はツラい。

 場所を移そう。


 ちょいちょい、と手招きすれば男児は素直に近寄ってくれる。


「……別の場所、行くから」


 話すのが苦手で、何故別の場所に行くのかとか、そういうのを言わなかったけど、男児はにこっと笑みを浮かべてついてきてくれた。








 どこにすべきか悩んだ末に、辿り着いたのは我が家である。私以外に住人のいないここへ私が誰を連れ込もうと文句は言われない。


 玄関先で佇んでいる男児を手招きし、リビングのソファに座らせる。

 私はおもてなしのため、適当に紅茶を入れた。自分の分も含め。


「───で、迷子なんだよね? 大丈夫? 家まで送ろうか?」


 なんとも清々しいほどの棒読み加減。いっそ自分の演技力の低さに感心する。

 特に『大丈夫?』の台詞の無理矢理感といったらない。ぶっちゃけ、この男児なら独りでも何でもこなせてしまいそうに思えてしまう。なので本心では『ほっといても平気でしょ』くらいの気持ちなのだ。


 薄情な私の心の内を知らない男児は、優雅にお辞儀をしてから私の入れた紅茶に口をつけ、そして穏やかに笑う。


「えぇ、迷子……ではありますが、いざとなったら飛ぶので問題がありません」

「飛ぶ……? あぁ、魔術師なの」


 魔術師をこの目で見たのは何度目だろう。それほど珍しい存在ではないので、驚きはなかった。


「じゃあ、えっと……さっきのは?」

「先程の、プロポーズのことでしょうか? あれは、本心です。僕はあなたを愛しています。添い遂げたいと思ったのです」


 『さっきの』で話を汲み取ってくれる賢さには助けられるが、この場合はそんな賢さなんて必要なかったかもしれない。

 そもそもこの男児に賢さがなければ、妙なプロポーズなどに悩まされることなんてなかっただろうから。


「あのね、将来のことはまだ決めないでおいた方がいいよ。それに、私には好きな人がいるの。諦めてほしいな」

「えっ……!」


 瞬間で絶望に染まった男児の顔。この子、なかなかに美形だからショック受けていても絵になるな……。

 好きな人がいるのは嘘ではない。本当のことだ。

 私の故郷を、私の家族共々焼き付くしてくれた悪党共をとっちめてくれたあの人に、ずっと憧れている。どこの誰かは最後まで分からなかったが。

 今ではきっと、どこかで美人な奥さんと可愛い子供に囲まれて幸せに生きているのだろう。

 それでも、あの時の絶望から私を救ってくれた人を、私は忘れない。……顔も分からないのに何言ってるんだ、と思うけど。でも仕方がない。深くフードを被っていて顔が見えなかったのだから。


「分かったら、帰った方がいいよ」


 ほんのちょこっとの親切心でそう言うが、男児の諦めは悪かった。


「ま、待ってください! 僕はこのままあなたと別れたくない! ぜひ、一緒に来てもらえませんか!?」

「悪いけど、私にも私の生活があるの」

「決して悪いようにはしません! 一生遊んで暮らせるようにもします! あなたが望むなら新しい服を買えますし、髪だってもっと綺麗にできる! いえ、今のままでも充分美しいですが、着飾ったりしたいとは思いませんかっ? あ、そうだ! 世界で一番美しい宝石なども……!」


 これまでの態度を一変させ焦りまくる男児の姿は、少々不気味ではあるがやはり見かけが子供。微笑ましい。


「あと……あと……、そうだ! 城を買いましょう! 無論、使用人やメイドもつけます! 僕とそこで暮らしませんかっ? 退屈な思いはさせません!」


 でも、言ってることが大きすぎてやはり怖い。必死すぎるのも怖い。

 泣きそうになりながら、手当たり次第に女性が喜びそうなことをつらつらと述べていく男児。

 でもね、キミ、教わらなかったのか。知らない人にはついていっちゃいけないって。私はそう教わったので、例え子供にでもついていかないよ。


「僕ならあなたを喜ばせるために何でもします! 出来ないことはありません! 本当です! 僕、実は宮廷───」

「ね、あのさ、熱心なところ悪いんだけど、何で私なの?」


 言葉を途中で遮られても気分を害した様子もなく、即答。


「好きだからです」


 そうじゃない。それじゃなくて。


「その理由。私と君ってさっきすれ違ったばかりの他人だよ? それに私は見た目綺麗じゃないし性格だって……」


 私は自分のことくらいきちんと理解している。その上で、平々凡々であると自負しているのだ。

 この子程美形で、魔術の方も確かな実力があるならこんなの見向きもしない筈。

 男児はいつの間にか立ち上がっていたが、再びソファに座り直し、


「僕は七年前、あなたと会ったことがあります」


 と、そう言った。


 七年前と言ったら私の故郷が悪党に焼かれて絶望した時期だ。

 ふむ……あの時期に会ったことがあったとしても、目まぐるしい日々だったので覚えていなくても仕方ない。

 では、この子とは本当に会ったことがあるのだろうか。

 否だ。そんなわけない。


 七年前に会ったことがあったとしよう。しかしこの子は当時、何歳だった?

 もう一度男児を見てみる。絶対に十もいっていない。

 当時三歳程度の子が、ちょっと会っただけの人の顔なんて覚えているか、普通?

 変だ。……おかしい。不思議すぎる。


 私が首を傾げている間に、男児は話を進めていた。


「あの時、あなたの優しさがなければ、僕は自暴自棄になっての垂れ死んでいた自信があります。汚ならしい考えしか持てない奴らのせいで何もかも信じられなくなった僕は、あなたがいたからこそ、今をこうして生きているのです!」


 大袈裟ではないか。語り部になれそうだ。吟遊詩人なんて、将来の夢にどうだろう。

 話に熱が入り始め、男児の瞳は悲痛な色に染まる。


「誰がどんな人生を歩もうが関係ない、どうでもいいと思っていた当時の僕は、あなたに───自身も余裕がなくて大変だったあなたに優しくされて、心を癒されたのです!」

「はぁ。でも、私以上に優しい人なんていくらでもいるよ? それにたぶん、本当に私が君に優しくしたんだとしたら、それは君の状態があまりにも酷かったからじゃない?」

「えぇ、えぇ、そうでしょう。当時の僕は酷く荒れていましたから。でもあなた以外の誰も僕のことなんか気にかけてくださらなかった。そしてそれを当然だと、僕は割りきっていました。でも……」


「はい、ストップ」


 ここまで熱を入れられても、何を言っているのかさっぱり分からない。もっと具体的な説明を求む。

 まず、あれだ。しなければいけないことがある。

 人と話す際に、まずしなければいけないことだ。


「今更だけど、自己紹介しない? 名前知らないままっていうのも、あれだし」


 今更過ぎる自己紹介を要求しても、男児は疑いの色を見せなかった。

 本当は名前を頼りに預かり先を探す予定なだけなのだが。


「僕はエドモンド・バイヤーズと申します!」

「私はアイリス・ミラードよ。ただの一般市民」

「アイリス様。あぁ、なんと可愛らしい名前なのでしょう! あなたのご両親に感謝しなければ……!」


 大仰な仕草で感動を示され、今度は『役者を目指したらどうだろう』と思った。



 ───この子と話していると、まるで女たらしの大人の男と話しているような感覚に陥る。

 会ったときより心をこの子に許していると、自分でも分かる。

 魔術師、か。

 遅まきながら、危険ではないだろうかと思い始めた。

 名前を自分から教えておいてなんだが、なるべく関わらない方がいいのかもしれない。預かり先を見つけたらさっさと縁を切ろう。

 もしかしたら、心を許させる魔術とか使ってるのかもしれないし───。


 私に好きな人がいるといった瞬間以外崩されない笑顔。今もそれは浮かべられている。

 この子、目的はなに? 七年前、私とどういう繋がりがあった?

 当時の記憶を忙しさを理由に忘れてしまった私は、この子と会ったことがあるという言葉を全否定できない。

 でも、本当に会ったことが……あるのか?


 じっと見つめる私の視線に笑顔で応じるこの人物は、いったい何?


「……さて、エドモンド君。自己紹介の直後でこれを言うのも気まずいけど、言わせてもらうね」

「はい、どうぞ」

「君はどうしても私を傍に置きたいみたいだけど、さっき言った通り、私には好きな人がいるの。それに、他人について行くことはできない。だから、諦めて」


 前回よりはっきりとした口調で、きっぱり拒絶する。

 これに対して、どう出るのか……。

 大人しく引き下がる?

 それとも、無理矢理私を拐う?

 魔術で実力行使する?


 結果は───


「……僕が、何を言おうと、何をしようと、あなたは───アイリス様は、僕を振り向いてくださらないのですよね?」


 これは、諦め?

 よし、拒否し続ければいけるかも……。


「そりゃ、出会って一日で口説かれても……。それに君、私と結婚できる年齢じゃないでしょ?」

「えっ?」

「えっ?」


 うんん? この子、賢い……よね?

 一定の年齢に達していないのと結婚できないのは、世間一般の常識だ。知っていないとおかしい。


「あ、あの、年齢差のことでしたら、その……」


 何を説得しようとし始めたのか、エドモンドはしどろもどろで必死に口を動かす。


 ───しかし、その言葉を最後まで聞くことはできなかった。

 何故って?

 そりゃあ、部屋の床全体に大きな魔法陣が現れてぺかーっと光っているのを見れば、誰だって驚愕で動きを止めるだろう。


 一瞬、魔法陣はエドモンドが作り出したのかと疑った。

 しかしエドモンドも驚きに目を見開いているので、その疑いは解消。

 エドモンドは『チッ!』と大きく舌打ちをし、私を抱き寄せた。


「アイリス様、僕に掴まってください! ───あんにゃろ、どういうつもりだ……!」


 舌打ちといい後半の台詞といい、余裕がなくなるとこの人物は口調が荒くなるらしい。

 言われた通りにするのは癪だが、今は言う通りにした方がいいだろう。私よりエドモンドの方が魔術に詳しいのだから。


「エドモンド、これは……!」

「転移魔法陣です! すみません、これの使い手は───」


 使い手が何なのか。

 それを知ろうとした瞬間、魔法陣の輝きが最大になり、私達は───










 ────消えた。








※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※










 ───見知らぬ天井。微かに聞こえる言い争いの声。

 上体を起こしてみる。異常は……ない。

 いつも通りだ。


 さて……まずは現状の確認だな。

 周りを見渡すと、質素ながらも優美な雰囲気を漂わせる家具や装飾品の数々。

 私自身は、控えめだがフリルのついたネグリジェのような格好。

 ふむふむ。知らない場所でいい待遇を受けているようだ。


 いやいやいや、いったい何が起きたというのか?


 状況を整理しよう。

 最後に見たのは、部屋の床全体に現れた魔法陣。

 最後に聞いたのは、エドモンドの『転移魔法陣』との言葉。

 ───だったはずだ。


 つまり私は、あの魔法陣によってこんなところに転移された、ということだろう。

 では、一緒にいたエドモンドはどこにいるのだろうか。

 私と同じ場所に転移された可能性が高い。なのでここにいるはずだ。

 よし、探そう。今は彼を頼りにする他ないのだ。情けないことに。


 それはそうと、目覚めた当初から聞こえる言い争いの声は何なのだろう。

 声は、この広い部屋の二つあるドアのうちの一つから漏れているらしく、そちらに近寄ってみる。

 そのドアは微かに開いており、隙間に耳を寄せれば声はより鮮明に聞こえた。


「───だから! 何度も言っているだろう! 彼女は私の婚約者ではない!」

「そんなこと言ってー。騙されませんよー、俺ぁ。だって先輩の目、明らかに『この人が好きです』って言ってますもーん」

「好きと婚約者では話が違う! 彼女には想い慕う相手がいるのだ! それを、こんな───っ。誘拐同然ではないか、こんなの!」

「えー、そうなんですかー? 好きなんだー。わーい、先輩の好きな人だー」

「ッ……クリストファー!!」

「おぉ、こわ。巷で天才呼ばわりされてた俺でも怖いっすよー。エドモンド先輩?」


 ……エドモンド?

 幼い声で尊大な口調の誰かと間延びした声の誰かが言い争っていると思ったら、片方はエドモンドだったのか。

 いったい全体、何について言い争っているのだか。でも、まぁ、十中八九私のことだろうな、とは思った。

 エドモンドの好きな人、誘拐同然、という単語は、私のことだと思わせるのに充分な効力を持っていた。


「……あの」


 この場を収める───というかエドモンドなら、私を見れば少しは落ち着いてくれないだろうか、と思いドアを開けた。

 ……エドモンドが私を好きだというのは信じがたいし、でもそれを信じようとしている自分が自意識過剰なのではないと、私は思いたい。


 案の定、エドモンドは私を見ると怒らせていた肩を下ろし、しかめられていた顔を無理矢理笑みに変えた。


「アイリス様、お加減はいかがですか? この馬鹿が無茶なことをしたせいで、とんだ迷惑を……」

「ん、大丈夫。だから顔を上げて」


 今にも土下座しそうなエドモンドを止め、私は彼の傍らにいる男を見た。

 十六、七だろうか。ボサッとした髪とだらしない服装から、面倒臭がりな性格だろうなと検討をつける。

 彼はへにゃっと笑い、


「どーも、お姉さん。お姉さんって先輩の何ぐふぉっ!?」

「申し訳ありませんアイリス様。後でしっかり躾け直しておきますので」

「先輩! これは酷い! 鳩尾は酷すぎる!」

「それなら避けられるくらいの瞬発力と反撃できるくらいの技術を身に付けろ」

 

 涙目で叫ぶ少年にも、エドモンドは冷徹だ。


「ある程度身に付けたって、先輩に敵う気がしないので却下!」

「ハッ。では一生鳩尾に攻撃を受けていろ」

「先輩以外に俺に鳩尾攻撃してくる奴いねーっす!」


 そんな二人の漫才みたいなやり取りは、知らない場所で固まっていた私の緊張をほぐすのにちょうどよかった。

 くすっと漏らした笑い声に、エドモンドが硬直し、そしてどこか熱っぽい瞳で私を見つめながら私の右手を取った。


「へ」

「あぁ、やはり、なんて可愛らしいのでしょう。あなたが微笑むと世界が浄化されるかのようです」

「ごめん、それはない」

「少なくとも僕の心は浄化されます」

「……そうなの?」

「えぇ、勿論。愛する人が幸せそうにしているのを見れば、誰だって胸が暖かくなる。あなたにも好きな人がいるなら、分かるでしょう?」


 好きな人はあれ以来会ったことがないし、笑った姿も見たことがない。

 つい黙り込んでしまったが、エドモンドが『クリストファー』と呼んだ男が彼に呼びかけたため、彼は私の様子を不思議に思うことはなかった。


「先輩ー。そういえば人が来てたんで、客間に通しといたんですけどー」

「なに……! そういうことは早く言え! ……アイリス様、どうぞごゆるりと」


 最後に優雅に一礼し、エドモンドは慌ただしく部屋を出ていった。


 後に残ったのは私とクリストファーのみ。

 彼は、先程と違う危険な表情で、笑った。

 肉食動物が獲物を見つけたみたいな笑顔だった。


「じゃあ、話をしようか。お姉さん?」











「俺ぁ先輩とそこそこ長い付き合いだけど、先輩がどんな相手にも靡かなかったのを知ってる。その場しのぎに『婚約者がいる』ってのは聞いたことあるけど、嘘だと分かっていた。先輩は一生独身を貫くんだろうなって思ってたよ。なのに……」


 じろり、と、彼は私を小さく睨み付けた。


「あんたは現れた。あんた、どうやって先輩を篭絡した?」


 現れたってのは、ちょっと語弊があるんじゃないかと思う。ここに連れてきたのは、話の流れからしてクリストファーなのだから。

 あと、篭絡もなにも。


「私だって不思議に思ってる。道端ですれ違い様にプロポーズされて、『七年前に会ったことがある』なんて言われたから。七年前に会っただけで私だって分かることに驚いたし、私には彼に会った記憶がないから戸惑ってるよ」

「は……? 七年前……?」


 事実を口にすると、クリストファーはきょとんとした後、爆笑し始めた。


「アッハハハハハハハ! 七年前!? 先輩は七年前にお姉さんに惚れたって!? うわぁ一途! 先輩ロリコン!!」

「ロリコン……?」

「え? あ、そっか! お姉さん、アレは先輩の本当の姿じゃないよ! 今ちょっと呪いで若返ってるだけ!」

「え? えぇ……?」

「本当はもう三十路いってるから! 先輩ったらあの姿に慣れてきちゃって説明すんの忘れたんだな、あー可笑しい!」


 三十路。三十代? 呪いで若返ってるだけ?

 説明するのを忘れるほど、慣れますか?

 あ、じゃあ七年前に会ったっていうのも信憑性を持てるようになったか。当時の彼は二十代だったのだろうから。

 目の前の彼が嘘をついているのでなければ、エドモンドは今まで本当のことを言っていた可能性が高い。


「でも、どっちにしろ、断るけどなぁ……」


 私にだって好きな人はいるのだ。

 自分に正直で、しかし不器用な優しさを持つあの人が。

 あの時から抱いている淡い恋心は、少しも翳らずに七年を過ごした。

 たぶん、一生翳らないのではと思う。何より、私はそう願う。


「お姉さん、今、好きな男のこと考えてるでしょー」


 クリストファーにニヤニヤと笑われながらそう言われ、思わず目を瞬いた。

 何故分かったのかと、眉を寄せながらクリストファーの顔を見つめた。

 彼は私の視線から守るように身体を腕で抱き込む仕草をしながら、ニヤニヤした笑みだけは引っ込めない。


「あんま見つめられると、俺が先輩に殺されるからやめてよー、もー。あのさー、さっきのお姉さん、ほっぺが赤くなってたぜー? ほんのちょこっとだけど」

「……」

「それに、微妙に笑ってた。いやー、胸焼けがするよー。恋する乙女っぽい」


 そうか……。私のこの気持ちは、他人から見ても『恋』と言えるのか。

 私は本当に、あの人のことを『好き』だと思っているんだな……。


「ねえねえ、それってどういう人なの? 会ってみたいと思わないの?」

「何も手掛かりなんてないもの」

「えー。なんかないの? 体の特徴とかで何かさー」


 体の特徴……?

 そういえば、あの傷跡は残っているかもしれない。


「左腕に、大きな傷があるはず。剣で裂かれた傷跡が」

「腕に?」


 そう……私をかばったときに出来た傷が、もしかしたら。

 忘れるはずもない。あれがきっかけで私はあの人を知ることになった。あの傷が生まれなければ、恐らくここまで胸に残る人にはならなかっただろう。


「ふうん」


 面白そうに頷くクリストファーの瞳は、何かを企むようにキラキラと輝いて見えた。











※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※













 客人の応対をして戻ってきたエドモンドは、クリストファーに紅茶を入れさせ、私をソファに座らせ、自身はその正面のソファに座った。


「さて、アイリス様」

「はい。何でしょう」

「……な、何故敬語なのですか!?」


 だって、本当は歳上らしいから。

 私よりいくつ上なのだろうか。今の外見だと全く分からない。


 絶望に染まったエドモンドの顔は見ているこちらまで悲しませるのだが……美形って怖い。

 美形が悲しむだけでこれほどつらくなるとは、思ってもいなかった。


「……クリストファーから聞きましたけど、エドモンドさんは本当は歳上らしいので」

「え、あ、としうえ、クリストファー……エドモンド、さん……? ぼくのこと、さん付け……そんな………」


 敬語とさん付けでここまで悲しむだろうか、普通?

 困ってしまってクリストファーに目をやれば、彼も驚いたように目を見開いていた。

 どうやら、そこそこ長い付き合いの彼でもこの状態を見るのは初めてらしい。


「あ、アイリスさま、どうか、……いえ、でもこうしてないと未練が……」


 何かを懇願しようとして止めるエドモンドが気の毒に思えてくる。

 それほど、彼の狼狽っぷりは凄まじいものだった。


 しばらくブツブツと何かを呟き、エドモンドは急に私の足元で土下座した。

 呆気に取られる私やクリストファーをよそに、謝罪し始める。


「まことに申し訳ありません、アイリス様。僕のせいで誘拐同然のことをしてしまい、大変迷惑なことでしょう。それに僕は今謹慎中で、あなたをあの町にお送りすることができないのです。最低でも一ヶ月はここに留まってもらわなければなりません。あなたにはあなたの生活があるのに、僕は……僕は……!」

「待って、そんな一気に言われても、ちょっと」


 手で言葉を制して、言われたことを整理する。


「……つまり、一ヶ月は帰れないってこと?」

「その通りです……」


 一ヶ月か……。仕事に行けなくなるのが気がかりだけど、問題にはされないだろうから、大丈夫か。

 心配してくれそうな友人も、一ヶ月程度なら黙っているだろう。……たぶん。


「……うん、大丈夫です。一ヶ月くらいなら」


 おずおずと顔を上げたエドモンドは、情けないほど申し訳なさそうだった。

 ここで彼をフォローする言葉が思い付かない私も私だな、なんて思う。


「……寛大なご判断、感謝致します。アイリス様。僕の謹慎が解けるまで、我が屋敷で客人として持て成しをさせていただきます」


 再び頭を垂れて土下座したエドモンドは、土下座しているにも関わらず優雅に見えた。

 ───そして、ちょっとだけだが、エドモンドの後ろに立つクリストファーが悪い笑みを浮かべているのが気になった。




 こうして、一ヶ月だけ日常から外れて魔術師の世話になることになった。












 その日の夜


「ねーせんぱーい。七年前あのお姉さんに惚れたってほんとー?」

「だから何だ」

「うわ、ほんとなんだ」


 心底楽しそうな笑みを浮かべる弟子の憎たらしいことよ。


「それって、()()内戦の時の?」

「……聞いてどうする」


 できる限り鬱陶しそうに振舞っているのだが、なかなかどうして愉快そうだ。

 普段スパルタな師匠の弱みを見つけたのがそんなに嬉しいのか。


「いやー、あの内戦の後から先輩が丸くなったって聞いてたから、なんでだろーって不思議に思ってたんですよねー。まさかの女だったのが驚きで」


 てへへ、と首を傾げポーズを取る弟子に蔑みの視線を与え、腕を組む。

 仕方ないだろう。あの時、仕事で助けたあの少女に、むしろ自分のほうが支えられてしまったのだ。救われてしまったのだ。


「お姉さんは先輩のこと覚えてないんスかー?」

「……顔も名前も教えなかったからな」

「そりゃあ駄目っスね」


 どちらかくらい教えておけばよかったなどと、何度後悔したか分からない。だがあの頃はまだ自分に地位がなく、繋がりがあると知られれば危険だったかもしれない。

 だからこれでよかったのだ―――。


 無理に自分を納得させる、ただの言い訳だ。

 だがこうでもしないといつまで経ってもぐるぐると悩み続けてしまう。『だから、これでよかったのだ』。

 なのにすぐそばに彼女がいると思うと、後悔の念が堪えない。すべて白状してしまえば思い出してもらえるかもしれないが、そんな、傷をえぐるような真似はしたくない。

 自分にとっては人生の転機となったあの内戦は、彼女にとっては忌々しいトラウマに過ぎないだろうから。

 初めて会った時に彼女をかばって出来た傷が、じくじくと痛むような錯覚を覚える。もう完治しているというのに。本当に痛みを抱えているのは自分ではなく彼女だというのに。


「とにかく、内戦のことは話題に出すなよ。お前は研究に集中しろ」

「はーい。先輩もね」

「余計な世話だ」


 分かっている。そんなこと、言われなくとも。

 そもそも自分に、幸せになる価値などないのだから。


 忘れるな。お前は、『   』だということを。


「―――忘れないさ」


 魔術師の視線の先には、愛しい少女が眠る部屋があった。


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