008 動物博士
さてさて、シガは鼻を鳴らすのをやめて耳に手を当てて辺りの音を聞き始めた。シガの耳はネコミミやイヌミミのような動物耳ではなく人間の耳だ。
確か牛は結構鼻がよくて何キロも先の匂いも嗅ぐことができるし、耳も人間が聞き分けられない周波数を聞くことが出来るのだそうだ。
……なんで俺にこんな知識があるのだろうか。
俺は普通の高校生のはずなんだが、動物博士だったのか?
とはいえシガは上半身は人間。牛の特性がそのまま残っているものなのだろうか?
「シガ」
俺は疑問をぶつけようとシガに声をかけると、次の言葉をしゃべる前にシガから返答があった。
「はいダゾ。オレたちミノタウロスの索敵能力は高いのダゾ。遠くの匂いも感じるし遠くの音も聞こえるのダゾ」
ミノタウロス!
下半身が牛で上半身は人間のあの有名な魔物か!
でもミノタウロスの顔は牛だったような?
女の子だからかな?
…………。
盛り上がっていた気分が一転、その考えが俺の気分を沈ませた。
首のないミノタウロス達の死体の光景を思い出したからだ。
死体は男のものも女のものもあったのだ。
そんな憂鬱な気分はシガの声でかき消された。
「プローヴェル様、少しルートを変えるのダゾ。
少し先に沢山の人間たちがいるみたいなのダゾ。
そっちじゃない方向からオリ姉の匂がするんダゾ」
そう言うと再び走りだそうとするシガ。
「(シガ、待って!)――シガよ待て」
俺の呼びかけに、シガは足をぶんぶんと振りながらその場で止まり、こちらを振り返った。
なんで行かせてくれないのか、という不満が表情に表れている。
だが俺への忠誠心からか、それを言葉にしたりはしない。
「(事情を教えてくれ。誰に姉さんは連れて行かれたのかとか、無謀に突っ込んで何とかなるものなのかとか)――経緯を申せ。無策で奪還出来る相手か?」
俺の言葉を聞いて、シガははっとした表情を浮かべた。
先ほど事情を話せと伝えていたことを思い出したのか、それとも何も考えずに突っ込んでは姉を助けることが出来ないと気づいたのか、はたまたその両方か。
「申し訳ございませんでしたのダゾ。
城に人間たちが襲ってきて、卑怯な手を使ってオリ姉を捕まえたのダゾ」
説明できた。すごいでしょ、といわんばかりの笑顔を見せるシガ。
残念ながらさっぱり分からない。
分かるのは卑怯な手を使ったことだけだ。何人規模なのか、どんな武器を使っていたのか、そもそも俺たち二人で勝てるのかとか。
俺がシガにどのような言葉をかけるのかと思考をめぐらしていると、シガはまたそわそわし始めた。
尻尾が右に左にと動き出し、ぱしぱしと自分の尻をたたき始めたのだ。
「(いいかいシガ。姉さんは必ず助け出す。そのためには情報が必要だ。相手について分かっていることを教えてくれ)――シガよ。うぬの姉は必ず救い出すことを約束しよう。そのために下衆共について話せ」
シガはまたはっとした表情を浮かべた。
自身が焦っていることに気づいたのだろう。
どうやら思考パターンは直線的だが、きちんと振り返ることも出来る子のようだ。
「申し訳ございませんダゾ。音と匂いから、オリ姉を連れ去っている人間は二人なんダゾ。二人くらいならオレの斧で一発なんダゾ」
と言って右手を上げるシガ。
オレとシガの視線が右手に集まる。
「あああああ、斧が無いんダゾ!?」
いやあ、無いんだぞと言われても……。
うるうると涙目でこちらを見ているが……いったい俺に何を訴えたいのか。
「ま、まあ、何とかなるんダゾ。パンチ一発で人間なんか伸びてしまうんダゾ。たぶん……」
うおおい、最後小さくたぶんって付け足しただろ。
確かに熟練者なら素手でも脅威となるだろうが、この様子だとシガは素手での戦いは素人だな。
まったく……焦る気も分かるが、冷静さを失っては勝利をつかむのは難しい。
その点俺は、いきなり走り出したシガに驚くことも無く剣を拾っておいたのは賞賛に値すると思う。自画自賛だけどな。
「(シガ、これを使うんだ)――シガよ、これを授けよう」
俺は持ってきた剣をシガの目の前に差し出す。
鞘に入った剣ではない。抜き身の剣だ。
よくある騎士の任命式みたいなのでは、跪く騎士の肩に剣を当てているようだけど、刃をシガに向けるのは憚られたので、受け取りやすいように柄を彼女に向けた。
俺の手はというと刃を持っているわけだが、もちろん掴んだら切れてしまうので、指で摘むようにして持っている。
指がぷるぷるする。
「あ、ありがとうございますなんダゾ!
魔王様から武具を賜るなんて光栄なんダゾ。家宝にするんダゾ!」
剣を受け取ったシガは飛び跳ねて喜んでいるが……さっき拾った、それもシガの体に刺さってたやつだからな?
まあ、これだけ喜んでくれるのなら細かいことはいいか。
運んできた甲斐があるというものだ。
「さあプローヴェル様、この宝剣の力でオリ姉を助けるんダゾ! お任せくださいなんダゾ!」
あぁぁぁぁぁ、待ってぇぇぇぇぇ!
再び走り出したシガに俺は必死で着いて行った。
次回、オリ姉救出なるか!
明日もお楽しみに!