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前編

 何時の頃からか、ピースレイヤーの街は霧に包まれていた。

 視界が塞がれると言う程の濃いものでは無かったが、それでも、薄っすらと視界が霞む感覚を、どの住民も感じている。

 霧は下へ下へと溜まる性質があるせいか、街の下層部の方がより濃く、上層部はまだ晴れやかだった。

 これも何時からかであったが、その霧の濃さこそが、街における、それぞれの階級の住み分け区分となってもいた。

 上層部、霧が晴れた環境には、そのまま街の支配者階級と上流階級が住まい、中層部においては、労働者階級が支配者達から与えられる仕事を、時には自分の体を追い詰めながらも行い続けている。

 では、下層部はどうか。街の吹き溜まりと呼ばれているこの区画は、まともな労働者にすら成れぬ人間達が、秩序も無く放置され、明日をも知れぬ命を、ただ無駄に消費している。そういう部分は確かにあった。

 だが、そういう人間の行き着く先でありながらも、場所に寄っては賑わいを感じる場所もある。

 時々は歓声も上がる。多くの人間が叫び、嬌声と悲鳴を綯交ぜにしたそれらは、街の下層部を揺らしていた。

 一体何がそこにあるのか。それを知らぬ街の人間はいない。誰しもが、その場所で、鉄と鉄がぶつかり合う音を聞いているのだ。

 そこは鉄の巨人が、互いを傷つけあうコロッセウム。下層民達はそこで、今も命を張り合っていた。




 体のすべてを吹き飛ばしそうな程の振動がレイルを揺らす。

 頭部はその振動に悲鳴を上げながら、今すぐにも意識も飛ばせ、その方が楽になると訴えかけて来たが、歯を食いしばりながらそれに耐える。

 体が吹き飛ばされそうなどと言うのは錯覚である事を知っているからだ。

 吹き飛ばされる訳が無い。レイルの周囲には鉄とパイプと、光を放つ硝子に映し出された外の景色があり、それらがすべてぶち壊される前に、レイルの体が吹っ飛ぶ事はあり得なかった。

(だが、体がどうにかなってしまう事は……あるな)

 あちこち痛む自身の体を思い、レイルは苦笑した。

 レイル・ハリュームを包むこの鉄とパイプの空間は、まるで棺桶だ。事実の棺桶ならば、こうやって激しい揺れに体が打ち付けられる事も無いが、そこは実際の棺桶とは違う。

 さらに言えば、正面の光硝子が映し出す、丁度棺桶の前方の景色には、鉄で作り上げられた巨人が腕を振り上げていた。

「ぐぅっ……!」

 出そうになった悲鳴を、再び歯を食いしばって耐えた。光硝子に映る鉄巨人に、自分がいる棺桶を殴りつけられたのである。

 巨人は、普通の人間の4、5倍はありそうな大きさで、2、3発程こちらを殴り続けていた。

 そんな巨人の攻撃に、レイルの方は音を上げそうになるものの、レイルがいる場所はそうでも無かった。

(良く……耐えてはくれているか)

 それもそのはず。この鉄の棺桶みたいな場所は、今、こちらを殴りつけている鉄巨人と同じ物なのだ。

 鉄巨人の胸部には、こんな空間が存在しており、そこに人が乗り込む。そうして、そこで鉄巨人の四肢を操作する。それが出来る。

 勿論、レイルもまた、自らが乗った鉄巨人を操る事が出来る。

 その名をアイアンブレイド。鉄の剣などと、そのままの名が付けられた鉄巨人の手には、文字通り、鉄の剣が握られていた。

 それほど鋭くは無い。柄も鍔も刃先も、これと言った装飾がされても居ない。どちらかと言えば、長い鉄塊と言っても良いその大きな鉄剣を、レイルは鉄巨人を通して振るう。

「殴り合いなら、こっちが有利なんだよ!」

 アイアンブレイドが、その鉄剣を目の前の鉄巨人へ叩き付けた。あちらの拳よりも何倍もある威力……だと思う。

 確かあちらの鉄巨人の名前はビックパンチャーなどと言う名前だったか。

 それに乗っている人間の方については良く憶えていないが、巨人の腕は確かにレイルの鉄巨人よりも太く大きい。

 そんな腕以上の威力を、レイルの鉄巨人は発揮できる性能を持っていた。

『てめぇ! このっ……レイルゥ!』

 鉄巨人内部の棺桶……操縦席とも呼べるこの空間に、レイル以外の声が響いた。軽薄そうな、軽薄な人間らしい、軽薄な男の声。

 目の前の鉄巨人。その内部にいる男の声らしかった。

「殴られたくらいで、いちいち話しかけてくるな」

 お互いが戦うひたすらに広いコロッセウムの真ん中で、転がる鉄巨人を見下ろしながら、レイルは聞こえて来た声に言葉を返した。

 鉄巨人の内部には、専用の機器が存在し、同じ機器を通して外部との会話が出来る。それはつまり、相手の鉄巨人の中にいる人間とも会話が出来ると言う事。

 お互い、殴り合っている最中であってもだ。

『ざけんなよ。最近調子に乗ってるみたいだが、てめえみたいな奴が勝ち残れる程、この戦いは―――

「黙ってろ」

 実際に黙らせてやろうと、転がった相手の鉄巨人目掛けて、鉄剣をもう一度振り落とす。

『がぁっ! てめぇ! この(あま)ぁ!』

「だから……黙ってろ!」

 黙るまでもう一度と、再度鉄剣を叩き付けた。さすがに三度目をする必要は無く、相手の声は聞こえなくなり、さらには鉄巨人も動かなくなった。

 その様子を見て、レイルは溜め息に似た深呼吸を一度した。

「まったく……女だから何になるんだ? こんな場所で?」




 鉄巨人と呼ばれるそれは、ピースレイヤーの街の中でのみ動く、おかしな玩具だ。

 正確には、街に立ち込める霧の中でのみ動かせる。

 どうやらその霧を動力源にしているらしいそれは、街の下層部でしか満足に動けない、玩具であったとしても、無用の長物に成りかねない大きな邪魔者であった。

 それを、稼ぎに出来る玩具にしたのは何者だったのか。詳しく知る人間は殆どいないであろうが、それでも、鉄巨人そのものは、ピースレイヤーの街において確固たる存在として認知され続けている。

 鉄巨人同士を戦わせ、興行とするそのイベント。労働者達はその日に稼いだ給金を互いに賭け合い、明日への希望と絶望を買う。上流階級は鉄巨人の戦う様と、観客達の熱狂を酒の肴として笑い合う。

 そうして、街の下層民は鉄巨人に乗り戦い合う。そんな構造が、この街の根幹の一つとして、確かに存在しているのだ。

「碌な街じゃあない。さっさとこんな街、出て行ければどんなに良いか」

「そうは言うがね、レイル。身分も金も無い人間にとっちゃあ、ここ程上等な場所は無いもんだぞ?」

 棚に並ぶ鉄の塊を眺めながら愚痴るレイル。そんな彼女に話し掛けて来るのは、ロキッド・パスパルというほぼ老人に差し掛かった中年の男だ。

 白髪の薄い髪と、代わりにしっかり蓄えた白い口髭が特徴の男。一応、鉄巨人の部品を扱う店の店主でもある。

 現在、レイルは彼の店へとやってきていたのだ。

 鉄巨人同士の戦い。街の人間はガントレットなどと呼ぶその興行において、レイルは選手としての戦いが終わった後、何時もこの店へと足を運んでいる。

 別に、この場所が好きなわけでは無い。只々、日課になっているのだ。

「だから金を稼いでるんだ。まとまった金さえあれば……どこでだって生きられるだろ」

「かもな。だが、そう言うのなら、鉄巨人なんかに乗るより、お前さんならもうちょい稼ぎが良くって安全な仕事があるだろ?」

「そういう仕事をしたくないから、こんな場所からさっさと出たいんだ。分かってるだろ」

 ロキッドの言葉にいちいち苛立つ事は無いものの、ふと、店の中に置いてあった、鏡らしきものを見たくはなる。

 それもまた、鉄巨人用の部品だ。操縦席内部で、前方を見ながら後ろを確認するためのミラーなのだろうが、今、そこにはレイル自身が映っていた。

 やや伸びた黒髪を雑に後ろでまとめ、不機嫌そうは表情を浮かべた、それでも女の姿。身体だって見れば、女らしさをまったく隠せていない。

 別に隠すつもり何て無いのだが、それでも下卑た視線にはうんざりしてくる。

 もう少しまともな場所なら、そういう視線からは逃れられるだろうかと考えたのも、レイルがガントレットに参加した理由でもある。

「だがね、レイル。生きてこその物種だって言葉もある。最近のお前さん、試合の頻度が多くなってきてるだろ。そりゃあ、鉄巨人の修理代なんかを差っ引いたところで、儲かってはいるんだろうが……」

「心配してくれるのは有難いが、その代わりに商品を安くしてくれるって訳でも無いんだろ。なら、大きなお世話だ」

「ん……そう言われちゃあ……仕様が無くはあるがね?」

 ロキッドは人の良い男だ。だが、比較的にと言った程度で、情と利はしっかり分けて考える男でもある。こちらを心配しこそすれ、それ以上の事はしてこない。

 だからこそ付き合いは良い方であった。

「最近、金払いが悪くなってるのはあんたも知ってるだろ? 金を稼ぐにしたところで、数をこなさなくちゃならなくなった」

「ふん? 最近はガントレットもマンネリ化してきてるって声もあるな、そう言えば。選手にとっちゃあ死活問題か」

「本当にな」

 焦りが生まれていた。ロキッドの言う通り、ガントレットの試合を短期間の内に何度もすると言うのは、体の寿命をそのまま縮めてしまう程にハードな事なのだ。

 だが、そうしなければ食べて行く事も出来なくなったとしたら……。

(冗談じゃあない。街を出て行くどころじゃなくなる)

 だが、レイルにはどうしようも無い事だった。

 碌な生まれじゃなく、碌な人生を送って来なかったレイルだったが、出来れば、これまで通りに稼げる未来と言うのを祈りたい。

 祈る対象の神様なんて、居ない事は良く良く理解していたものの。

「っと、いらっしゃい。何で……何の様だ? 坊主?」

 ロキッドが客用の口調(レイルに対しては、常連客用の口調だ)で、店へと入って来た相手に応対しようと立ち上がっていたが、すぐに彼は目線を下に降ろしていた。

 変わる口調も客相手では無く、ガラの悪い大人に近いそれ。

(それも仕方なくはあるか。冷やかしみたいな子どもが店に来たらな)

 レイルが店の出入口を見れば、子どもが一人そこに立っていたのだ。

 年齢は14、5くらいだろうか。小柄で、だぼだぼのローブみたいなもの着た男子。

 肩に掛からない程度にしっかり整えられた亜麻色の髪は、浮浪児で無い事くらいは彼の身分を証明していた。

「え? いや、ここ、鉄巨人関係のお店……ですよね?」

 店主から邪見に扱われそうな雰囲気に、この少年は戸惑っているらしかった。

 そんな彼の姿を見て、レイルは助け船を出す事にする。

「ロキッドさん。この店の客層からは離れてるかもだが、この子、それでもこの店の客じゃないか?」

「あん? そうなのか? 坊主」

「え、ええ。一応、そのつもりなんですけど」

 やはりかと思う。

 ロキッドは恐らく、こんな少年が、総じて荒っぽい世界である鉄巨人同士の戦いに、関わっているはずが無いと思っているのだ。

 だからこそ冷やかしと考えたのだろうが、レイルはちらりと見えた少年の手を見て、そうでも無さそうだと判断していた。

(見た事無いが……あれで鉄巨人の乗り手らしいな)

 店に入って来た少年は、レイルと良く似た手をしていた。大きさも、指の伸び具合だって違うものの、ある似た部分があったのだ。

 鉄巨人の操縦桿を握る人間の手の、癖の様な物。操縦桿を握り続けて出来る、手のひらの硬さが、見るだけでも分かる。

「ああ、いや……あー……そうだったら良いのさ。いやいや、すまんね。何か入り用かい? 最近じゃあ、光硝子と硝子眼を繋ぐ良い導線が入ってるんだけどねぇ」

 途端に接客用の態度へと変わるロキッド。その変わり様に、少年は増々戸惑っている様子だが、それでも気は取り直したらしい。

「その、鉄巨人の部品が欲しいんですよ。霧エンジンから四肢にかけての動力パイプと、推進力変換器を二等品で」

「二等品だぁ? そんな上等なの、この店には無いぞ」

 店主ではなく、レイルが声を上げた。

 少年の言葉が面白かったので、つい話し掛けてしまったのだ。

 どこが面白かったかと言えば、少年が言葉にした部品の種類……では無い。小難しい言葉が並んでいるが、だいたいが鉄巨人の構成パーツだと思えば良い。

 それらをこの店で注文するのは、むしろ自然な事であろう。

 面白い部分は、その後に続いた二等品という言葉だ。

「おい、レイル。うちの店だって、無いとは限らないだろ」

「へえ、じゃああるのか? 四等品までなら格安で仕入れますなんてうたってる店に、二等品の部品が」

 この二等品やら四等品と言うのは、鉄巨人の部品の格みたいなものだ。

 最低が六等品であり、ジャンクに近い部品である事を示している。そこから数字が上がる毎に上等な物になって行き、だいたい四等品からガントレットの試合に耐えられる程度の物になって来る。

 そんな中で二等品と言えば、ガントレット用の鉄巨人に使われるパーツとしては最上級品である。

 ちなみにロキッドの店は、品揃え自体は良いが質は問わないという方向性の店で、あって三等品までの部品しか置かれていない。

「そりゃあ……取って置きのが……いや、あれも確か三等品か。悪いね、坊ちゃん。客ではあろうし、頼むってこったぁ金も用意してるんだろうが、もう少しマシな店に行ってくれや」

 鉄巨人自体、主だった使われ方が興行用であるため、早々に良い部品など生産はされないし、売りにも出されない。

 もっとも上等な一等品なんて、幻などと言われている。

「だいたい、そんな上等な物がどうして必要なんだ? 見ない顔だし、ガントレットの選手でもないだろう?」

 初対面の相手にここまで聞く必要なんて無いのだが、話し掛けた手前、レイルは話を続けてみた。

「いえ、ちょっと前までは作業用の鉄巨人を動かしてはいたんですが……」

「作業用なら、それこそジャンクでも良いよな。ああいうのは、とりあえず動けば良い」

 ガントレット以外でも、鉄巨人を使う事はある。一応、霧の濃い下層部であれば、人間よりかは力が強いので、荷物の運搬や廃材の解体などが出来るのだ。

 あくまで街の下層部限定で、その下層部にゴミなり何なりが集まる原因にもなっているが。

「そういう話でも無くて……ええっと、ガントレット、僕も始めたいかなーっと」

「悪いが止めておけ。向いてる仕事には見えないぞ」

「そう……ですよね」

 酷な事を言ったと思うし、目の前の少年は露骨に肩を落としているが、それでも親切で言っている。

 ガントレットは命を賭けた仕事であるし、そうで無くとも寿命を擦り減らす過酷な戦いだ。それ以外に食っていける仕事があるのならば、それで生きた方が良い。

「お前さんがそういうかね? 坊ちゃん、俺ぁそんな事言わねえよ。ガントレットに参加して一発稼ごうってんだろう? 夢があるじゃねえか」

「あんたがそれを言うか……」

 レイルとロキッド、二人して天に唾を吐く事を言っているので馬鹿らしくなってくる。目の前の少年もそれを感じ取ってか、さらに肩を落として店を出て行こうとしていた。

「坊ちゃん、二等品の部品ってのは、ここらの店じゃあ置いてねえよ。何だったら中層にでも行きな。まだマシなもんがあると思うぜ。値段は張るがな」

 客を雑に扱った形になるため、罪悪感が湧いたのであろう。ロキッドは立ち去る少年に助言をした。

 そんなロキッドに対して、少年は辞儀をしたが、そのまま何も言わずに店を出て行った。

「客商売として、今のはいけないだろ」

「だいたいはお前さんの責任だろう? あれは」

 その話に関してもどっちもどっちだ。そうして、罪悪感を憶えたのはロキッドだけでも無かった。




 少年、アルハ・ラミドは今日何度目かの溜め息を吐いた。最近はこんな溜め息ばかりを吐いている気がする。

 問題を解決するまでは、こんな状況がずっと続くであろう。

「中層に行くって言ってもなぁ……」

 先ほどの店で助言された事を思い出し、道の真ん中で天を見上げる。

 天には何時だって霞が掛かっており、その向こうにある空を映してくれない。

 真上を見る事を止めて、少し視線をズラせば、歪な建物が幾つも天を目指す様に高く聳え立っていた。

 あの建物がこの街と中層と上層だ。この見るからにうんざりとする霧の空の下、それでも少しでも霧が薄い場所へ逃れようとする無様な努力の在り方。

(そんな場所に行けない我が身を思えば、冗談にもならないんだけどさ)

 中層部へ行けばまだマシな鉄巨人の部品を買える? そんな事はアルハとて十分に理解していた。

 けれど、それが出来ない理由と言うものがある。

(誰かに言える話でも無いから―――

「お、まだ居たな。良かった」

 ビクリと肩が震えた。迂闊な事を言ったつもりは無いのだが、考えているだけの時でも、誰かに話し掛けられレバ警戒するものだ。

 声に振り返ってみれば、先ほどの店に居た女が一人。

「え、えっと?」

「何だ? 怖がってるのか? 安心しろ、見ての通りの女だ。襲って食ったりはしないよ」

 本当だろうか? 怖い女は男を取って食うなどと言う話を父親から聞いた憶えがある。

「何か用です? 僕、これからまた鉄巨人の部品探しを続けなきゃなんですけど」

「そう邪見にするなって。こっちは謝りに来たんだよ。さっきはごめんな」

「いや、そんな、頭まで下げなくても。そこまで気にしてませんって。溜め息を吐いて空を見上げてたくらいで……」

「けっこう、ダメージ与えてたらしいな。なおさら申し訳ない」

 気落ちしていたのは確かだ。人生なんて何時だってつまずくばかりで、しっかり歩けた試しが無いと思い始めたところで話し掛けられたのだから、気分が暗くなる前に止めて貰って良かったと思うべきか。

「えっと、もしかして謝るためだけに来たんですか?」

「そうだよ。悪いか? 気分が悪いままだと、安眠できない性質なんだ。私はな」

 悪くは無いが、態度の悪い謝罪もあったものである。いや、つまり悪いのか。

(けど、こういう場所で、こういう性格の人って言うのは貴重……なのかな?)

 大半の人間が、他人を怒鳴り付けるか怯えた目で見るかのどちらかに区分けされるピースレイヤーの下層部。

 目の前の女性みたいな人間は、間違いなく少数派だ。

「ちょっと話して、勝手にこちらが気落ちしただけですから、言葉で謝って貰えればそれだけで十分ですけど……あ、良ければ、僕が探している物に心当たりが無いか―――

「悪いがそっちは無い。だいたい、下層部で二等品のパーツなんて転がり込んでくれば、目敏い奴が懐に仕舞い込んじまうよ」

「ですよねぇ……分かってはいるんです。これまでも散々に探して来たんですけど、どこの店にも売ってないというか」

 先ほどの店で言われた事など、もう既に何度も聞かされている。誰だって分かる話題だ。だと言うのなら、何故にいちいち教えて来るのかと愚痴りたくはなる。

「本当を言えば、心当たりが無いわけじゃあ無いが……」

「え!? ほ、本当ですか!?」

「あ、いや、違うからな。やっぱり心当たりじゃない。アテにするな。考えただけで大きな間違いだった。だいたい、そんなもんに頼るくらいなら、さっきの店長が言った様に、中層部にでも行けば」

「それが出来ないからこうやって困ってるんで……しまった」

 要らない事まで言ってしまったと口を手で塞ぐものの、目の前の女性には聞かれていたらしい。

 どうにも興味を持ったと言った目でこちらを見て来た。

「中層部に行けないってのか? もしかしてお前、落下人……」

「僕じゃなくて親がそうなんですって。別に上で悪い事したわけじゃあない」

 街の上層部及び中層部において、何がしかのやらかしをした人間は落下人と呼ばれ、そこから追放される事が良くあった。

 何がしか具体的な法が適用されるわけでは無いのだが、ほぼ村八分みたいな状況になって、大半の場合は、二度と上へ上がる事を許されないのだ。

 これの厄介なところは、村八分に似た状況であるのだから、その親類まで巻き込まれるというところだ。

「ふうん。じゃあ坊やは―――

「坊やじゃなくてアルハです。アルハ・ラミド。だいたい、それほど年齢が離れてる様に見えませんが?」

「私は二十一。そっちはまだ十代前半だろ? じゃあ大人と子どもだ。ま、子どもと言っても、色々抱えてるみたいだけどな?」

 やはりさっきのは失言だった。そういう風に詮索されるから嫌なのだ。自由が制限されているというのももっと嫌だが。

「そんな顔をするな。いざとなれば、三等品や四等品の部品使ってガントレットに出れば良いだろ? 最初から二等品で揃えてなんて言うの、あんまり感心しないぞ?」

「だから……理由があるんですよ! そうやって、こっちが浅はかだなんて思わないでください。これでも、今後のガントレットの方針変更だって、きっちり考えて準備をしてるんですから」

「あー、はいはい。悪かった悪かった。確かにこっちも軽口を叩き過ぎ……今、何て? ガントレットの方針変更?」

 きょとんとした表情で、女がこちらを見て来る。話しぶりからして、彼女もガントレット関係者だと思っていたのだが、どうやら知らない事があるらしい。

「だから、チーム制移行に伴う、試験的トーナメント戦でしたっけ? そういうのがあるんでしょう? 鉄巨人だけじゃなく、チームメイトも集めないと、鉄巨人だけあっても試合に出れない」

「は、はぁあああ!?」

 女性というのは、こうも姦しいものなのか。周囲に響きそうな声で、目の前の女は叫び始めていた。




「どういう事だ! どういう事だよこれは!」

「ですから、事前の告知はあちらの掲示板等で行わせていただいてましたが」

 ガントレットが行われるコロッセウムの受付窓口に詰めかけたレイル。顔を掴み掛からんばかりに受付嬢に迫っていたのだが、相手は慣れた様子で受け答えしてくる。

「直接話してくれよ! そういう一大事はさぁ!」

「レイル選手は、何時も試合前後に不機嫌になられるので、そのタイミングがありませんでした」

「ビビる様な肝は無いだろう!? ああくそっ。すぐってわけじゃあ無いが、チーム制になんてなれば、どこかの誰かと組まなきゃならないじゃないかっ」

「それで何かお困りの事が?」

「大いに困るんだよ、こっちは!」

 幾ら文句を言っても暖簾に腕押し。だからこそ焦りも募る。

 聞いた限りにおいては、最近マンネリ化してきたガントレットに新しい流れをと、チーム制が導入される事になったらしい。

 三人一組のチームとなり、先に二勝したチームが勝利となる。単純な構図であるが、今までは、そんな制度すら存在していなかったと言う事だ。

 そこまでは良い。ガントレットが客を集めるための興行である以上、そういう盛り上げる工夫をして貰った方が、選手としては有難い。

 だが、もっとも厄介な事は、レイルにチームを組むべき相手がいないという事であった。

(不味いぞ。これは不味い。これまで通り、ワンマンで戦う試合形式も継続するそうだが、それにしたところで、客は新しい方に飛びつくはずだ)

 当たり前の話として、人気のある試合の方が選手への報酬は良い。一方で、どれだけ死に物狂いで戦ったとしても、落とされる金銭が無ければ、得られる物は存在しないのだ。

 今の段階において、レイルは何としてもチーム制に参加したかった。そちらの方が、確実に試合参加による報酬が高いからだ。

「ああもう、せめて準備の期間さえあれば!」

「ハリュームさん。あまり周囲から良く思われていませんからね」

「明け透けに言うなこの! そりゃあ、こっちを生意気な女として見て来る奴はいるが……」

「そういう相手を邪険に、荒っぽく行動で返してもいましたから、寄りにでしょうか」

「良く見てやがるな……」

 この受付嬢。多くのガラの悪い選手を相手にしているせいか、性格が悪い様子。

「ああそれと、やはり異性がチームに入るとチーム内がギスギスしそうという話も聞いていますね。いっそ、同性同士組んでみては?」

「ガントレットの選手に女が少ないってのは知っての発言だよな?」

「……」

 次は無視してきた。もう相手もしてくれないらしい。このままでは怒鳴り続けたところで、寂しくなる一方ではないか。

「分かった。よーするに、チームメイトを集めてくれば良いんだな?」

「選手の方々の、より一層のご活躍、期待しております」

 深く辞儀をされてしまった。ちなみにこのセリフ、今までも何度も聞いた事がある世辞でしかない。

 レイルは受付から振り返り、コロッセウムを出た。試合に出る予定が無い以上、コロッセウムそのものに居ても意味が無い。

「私だって、伊達にガントレットの選手をしていないっての」

 意味のある場所は、コロッセウムの周辺にこそある。選手用の施設……と言う程でも無い酒場や賭場、ついでに鉄巨人関係の専門店等もあるため、手を組む選手を探すには打って付けの場所であった。




 もっとも、選手が幾ら居たところで、レイルと組みたいと思う人間はいないのであるが。

「昨日までの愛想の悪い時分を殴りつけたくなるな……」

 レイルは下層部の往来を、機嫌の悪い顔をしながら歩いていた。

 どんな状況であろうとも、不安げな顔で肩を落としながらは歩かない。下を向いていると、決して気の合いそうに無い男共に絡まれる事になるからだ。

 もっとも、今はそういう男共を無視してでも気落ちしたい気分ではあった。

 共にチームメイトとしてガントレットに出てくれる選手が、一向に見当たらないからだ。

(数少ない心当たりに頼ろうとしても、そういう奴はどうしてか、既にチームを組んだ後だったりするんだよな)

 その心当たりと言うのが、レイルの様な性格に難のありそうな女性選手であろうとも、気兼ねなく付き合える選手であるのから、そんな人格者は引く手数多なのだろう。

 そういう先に組まれた人間を抜きにして、さらに探そうとしたところで、搾りかすと言えば良いのか、性格か腕のどちらかが致命的か、もしくはその両方が駄目な選手しか残っていなかった。

(ここまで来ると、そんな相手でも……いやいや、駄目だ。そもそも勝てるチームを作らなきゃ本末転倒だろうに)

 勝てなければ報酬だって無い。一応、試合に出ただけでもファイトマネーは貰えるが、勝利者側と比べたら微々たるものだ。

(少なくとも腕が無くっちゃ意味が無い。だが、期間もそれほど残っていないこの時期で、それでも戦える人間なんて、相当に性格の悪い……私みたいな奴しか残ってないか)

 自分もまた余り物である事を認識させられる。

 一応、鉄巨人の操縦には自信がある。それでも誘われていないと言うことは、やはり女で、尚且つ性格が悪いと周囲から思われているのだろう。

「本当に参った。どうしたもんか」

「なら、僕と手を組むって言うのはどうです?」

「あん?」

 聞き覚えがあるものの、誰の物かは分からない声に話し掛けられる。

 振り向いて確認してみれば、やはりそこには、見覚えのあるものの、誰だったかを思い出せない―――

「ああ、思い出した。昨日会った……ええっと」

「アルハ・ラミドです。こっちは名乗ったのに、そちらの名前は聞いていませんでしたよね? おかげで、探すのに苦労しましたよ」

 どうにも昨日出会った少年、アルハは、レイルを探していたらしい。言って昨日出会ったばかりの相手なので、用みたいなものも無いと思うのだが。

「探されてるところ申し訳ないが、私は忙しい」

「今にもどこかの誰かを殴り殺しそうな表情浮かべながら歩き回るのって、そんなに忙しい事なんですか? そこらのチンピラとすごく似た雰囲気でしたが」

「チンピラとは失礼だな」

 そういう輩と同一視されると言うのは、レイルのプライドが許さなかった。だから、間違いは訂正しなければ。

「違うとでも?」

「ガントレットの選手なんてのはチンピラより凶暴だ」

 そこは間違えないで欲しい。腕っぷしに対しても、向こうは生身だが、ごちらは鉄で覆われた、途轍もない拳を振るう事だって出来るのだ。コロッセウム限定ではあるが。

「そう言う意味か……いや、けど、頼もしいちゃあ頼もしいのかな」

 頭を掻きながらも、こちらを見つめる視線はズらさないレイル。こちらに用があるというのは本当らしい。

「性的な話や小難しい話なら聞くより先に殴りつける性質だが、それ以外だったら聞かないでも無いぞ」

「そういう態度だから、今でもガントレットのチームを組めずに居るんですよね? その件について、僕が手を貸せないものかと」

「あーちょっと待て。何だ、私がチームメイトを探していると、何で知ってる」

 この少年について、レイルは警戒心を抱いた。この相手、もしやレイルを何がしかの理由で狙っているのではないか。

「何で知ってるって、昨日、ガントレットがチーム制になる事も知らない様子でしたし、性格も悪そうだなって短い間で分かりましたから、チーム組めて無い人なんだろうって考えただけですけど」

「お前な、そういう失礼な事を正面から言うもんじゃあない」

 と、出した警戒心を引っ込めて置く。

 自分が分かり易い性格をしている事を、レイル自身一応は承知している。

「それで? 一人寂しく不機嫌に街を彷徨う私に、いったい何の手を貸せるって? 良い腕の選手を知ってるとかか?」

「腕は知りませんが、あなたの目の前に、まだチームを組んでいないガントレットの選手がいるじゃないですか。いえ、まだ正式にデビューはしてませんけど」

「そんな事か。悪いが却下だ。つまりそっちは素人って事だろう? そういう相手を選べるのなら、そもそも今、困っていない」

 碌に戦えもしない選手だって幾らでもいるし、そういうのも余り物だから、組んで試合に出ようと誘う事くらいできる。

 だが、結果が伴わなければ何の意味も無い行動だ。

「で、困り続けて、結局はワンマンを続けるか、そういう相手でも手を組まなきゃならなくる。だから苛立ってるんですよね?」

「うっ……そりゃあまあ……そうなるけどな」

「なら、僕はそれらよりマシですよ。どうマシかを証明する事も出来ます。どうです? 乗ってみませんか?」

 正直なところ、詐欺師に近い事を言っている様に思える。しかも、それほど上手く無い詐欺だ。

 だからか知らないが、一度、最後までその詐欺の手口とやらを見てみたいという好奇心が生まれた。

「素人よりはマシな部分……か。どう証明する? 今からガントレットにでも出場してみるか?」

「乗り込む鉄巨人があればそうしたいところですけど……兎に角、ちょっと来てくれませんか? 多分、面白いと思ってくれる物があるはずです」

 やはり、人を引き込む程、説得力のある話とは思えなかった。

 もっとも、最後まで見てみようと結論を出している以上、話は進めるつもりで居た。

「わかった。それで? どこに案内してくれるって?」

「この近くです。置けるところなんて、ここらにしかありませんし……それでその……一つ良いですか?」

「ん? 何だ?」

 さっそくどこかへ向かう事になった様子だが、アルハはまだ視線を逸らしていなかった。

「何だじゃなくて、名前ですよ名前。手を組むかそうしないかは別として、僕だけ名前が知られてるって、何だか気分悪いもんですよ?」

「ああ、そりゃあ悪かった。レイルだよ。レイル・ハリューム。見ての通りの、ガントレットの選手だ」

 手を挙げて、かなり遅れた挨拶をしたところで、レイルの機嫌の悪さは大分無くなっていた。

 どうにもこの少年、少しばかり面白い性格をしているなと、レイルは思い始めていたのだ。




 アルハにとって、それを他人に見せるのはリスクのある行為だった。

 それがどれくらいのリスクかを問われれば、迂闊な事をすれば、命だって失いかねない行為である程だ。

 それでも、レイルにそれを見せるつもりになったのは、アルハの方も切羽詰まった状況にあるからと言えた。

「ここは……鉄巨人用の倉庫か?」

 案内した先に来たところで、レイルが呟いた。

 ただ、アルハは気にせずに歩き続ける。まだ、ここは目的の場所ではない。もう少し先へ進まなければ。

「ここは……だいたいがガントレットの運営が選手用に無料で貸し出ししてるところですけど、個人でも金銭を出せば、一つくらいは借りれます」

「ふぅん。つまり、こういう場所を借りれるくらいの金は持ってるわけか」

「だから、あんまり人に見せたくありません。他人に言わないでくださいよ」

 上等な銀行だってこの下層部には存在しないのだから、自分の金も自分で守らなければならない。その第一が、他人からそういうものを持っていると思われない事である。

 現状、アルハはそういうリスクを背負いながら、レイルにこの場所を案内していた。

「これから見る場所に寄る……な。面白くなってきたなと思っているが」

「……手を組む方向に話が進んでくれると良いんですが」

 そうでなければ恨みを持つ可能性だってある。それなりに自信があるものの、相手はやはり最近知り合ったばかりの相手なのだ。不安が消えはしない。

 それでも彼女をこの場所に誘っているのは、それだけアルハも焦っているということ。

「ここです」

「うん。他の倉庫と同じ感じだな? なら、特別なのは倉庫の中身か?」

「まあ、そうです。全開にしたく無いので、こっちから入ってください」

 倉庫は鉄巨人用のものだけあって、かなり大きい。小さめの一軒家程もある鉄の箱なのだ。そんな箱の蓋が正面にあるものの、人間の出入りは脇にある扉で行うのが普通だ。

「金を持ってる以上に、他人に知られたくない物らしいな?」

「言っときますけど、こっちの方を許可なくバラしたら、どんな手を使ってでも口封じしますから」

 レイルはこの時点でも興味津々らしいが、迂闊さを見せれば、それこそアルハは何だってしてやろうと考えている。

「おお、中々に怖い事を言うじゃあないか。で? そこまでの物じゃなけりゃあ……笑い飛ばして……しまう……」

 レイルを倉庫の中へと案内し、そこの中にあったものを見せた。彼女の反応はと言えば、非常に驚いた様子で絶句している。

 そこには当たり前の様に鉄巨人が存在していた。その周囲には整備用の器具や予備パーツなどを用意していたが、総じて不足している。そんな鉄巨人の姿が倉庫の中にあったのだ。

「どうです? 見て、分かりますか?」

 試すつもりでレイルに倉庫の様子を尋ねてみる。もっとも、見るべきものは鉄巨人以外に存在していないが。

「分かるも何も……この鉄巨人、全部が二等品そのものだろ。すべてのパーツがそうなのか!?」

 驚いているレイルを見て、それが分かるくらいの人間で良かったと思う。

 もし、一見して分からないとなれば、手を組む相手としても不適当と言う事になってしまう。

 単純に、その目で見て鉄巨人の性能を把握できる人で無ければ、共に戦えないと思うからだ。

「色々と惜しい発言ですけどね……全部じゃありません。幾つか欠けた部分があるから、なんとかそれを補いたいんです」

「なるほど……だから二等品の部品を探していたんだな?」

 その通りである。

 アルハが所有しているこの鉄巨人は、そもそもが高性能な鉄巨人として製造されたものなのだが、アルハの手に渡るまでに、その部品のうち幾つかを喪失してしまっていた。

 アルハはこの鉄巨人でガントレットに出場したい。けれども、部品が欠けたままではどうしようも無いのだ。

「三等品や四等品で代用しようとも思うんですが、この鉄巨人にとって重要な部分については、高性能な部品にしておかないと駄目なんです。バランスが悪くなって、むしろ性能が落ちてしまう」

「そういう事はままあるが……無駄に奮発して泣きを見るって事を、初心者は良くやらかしたりもする。それを事前に察知できるのは、良いセンスをしてると言う事でもあるか」

「全然嬉しくないですよ。そのセンスにしたって、目当ての部品一つも調達できやしない」

 そんな超能力は残念ながら身に付いていない。結果、街の下層部をひたすら歩き回り、無い可能性の方が高い物を探し続ける破目になっていた。

「なら、これを見た上での私との交渉については、少しばかり不利じゃあないか? 確かに面白い物を見せて貰ったが、まだまともに動かせない鉄巨人ってだけだ」

「ああ、それですが、レイルさん。あなた、まだ間違ってる事がありますよ」

「何?」

「この鉄巨人。大元は一等品です。外装と骨格部分はそっくりそのまま」

 その情報こそ、アルハのとっておきだ。一等品というのは、それだけ特別な存在だった。希少価値と言う意味でもあるが、それ以上とも言える。

「ちょっと待て……つまり、これは軍用ってことか!?」

「元はそうだった。と言う事になりますね」

 鉄巨人の一等品と言うのは、つまりは興行用では無く、純粋な兵器として作られた物と言う事である。

 その性能自体が二等品以下と段違いであるし、使用目的も違う。もっとも、ここにある鉄巨人は、そこまでの性能を維持出来ていないのだが。

「ブラックケイン……と言う名前です。それについては僕が勝手に付けました。正式な名前があったはずですけど、父さんからは詳しく聞く前に死に別れたので」

「父さんからって……じゃあ、お前の父親が落下人になったのはそれに関わってる?」

「そこまでは話す義理とかありませんよね? 今、話すべきなのは、僕とチームを組むかどうかって言う話です。ここにあるのが、元は一等品の鉄巨人だとするなら、むしろ僕の方が有利になりませんか?」

「……かもしれないな。鉄巨人の性能としては、乗り手が素人という事を差し引いても強力だ」

 真面目に話すに気にはなってくれたらしく、レイルの目が鋭いものとなる。ならば、さらに話を進めるべきだとアルハは判断する。

「実を言えば、あなたを誘おうとしたのは、もう一つ理由があります」

「足りない二等品の部品を手に入れるアテを教えろ……そういう事だな?」

「ええ。誰かとチームを組む組まないかより、ある意味じゃあ重要なんですけど、あなた以外に頼れる相手がいなくって」

 やむにやまれぬ事情がアルハにもあった。そうで無ければ、レイルを頼る事も無かっただろう。それくらい、この鉄巨人、ブラックケインを見せる事はリスクがあるのだ。

 名前の通りの全身黒い装甲。平均的な鉄巨人よりもややほっそりとした印象のあるフォルムであり、見た目通り、機動性を重視した性能である。

 もっとも特徴的なのはその両腕だろう。人間で言えば両手首に当たる部分から、それぞれ三本ずつ。腕の稼働に邪魔にならぬ範囲で、長い杖が伸びていた。

(だからブラックケイン……なんだけど、杖って言うより針なんだよね)

 根本がやや太く、先端が尖った棒。まさに針の見た目のそれの先端側が、手首にあるホルダーに固定されていた。

 右と左、計六本。その六本で、ブラックケインのシルエットは異様なものとなっていた。

「これが動いてる姿……見たいとは思うな」

「でしょう? 僕もです。動かしてみたい。それも、出来れば良い状態で」

「……良いだろう。そっちの案には乗ってやる」

 どちらの話かとは聞かない。とりあえず、ブラックケインのための部品集めは手伝ってくれると言う事で間違いないからだ。

(その後にチームを組むかどうかって言うのは、むしろ彼女にとっての誠意かな?)

 まずブラックケインを完成させ、その後、性能とやらを見るつもりなのだろう。

 順当な考えに思えるが、その実、アルハの第一の望みが叶えられる事になるのだから、その後、アルハの方が逃げる可能性はあった。

 その可能性込みで、彼女はアルハに手を貸してくれると言うのだ。

(参ったな。僕の中で、かーなーり評価上がってるぞ。彼女)

 まだ出会ったばかりの相手だと言うのは承知しているのに、それでもレイルと言う人間が信用できるのではと思い始めていた。

 ただし、詐欺師に騙されている可能性も大いにあるため、アルハは一旦、今考えている事を振り払う事にした。

「えっと……結局、二等品の部品を手に入れるためのアテって言うのはどんなものなんですか?」

「その話なんだが……実を言えば、非常に気が進まない物ではあるんだな」

 レイルの苦々し気な表情を見る限り、彼女の言葉は本当の事を語っている様に見えた。




 ガントレットが行われるコロッセウムの観客席。試合が盛り上がるのであれば、そこにいる観客達もまた興奮する。

 そういう意味で言えば、今日は盛り上がる試合であるのだろう。観客達は奇声に近い叫びをあげる者も居て、まるで祭りでも始まるかの様だった。

「実際、祭りみたいな物だけどな」

「はぁ? その、大分人気な選手が出るんですかね? 実を言えばガントレットそのものには、まだあんまり詳しく無くって」

 久しぶりに観客席に座るレイルは、隣にアルハを連れて来て、隣の席に座らせていた。

 レイル達以外は立って手を打ち鳴らしている者やら、大声を上げているものや、顔を真っ赤にして興奮している者もいる者ばかりなので、むしろレイル達の方が浮いている。

「人気は人気だな。むしろ人気しかないと言うか」

「どういう? 試合は面白いけど、技術は無いとか?」

「いや、技術も結構なものだし、試合自体も普通のより面白い。だからこそこの賑わいなわけだが……説明が難しいな。見ればすぐにどういうのか分かるんだよ」

 ちなみにレイルが誤解を承知で説明を述べるならば、奇怪な珍獣の観察会が今回のガントレットであると言う物になる。

「ふぅん……ところで今のところ、問題が一つある事に気が付いてますか?」

「ほう、そりゃどんなだ?」

「この試合を見る事と、上等な部品を手に入れる事とが、まったく繋がりそうに無いですよね?」

「そっちについても……説明は後にしたいんだ。少なくとも、この試合が終わるまでは待ってくれ」

 複雑な事情と言うものがある。頼りにしたいアテと言うものが、レイルにとっては真っ先に切り捨てたい選択肢でもあるのだ。

 それでも、レイルだってそのアテしか知らないから、紹介する他無かった。

「この試合を見れば分かるって事ですか?」

「それも……とりあえず試合を見てから聞いてくれ。ほら、来たぞ。この熱狂の原因が」

 コロッセウムの端。鉄巨人用の出入口から、一体の鉄巨人が登場した。今回、コロッセウムの中心で戦う側の一体だろう。

 その一体が登場した瞬間に、空に花火が咲いた。

「は?」

 一発、二発。数えようとした瞬間に、さらに幾つもの大輪が咲き乱れ、数え切れないくらいに爆発音が木霊した。

 カラフルなその花火の光の元、登場する鉄巨人。姿は異様の一言で、両腕と、さらに背中側から生えた巨大な二本の腕、合計四本の腕を天に掲げていた。

『おーっほっほっほ! 皆様、本日も盛り上がっていますかしら? けれどまだまだ準備段階。今宵もわたくし、華麗なるブルーマスクが、皆様を熱狂の渦へと叩きこんで差し上げますわよ!』

 と、コロッセウムに、甲高い女の声が響いた。声と花火の音に合わせて観客がさらなる熱狂の中へ突入するが、隣のアルハは完全にうろたえている様子だった。

「な、なんですかこれ!? 花火に声に、あの鉄巨人も! なんか操縦席から変な格好をした女性がほぼ全身を出してるんですけど!?」

「つまり、説明し難いのはこういう事だ。これが妙に観客に受けているらしい」

 コロッセウムに響く声こそ、現れた鉄巨人から顔を出している女の声である。鉄巨人に内蔵した外部との通話装置をコロッセウム中に仕込み、あちこちに聞こえる様にしているらしい。

 ちなみに花火は自前で用意した物であるはずだ。つまり自腹である。

 さらにアルハも言う女選手の格好も特異な物で、青と白を基調とした鮮やかな色をしたレオタードを着込み、体の輪郭を隠そうともしていない。

 それで居て同じ色合いの長ブーツや関節部のサポーターなんぞを付けて居るから、操縦自体には支障が無い格好ではあるらしい。

 そんなブルーマスクを名乗る女は、名乗り通りに青い紐状の覆面を目の周囲に巻き、顔を隠していた。

「……賑やかし?」

「生粋のな。しかも殆どの演出を自分で用意してやがる」

「なんて言うか……ぶっ飛んでる人も居たもんですねぇ」

「そうだよ……ぶっ飛んでるんだ。それだけでもとんでも無いのに……」

「他にもまだあるんですか……?」

「見ていれば分かる。ほんと、見てれば分かるくらいに分かり易い相手ではあるんだよ。言葉で説明するのはくっそ難しいけどな」

 レイルはブルーマスクの事を良く知っていた。ガントレットに参加する人間の中で、知らない人間の方が少ないと思うが……。

「あっと、演出は派手ですが、戦い自体はちゃんと始めるんですね」

 ブルーマスクの鉄巨人とは丁度反対側から、別の鉄巨人がコロッセウムの中へ入って来る。

 ブルーマスクのそれが四本の腕とそれを支える太い足で、とても逞しく見える姿なのに対して、相手の鉄巨人は全体的にほっそりとした印象を持ち、頭部からは鶏冠の様な赤色の、髪の毛に見立てた繊維が出ている。

 武器も所持しており、長い棒の先端に、斧の形状をした刃物が付いたそれだ。

「相手はマクシムベルトって名前の鉄巨人だ。操縦者はデリンジャー・サイリとか言う男だったか。腕はそこそこある奴だな」

「ブルーマスクの方はどうなんですか? えっと、鉄巨人の名前と、鉄巨人の操縦技術の両方の意味で」

「鉄巨人の方はグランドゴリラ……冗談じゃないぞ? 本当にそんな名前なんだ」

 露骨に顔をしかめるアルハ。こういう顔をされるから、ブルーマスクについて言葉で説明するのが嫌なのだ。

「えー、じゃあそのグランドゴリラって言うのは、どんなゴリラなんですって?」

「反応に困ってるのは分かるが、投げやりになるな。ブルーマスクが強いかどうかなんて、それも見ていれば分かる事だろう」

 視線をコロッセウムの中心。鉄巨人二体がぶつかる中央へ向ける。

 顔を出していたブルーマスクも、既に操縦席の中にその身を隠し、戦いを始めている。先に仕掛けたのはブルーマスクのグランドゴリラだ。

 彼女は何時だって先制から始める。本気でどんな時もだ。例え不利になろうとも、真っ先に敵へと突っ込もうとする。

「あっ、マクシムベルト……でしたっけ。そいつに受け流されましたね、ゴリラ」

 マクシムベルトは長物を使った中距離戦で真価を発揮する鉄巨人である。

 その距離を崩さないため、軽快に動くのは特徴で、真っ直ぐ突っ込んで来る相手など、あしらい慣れているはずだ。

「グランドゴリラは見ての通り近距離。それも超近距離が一番適性のある鉄巨人だから……懐に潜られない限りにおいては何とかなる。ちなみに武器なんぞは持っていないな。その分の操縦性を背中側の二本の腕に回しているんだろう」

 4つの腕を広げ、真正直に突っ込むグランドゴリラに対して、マクシムベルトは半円を描く様に距離を保ちながら、移動し、グランドゴリラの脇から背後に回るタイミングで、その長柄の斧を叩き付ける。

 その度に激しい撃音がコロッセウムに響き渡り、グランドゴリラはその姿勢を崩す。

「あのゴリラ、つまり単純な動きしか出来ないし、限定的な場面でしか戦えない……そういうあんまり良いとは言えない操縦者と鉄巨人って事なんですね?」

「……それも、見ていれば分かる」

 こちらに関しては、説明が難しいと言うよりは、見ていた方が楽しめると言った意味合いが近い。

 何せ、姿勢を崩したグランドゴリラは、すぐさまに立ち直り、またもマクシムベルトへと突っ込んだからだ。

 その度にマクシムベルトの斧を叩き付けられるわけだが、その光景を見ていれば、アルハもそろそろ気付くはずだ。

「あの鉄巨人……わざと受けてる?」

「わざとじゃない。ああいう行動をすれば反撃に遭うのは当たり前で、それを受ける覚悟と装甲があるってだけだ」

 だから、何度だって立ち上がれる。真実、何度もと言うわけでもあるまい。操縦者の体力も肉体も、鉄巨人の装甲だって有限だ。

 それでも、耐えに耐えて、勢い良く襲い掛かって来るゴリラみたいな鉄巨人。それをもっとも間近で見ているマクシムベルトの操縦者はどう思うか。

「何か、自分があそこにいると思うと、怖くなって来ましたね」

「そういうところはやっぱりセンスだな。大半の観客はブルーマスクの戦い方にハラハラし、じれったく感じ、そうして次を待つんだ」

「不思議です。見る限り、戦いの主導権はマクシムベルトが握っている様に見えるのに、コロッセウム全体の雰囲気は、ブルーマスクのグランドゴリラに左右されてる」

 それをブルーマスクが意図してやっている事だと知れば、この少年はどう思うだろうか? 

 この試合、実を言えば、最初からブルーマスクの手のひらの上での出来事だとしたら……。

「良く見ておけ。状況が動くぞ」

 先制を繰り返された結果、マクシムベルトの方が先に限界が来た。

 限界と言っても、鉄巨人自体がどうこうなったわけでは無い。ただ、相手の動きを避けて、その隙を突いて攻撃というルーチンワークを崩したのだ。

 再度、正面から突っ込んで来たグランドゴリラを避ける半円の動きを、やや狭めたのである。

 中々に相手が倒れない事に焦れた行動だったろうが、それでも冷静さは崩していない。相手の動きに慣れ、それを見切り、避けは最小限の動きで、攻撃は最大限の隙を突くと言う形を取ろうとしたのだ。

(その考えと行動自体は間違ってないんだろうが……)

 間違いを犯さないだけで、勝てる程に甘いものでも無い。どれほど冷静な行動をしたとしても、相手の誘いに乗ってしまっている時点ですべて台無しだ。

「えっ……掴んだ!?」

 最小限の動きで避けたはずのマクシムベルトが、グランドゴリラの腕の一本に掴まれていた。

 背中側の腕であり、前腕よりも長く太いそれ。

 マクシムベルトはそれの間合いを把握した上で避けたつもりなのだろうが、グランドゴリラの突進速度については把握をし損ねていたのだ。

(最初から、最大限の動きより少しだけ遅い動きで相手をたぶらかしてたんだろうさ。そういう事が出来る女だ。あいつは)

 グランドゴリラが掴んだのは、マクシムベルトの脚部だ。そのまま一気にマクシムベルトを引き寄せ、次にはもう一方の背中側の腕で、マクシムベルトの腕部を掴み、持ち上げる。

『おーっほっほっほ! ちょこまかと動いていましたけれど、こうなればそれもできませんわね!』

 再び、ブルーマスクの声が響く。その声に呼応する様に観客達も盛り上がっていく。

「えっと……すべての狙いはこのため……って事ですか?」

「ああそうだ。理解できただろう? 見ていれば分かる事だ。ブルーマスクは……腕のある鉄巨人の操縦者で、ド派手で、誰よりもぶっ飛んでいて、兎にも角にも、場を盛り上げるのが大好きな変人なんだよ」

 ある意味では、興行としてのガントレットに相応しい選手と言えるだろう。

 だが、ブルーマスクのそれには、本末転倒と言える欠点が存在する。

 その欠点については、この試合の最中に現れると言う事でも無いのだが。

「あっ。超近距離戦が得意って、ああいう事ですか」

 背中の二本の腕でマクシムベルトを掴み上げたグランドゴリラは、前部の両腕でもマクシムベルトの体に巻き付ける様に掴み、その関節を極めた。

 相手を掴み、そして関節技を仕掛けてダメージを与える。それがグランドゴリラの常套手段。

 そんな音が観客席まで聞こえるはずも無いと言うのに、マクシムベルトが軋み悲鳴を上げている様に思えた。

「関節技ってのは、的確にダメージを与えつつ、最後の盛り上げ前の溜めを作る神聖な行為なんだそうだ。あ、私の言葉じゃないぞ。ブルーマスクの奴が言ってた事だ」

「そ、そうなんですか……あれ? そういう言葉って、不特定多数に向けた言葉何ですか? それとも―――

 アルハの言葉よりも大きな声が、観客席のあちこちで上がる。関節を極めた姿勢から、グランドゴリラがその場でジャンプしたのだ。

 マクシムベルトを抱えながらも、その跳躍はかなりの高さ。だが、落下はそれ以上に早く落ちる。

 空中で仰け反る様な姿勢になったグランドゴリラは、落下の勢いと共に、全身で地面にぶつかった。

 ぶつかる直前、仰け反りの状態から半身と腕で振り下ろし、マクシムベルトを半ば下敷きにしながら。

「あいつに掴まった時点でアウトなのさ。試合じゃあ当たりたくない相手の一人だな」

 観客の盛り上がりの最高潮と共に、試合の決着もやってきた。

 もし、それすべてがノリと勢いでは無く、ブルーマスクの狙い通りだとしたら?

 その奇怪なやり口に反してと言えば良いのか、それとも、だからこそと表現すれば良いのか。

 どちらにせよ、ブルーマスクは一流のガントレット選手と言えるのだ。




 ド派手で奇怪なガントレットを見終わったアルハは、その後、選手用の出入口へとレイルに連れていかれる。

 ガントレット選手のレイルがいなければ近づけもしないその場所であるが、何をするでも無く、レイルはそこで待機すると宣言した。

「えっと、得るものはあった気もする試合でしたけど、結局、何の意味があったんでしょうか。ここに居る意味についても、さっぱり何ですけど」

 試合そのものは見て損は無かったと思うのだが、そもそもの目的は二等品の部品を手に入れるために、レイルを頼っているのである。

 その目的については、一歩たりとも近づいていない様に思えたが。

「試合の後にここで待つのが、目的に近づく一歩目なんだ。そろそろだからもう少し待て」

 何を待つのか。それくらい教えてくれても良いのでは無いか? そんな事も考え始めたところで、何やら出入口周辺が騒がしくなって来た。

「あれは……ブルーマスク!? と、その警護っぽい感じの」

 選手用の出入口から人が出て来る。中央にはコロッセウムで見た、グランドゴリラに乗っていた選手、ブルーマスクである。

 格好はさすがにそのままと言うわけで無く、上から高そうなコートを羽織っていた。さらにはその周囲を黒いスーツの男達が囲んでおり、厳重に守られていると様子である。

 そんな集団に、レイルはわざわざ近づいて行く。必然的に、アルハも彼女の後に付いて行き、ブルーマスクの前までやってくる事になった。

「そこで止まれ。何だ、お前達」

 警護らしき男の一人が、ブルーマスクとアルハ達の間に入り、それ以上の進行を止めて来る。

「何だとは失礼だな。お前の主人は多分、私の知り合いだぞ。まあ、興味を持ってくれてたらの話だけどな」

「あらあら、レイルさんったら、そういう連れない事をおっしゃいますの?」

 男達を掻き分ける様に、ブルーマスクがレイルの前へと立つ。

 目元はマスクで隠れているものの、隠しているのはむしろそこだけなので、口元が愉快そうに笑っている事はしっかり分かる。

「お嬢様、この方は……」

「ああ、結構よ。あちらの言う通り、顔見知りですの。こういう風に出会いを妨害するのは失礼に当たりますから、顔、憶えておいてくださいましね?」

「はっ」

 男達がブルーマスクの背後へと下がっていく。何と言えば良いのか、不気味な光景だとアルハは思う。ブルーマスクの格好とも合わせてだ。

「それで、何の御用かしら、レイルさん。何時もはわたくし、避けられているのではと思っていましたけれど」

「避けてるのは事実だ。だいたい、お前みたいな女と仲良くしてるなんて思われたら、周囲からドン引きされるだろ」

「まあまあまあ、やっぱり連れない。口さがない方々の目など、どうでもよろしいじゃありませんの」

「そういう奴らの目を一番気にして戦ってるのがお前だろ……」

 出会い、異様な光景であるが、レイルとブルーマスクは会話を続けていた。そんな二人を見て、アルハが思う事は一つ。

「え? 友達?」

「違う」

「ええ、そうですのよ! わたくし、レイルさんとはお友達ですの」

 それぞれから正反対の答えが聞こえて来たので、アルハは都合の良い方の意見を聞き入れておくことにした。

「それで、レイルさんとブルーマスクさん……で、良いんですよね? レイルさんがここでずっと待っていたのは、この人とこうやって話したかったからなんですね」

「まあ! 本当ですの? レイルさんったら、等々、わたくしの魅力に気付いていただけた様ですわね!」

「気付いてないし、出来れば話したくも無い! おい、アルハ、余計な事を言うんじゃない。こいつはな、こういう性格なんだよ」

 分かった様な、分からない様な事を言う。

 要するに、ブルーマスクはレイルに好意を持ち、一方でレイルはそうでも無いという関係であるらしい。

(面倒くせえ関係ってところかな。それに積極的に参加したくも無いけど……)

 一歩、引いて置くべきかもしれないと思うものの、これからどんな形で状況が進んで行くか分からないため、とりあえずその場に立って置く事しかできない。

「そう言えば、あなたはどなたですの? レイルさんの付き添いみたいですけれど」

 出来れば置物として見ていてくれればとても助かるのであるが、そうも言っていられなくなった。ブルーマスクはアルハにも興味を持ったらしい。

「僕は……ええっと、レイルさんの……何だろう? 何て言えば良いです?」

「ったく。ブルーマスク、実は、あんたにこいつを紹介したくて来たんだ」

「え!? そうだったんですか!? 有難迷惑です!」

「ちょっと、何かとても失礼な事を言われた気がしますわよ!」

 そう思われるなら嬉しい。仲良くしたくない相手には積極的に嫌われるべきだ。相手の方から避けてくれる。

 ただ問題なのは、どうにもアルハは、ブルーマスクと関係性を持たなければならない状況らしい事だ。

「あのな、アルハ。仲良くして置いた方がお前のためだぞ。お前が探している二等品の部品、それのアテってのがコイツだ」

「は? えっと、この……面白おかしい人が?」

「まったく、先ほどから失礼千万も甚だしいですわね。けれど、何か頼み事と言う事ですの? 聞く聞かないは兎も角、ここで立ち話は……一旦中止にしませんこと?」

 確かに、珍奇な光景と言うものをあまり続けるものではない。アルハとレイルもブルーマスクの提案に頷き、別の、とりあえず落ち着ける場所へと向かう事になった。




 落ち着ける場所へ向かう……ものだと思っていた。少なくとも、アルハはそう考えて、ブルーマスクの案内に身を任せていたのだ。

 だが、他人に行動を任せた予想なんて、大概は外れるものだ。人生続けていれば、早くから学べる教訓である。

(レイルさんからして、妙なところに連れ回してくるんだものなぁ……)

 悩ましい気分になったので、天井を見上げた。

 高い天井だ。シャンデリアが幾つか吊り下げられ、イエローやオレンジに輝く広く高い天井がそこにある。

 こういう光景と言うのは、思えば初めて見るかもしれない。視線を下げれば、当たり前の話として、天井と同じ広さを持った部屋がある。

「なんて言うか、あるところにはあるもんですね、こういうの」

「ここが特別なんだよ」

 来客用のソファーに座らされたアルハとレイルは、ソファーの心地よい感覚とは裏腹に、居心地の悪い気分になっていた。

 視線を下ろした先にある部屋は、天井のシャンデリアに劣らず、豪奢で輝いて見えた。調度品はいちいちに品が良く、それでいてあちこち貴金属により飾られているのが分かる。

 壁紙も、床も、目の前にある机だって、そのどれもが清潔で高価そうだった。唯一そうでないのは、窓である。

 勿論、窓だってそれなりに飾られていたが、外の景色が街の下層部そのものなのだ。

「普通、こういうのは街の上層部にある家ですよ。こんな場所……知らなかった」

 実際、外装は下層部に良くあるボロの建屋に偽装されていたりする。外から見る限りにおいて、ここにこの様な部屋があるなどと、誰も分からないだろう。

「あんまり人を寄越したく無いんだろうな。ここ、あいつの別荘みたいなもんだ。ガントレットに出る前と後、ちょっとは下層部に滞在しなきゃならないだろ? そのためだけに用意されたらしい」

 レイルの説明に聞く、この部屋を街の下層に用意したあいつこそ、ブルーマスクその人である。

 彼女、ブルーマスクは、こんな部屋を用意できるくらいにはお金と権力を持った立場であるらしい。

「そーいえば、試合とか見ても思いましたよ。あの演出が自腹だって言うんでしたら、相応の資金力を持った人なんだなって。ガントレットのファイトマネーって、そんな大したものなんですか?」

「稼げはするが、そこまでじゃあない。トップクラスになれば出来るかもしれないが、それで稼いだ金を盛り上げだけに使うなんて本末転倒だろ? そこがあいつの戦いの欠点なのさ」

 言われてみればその通りである。主催者側にとっては、払ったギャラが利子を付けて帰って来るのだから願ったり叶ったりだろうが、命を賭けて戦っている選手にとって、これほど馬鹿らしい事はあるまい。

「じゃあ……ブルーマスクって言うのは結局何者なんです? こんな部屋の主人……いや、ここ以外にちゃんとした住まいすらあるって言う」

「それも……見ればすぐわかる」

 実際、見れば分かる存在が部屋の中へ入って来た。他ならぬブルーマスク……なのであるが、今はそのおかしな仮装をしていない。

 黄金と見紛うばかりの金の長い髪を輝かせ、それに見劣らぬ若々しさを感じる整った顔立ちを、今はマスクで隠してはいなかった。

 一方で、レオタードの時に見たスタイルの良さはドレスの中に隠し、先ほどまでガントレットで戦っていたとは欠片たりとも思わせない姿へと変貌している。

「おーっほっほっほ! お待たせしましたわね! お二人方!」

「あ、良かった。同一人物だ」

 格好は大きく変わった印象があるものの、性格はそのままらしい。これでお淑やかな性格で来られたらどうしようと思っていたところだ。

「わざわざ着替えまでしてくる必要も無かったんじゃないか? リナーリア」

「まあ、ブルーマスクの方が好みという事は、またガントレットで戦っていただける気になりましたの?」

 リナーリア・ミシリアル。ブルーマスクと名乗っていた女の本名であるらしい。正体を隠している様でいて、そうでも無いらしく、ガントレットでは謎の覆面女選手などと名乗っているものの、その本名を知っている人間は結構居るとの事。

 レイルもまたその一人なのだそうだ。

「暫くはお前と戦いたくなんて無い。前は酷い目に遭った」

「あらあら、前回はレイルさんの勝ちだったではありませんの」

「ひったすらド派手にやってくれたよな? 花火の数だって何時もより多くて、入場する時も鉄巨人用のカーペットを私の分まで用意しやがって」

「前々回はわたくしの勝ちだったんですもの。二連勝すれば、格の差も出来上がるかしらと気合を入れてしまいましたの」

「くそっ。わざと負けとくべきだったか。3勝3敗なんて状況、絶対しつこく再戦を申し込んでくるよな、お前」

 とまあ、二人はこんな関係らしい。お互い、数少ない女性ガントレット選手であり、思うところがあるのだろう。

(それで……やっぱり友達じゃないか)

 二人の会話は完全にそういう類のものに見えた。凹凸の仲にしても、お互い尖り過ぎている様に見えるものの……。

「ええっと、盛り上がってるところ恐縮なんですが。話……そろそろ進めても良いですか?」

「おっと、忘れるところだった。リナーリア、こいつの名前はアルハ・ラミド。私じゃなくて、こいつがお前に用がある。って話はもうしたか」

「二等品の部品が必要と聞きましたけれど、わたくしがそういう物を便利に集められると思われるのは不本意ですのよ?」

 確かに便利屋には見えない。一方で、こういう相手であれば、アルハの望むべきものを手に入れられそうには見えた。

「こうやって姿を見たり会話を聞いたりしていて分かる事があります。あなた、下層出身者じゃありませんよね? それこそ……もっと上の」

「醸し出された雰囲気と言うものは、早々に隠せるものではありませんもの。リナーリア・ミシリアルの名前を知っているのであれば特に」

 実際、隠している様子は無かった。むしろ堂々としている。こういう後ろめたさの無いのが上流階級の怖いところだ。

 つまり彼女は、街の上層部に住む権力者か資産家であると言う事。なるほど、二等品の部品を手に入れられる可能性だって十分にある。

「つまり、この人に頼み込めって事ですか、レイルさん」

「私のアテを頼りにしたのはそっちだろ? 場所は用意したんだから、後はお前の仕事だな?」

 レイルにとっては、確かに頼りたくない相手なのだろう。友人関係だとアルハは見ているが、本人にとっては出来る限り会いたくない相手なのだろうし。

「分かりましたよ。何とか……交渉してみます」

「交渉相手を目の前に放置しての話し合いは、するべきではありませんわねぇ。紳士が淑女に挑むのであれば特に」

 それほど怒った様子は無さそうなリナーリア。であるが、一筋縄では行かない相手ではありそうだった。

「失礼、ミシリアルさん。それでは僕が、あなたと直接話をさせていただいても?」

「ええ、よろしくってよ。そこのレイルさんが紹介する以上、それなりの事情と言うものがあるのでしょう?」

 一瞬、その事情を話しても良いだろうかと思えたが、ここで話をしなければ交渉の仕様が無いため、彼女にもアルハの目的を話す。

 一等品の鉄巨人を所持している事。

 幾つかの部品が欠けているため、十分に動かすには二等品以上の部品が必要な事。

 自身は落下人の親族であり、街の上へは行けない身である事。

 だいたい、レイルに話したのと同じ内容だ。それ以外について話す必要が無いとも言える。

「そちらの事情については分かりましたけれど……それだけですの?」

「……やっぱり、こちらの話だけでは通りませんか」

「面白い話だと思いましたけれど、それでわたくしを動かせるわけではありませんわね」

「お金なら……用意します」

 言葉にしてから、失態だったなと思う事になる。彼女はガントレットの試合で、採算なんて度外視で、派手さを追求していた相手だ。

 金銭と言うものが、有効に働く相手とは思えない。

「そちらの誠意を示す手段としてなら上等かもしれませんけれど、それはそれとして、わたくしの興味には引っ掛かりませんわね。この状況ですと、金をやるから上層部で鉄巨人の部品を代わりに調達して来いと命令される形になるのも大変に不本意」

 単なる小間使いとして使われたくない。そんな矜持が彼女の言葉から感じられる。

「上流階級の方に対して、こういう願いって言うのは、やはり失礼な事でしたか?」

「セレブ」

「はい?」

「セレブと言いなさい。お金持ちでも資産家でも上流階級でもなく、わたくしの事はセレブと呼びなさい!」

 何故か唐突に、高らかにリナーリアが宣言する。

 本当に唐突だったので、アルハが唖然としていると、続きを待っていると思われたのか、さらにリナーリアは立ち上がった。

「セレブとは即ち、高貴なる者の意味! 誇り高き血をもって生まれ、輝きに満ちた生き方を全うする存在! それがセレブですのよ! お分かりかしら?」

「な、なんとなく?」

「あ、私はずっとさっぱりだって言ってるからな」

 レイルの言葉で、梯子を外された様な気分になる。生半可に知っていると言って良かったのだろうか。

(大丈夫かな? 知っているのなら血を寄越せ。とか言われないだろうか?)

 目の前の女の奇抜さを思えば、そういう可能性だって考えたくなる。馬鹿な考えであるが、状況からして馬鹿らしいのだもの。

「セレブを理解するのでしたら、セレブへ物を頼むという事がどういう事なのかを理解しなさいな! 単純なる利害、退屈な頼み事。その様なものに、セレブは流されませんのよ?」

 説明される度に、セレブとやらの理解が遠ざかっている気がする。

 いっそ、理解なんぞ捨ててしまって、部屋の窓から飛び出してみようかと思えたが、それをしてしまえばすべてが終わるため、なんとかその衝動をアルハは抑え付けた。

(いや……違う。むしろありなんじゃあないか?)

 相手が突飛な性格であるためか、かなりズレた思考から、この状況へのヒントにアルハは気が付いた。

 別に窓から本気で飛び出すわけではない。

「セレブな提案……と言うのか分かりませんが、まだ提示できる条件がありますよ、ミシリアルさん」

「あら、それは嬉しい話ですわね? 勿論、こちらが望むものであればこそですけれど」

 漸く、相手は値踏みしてくる様な表情を引き出す事が出来た。さっきまで、こんな顔すらさせる事が出来なかったのだ。

「私に話した以上の裏話とかでもあるのか?」

「レイルさんは手助けしてくれないんですから、暫く見ててくださいよ。この人を紹介してくれた事は感謝してますから」

「へいへい。面白そうに見ておいてやるよ」

 嬉しくって涙が出そうになる。隣にはやる気が無さそうな、人相の悪い女が居て、目の前には無駄に輝いていそうな姿の女がいるのだ。

「わたくしの興味を惹きたいのでしたら、レイルさんを巻き込めば良いと思いますけれど。もっとも、その程度の事で他人を頼る様でしたら、セレブ的に受け入れられませんわよ?」

 ならばどうしろと言うのだ。そう叫ぶのはまだ早い。悪態などは、すべての選択肢が消え去ってからつけば良い。

「僕のブラックケインと、セレブなあなたのド派手な戦い。大々的に宣伝すれば、それはもう、試合前から盛り上がりません?」

「あらやだ、とても魅力的」

「けど、戦うためには、僕のブラックケインを完成させる必要がある。ですよね?」

「勿論、十分に戦えるレベルまで……ですわね?」

 リナーリアの表情が露骨に変わる。明るく、にっこりと笑っていた。輝いていそうに見えるのは変わらないが。

「おいおい正気か? そりゃあ一等品の鉄巨人とこのセレブ馬鹿が戦えば盛り上がりはするだろうが、経験と格が違い過ぎるだろ。一等品と言っても、まだ初戦も経験してないはずだよな、お前」

「いやですね、これでも鉄巨人を動かす練習くらいはずっとしてたんですよ? 仕事でも動かしたりしてます」

「それはそれとして、セレブ馬鹿とはどの様な意味ですの? 何故かその……とても良い感じの響きですわね?」

 アルハとリナーリア。どちらの言葉に対してかは知らないが、レイルは頭痛を覚えたらしく、額を指で押さえていた。

「分かった分かった。二人して話すな。さっき暫く見ておけなんて言われたから、口は出さないさ。だが、結構大変だぞ、アルハ」

「今日、このセレブの人の戦い方を見たんです。大変なのは承知してますよ」

「でしたら結構。尋常に勝負と行きたいところですから、注文があればその通りの部品を用意して差し上げますわよ? 勿論、あくまで有料ですけれど」

「さっきも言いましたが、お金は出します。部品自体の質は……いえ、それを聞くのは失礼ですよね」

「勿論。出来得る限りの最上の物を用意してあげますわ。何せ、盛り上がる試合にしたいんですもの」

 やはりこういう性格の相手かと、アルハは納得した。

 ずっと、彼女はそんな姿を見せていた。利益ではない。そんなものを彼女はガントレットに求めていない。

 彼女が求めるのは、多くの観客の歓声だ。だからこそ、交渉の場に引き出すのはそれでなくてはならない。

 アルハのその考えは、この場に置いて当たる事になったのである。

(問題は、初めてのガントレットが、この人になったって事か)

 レイルには大丈夫と言ったものの、不安な部分は幾らでもあった。あの豪快な戦い方。それが今度は、アルハへと向けられるのだ。

 だが、そんな不安を跳ね飛ばせる程に、アルハの心は昂っている。

(漸く……ガントレットに出場できる)

 アルハが待ちに待ったその時が、近づきつつある。




 レイルがアルハにブルーマスクことリナーリアを紹介してから3日程が経った。

 レイルにとって、アルハは出会ったばかりの相手ではあったが、あの日からずっと、毎日顔を合わせる様になっている。

 主にレイルの方が、アルハの鉄巨人、ブラックケインが収容された倉庫へと毎日やってきているからである。

「顔を出せば、何時でも居るってのは熱心な事だな?」

 レイルが倉庫の扉を開くと、そこには何時もブラックケインを整備しているアルハの姿があった。

「あのセレブさん、お金を渡したら即日に部品の納入をしてくれましたからね。そりゃあ、尻を叩かれて整備を始める気になりますよ」

 以前はスカスカだった倉庫の中には、ブラックケインを構成する部品とその予備が、所狭しと積まれている。

(あの女。金を渡される前から用意はしてたな……?)

 それがセレブの流儀……かは知らないが、そういう気風の良い部分がリナーリアにはある。それしか無いとも言えるものの。

「しっかし、途中から交渉は順調だったな。あいつの性格、しっかり掴めたみたいじゃないか」

「話してみれば、すっごい真っ直ぐで、分かり易くて、その……」

「単純馬鹿。だろ? そうなんだよ。あんな性格や格好してガントレットで戦う癖に、根はすごく単純なんだ」

 派手に、そして盛り上がる様に戦いたい。多くの目の中心に自分が居て、自身の価値を見せつけたい。リナーリアであり、ブルーマスクでもあるあの女はそういう性質だ。

 そういう性質の相手だからこそ、苦手だし、あまり顔を合わせたく無い相手であるし、それでも、付き合いはずっと続いていた。

「あいつとは……あいつがガントレットに出場してきてすぐからの付き合いだよ。こっちも、そこそこに新人だった頃だ」

「何か想像できますね。多分、あっちから言って来たんじゃないですか? 同じ女性同士、ガントレットで戦えば盛り上がりますわよ! みたいな」

 アルハの言葉には、苦笑いで答えておく。大凡どころか、まったく同じ台詞を本人から聞かされたからだ。

「そもそも、なんであいつ、ガントレットなんかしてると思う?」

「そうやって話して来るって事は、それほど深い話じゃなさそうです」

「まったくだ。同じ輝きの中で居ても意味は無い。もっと暗闇に近い方が、太陽は輝きを増すはずだーだとさ」

「下層部の何が暗闇ですか、何が」

 まあつまり、セレブとはそういう終始上から目線な相手なのだろう。

 けれど、悪い気がしない。正面からそこまで言われると、むしろ清々しさすら感じるのはどうしてだろうか。

(アルハの奴に聞いたところで、分かりはしないだろうな)

 彼もまた、リナーリアに関しては同じ感想を抱いているだろうから、お互い、分からない部分は分からないだろう。

 だが、分かる部分もある。

「あいつ、強いぞ。初ガントレットには気合入れておけよ」

「分かってます。ここまで準備して貰った以上、全力で行きますし、負けるつもりなんて微塵も無い。初心者がどれだけやれるかは知りませんけど……ねっ」

 鉄巨人の部品を嵌め込みながら、アルハは気合が入っている様子だった。

 もっとも、二等品が来てから、もうずっと入っている様に見えたが。

「戦い方については、何か作戦でもあるのか?」

「こう、掴まれない様にするのが一番ですよね、あれ。レスリングでしたっけ。何かそういう戦い方してましたけど……あれも、目立つからしてるんですかね?」

「いや、なんか、セレブとか言う連中の嗜みらしい」

「上の人たちって、良く分かりませんね……」

 倉庫の中で見えるはずも無いのに、アルハは上の方。街の上層部を見つめていた。レイルはそんな事をしない。既に色々と慣れているからだ。

「こいつの性能なら……対応は出来ると思いますから、やっぱり僕の技量に帰結するのかな。それにしても……」

「うん?」

 アルハが一旦、整備の手を止めてレイルの方を向いて来た。鉄巨人の上半身を整備しているので、こちらが見下ろされる形になる。

「何かこっちに、大分肩入れしてくれてますけど、そこまでの貸し……ありましたっけ?」

 確かに、リナーリアを紹介してからは、ずっとこんな話ばかりしている気がした。

 もし、同じチームを組む相手になるのだとしたら、それでも意味があるのだろうが、それにしたってリナーリアとの試合を見てからの話だ。

 なら、自分がこの時点でアルハに手を貸し続ける理由とは何だろうか。

「縁ってところか?」

「縁って……何か禄でも無い物に聞こえますね」

「かもな。それが腐った物になるか、真っ当な物になるはお前次第だろうさ」

 最初、店で出会ったのは偶然だったが、その後は……それぞれの意思での付き合いになっている。つまるところ、最初に出会った時から生まれた縁だ。

 こういう縁というのは、続く限りは大事にしたいとレイルは考えている。案外、先には良い物が待っている気がするから。

「良い物に出来るかは分かりませんけど、あっと驚く物にはしてみせますよ。ガントレットまで、もう少しですしね」

「ああ、存分に驚かせてくれよ。期待してるとも」

 会話の最後には、あえて、プレッシャーを掛けて置く事にした。それくらいの物を跳ね付ける事が出来るチームメイトを、レイルは必要としているのだ。




 待ちに待った日がやってきた。

 少なくとも、アルハは今日をそう考えている。

(落ち着け……緊張は仕方ない。必ずあるものさ。けど、それを力に変えるくらいじゃ無きゃ、上手くは行かない)

 閉じていた目を開く。アルハは今、とても狭く薄暗い箱の中にいた。

 鉄巨人の操縦席だ。棺桶の中などと表現する人間もいる。それくらい、命を賭けるのがガントレットと言うものなのだろう。

(けど、今はこの場所が落ち着く。そう思おう)

 馴染みある場所ではある。自分がこのブラックケインを親の遺産として受け継いでから、動かす事こそ無かったが、何度とも入り込んだ。

 何時か、自分がこれを動かすのかもと夢を見ていたのだ。

(なら、今は夢が叶ったとも言えるのかな?)

 だが、そんな風には楽観できない。

 確かに、今のブラックケインは十分に動く。それが出来上がった頃の性能に対して、十全にとは行かないが、それでも並の鉄巨人より優秀だ。

 一方で、それだけとも言える。優秀な、ただの鉄巨人だ。それを動かす自分の腕次第で、どうとでもなってしまう。

(今ここで、試されているのは僕だ。けど、そう悩ましく思う事は無い)

 ただ、全力を尽くせばそれで良い。試しというのはそういう事だろう。

 アルハが自身の心を落ち着かせようとしていたところ、ブラックケインを通して映る外の景色。その大半を占める大きな扉が開いた。

 扉の先には広場がある。その周囲を壁と、その奥の観客席に囲まれた、大きな広場。

 コロッセウムの中心地。ガントレットを繰り広げる場。

「相っ変わらず派手だなぁ」

 扉の先の広場からは、ドンドンと花火が空を彩っているであろう音が聞こえて来た。勿論、それとセットでリナーリア……いや、ブルーマスクの声も聞こえる。

『みなさん、本日も良くお越しいただけましたわね! 皆さまが見上げる青く輝く一番星! ブルーマスクが今宵も見事に参上ですわよ! おーっほっほっほ!』

 鉄巨人用の通信装置を使用しているため、観客席からどころか、鉄巨人の操縦席内部から直接聞こえてくる。

 はっきり言って、五月蠅い事この上無い。

(レイルさん含めて、あの人と戦った選手はみんなこれを初っ端から聞かされるのか……そりゃあ、うん。うんざりするよ)

 これも作戦の内か、それとも、素での嫌がらせか。相手の性格からして後者なのではと思えたが、そこでさらなる嫌がらせが聞こえて来た。

『けれど、今宵は趣向を変えて、このコロッセウムに降り立った星は二つ。なんとなんと、一等品の鉄巨人が登場しますのよ!』

(ぼ、僕の事かっ!?)

 初出場での緊張が、周囲の注目を大きく浴びてしまった時のものに変わる。

 あのブルーマスクと同じくらいの興味が、自分が乗る鉄巨人、ブラックケインに向けられてしまう事になったのだ。

『さあ! ブラックケイン! 姿を現しなさいな! 星はあまり長く姿を隠すものではありませんわよっ』

 心の準備などをする時間すらも奪われてしまう。アルハはただ、ブラックケインの足を前に進ませ、コロッセウムの中心へ向かうしかなくなった。

「リナーリアさん……あんまり、初めからそういう風に目立つのは嫌なんですが……」

 ブルーマスクの鉄巨人、グランドゴリラへと通信を繋ぐアルハ。ブルーマスクは操縦席から体を乗り出してはいるが、一応は聞こえるはずだ。

『シャラップ! ガントレットとは、何時だって他者の目に映る姿を輝かせるもの! どれほど本人が泥臭くても、何時だって高らかに! 誇らしくしていらっしゃいまし! あ、それと、今はブルーマスクですのよ!』

 アルハにだけ聞こえる通信で返答が来た。さすがに観客へ聞かせる言葉とそうでないものの区別は付けているらしい。

 さらに向こうの発言は、言い返す事もできぬ正論なので、アルハは黙る他無くなる。

(興行ってのはそういうもんだ。仕方ない。こういう盛り上げを取引に、ブラックケインの部品を調達してもらったんだし……それに、目立ってるのはブラックケインであって僕じゃあない。今はそう思おう)

 応急処置みたいな気分で心を再度落ち着かせる。ブルーマスクの方の賑やかしが終わり、グランドゴリラへと乗り込んだからだ。

『さあ、ブラックケイン! どこからでも掛かって来なさいな! 先にこちらから……仕掛けて差し上げますわよ!』

(それは何時も通りだろっ!)

 戦いの始まりは、即ちグランドゴリラの突進である。近くで見れば、ブラックケインより一回り大きいグランドゴリラの圧力が凄まじい。

 近くに寄られ、掴まれればそれでお終いというパワーのそれである以上、すぐに逃げたくなる気分になる。

「実際、それが正解……ぐっ!」

 体に衝撃が襲い掛かり、悲鳴を上げそうになる。情けないのは、それがグランドゴリラの攻撃に寄るもので無く、ブラックケインを動かした反動に寄るものである点だ。

『まあ、少しばかり足は速い様子ですのね。もしくは、逃げ足が……かしら?』

 ブルーマスクの言う通り、ブラックケインの動きは素早い。迫るグランドゴリラを容易く引き離し、闘技場と観客席を遮る壁際まで一瞬で辿り着けた。

(背部の推進力変換器の調子が良い……いや、良すぎるんだ)

 鉄巨人には、街を包む霧を動力だけでなく、推進力に変える機能が存在する。

 ブラックケインは動く際、その推進力を中心に移動するタイプであるため、他の鉄巨人より素早く動ける様になっていた。

 ただ、並の鉄巨人は、その推進力をここぞと言う時以外には使わない様になっている。それは何故か。

(こうやって、動くだけで乗り手側が消耗するからだよ、畜生!)

 グランドゴリラが迫り、それをブラックケインがみっともなく逃げる事で回避する。

 たったそれだけの繰り返しだと言うのに、アルハの心臓は高鳴っていた。息も荒い。身体の節々が、既に痛みを発し始めている。

(本来、こいつはこういう移動の際の反動のクッションになる物が搭載されてたんだろうさ。けど、部分部分が二等品になっているから、それも十全に機能しない)

 結果、アルハはその衝撃を受け入れるしか無くなる。もっとも、無限に出来るはずも無く、逃げ続けるだけで、アルハが先にノックアウトする事になるだろう。

『盛り上がりません! それではまったく盛り上がりませんわ! ブラックケイン! わたくしを避けるのは大いに結構。ですけれど、逃げ回るのはガントレットではありません!』

 声が……観客席と操縦席。両方に響く声が聞こえる。

「まったく……無茶言うよね……」

 胸を抑え付ける。息はさらに荒くなり、一方で視界は霞まず、むしろ明瞭だ。

 視界の先には、こちらを挑発、もしくは励ましているグランドゴリラの姿。光硝子越しのその姿を見れば、否応なく、逃げ回る気が無くなってしまう。

「ああ……ったく。無茶だ。本当に無茶だ。何考えてるんだよ僕は」

 自分は初心者だ。これが初めてのガントレットだ。ブラックケインはそんな初心者にとっては扱い辛いタイプの鉄巨人である。

(逃げたって仕方ないだろう? 受身で、みっともない試合だって仕方ないさ。観客からは文句が出るかもしれないけど、それも仕方ない。ガントレットはこれが最後じゃない、経験を積んで、挽回だって出来るはず。なのに……)

 挑発に乗ってしまえ。そう囁く声が聞こえているのだ。

 ひたすら、頭の中に響くその声は、アルハのすべてを染めてしまいそうだ。

「落ち着け、落ち着け僕……緊張とか、そういうのを落ち着かせろよ……僕」

 高鳴る鼓動を抑えて、抑えようとして、抑えきれず、何故かアルハは笑っていた。




 グランドゴリラの一方的な試合。まあそうなるだろうなと思いながら、レイルは観客席でブラックケインの初試合を見ていた。

「性能的には、さすがはブラックケインと言った様子なんだけどなぁ」

 一等品の鉄巨人と言うだけはある。この圧倒的ブルーマスク優位の状況の中でも、それを覆すだけの性能がある様にも見えた。

(グランドゴリラが一方的な様でいて、まったく追い付けてないんだよな、実は。乗り手側に逃げ回り続ける体力さえあれば、良い勝負が出来るかもなんだが)

 惜しむらくは、その体力すらアルハに無さそうなところか。ブルーマスクの体力が、アルハのそれを上回っていると言うのもある。

 この点もガントレットの経験値の差なのだろう。体力の消耗を、技術で抑えたり代替えしたりする事も、アルハには出来ず、ブルーマスクには出来る。それを含めての能力の差だ。

(せめて……ブラックケインが初心者に扱いやすいパワー系だったら良かったんだが……機動戦主体だからなぁ……)

 ほんの少しばかり期待していた部分はあったが、その期待も、運が無いせいで消え去る。アルハの今後には期待と言ったところだが、現状、チームを組むレベルでも無さそうに見えた。

「よぉ、レイル。観客席で会うなんて久しぶりじゃねえか」

「うん? 何だ、ロキッドか」

 行きつけの店の店主、ロキッドが、何時の間にか隣の席に座っていた。彼はガントレット関係の店の店主だけあって、こうやって頻繁にガントレットを見に来るのだ。

 一方でレイルは、ロキッド程、観客としてはコロッセウムにはやって来ない。

 名うての選手や腕のありそうな選手の試合などは別なのだが。

「何だじゃねえよ。ブルーマスクの試合なんざ、お前さん、頼まれたって来たがらねえだろ」

 苦手意識があるせいで、ブルーマスクの試合は極力見ない。そういうレイルの姿勢をロキッドは知っているからか、今回はわざわざ話しかけて来たらしい。

「ちょっとな。ほら、前、店に来た子どもがいただろ」

「ああ、あの小僧か。ん? ちょっと待て、もしかして、一等品とか言われてる黒い鉄巨人の方に乗ってるのか? あの小僧が?」

「そうそう、あっと驚きの事実だよな? っと、口止めされてたんだったか」

「いや、口止めったって、一等品の鉄巨人の乗り手なんざ、すぐに知れ渡るさ。それに乗って、あのザマだとと特にだ」

 ロキッドの言葉は、酷な事実を告げている。自身に見合わぬ鉄巨人を乗る選手は、舐められた目で見られると言う事だ。

 街の下層で舐められると言うのは、それだけで身の危険が降りかかる。例えば、一等品の鉄巨人を、暴力を対価に寄越せと詰め寄られる可能性だってあった。

「あーあー、ありゃあ、これからブルーマスクに突っ込むつもりだぞ。この試合、すぐに終わっちまいそうだな」

 コロッセウムの中央では、挑発に乗ったらしく、グランドゴリラへと今にも突進しそうな姿勢のブラックケイン。

「あー、それは悪手だ、アルハ。逃げ回るより、もっと腕の居る戦い方だろうに」

 今のアルハに、接近してグランドゴリラとまともにやり合える戦い方は出来ないはずだ。

 ロキッドの言う通り、すぐに試合が終了してしまう事になる。ブルーマスクの勝利と言う形で。

「うん? おい、レイル。今、アルハって言ったか?」

「悪い。あのブラックケインの乗り手の情報は、本人に口止めされててだな」

「いいや、聞いたぞ。アルハっつうんだな。あの選手……まさかだろ……」

「何がまさかだ? 何か知ってるのか?」

 試合では無く、何時の間にかロキッドを見ていた。決定的な場面なので、出来れば今、気になる事を言わないで欲しいのであるが。

「いや……多分別人だと思うんだがね? こう、作業用の鉄巨人で仕事をしている人間の間で、最近、有名になって来てる奴がいるんだよ。そいつも、アルハなんて名前だったなと」

「ちょっと待て……あいつも、前まではそういう仕事をしてたそうだぞ?」

「そうだよな……だったら……」

 顎に手を当てながら、何故か困った様な表情を浮かべるロキッド。そんなに困る話題でも無さそうなのだが。

「何か、深い事情があったりするのか」

「いや、深いと言うか……ぶっ飛びアルハ」

「何?」

「だから、ぶっ飛びアルハだ。何でも、ぶっ飛んだ、気でも狂ったかの様な鉄巨人の動かし方するってんで、そんなあだ名が付けられてるんだよ、そいつは……ブラックケインの方は、そこまでの動きをしてるわけじゃあ―――

 ロキッドの言葉が、途中で遮られた。コロッセウム中に声が響いたのだ。ブルーマスクのでは無い。

 男の、それでもまだ少年の、少年らしからぬ笑い声だ。




「アァァァァァァハッハハハハハ!」

 操縦席に笑い声が響く。アルハはその声を五月蠅いなと感じたものの、自分の喉から出ている声なので致し方なかった。

 今はそんな事よりも、この熱意だ。この興奮こそが大事だと思う。

「よし! 大事だから、観客達にも伝えてみようか!」

 笑いながら、ブルーマスクが使っていた通信装置に接続し、その状態で再び笑い声を上げてみせた。

 さらには止まってる状態から、一気に加速。身体が軋む様な感覚があったが、知った事か。一気に近づいたグランドゴリラに手を突き出す。相手もこちらを掴もうと手を伸ばして来たが、なおどうでも良い。

『なん……ですってぇ!?』

 ブルーマスクの悲鳴が聞こえて来た。

 ブラックケインとグランドゴリラ。互いに伸ばした腕をぶつけ合ったあと、ブラックケインの手首部分に固定されていた杖状のそれが射出されれば、そんな悲鳴を上げるのかもしれない。

 やはりそんな事、どうだって良いのであるが。

「ああ! あああ! 止まらない!」

 射出された杖がグランドゴリラの装甲を叩き、相手が怯んだその隙に、さらなる加速と接近。止まる事なく蹴り付けながらももっと速く、もっと前へ。

『このっ……!』

 さすがに経験者。グランドゴリラはその体をズラして、ブラックケインの突貫をなんとか逸らした様子。

 結果、加速を続けるブラックケインは、必然的に、グランドゴリラの向こう側にある壁へ叩き付けられそうになった。

「あっぶないなぁ!」

 壁に叩き付けられる直前、もう片方の腕を手前に上げ、そちらにも固定されている杖を射出。その反動で、壁への直撃だけは避ける事が出来た。

 無茶な機動と、直撃は避けたが、それでも壁にぶつかった衝撃。それらで身体がバラバラになりそうではあったが、まったくもって些細な事だ。

「なるほどなるほど。杖は飛び道具なわけだ」

 グランドゴリラに射出した3発と、壁への直撃を避けるために射出した3発。合計6発。それを飛び道具として利用しつつ、持ち前の機動力により相手を振り回しながら一方的に攻撃する。

 それがブラックケインの本来の戦い方なのだろうと理解する。

 もっとも、肝心の飛び道具をすべて使い果たしてしまったわけだが。

「ヒヒッ。追い詰められてるね、僕」

 正直なところ興奮する。胸が留まる事を知らぬ様に熱くなって行った。痛みも良いカンフル剤だ。

 アルハはブラックケインを壁から振り向かせ、もう一度、グランドゴリラと向き合う事にする。

 あちらはどうしてだが、ブラックケインへ向いたまま立ち止まっている。

『あなた、随分と戦い方と言うか、性格が変わっていませんこと?』

「そうかな! 何時も通りだと思うけど! いや、何時もよりすっげぇわくわくしてる! 僕、今、燃えてるよ!」

『そ、そうですの?』

 その通り。その通りだ。さあ、戦おう。まっすぐぶつかってみたが、そこそこに上出来な結果になった。

 なら、次はどうしようか。同じ事をして、相手に容易く掴まるのは勿体無い。それではこのガントレットがすぐ終わってしまう。

 体中が何やらギシギシしているが、まだブラックケインを動かせるのだから、戦い続けられるだけ戦い続けるべきだ。その方が楽しい。

 故に、単純に突っ込んでやられるのはいけない事だろう。

(……本当にそうかな?)

 気になったので試してみる事にした。なんだって実行あるのみだ。後悔なんて後にするからそう呼ぶのだ。今は心の中の衝動に身を任せよう。

 ただ、突っ込むなら全力でだ。そのまままっすぐに進んだところで、ブラックケインの全速ではあるまい。

 だからこそ、最初からグランドゴリラへまっすぐ向かうのでは無く、軌道を闘技場の壁際を走り続ける形に調整した。

 闘技場は円の形をしている。壁際で弧を描けば、軌道もまた円の形となって、限界まで加速し続ける事が出来た。

『待ちなさい! あなた、それ以上の加速は身体への負担が尋常では無くなりますのよ!?』

「良いね! 最高だ! 自分の限界ってのがどこにあるか、この機会に試してみようじゃないか! ああああああ!」

 身体が痛い。胸は圧迫されて息苦しく、四肢は引きちぎれそうなくらいだ。今はそれが心地良い。

 もっとも、精神部分は兎も角、身体の方が動かなくなれば、グランドゴリラに突っ込むという楽し気な事が出来なくなるまで、程々にして置く事にした。

 けたたましく金切り音を鳴らす推進力変換器をさらに全力で稼働させ、一等品であるはずのブラックケインの躯体すら軋みそうな程にその軌道をズラす。

 闘技場を飛び回る速度をそのままに、今度こそグランドゴリラと向き合う。この速度で動き回れば、妨害できないくらいにグランドゴリラの機動性は低いのだ。

 つまり、何の妨害も無く突っ込める。避けたって無駄だ。こっちから向かうのだから受け止めてくれ。

『正気とはまったく思えませんわねぇ!』

「そういう割に、そっちの声も―――

 瞬時にグランドゴリラがブラックケインの直前へと迫り、次の瞬間には衝撃。

「楽しそうじゃないか!」

 ぶつかる寸前、グランドゴリラは4つの腕を広げていた。避けるつもりなんて毛頭も無く、殺人的なまでの速度に達したブラックケインを、その力だけで受け止めるつもりだったのだ。

 そうして、それは成功した。ブラックケインはまんまとブラックケインの腕に絡み取られてしまった。

『正面から受け止めれば、さすがに無理があったでしょうけれど……受け止める際の衝撃を極力軽減させる体幹と腕、足捌きを現実にしてこそ、一流のセレブ! 超一流のレスラーと言うわけですわ!』

「ははっ! ガントレットの選手って言わないところが相変わらずに面白い人だなぁ!」

 グランドゴリラはブラックケインの腰部を、背部の方の両腕で掴み取っている。逃げ回れるかなとブラックケインを揺さぶらせて見るものの、確かに見事な手と腕の動きでもって、脱出は不可能に思えた。

『結構。あなたは確かにその鉄巨人に相応しい……かどうかは分かりませんが、とても素晴らしい才能を持っていますわね。けれど、それも今回はここまでですわ!』

 腰に腕を回した状態で、グランドゴリラは機体全体をブリッジの要領で反らせ、地面へとブラックケインを地面へ叩き付けようとしてきた。バックドロップと言う奴だろう。

「本当に? それは勿体ないね。全力で何とかしてみたいところだ!」

 どうにも相手の腕からは逃れられない。その部分は認める事にする。ああけれど、腕と一緒になら逃げられるのでは無いか?

 とりあえず良い感じの発想だと思えたので、地面に叩き付けられるより前に、アルハは再びブラックケインの推進力を最大まで引き上げようと試みる。

『あなた……あなたねぇ!』

 何か、ブルーマスクが叫んでいるが、今は興味のある事に集中したい。

 未だグランドゴリラに捕えられたままのブラックケインであるが、その機体は激しく震えている。無理矢理に推進力を上げた結果、グランドゴリラの腕力と真っ向から対決する形になったのだ。

 結果、グランドゴリラのバックドロップは完遂されずに居た。

 それだけでは終わらない。ブラックケインの方も、グランドゴリラを掴む。その胴体では無く、こちらを掴んでいる腕の方をだ。

 両の腕で、グランドゴリラの腕を引っ張っていた。ただ、そんな行為で、鉄巨人の腕がどうにかなるほど柔ではあるまい。

 けれど、ブラックケインの推進力を足し込めばどうだろう? 試してみなければ分からない。だから今、直感的に試し続けている。

『やはり正気を飛ばしている様子! ですけれど、決着はもうすぐそこにぃ!?』

 ブラックケインの推進力が、ほんの少しだけグランドゴリラを上回る。その瞬間、グランドゴリラの足が地面から離れたのだ。

 そうなれば、後はただ、お互いに暴走するだけだ。

「さぁ! 一緒に何もかもを……ぶっ飛ばそう!」

 笑いが、笑いが止まらない。止められない。グランドゴリラを引きずりながら、またブラックケインが加速して行く。

 先ほど、闘技場の飛び回った時と同じ軌道で、今度はグランドゴリラとセットで回る。半ば引きずりながらも、やはりブラックケインの推進力がグランドゴリラの重量を上回っていた。

「アァァァァッハッハッハ!」

 叫び、笑いながら、グランドゴリラを引きずる事でさらに激しくなった震動と圧力を楽しむ。身体の大激痛がそれに答えてくれていた。

 今にも口から、笑い声以外の何かが飛び出て来そうだ。いっそ出してしまおうか。

『ぐぅううう! 我慢比べ……と言う事ですの!?』

 我慢など一切していないアルハだが、ブルーマスクはそう取ったらしい。まあ良い。お互い楽しめていて何よりではないか。

 ただ一つ、残念な事があるとすれば、この時間ももう少しで終わりそうと言う事か。

「ああっと、ごめんね、ブルーマスク! ちょっとこれ、ひっどい事になりそうだ!」

 ブラックケインが飛び回り続けたその闘技場に、変化が訪れる。酷い音が鳴ったのだ。ボキッとか、バキッとか、そういう聞くと痛く思えるそんな音。

『腕がぁ!?』

 まさにそれはブルーマスクの悲鳴である。犠牲となったのは彼女が乗る鉄巨人、グランドゴリラの右腕。

 ブラックケインの突撃を受け止め、そのまま暴れるブラックケインを掴まえ続け、尚且つブラックケインの方も、ダメージを与えるために腕を引っ張り続けていた。

 ひたすらに負荷を与えられたグランドゴリラのその腕が、等々へし折れたのだ。

「レスリングってのは、片腕だけで出来るもんなのかな!」

 一本腕を千切られたグランドゴリラは、ブラックケインからは自由になりつつ、勢いそのままに地面へとぶつかり、転がる。

 とんでも無い衝撃が操縦席を襲っているのだろうが、ブルーマスクの声がまた聞こえて来た。

『ぐっ……うぅぅ……ま、まだ3つ……』

 呻く声。力の無い声。今にも消え去りそうな声であったが、グランドゴリラは動き出し、立ち上がる。

『まだ3つ! 腕は残っていますわっ! さあ! 戦いは始まったばかり! あなたを掴まえる腕は、まだまだ健在ですのよ!』

 何と、声すらも高らかなそれへと復帰していた。ダメージを無視できるわけも無いだろう。やせ我慢か、それとも矜持と言う奴か。

 どちらにせよ、あちらも良い感じに温まってきている様子。こちらとしてもさらにテンションを上げて行かなければならないところだろう。

 アルハはブラックケインに、先ほど引きちぎったグランドゴリラの腕を適当に投げ捨てさせてから、残りの3本とどう戦ってやろうかと考えたところで……。

「……あ、やばい。ごめん、もう無理みたいだ」

 意識が遠のいた。なるほど、幾ら痛みを気分良く受け入れたところで、限界が遠くなるわけでも無かったらしい。

 世の中、中々ままならぬ様に出来ていると思いながら、アルハの意識は黒い景色の中に埋もれて行った。




 目が覚めた時に思う事は、色々とやらかしてしまったなと言う後悔だった。さらには体を少し動かすだけでも、全身に痛みが広がる事実に、もっと大きな後悔を抱く。

 そこまで考えたところで、アルハは声を発した。

「あれ、ここどこだ?」

「ん? おお、目が覚めたか? おーい! 患者が起きたぞ、なんかこう、するんじゃないのかー」

 知らない部屋で、知った声を聞く。痛む体を我慢し動かしてみれば、どうやら自分はベッドに寝ていて、その隣にはレイルが座椅子を用意して座っていた。

「患者? えっと……僕……ああ、そっか。ガントレットで無茶をして……」

「無茶って言葉だけで片付けられるあれか? もっとこう、ぶっ飛んだ表現が似合いそうな戦い方をしやがった様に見えたが」

「いや、鉄巨人に乗ると、どうにもあんな……って、今、何時、何日ですか!? こう、無茶をしたせいで、ずっと意識を失ってたとかそういう……あいたたた」

 どうにも自分が大変な状況になって居たのではないかと、今さらながらに戸惑い、慌てて見るも、体を少し動かすだけでも痛いため、おろおろとする事すら出来ない。

「私がわざわざ、何日も寝たっきりの相手の隣で、ずっと座って見ている奴に見えるか? 試合から1、2時間って程度だ。っていうか、体が痛むらしいが、それでも良く起きてられるな……」

 呆れている様な視線を向けて来る。そんな目で見られると、体が痛んでいるって言うのに、心まで痛くなりそうだった。

「頑丈な方ではあるんですよ。はい。自分の性質くらいは知ってるんで、その対処方法くらいはその……無きゃあとっくに死んでるか寝た切りになってるんです」

 あの戦いの、自分の興奮は初体験ではない。何度か経験し、自分はそういう性質を持っているのだと、アルハは理解していた。

「とは言え、体力的にはブルーマスク、リナーリアの奴には負けてたから、勝敗もその通りになったわけだな」

「それなんですよねぇ……ああ、情けないし、それ以上に試合内容がああああああ!」

 頭を抱えた結果、抱えようとして動かした腕が酷く痛み、悶えてベッドの上を転がった結果、全身にまでその痛みが波及した。

 筋肉痛に近いそれであるが、完治するまでにはまだまだ掛かるだろう。

「ちなみにここは、ガントレットで怪我した選手が運び込まれてくる定番の病室だ。お前の事だから、これからばっちり世話になるだろうし、憶えとけよ」

「別に憶えなくても良い。毎度毎度、怪我なんぞでここに来るなと言ってるだろうよ」

 部屋(一応、曲がりなりにも個室だ)に、体格の良い中年男性が入って来た。

 眼鏡を掛けており、その奥の目は知性を感じさせる物であったが、口周りの無精髭がそれを帳消しにしている。そんな男であった。

「えっと? どなたで?」

「だから憶えておけって。ここが病室なら、このおっさんは医者さ。ガントレットは怪我もするし、命だって落とす奴もいるが、それでも選手はある程度大事にされるんだ」

 つまり、この男はガントレット専属の医者と言うわけらしい。それについてを言えば、アルハにとっては有難い。

「こう……体の節々というか、どこもかしこも痛いんですが、治してくれますかね?」

「無茶な操縦をしたツケだ。二、三日休んでマシになれば完治も見えるし、そうでなけりゃあガントレットの選手なんてやめちまえ。命を大事にしないってのなら別だがね」

「は、はぁ」

 何と言うか、気難しい医者であるらしい。

 一応、気絶している間に、擦り傷等の治療はしてくれている様だが、それ以外については自分で治せとのお達しだ。

「このおっさんがこう言う場合、その意味はこうだ。今回は後遺症も残らないが、今後は保証できない。だから体は大事にしろ……ってな感じだろ?」

「ちっ……起きたんならさっさと帰れ」

 一応、レイルの様な選手には好かれるタイプの医者であるらしかった。ならばアルハも信用して置こうと思う。

 今後も、ガントレットでこの様な事態に良くなると思えたから。

「あ、けど、帰れと言われても、体を動かすのにも一苦労な痛さなんですが、僕」

「耐えろ。だいたい鉄巨人に乗ってる時は動かせてたんだろ」

「そ、それはその……僕自身の興奮状態があれだったと言いますが……」

 今はあそこまでのテンションには成れないし、心地よさなんてちっとも無くなっている。

「ここは選手共用の病室だ。あまり長居されるのも困る。せめて次の試合が終わる頃までには帰ってくれ」

 そう言い残し、医者は病室を去って行った。

「とりあえず、痛みがマシになるまでは休んで居て良いぞ。だってよ」

「今の言葉のどこに、そういう意味が隠れていたんですか?」

 もの凄まじく邪険に扱われた様にしか思えなかったのであるが、レイルは面白そうに笑っていた。

 そうして笑った後、突然に真顔になる。

「人には二面性ってのがあるんだよ。あの医者にも、お前にもな? あれはいったい何なんだ?」

「あれはと言われましても、ですから鉄巨人に乗ると興奮しちゃう性質なんですよ」

 それ以外に説明できない。別に記憶が飛んでるわけでも無いから、テンションが上がっていたという表現が一番正しいのだ。

「興奮とかそういうレベルのそれじゃないだろ。頭、どこかを2,3度思いっきり殴りつけられたりしたんじゃないのか?」

 お前、死ぬほど頭がおかしかったぞと言われている様子。そりゃあ自分でも、鉄巨人に乗っている時は無茶をしたなと思うものの、そこまで言う事は無いじゃあないか。

「うーん。何て説明すれば良いのか……レイルさん、鉄巨人とかって好きですか?」

「これと言って、それほど好きじゃあないな。ガントレットも、あくまで金のためだ」

「僕はね、好きなんですよ、鉄巨人」

「ふぅん」

 レイルの返事を聞いて、会話が止まる。言うべき事は言ったのだから、話題があるなら次へ進んで欲しいのであるが。

「……え、それだけか?」

「それだけって、好きな物に乗ってれば、やっぱりこう……気合が入るってものじゃあないです?」

「……悪い、頭が痛くなってきた」

「いいえ! むしろ素晴らしい話ですわね!」

 レイルが額を抑える仕草を始めた瞬間に、病室へさらに来客がやってきた。

 リナーリア……ではなく、まだブルーマスクである。青い覆面が目立つガントレット用の衣装を着こんだままなのだから、やはりブルーマスクと呼ぶべきだろう。

「そうか? お前が現れたせいで、今が一番痛くなってきたが」

「分からなくは無いですね。僕の方は全身が痛いですが」

 アルハは今、気絶より復帰したばかりであるのだから、当たり前みたいに疲労していた。そこに来てのブルーマスクの高い声は、中々体に響く。

「まあ、失礼な物言いですわね! わたくしの声と性格がそんなに不満ですの? ですけれど、そういう部分について、わたくしだけを指して言われたくありませんわね」

「いいや、私は違うぞ。私だけは真っ当だ。おかしいのはお前ら。オーケー?」

 苦々しくブルーマスク、そしてアルハを見つめて来るレイル。

 異議ありと答えたかったが、鉄巨人に乗っている時、他者と大きく違う様子になるのは自覚している。だからこそ、反論も出来ないのが悩ましい。

「それで……倒した相手に何をお喋りしに来たんです? ブルーマスクさん」

「あらあら、プライドを傷つけてしまいましたの? けれど、私が勝利したのは事実として、倒したとは言えませんわね。どちらかと言えば自滅でしたもの」

「あー……そっちについてもお恥ずかしい」

 試合を振り返ってみれば、アルハの戦法とは、ひたすらに暴走する事で、何とか一時的に格上の相手と張り合える状態に持っていくと言うものだった。

 その結果については、十分に出たのだろう。ある程度は無様な戦い方をする事は無く、相手にダメージを与え、そうして暴走の結果倒れたのだ。

 当たり前の、情けない、予想通りの結果である。

「恥ではあるでしょう。けれど、乗り手としての才をわたくしは感じましたわ。そう、鍛え上げれば、わたくしとチームを組むに相応しい存在として成長できますの!」

「ある程度は評価して貰って……え? なんですって?」

 評価以前の問題として、何か、突拍子も無い事を提案されてしまったので、そちらに意識が向かう。

 この女、今、何と言った?

「ですから、ガントレットもチーム戦が主体になってくるのはご存知でしょう? わたくし、実を言えば絶賛フリーなんですの。今は少々物足りませんけれど、鍛えれば十分、戦力として任せられる相手だと評価していますわ!」

「評価じゃなくて、何でブルーマスクさんとチームを組む事になってるんですか!? いえその、正直なところ、ごめん被るところが多々あると言いますか、こう……病室の窓をぶち破って、僕はこの世界最強のカワセミだーって叫ぶ方がまだマシと言うか」

 端的に言って、チームなんて組みたくないわけであるが、それをまともに言わないだけの分別と言うものも、一応はあるつもりだ。

 問題としては、率直に言わない場合、ブルーマスクが取り合ってくれるかどうかと言うものがあるものの、思わぬところで援護が入った。

 ずっと、こちらとブルーマスクを黙って見ていたレイルだ。

「あー……こっちに何か言って来ない限りにおいては、むしろ火の粉を被ってくれてるから黙って置こうと思ったんだが、チーム云々に関しては、私も言いたい事がある」

「あらいやですわ、レイルさんったら。もしかして、相手にされなくて寂しかったんですの?」

「そんな事は微塵も無いし、むしろほっといてくれてとても助かってたんだが、そいつとチームを組む予定なのは私だ。確かそうだったろ? アルハ」

 と、レイルに指を向けられる。なるほど、確かにそういう約束であった。

「でも、それって、僕の腕を見てからじゃないでしたっけ? 初ガントレットを見た上での話だったとしたら……あれで合格って事ですか?」

「その点に関してはこの女と同じだ。センスはある。ひたすらぶっ飛んでたって印象だが、むしろそれが良かった。遠慮しなくて良い奴だって理解できたよ」

 不名誉極まりない評価がされている様に思えたが、アルハにとっては、今後もガントレットに参加して行く上で、レイルの様な相手とチームを組める事になったのは良かったと思えた。

 問題はブルーマスクの方だ。

「まあ! でしたら、わたくしとレイルさんとアルハさん。3人チームが出来上がりましたわよ!」

「だから何でそうなる! そっちとは組みたくないってのは、こいつと私の共通意見だろ! なぁ?」

「有り体に言えばそうなりますね」

 率直さを見せなければ、もう納得してくれないだろうと思う。自分に返って来る話題である事は承知で、ブルーマスクという癖の強い選手と組むのは、中々にリスクがあると思うのだ。

 ただ、そんな断りの言葉だけで跳ね付ける事が出来る相手で無いのが、ブルーマスクであると、今ここで理解させられる事になる。

「本当に、わたくしとチームを組まないでも良いと考えていますの? お二人とも。特にアルハさんったら」

「僕自身、かなり厄介な選手ですから、それが二人揃うって、ちょーっと厳しいかなあって。どうなるか当人ですら分からないじゃないですか」

「それが楽しいのですわっ」

 そういう感想が来る事が厄介だと言いたい。多分、散々レイルが言葉にしてきて、それでも受け入れられないから今があるのだと思うが。

「楽しいお話はお嫌い? 鉄巨人に乗っている時のあなたでしたら、大好きだろうと思いますのに」

「あれは頭の一部が沸騰している状況なんでぇ……」

 冷静な話し合いが出来る状況では無いし、今はその冷静な話し合いをするべき状況だろう。

 ここに居る3人共に、この先についてが掛かっているのである。頭のネジが外れた状態で話す内容ではない。

「では甚だ不本意ですけれど、浪漫や派手やかさが無い話題になりますけれど……わたくしとチームを組まない場合、あなたのブラックケインはどうなると考えていますかしら」

「うっ……そ、それは」

 痛いところを突かれたと思う。今回、ブルーマスクの中の人であるリナーリアに、ブラックケインの部品を調達して貰った。それは良い。それはあくまで交渉に寄る結果だ。

 だが今後となると話が別になってくる。

「……アルハ、気絶してたからまだ知らないだろうが、お前が乗ってたブラックケインなんだがな……」

「良いです、レイルさん。乗ってた自分が一番良く理解してます。僕の戦い方って、つまり、鉄巨人を酷使するやり方ですよね」

 それもまたガントレットの在り方である。であるのだが、問題はやはりブラックケインが一等品の鉄巨人であると言う事。

「わたくしのグランドゴリラも随分とボロボロですけれど、ブラックケインの方もそれなりですわよね? まだ予備の部品があるでしょうけれど、それも何時まで持つか……」

 修理なんてものは、駄目になった部分を新しい部分に置き換えるという行為の事だ。新しい部分を手に入らなければ、故障したままとなってしまう。

 問題としては、アルハやレイルだけで、その新しい部分、二等品以上の部品を調達できない事であろう。

「露骨に脅して来ましたよ、この人」

「ああ、セレブってやつだな、これが」

「失礼ですわねぇ。どうしようも無い事実を教えて差し上げただけじゃありませんの。それにもう一つ、どうしようも無い事があるのを理解していらっしゃいまして?」

 ブルーマスクはさらにこちらを追い詰めて来る。本人に悪気は……いや、あるのだろうが、それでも、話題に出さない事が不自然な事ではあった。

「時期的に、まともに腕のあるフリーな連中ってのが、本格的にいなくなって来てるな。ああ、ここに居る3人で組んだ方がまだマシだってくらいにはだ」

 本当に、本当に苦々しく顔を歪めているレイル。アルハはそんな彼女を見て、渇いた笑いしか出せない。

 当初の契約通り、アルハとレイルがチームを組むと言っても、チームは三人一組に寄るものである以上、あと一人を探さなければならない。

 腕があり、財力があり、現状、フリーである。ブルーマスクの存在は、本人の性格とパフォーマンスを抜けば、最適とも言えるのだった。

「あんまり渋ると、むしろこの人に主導権を完全に握られると思いますけど、レイルさん」

「分かってる。分かってるんだ。くそっ、何時の間にか選択肢が潰されてる」

 世の中、何かを決めると言う事の大半は、そう格好の良いものでは無い。

 むしろ、幾つかの偶然と策略と、そうしてその決定のもっともを占める仕方の無さが、この社会を動かしていた。

「話し合いは済みましたかしら。そうでしたら、今後についてのお話を、わたくしも交えて相談していただきたいところですわねっ。そう、例えばチーム制のガントレットの場合は、どの様に入場すれば、歓声をその身に効率よく受ける事が可能か。などと言った相談を!」

 胸に手を当てて、そういう話題を真っ先に持って来る点を、アルハもレイルも遠慮したいのであるが、世の中の仕方のなさが、ここに居る三人がチームを組むという状況を決定させていた。

 ちなみにこれも仕方ない事であるのだが、この後すぐに、医者がまたやってきて、大声で五月蠅くする元気があるのなら、帰れと叱られる事になった。




「何にせよ、チーム結成の申請は通ってしまった。私達はここから手を組んで戦う形になるわけで、どう戦っていくかを決める必要が出てきているわけだ」

 下層部のブルーマスク……今はリナーリアである彼女の部屋でレイル達は集まり、今後についての話を進めていた。

 今後と言うのは、勿論、チーム制が試験的に導入されたガントレットについてだ。

「何か難しい話ってわけじゃあない。三対三の戦いには、それ用の会場なんてもんがまだ用意されていない以上ならない。これまで通り、それぞれが一対一で戦う事になるだろうさ」

 レイルは目の前のテーブルに、配布されているルールブックを広げ、他の二人。リナーリアとアルハを見た。

「チームがそれぞれ一人ずつ出して、二勝先取でチーム勝利ですわね! 盛り上がりとしては、最初の二戦で一勝一敗となり、最後の一戦でチームの勝敗が決まる事がベスト!」

 レイルは盛り上がりなど考えず、露骨に勝ちへと向かいたいところだが、チームを組んでしまった以上は、チームメイトの意見というのを多少なりとも汲まなければならないのが悩ましい。

「戦略性の部分を言うのなら、あれですよね。確か誰が何戦目に出るかについては、開始直前までに決める事が出来て、始まれば変更は不可っていう……観客的には盛り上がるのか」

「賭け金がその時点で固まってしまうから、その後の変更は文句が出るってわけだ。基本はどっちのチームが勝つかに賭けて、その後の戦う順番の組み合わせで、観客に一喜一憂して欲しいってところなんだろう」

 興行としては、やはり正しい。単純に一対一での勝敗を競い合うと言うのは、選手の体調と技術、経験のみに寄るが、この形なら、多少とは言え運の要素が絡むのだ。

 それで居て、頭で考えればどちらが勝つかを予想できそうにも見えるから、その部分でも賭けとしては面白味になる。

「わたくし、三戦目を希望! と言いたいところですけれど、やはり確実に戦える一番手を努めたいところですわっ。一番最初に、一番目立つ! これぞセレブの流儀!」

「だからそこは戦略だと言ってるだろ! そう言うのは戦う事になるチームを見て決めるんだ」

「今後、行われるチーム戦は試験的導入ですから、だいたい力量が互角と判断されたチーム同士を、主催者側が決定して戦わせるんでしたっけ。まだ発表待ちですけれど」

 だが、時期的にもうそろそろではある。本当に、レイル達がチームを組んだのはギリギリのタイミングだったのだ。

「幾つか、ぶつかりそうなチームに心当たりはあるが、今の段階で決めつけるってのもな。どちらかと言えば、私達の力量の底上げをしておく時期ではあると思う」

 そう時間があるわけでは無いので、出来る事は限られていた。特訓云々だのまで言うつもりも無い。付け焼刃になるのが目に見えている。

「すみません。ガントレットにおける戦略とか、何をすれば強くなれるかとかをあんまり知らないんで、具体的な話とかってありますかね?」

「アルハさんの場合、走り込みですわね!」

「そういうレスリング的な話ではなく……」

「いや、お前の場合、それで正しい」

「本当ですか?」

 疑わし気にこちらを見つめて来るが、彼の場合はまさにそれが正しい力の付け方だった。

 アルハの戦い方には、本人の体力が必要だ。滅茶苦茶な機動戦と読むに読めない前後関係が結びつかぬ行動。

 リナーリアでさえ振り回されたそれであるから、しっかりと武器にしたい。

 なので、途中でアルハの限界が来ない様にひたすら体力を付けて貰う。具体的には良く食べ、良く運動をしてもらう。

「小細工なんてしなくても戦う術があるのだから、そこに飛びついて居てくれ。問題は私達だ」

「わたくしも小細工なんてする気がこれっぽっちもありませんわ!」

「お前が一番して欲しいんだけどなっ!」

 十分に経験があり、腕もあるリナーリアであるが、それをあの接近戦だけを行う方針でがちがちに固めているのがこの女だ。

 少しでも飛び道具……せめて中距離で戦う武器でも持てば、一気にその戦力は増大すると言うのに、それをしない。

 そういう拘りを持つ女であるからこそ、チームを組む事に抵抗があった。

「腕、一本がもぎ取られて修理中だったよな? お前の好きなレスリングが出来なくなってるんじゃあないか?」

「ご心配には及びませんわっ。労力と財力をばっちり使って、きっちり万全な状態に戻して見せますの!」

「羨ましい話だよ、まったく。あー、お前に関しては何時も通りにしてくれしか言えないな……」

 最近は頭痛が多い気がする。今だって痛くなってきていた。気圧のせいだろうか。街の下層は何時だって霧が濃いが……。

「じゃあ、小細工をするのはレイルさんだけって事になりますね」

「そうなるな。武器の方にちょっと細工を……鉄巨人の方にも……いや、それだと金が……」

「あら、金銭面でしたら、わたくしが何とかして差し上げてもよろしくてよ。何と言っても、レイルさんとわたくしはチームメイト何ですもの!」

「お前には絶対、借りなんてのは作りたく無いんだよ!」

 矜持の部分が大きい発言である。この女に一旦貸しを作れば、その後に何をしでかしてくるか。想像するにしても碌なものでは無い。

「まあ残念ですこと。ですけれど、3人共に方針は決まってしまいましたわね」

 言われてみれば、相談の本筋はこれで終わってしまった気がする。チーム制そのものがまだ試験的な部分が多いため、細かい部分を決定する状況でも無いのだ。

「となると……ここらで一旦解散か? 当日までには、しっかり自分達の方針を守り、十分に戦える状態までにしておく……って事になるが」

「なんて言うか、あんまりにも単純過ぎて、何かまだ、やるべき事があるんじゃないかって思ってしまいますよね」

 そういう考え方は正しい。準備出来る時に、準備出来る事はしておくべきだ。ただし、どれほど焦ったところで、出来る事が少ない場合だってあるのだ。

「アルハ、お前に限って言えば、言う通りの走り込みをしていればそれだけで―――

「いいえ! まだ話は終わりではありませんわよ!」

「え? 走り込み以外にも運動を?」

「出来るのならば指導して差し上げたいところですけれど、今は別件ですの!」

 リナーリアの目は輝いていた。少なくともレイルにはそう見えた。そうして、この女がこの様な目をする時は、碌な事にならない事を知ってもいた。

「どう目立つかの部分か?」

「それもそうですが、まず根本! チーム名ですわ! チーム名! やはり登場する時は、そのチーム名を高らかに宣言しなくては!」

「ああ、そういえば、そういうのも決めとけって申請出した時に言われましたもんね……」

 アルハの言う通り、チーム制導入と同時に、チームを区別するためのチーム名も決めろとのお達しを受けていた。チームの申請よりかは猶予があるらしいが……。

「……チームマッチョ。とかどうだ? 強そうじゃないか?」

 ちょっと良い感じの名前を思いついたため、発言してみるが、何故か無言が返って来た。

 その無言も暫く経てば、アルハが中断してくれたのであるが……。

「……とりあえず、期間までに考えときますね、僕」

「わたくしも、出来得る限り人から良い印象を持たれる名前案を絞り出しておきますわっ」

 何故だろう。最後になって、レイル自身の考えに二人が引いた気がする。これはおかしい。この三人の中で、自分がもっともまともであるはずなのに。




 チームマッチョ(仮)の相談から暫く。チーム制ガントレットの初対戦まであと数日と言ったタイミング。

 日々、言われた通りに走り込みをしているアルハであったが、霧深い街の下層部で、その様な事をしている人間も少ないため、少々、気恥ずかしさを感じていた。

(他の人って、体を鍛えるためにどうしてるんだろうね? そういう事してる人を見た事が無いけど……)

 考える必要も無い事まで考えながら走る。その方が、周囲の目を気にせずに済むのだ。

 ただでさえ、初戦となったブルーマスクとのガントレットからこっち、奇異の目で見られている気がする。

「……一息入れるか」

 多少なりとも息が乱れて来たため、走るのを止めて歩き始める。このままどこかで寝そべりたい気分でもあったが、それはしないだけの恥くらい自分にはある。

(それに……休むのに丁度良い場所ってのもあるしね)

 走るのを止めたのは、その付近に来たからでもあった。

 ブラックケインが納められた倉庫が近くにあるのだ。

 修理については、リナーリアが今後の期待も込めてなどと言って、万全な状態にまで仕上げてくれた。勿論、彼女が雇った整備士が。と言う意味である。

 そんなブラックケインを、何度となく、走り込みの途中で見に来ているのがアルハだった。

「……僕だけじゃあ無いみたいだけど」

 倉庫の近くまで来たところで、レイルを見つけた。と言うか、倉庫の出入口で誰かを待っている。予想してみるに、きっとアルハの事を待っているのだろう。

「よう。頑張ってるみたいだな」

「そっちも、僕が気まぐれにここに来るのを待ってるなんて、随分頑張ったじゃないですか」

「お前、ぼぼ毎日、ここに立ち寄ってるだろ。お前に会うならここで待つのが一番だ。違うか?」

「……そういう説もありますね」

 話が長くなりそうな雰囲気を感じ取ったため、とりあえず倉庫の出入口を開き、中へと入る。

 一応、椅子くらいならあるのだ。机は無いが。

「何が説だ何が。結構、気持ち悪い日課をしてるぞ、お前」

「初めて乗って戦った鉄巨人に拘るの、そんなに気持ち悪いかなぁ……」

 頭を掻きながら、それでもブラックケインを見た。戦いの中で、多少なりとも傷ついているそれであったが、再び戦える状態だ。十分に戦える。そういうお墨付きも貰っている。

 そんな戦いも、もうすぐに行われるだろう。その未来に、心が昂らないと言えば嘘になる。

「入れ込み過ぎている様には見えるな。前の戦いも含めて」

「……今日、ここに来たのはそれが理由ですか?」

 何の意味も無く来る人とは……いや、意味も無く来たりするタイプだと薄々勘付き始めているが、それはそれとして、今回には理由があるはずだ。

「言ったろ? 勝つための準備が出来るのなら、出来る限りして置こうと思っているんだ」

 レイルは倉庫内の椅子を適当に引っ張って来て、そこにどかりと座る。女性らしい動きくらいしたらどうかと常々思っているところだ。

「何か……ブラックケインに仕込むつもりですか?」

「いいや、こいつに対して余計な事をするのは怖い。一等品の鉄巨人なんて触った事が無いしな」

「となると……僕?」

「その通り。そうして走り込みをやめろって事じゃあない。肉体面に関しては鍛えて、前日にはしっかり休ませておけよ」

 注意というより助言を受けて、その部分は納得しておく。

 では、本題は何であるか。恐らくはアルハのメンタル面であろうと当たりを付けた。

「僕の性格の、どういう部分が問題ありますか?」

「案外聡いな。問題と言うか……お前の拘りについてだ。何か理由があるのなら聞いて置こうと思ったんだ。おっと、話し難い事なら無理に言うなよ? あくまで精神的な部分をケアして置こうって判断だ」

 チームメイトのメンタルケアまで気にするなんて言うのは、随分と気合が入っていると思う。彼女の、ガントレットに対する本気が見て取れた。

「なるほど……そういう話ですか。けど、前に言いませんでしたっけ? ガントレットが楽しいからで―――

「本当にそれだけか? あっと、すまん。深く無遠慮に踏み込むって言うのも、精神的にはダメージか」

「……心配はしてくれてるわけですね」

 確かに、自分のガントレットや鉄巨人へ向ける思いは、他人と比べれば尋常のそれでは無いだろう。

 自覚はあるし、それが、ガントレットへの興味から来ているのは本音だ。

 そうして、レイルが察している通り、もう少し深い理由があった。

「とりあえず、本番前に出来る事を兎に角やっておくのが私のやり方なんだ。チームを組むって言うのなら、受け入れて欲しいところだな。何度も言うが、話すのが本気で嫌なら話すな。それはそれで、試合に差し障りがある」

「んー……いえ、ちょっと時間をいただければ、理由くらい話しますよ?」

 既にチームメイトになっているのだし、ある程度、自分の経歴くらい話しても良い相手のはずだ。

「何だ軽いな。ちょっとしたトラウマでもあるんじゃないかと思った」

「トラウマって言えばトラウマなんですけどね。そもそも、何で僕が一等品の鉄巨人を持っているか何ですが……」

「親から受け継いだもの……だったか」

「ええ。っていうか、これを開発したの、僕の曽祖父なんだそうです」

 そこから代々伝わって来て、現在はアルハに至っている。そういう類のものだ。

「ちょっとばかり驚きだが、それくらいで無ければ、小僧が一等品の鉄巨人を持っている理由にもならない……のか?」

「そうですね。その通りなんでしょう。その曽祖父から代々受け継いだこの鉄巨人……どうにもそれが関わる事で、親が落下人になってしまったみたいで。こいつに乗り続けていれば、その理由も分かって来るのかなと思ったんです」

 深い理由……とも言えないかもしれない。直感的な行動なのだ。残されたブラックケインに、何がしかの価値を見出すには、ガントレットに出場して、直接ブラックケインを動かせば……などと考えたに過ぎない。

「動機みたいなものは見えるが……それで何であんなテンションになる?」

「いえ、だから、色々と複雑な思いを持ってたところ、とりあえず鉄巨人に乗ってみれば、こう、複雑な思いが化学反応でも起こしたんですかね? こう……堪らなく興奮してきて……」

「……私の方のメンタルが心配になってきた」

 何故だろう。率直な内面を晒しただけだと言うのにショックを受けられた。ここは、自分の事を明かして絆を深める場面では無いのか。

「他人様の人生語らせておいて、その態度は無いんじゃないです? じゃあ、そっちはどうなんですか」

「私? 私か? 言っとくけど碌なものじゃあないぞ? 生粋の下層民ってやつだ」

「生粋の下層民は、そもそもガントレットの選手にならないんじゃあ?」

 そもそも、碌な鉄巨人を用意できない。

 興行を盛り上げるためとして、鉄巨人の貸し出しなどもしているのだが、大半の場合がジャンクに近いそれであるし、さらに試合後の修理費用は選手持ち。夢を持って挑戦して、何一つ結果を残せず、借金だけが残るなんて状況もあり得る。

 と言うより、そんな悲惨な末路が大半だと聞く。

「私みたいな女が、それこそリナーリアみたいに財力の後ろ盾も無く、ガントレットで一端の選手を出来てるのがおかしいと?」

「そりゃあそうでしょう。そこを言い繕うのは変な話じゃないですか」

「……私としては、普通に挑戦して、堅実に勝利してきただけなんだけどな」

 その普通のレベルまで至れるのが少数であるならば、それは一般的では無く特別なのだ。その特別さが、何を担保にしたものか。

「こっちも言っときますけど、深く聞くなんてのは失礼ですから、これ以上話す必要なんて無いです。けど、こっちが話したんだから、そっちが話してくれないとフェアじゃないって思いは、やっぱりありますよね」

「別に、私だって隠してるわけじゃあないさ」

 どうだろうか。恥ずかしいから言いたくないのであれば、それは隠しているのと同様の気がする。

「そんな顔するな。私の場合はな、やっぱり嫌いなんだよ」

「嫌いって……ガントレットが、ですか?」

「この街が、だな」

「確かに、碌な場所ではありませんけれど」

 特に、この下層部の酷さったらない。

 深い霧は、人々の心にすら影を投げかけており、人気の無い場所では何がしか、薄暗い事が行われている。もっとも、誰もいなくたって霧のせいで薄暗いが。

 時々、本当に息が詰まりそうになる事もあった。

「何が一番嫌いかって、生まれた瞬間から、どう生きるかが決まり切ってる場所でもあるからだな。それが真っ当な物じゃないなら尚更だ」

 下層で生まれた人間が、上へと向かう事は殆ど無い。濃霧の中で産まれ、光が遮られた霧の中で生き、そうして死んでいく。まるでそれが運命だと言わんばかりだ。

「だから、ガントレットで一旗揚げようとした?」

「勝ちさえすれば、実入りは良いんだ。唯一、まともに生きていけるくらい稼げる職業でもある。この下層ではな」

 上へ行けば、そういう真っ当な職業と言うのも増えて行くだろう。だが、下層民がそれを得るのは難しい。

 この街では、そんな区分けがしっかりとあるのだ。アルハ自身が落下人であるのと同様に。

「将来は、やっぱり街の外へ?」

「まとまった金さえあればそうなんだが……そのためにも、チーム戦でだって稼げる選手になりたいもんさ」

 街を出るにしても、そのための用意と言うものはあるだろう。野で暮らして行けるはずも無く、余所の街に移るには、街の上層へ向かう以上の苦労だって必要だ。

 そういう苦労を、レイルはガントレットで買って出ているのかもしれない。

「ガントレットを好きで始めた僕とは、かなり違いますね」

「そんなもん当たり前だろ? あのリナーリアだって、私達とはまったく違う理由でガントレットをしているわけだしな」

「あの人こそ特殊ですよ。世の中にああいう性質の人が何人も居たらどうなる事か……」

 セレブという人種がああいう人間の集まりだとしたら、街の上層部を想像するに震えて来そうである。

「兎に角、これでお互いのガントレットに参加する理由ってのが分かったわけだ。どうだ、気分は? 本番は上手くやれそうか?」

「まあ、自分の経歴を明かしたり明かされたりするだけの価値はあったって、思えれば良いですよね」

 自信の程を言えば、あまりない。次で二戦目。次こそは勝ちたいと思うものの、経験と言う意味ではまだまだな自分がいるのだ。

 だが、それを言葉にしない意地くらいアルハにもある。目の前の、勝ちを望むチームメイトに対して、自分だってと言えるだけの気概もあった。

「あ、レイルさんの経歴は分かりましたけど、肝心のガントレットに挑んだ時はどうだったんです? やっぱり経験不足でコテンパンですか?」

「おいおい。一緒にするなよ。私の場合は、そんじょそこらの展開とは違うさ」

 話はお互い、まだ続いて行く。

 それは次のガントレットへの不安を紛らわせるためか、チームメイトへの気使いからか。それとも、出来た奇妙な縁を大事にしたいと言う思いからか。

 そのどれであるかはアルハ自身にも分からないままだが、それでも、ガントレット本番はこの瞬間にも近づいていた。

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