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001-??? 魔王

 その日は、まん丸な月が出ていた。

 丸く明るい月。


 闇夜に浮かぶそれを、美しいと思う者も、幻想的と言う者もいるだろう。

 月は1つなれども、見る者によって姿を変える。


 しかし、それゆえに、今夜の月を、恐ろしいと感じる者もいるかもしれない。


 こんな月の日には、怪物が出るのだと――。


 月は森を照らしていた。

 一葉一葉の緑を、際立たせるように明るく、反面、影を色濃く落として。

 

 森は、人の手が入っていないような状態で、鬱蒼と茂っているとも言えた。

 木々などは密集している上に、枝が高低の様々な位置から、東西南北の様々な方向へと伸びているせいで、まるで生き物の侵入を拒むかのような姿になっているようにも見える。


 地面から生える草花もまた同様であり、擦れれば肌に傷がつく葉や、足が引っかかっても千切れないようなツタが、所狭しと育っていた。


 こんな優しくない森を自由気ままに動けるのは、小さな動物や虫か、あるいは小鳥くらいで、大きな動物、特に人にとっては歩くのも億劫に違いない。


 もしも人がこの森で、自由気ままに行動したいと思ったならば、まずは手にナタか何かを持つべきだろう。


 木と木の間に張られたツタを切らねば、進める道も進めない。ナタでなくとも刃物は必ず必要である。

 反対の手には、暗い場所でもそれらが見えるよう、ライトが欲しい。いや、メットを被りライトはそこに取り付けておくべきか。


 それから厚手の服や手袋だ。木の枝や、草の葉は、人の柔肌など簡単に傷つける。また蚊や虻といった虫から守るためにも、しっかり着込んでおかなければいけない。


 同様にズボンも厚手のものにしておきたい。

 特に足元は見えないところであるから、引っ掛けることもよくあるはず。


 そして靴だが、滑り止めがしっかりついているものでいて尚且つ、尖った石コロを踏んづけても破れない、丈夫なものが良い。


 他にも、必要なものは多々ある。

 コンパスであったり、ロープであったり。

 さらには、必要不可欠でなくとも、欲しい物だって多々ある。


 人がこの森で行動したいと思ったなら、やはりそのくらいの装備が必要なのだ。


 それだけの装備をして、やっとこさ、この森に相応しい、そう言える。


 だから、その女は、この森に相応しくない、そう言えた。


 女は裸だった。


 裸足の足裏には、落ちた枝や転がる石を、踏んづけたことでついた生々しい傷跡が見えている。


 細く筋肉のついていない、しなやかなふくらはぎやももにも、枝や葉で切り傷が絶えない。


 女の所持品は、体を拭く布のような、そんな布っきれ1枚だけ。

 布を女は体に巻くわけでなく、ただ胸の真ん中に当てて、前を隠すために使っている。


 そのため、後ろから見ればお尻が地面を踏む度揺れているのが丸見えだ。


 背中ももちろん、素肌をさらしている。

 キラキラと時折光るのは、かいた大粒の汗が月明かりを反射しているからだろう。


 しかし布でその汗を拭くようなこともせず、右手でギュッと握りしめたまま。

 そうやって力を込めるからか、布は持ち手側に少し寄ってしまい、左の乳房は布からはみ出て揺れていた。


 唯一首には、なにやら黒い輪を嵌めているが、それは体を隠すことにも、守ることにも、なんの役にも立っていない。


 ところが不思議なことに、そんな格好にも関わらず、女の顔は、確かに少々赤いが、羞恥で赤くなっているわけではなかった。

 額から吹き出る大粒の汗も、気恥ずかしさからのものではない。


 女の顔から、心は全く別のことを思っているのだと分かる。


 眉間にシワを寄せたような、難しい表情をした女、その、そばかすのある辺りだろうか。

 木々が伸ばした枝が当たり、ちょいと引っかいた。


 女は当たった側の左目だけを、ビクッ、とつむる。

 枝は硬く尖っていたのか、顔には引っかき傷がつき、血が滲み出してきた。


 その傷は存外長い。

 鼻の横から、耳の付け根付近まで、3,4センチはあるだろう。サックリと傷がついてしまっている。


 おかしな話だ。女がゆっくり歩く程度のスピードで進んでいたのなら、枝が当たった瞬間に止まったり、顔を避けたりするはずだから、そこまでの長さの傷はつかない。


 つまり、これだけ長い傷がついたのは、止まることも避けることもできないスピードで走っていたからに他ならない。

 こんな森の中を。

 そんな格好で。


「はあ、はあ」


 女は全力で走っていた。


 再び顔に傷を作っても、息を切らしながら、肩を上下させ走っている。


 布を持つ手を、胸元で硬く握り締め。例え乳房を隠せていなくても、こけてしまって膝から血を流しても。


 背中から大粒の汗を流し、それがお尻へ、もも裏へ、そして地面に落ちる。

 しかし地面を濡らすのはむしろ汗よりも、膝や足の爪や裏から滲む血で濡らす方が多かった。


 そんな目を覆いたくなるような痛々しい足裏は、再び尖った石を踏んでしまう。


「いっ――」


 女は顔を苦痛に歪めた。

 新しい傷ができたのか、血が出ているのか、女には確認する術がないが、やはり痛いは痛いのだ。しかしそれでも女は止まらない。


 恥ずかしさなど感じる暇もなく、苦しみに止まる余裕もなく、目に涙を浮かべ、何かを一心に願いながら、女は全力で走っている。


 その姿は、まさに必死と言えるだろう。

 どうしてそこまで必死なのか。

 走る理由を、女はチラリと、ほんの一瞬、振り返って見た。


「おらおら奴隷ちゃんよー、もっと速く逃げねえと捕まえちゃうぜー」


 そこには、男がいた。


「遅いよ遅いよー、ほらもっと速く走れよー」


 1人ではない。男は合わせて6人。


 手にはツタを切ることのできる剣を持ち、もう片方の手には明かり。

 てぶくろを着け、厚手の服を着て、ズボンを履き、靴を履き、女よりも圧倒的に、この森に相応しい格好をしている6人の男。


 絶望の表情を再び前へと向けた女の背から、ほんの3,4mの距離にいるその男達は、平たく言えば盗賊で、俗に言えば、悪人である。


 女の格好を見て、この森にいるのに相応しくない、と言い表すのなら、男達はその罪から、この森にいるのに相応しくない、そう言い表すべきだろう。


「お仕置きが必要みてえだなあこりゃあ。今夜は寝かせてやんねーぜ?」


 男達は随分楽しそうに、女へ卑猥な言葉を投げかけている。

 その様子は、女の必死さに比べると大きく違う。


 当然の話だ。

 逃げている女はただの女で裸で、追いかけている男達は盗賊で正しい装いをしている。

 道を走り慣れ、森を走り慣れた男達は、懸命になることすらないまま、いつでも女を捕まえることができる。


 あえてゆっくり走っているだけだ。

 理由はおそらく単純なものだろう、男達の表情を見れば分かる。楽しいのだ。


「また遊ぼうぜ一緒によー」

「あんなに喜んでくれたじゃねえかー!」

「お前はもう一生俺達の奴隷なんだよ!」


 後ろからこうやって声をかけ、女を絶望させていくのが。

 男達は何かを言う度、楽しげに手を打ち、女の体がビクリと震えれば、まるで畜生のような歓声をあげた。


 女と男達の関係は、容易く想像できる。

 だがきっと、扱いは想像を絶する。


 だからこそ女は、石を踏みつけ痛みにもだえようとも、お尻や乳房をさらしても、顔に傷をつけても、逃げようと必死に走っていた。


 女は助けてと叫び、誰かと叫び、何かに縋るように必死で叫ぶ。


 こけて、こけて、こけて、その度に周囲を取り囲まれ、わざと逃がしてやろうとでも言うような、ニヤニヤと笑うその顔の横を走り抜け、逃げ続けた。


 しかし、こんな夜の深い森には、誰かが助けにくるわけもなく、ましてや逃げ切れるわけもない。

 女とて、逃げられないと分かっていた。


 それでも逃げずにはいられないのだ。

 女はもう、どこかに救いがあるのだと信じずにはいられない。

 女はもう、どこかに救いがあるのだと信じなければ、生きてなどいけない。


 けれども、最後はあっけなく、逃避行は終わりを告げる。


 木々が少し途切れ、ほんの少し月明かりが入るような、この森の中ではそれなりに開けたと言える場所で、女はまた木の根か何かにつまずき、こけてしまった。


 女はすぐさま立ち上がろうと、自らの足に目をやった。

 足の爪は、何度も何度も躓いたからだろうか、剥がれ、血まみれになっている。


 途中から、痛いという感覚すらなくなっていたのだ、そんな風になっていることはきっと分かっていた。

 ところが、女はそこを見た瞬間、泣き崩れてしまう。


 理由は女にしか分からない。家族と過ごしていた頃を思い出したのか、恋人と過ごしていた頃を思い出したのか、初めて靴を買って貰った日のことでも思い出し、もう履けないな、なんてことを思ったのか。

 ともかく、女はその時に、自分がもう幸せな頃には戻れないことを理解した。


 だから、もう走れなかった。


 女は年端もいかぬ少女のように、わんわんと泣き、男達は各々歩きながら、それはそれはとても面白そうに、にやついた笑みを浮かべやってきた。


「ようやく諦めたのか、強情なやつだ、けどそれが良いんだよ」


 そう言った男は、女の体を舐めまわすように一瞥すると、自分の腰元を触り始める。

 カチャカチャと、音がしたかと思うと、男はおもむろにズボンを下ろし、自らの下腹部をあらわにさせた。


 待ちわびたとでも言うように、そこは既にいきり立っている。


 女をあえて捕まえず、走らせたのは、単に楽しむため。

 必死に逃げる女を、努力した女を、希望を抱いてしまった女を、叶わぬと知り絶望した女を、女として楽しむため。

 追いかけている最中から、その最後を想像していたのだろう、男はもう我慢の限界だった。


「丁度良い広場だなあ、ほらよ、また仲良くやろうぜ」

「いや……、いや、誰か、……助けて」


 だからか男はその場で、泣きながら首を振る女の両肩を押さえつけ、地面に横たわらせる。


 女の抵抗には最早力など入っておらず、されるがままに仰向けに寝かされ、腕を他の男に掴まれ、自らの体をどこも隠すことができないよう大きく広げられてしまう。女の体を守っているのは、乗っかっている布1枚。


 その最後の砦も、むろんあっけなく剥ぎ取られた。

 女の体の全てが露になる。


 汗ばみ湿り気を帯び、上気した体と、涙を流すその表情は、男達を満足させるものだったのか、ニヤついた笑みはさらに増した。


 下腹部をあらわにしている男も同様で、ニヤけながら太腿を持ち、女の足を無理矢理左右に広げる。

 そうして自らの物を、まるで見せつけるように女のそこへ近づけていく。


 女はどこかに救いがあるとはもう信じられない。


 だが、救いがあると信じなければ生きていけない。


 自身が置かれた境遇の中では、何にも縋らず生きていくなど辛すぎてできなかった。


 足を必死に閉じようとしても、体をよじろうとしても、あてがわれた物からは、逃れられない。

 女は思わずギュッと強く目を閉じた。


 嫌悪感と、これから襲ってくるだろう痛みに、目を開けているのが耐えられなかったのだろう。


 ――しかし、しかし。


 人の体はよくできている。

 目をつむり、視界を遮ったことで、耳が周囲の情報を拾おうと過敏に動きだした。だから女には、下ろしたズボンの擦れる音が、男達の下卑た笑いが、森のざわめきが、


「ああ、俺は本当に運が良い」


 そんな、声が聞こえた。


 傍にいる男達とは違う、下品なしゃがれた声ではない、声変わり前の少年のような透き通る声。

 傍にいる男達とは違う、下品で楽しげな声ではない、純粋に心の底から楽しんでいるような声。


 女は、あまりにも場違いなその声に、思わず目を開け、自分の中に押し入ろうとする男すらを無視して、その背へと、聞こえた方向へと顔を向けた。


 まずは、足が見えた。柔らかな芝生を踏んでいる靴。

 声の主は、森の中を歩くに足るズボンと服を着て、ところどころには皮や鉄製の装備もし、腰に剣を差している少年だった。


 ライトなどの明かりを持ってはいなかったが、それが当然にも思えるような、夜が似合う雰囲気を醸す少年。


 暗闇の中を長時間走っていた女は、暗闇に幾分か目が慣れていて、差し込む月光に、キラキラと銀髪の髪を輝かせる少年の、そういった雰囲気を察せられるくらいには見えている。


 だから、楽しそうににこやかに微笑んでいる表情も見えていた。


 少年は、唯一自分に気付いている女に向かって、口元に1本立てた指をあてながら、まるでイタズラでもするかのように、黙っていて、とジェスチャーをする。


 そうして静かに、右腰に差した剣を右手で抜き、ゆっくりゆっくり歩き始めた。


 一歩、また一歩。

 今にも鼻歌でも歌いだしそうな様子だった。


 その姿を見て女は、とても困惑した。頭の中ですらも、何か、即した言葉を思うことができなかった。

 ただ、あまりにもこの場にそぐわない少年だ、と、そんなことを思いたかったに違いない。


 その通りだ。


 その思いは実に正しい。


 少年はこの場に、全くと言って良いほど相応しくない。


 その理由は、こんな状況にいるにも関わらず楽しげだからとか、そんなことではない。まだ子供だから、夜の森に相応しくないと言っているのでもない。


 裸の女よりも、少年はこの森に相応しくなかった。

 悪人である、盗賊の男達よりも、少年はこの森に相応しくなかった。


 少年は柔らかな草を踏みしめ、足音1つ立てずに、女と男達の近くに辿り着いた。

 手に持っている剣を、ペン回しでもするかのように軽く回していたが、あまりにも自然な動作だったからか、今も女以外、誰1人として気付いていない。


 少年はそのまま、月の光をよく反射する、髪色と同じ銀色の剣を、振り抜いた。

 一番近くにいた男の首が、女の腹の上へ落ちる。


 その場にいた、残る5人の男と、少年を見ていた女は、唖然として落ちて転がる首を見た。

 1秒、2秒、それ以上か見ただろう。


 だが、誰もが未だに何が起こったのかを、全く理解できていなかった。


 けれども6人は、ゆっくりと、グリスを全く入れられていない錆びついたブリキの人形のように、ギギ、ギギ、と、顔を同じ方向へ向けざるを得なかった。


 声が、聞こえたから。


「はははは、あははははははは」


 そんな、笑い声か。

 あたかもこの世の愉悦の全てを身に宿したかのような、楽しそうな楽しそうな笑い声が聞こえたから。


 ああ、誰がこの森に一番相応しくないだろうか。


 誰がこの森のある町に一番相応しくないだろうか。


 誰がこの町のある国に一番相応しくないだろうか。


 誰がこの国のある大陸に一番相応しくないだろうか。


 誰がこの大陸のある星に一番相応しくないだろうか。


 誰がこの星のある世界に、一番相応しくないだろうか。


 誰が生まれなければ良かったのだろうか。


 その問いには、答えが2つある。


 その内の1つが、ああ、やってきた。


 怪物がやってきた。


 銀髪の少年、レディアス。

 転生する前の名前を、桜井真二。


 前世では、私立高校で現代文を教えていた教師であり、3人の子供を持つ父親だった。

 しかし、殺すことが人生の何よりも愉しいと、56年の人生の内、おおよそ50年間に渡り人を殺し続けた殺人鬼でもあり、ついには魔王とまで評された男だった。


 彼は、神の間違いで転生者に選ばれ、いくつかの制約を与えられはしたが、この世界へやってきた。


「愉しいなあ。そうは思わないか?」


 レディアスは、そう問いかけながら、男の血がついた剣を振り、血を払う。


 問いには誰も答えない。声変わりもしていない少年の、透明感のある声に、誰もが目を見開き、息を飲む。


 誰もが何も、理解できない。

 それでも、もう逃げられない。


 誰もがレディアスを見ていた。その一挙手一投足に怯えていた。


「さて」


 だから、


「あと6人」


 そんな声は、6人の耳によく届いた。


 おそらく、この1章は、銀髪の少年、レディアスが、いかに異様であるかを語る物語となる。

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