おかしなフラグがたった。
暗く湿った洞窟で、竜姫はひとり固い岩に身体を横たえていた。
溺れたときに飲んだ水がまだ吐き切れていない気がして、むせながら何度もえずき、出ない水を吐こうと無理をしてのどを痛めた。
水に拒絶されることがこんなに辛いとは知らなかった。竜姫は自分が竜神の不興を買い、戒めをあたえられたと考えていた。竜神の要求に従順に答えなかったせいで加護を失い罰を受けたのだと。
城の建つ岸壁の中はアリの巣のように洞穴が伸びている。祠へと続く洞穴は上部に隙間があり、日中であれば明るく、夜であれば松明の灯りもはいる。そんな構造になっている。
ここは祠には至らない別の洞穴のひとつなのだろう。わずかに風の流れは感じるが光もはいらず音も聞こえてこない。
視覚に頼れぬ暗闇の中、竜姫は手探りで自分のいる場所を確認した。
天井はやっと手が届くほどの高さで、水にふれる縁にそって13歩、奥に向かって18歩、ごつごつした岩肌の壁には他へ通じる道もないようだった。
ここから出るには水をくぐって洞穴を泳いでいかねばならなかった。竜姫は何度か水に顔をつけ試してみたが、やはり息は続かず水に入るのをあきらめた。
自分をここに運んだ蛟は再び現れるのだろうか。それとも死ぬまでここに置き去りだろうか。
不安で冷えた身体がますます冷たくこわばるようだった。
城の誰かがきっと助けに来てくれる。竜姫は気を取り直し救助を信じて待つことにした。
水を吸った服を脱ぎ絞った布で身体を拭いて、ぬれた身体を乾かし、体力を失わないよう横になった。
暗い洞窟に身を置いて数時間が立ち、竜姫が浅い眠りに落ちたころ、水面をゆらし水滴を滴らせ、真闇の水から何者かがはいあがってきた。
その時間、俺は小狼首に唐揚げを揚げてやっていた。
小狼首は、妖精と見間違う幻想的な美少年ではあるが、褐色の肌に適度に筋肉がつき、食欲旺盛なサッカー少年のようによく食べる。
チキン南蛮をおかわりして2枚食べて、山盛りご飯もおかわりし、揚げたての唐揚げをうまいうまいとたいらげていく。小狼首のその食べっぷりを俺が感心してみていると、鍋子がポツリとつぶやいた。
「三津の里のはずれに湧き水の池がありゅの、蛍がいるにょ。おすすめのデートスポットにゃの」
は?なぜにデートスポット?なぜにおすすめ?俺がぽかーんとしてると、鍋子は
「アタチもう寝るにょ。起こちても無駄だから。固くおめめつむってるにょ」
そういったっきり鍋子は無言になった。
旦那はアタチが守るんじゃないのかよ。鍋子!むしろ差し出してるじゃねぇか!いろいろおかしいぞ。
「総司も食べなよ」
鍋子が無言になると、許可してないのに勝手に名前呼び捨ての小狼首が、唐揚げをつまんで俺のくちにいれようとしてきた。
小狼首は「いらないよ」と断る俺の背後に回り、背中から抱きつき、俺の肩にアゴをのせて「食ってみなよ」とじゃれる。
俺はどうでもいいことに気づいてしまった。
__これはあれだな。メロがじゃれてた狼首との大福シーンの再現だな。
小狼首はあのとき無邪気な妹のように父親に甘えたかったんだろう。その願望を、俺を親父にみたて、かなえようとしてしている。小狼首はどうやらちょっとゆがんだファザコンのようだった。
小狼首は背中から俺をぎゅっと強く抱きしめて、首筋にキスをした。
「総司は白玉が胸をさわられて、どうしてあんなに怒ったの」
「白玉は俺の嫁だし、怒ってあたりまえだろ。それに家族の白玉が嫌がることをされるのも不快だよ」
「そっか、総司はそんなふうに怒れるひとなんだね」
「ふつうそうだろ。嫁を他人に触られるのは嫌にきまってる」
「そうなんだ。総司は僕が触られても怒ってくれる?」
うーん。ノーサンキュ。俺はどうあがいてもノーマルの頭皮好きロリオタだからな。可愛い妖精さんだとしても男が誰に触られても本気でどうでもいいな。
「僕は家族が欲しいんだ。総司と家族になりたいな」
「家族ならいるだろ。立派な親父さんに、可愛い妹もいるじゃないか」
「妹はだめだよ。僕は兄だし甘えられない」
小狼首、ほんとにこいつはただ甘えたいだけの甘えん坊さんのようだ。
竜神が張った結界に守られるこの洞窟に入れるのは、ただ一人だけだった。
水音と竜河の足音は浅い眠りの竜姫の目をひらかせた。
けれど、洞窟は真っ暗闇で目を閉じているのとほとんど変わりはなかった。くらやみの森と違い竜神の金色の瞳を照らす光すらなく、顔を見ることはできなかった。
岩に横たわる竜姫は、無言で触れる男の手に、一瞬ピクリとなり鼓動が早まり背中に嫌な汗をにじませた。けれど身体が動かず、あの森と同じことを男が果たそうとするのを拒むことが出来なかった。
荒い息で、それでも男は優しく慈しむように竜姫の肌に丹念に触れ、舌を使い時間をかけ竜姫に十分な準備をさせた。
竜姫は滑稽なことだとおかしくなった。
森ではきつくあったものが、こうして時間をかけられるとたやすくスルリと受け入れてしまうものだと。
激しくなる鼓動の中で竜姫は、自分が受けているのは罰ではなく天啓だと悟った。
叔父の竜河が竜神であるかどうかの真偽はいまはどうでもよかった。
彼が、竜河が気性が荒く人の気持ちに無頓着で、村の女に乱暴をして問題を起こす無頼漢であることは竜姫もよく知っていた。
ただ自分にとっては優しい叔父で、悪い噂を耳に入れても、自分に害がないからと気にもとめなかった。
周囲も竜河のすることを許し、一族の最高位の男に手を付けられるのはむしろ光栄だと、被害を訴える女たちの口を閉ざさせた。
身にかからぬ火の粉とだまってやり過ごした、女たちが受けたこの屈辱。これは決して許されていいものではなかった。竜姫にそれを知れと天は言っているのだ。
周辺国の民のこともそうだ。竜神が彼らにどんな災厄をもたらしたか。わが身ととらえられなかった自分の恥知らずさをこうなってやっと身に沁み感じることができた。
人は神とともに生き感謝をささげるが、神の奴隷として仕えるためにこの世にあるのではない。
竜姫はひとつの決意を胸に秘め、未来にわたる重要な選択をした。
心が決まり、気を緩めた竜姫は、激しい息遣いの男の頬を鎮めるようにそっとなでてみた。
男は優しくふれた竜姫のその手に、自分の行為が許され受け入れたものと勘違いし、狂喜し、激しい情熱で竜姫を抱きしめた。




