駄龍は死ね。
姫川城の天守閣の下、岸壁に張りついた祭りのやぐらから川の水面までは約5メートルある。
勢いよく水に飛び込んだ者と、珠を取って戻る者が、ぶつかりあって事故にならないよう、川の中には誘導し警備する十数人の役人がいた。
彼らは竜神の血をひく八代一族の男衆で、長時間水の中にいても障りのない者たちだった。
自分たちのお館様が川に飛び込んだ時、八代の男衆はそれぞれが持ち場につき役割を果たしていた。
水中の洞穴の入り口にいた役人の一人、竜吉郎はすぐに異変に気がついた。お館様が大きな空気玉を吐きこぼし、苦しそうにもがいていたのだ。
飛び込みでお身体を痛められたかと、お館様をお助けしようと壁を蹴り泳ぎだした竜吉郎は、その背中を洞穴から出てきた蛟に強打され、弾き飛ばされた。
蛟は体長10メートルを超える巨大な水蛇で、ウロコは青鈍色、頭は平たく、大きく裂けたくちに無数の鋭い牙をもった獰猛な生き物だ。
洞穴をすみかにして、水中から城に近づく不審者を襲い、城の守りに一役買ってはいるが、言葉は通じず誰かの命令で動くようなことはない。
竜吉郎に追突した蛟は、一直線にお館様にむかっていった。
そしてお館様にまきつき、繭のようにくるみ、とぐろの内にしまうと、警戒姿勢をとって鋭い牙をぎらつかせてシャーっと竜吉郎を威嚇した。
竜吉郎は驚愕した。八代の一族が蛟に脅されるなど、いままで経験したことも聞いたこともない。
そんな彼の真横を、赤黒のまだらの模様の蛟が、恐ろしい勢いで通り過ぎていった。
竜吉郎が、はじめて目にする異様な色をした蛟、赤黒まだらに黄色の交じるウロコでイボだらけの蛟は、お館様にまきついた蛟めがけ突進し攻撃を仕掛けた。
しかし、大口で噛みつこうとしたまだらの蛟は、その一瞬手前で、べつの蛟に胴をかまれ引き戻された。まだら蛟は自分に絡みつく蛟に怒り、長い胴をくねらせ反撃の牙を立てた。
さらに洞穴から、まだら蛟を追ってきた数十匹の蛟たちが脱兎の勢いで飛び出し、竜吉郎の至近距離をかすめていった。暴れ狂うまだら蛟に数十匹の蛟がかみつき、肉を喰いちぎり骨を砕く。殺気だった蛟たちは激しく絡まりあい、乱れた水の流れは水中に渦を巻いた。
そして、無残に喰いちぎられバラバラとなったまだら蛟の身体から、暗い赤紫の毒液がにじみでて広がり、周囲の水を汚し始めた。
その光景に呆然としていた竜吉郎は、自分を取り囲む川の水が徐々に赤く染まり、視界をにごらせるようになってやっと、自分の耳や鼻から血が流れて、自らの命が危険な状態にあるのを悟った。
赤黒まだらの蛟の正体は、2日前に蛟たちに潰され喰われた毒蛙だ。
毒蛙は『オボノ』という霧の妖怪に寄生され身体をのっとられていた。霧妖怪のオボノは宿主の血に交じり脳を支配して、宿主の身体を意のままに動かすことが出来た。毒蛙はあわれな犠牲者だ。
蛟に宿主の毒蛙を喰われて、寄生先を失った霧妖怪のオボノは、蛟の一匹の体内にひそかに潜り込み、ふたたびお館様を暗殺するチャンスをうかがっていたのだ。
霧妖怪は毒を持たない妖怪だったが、このオボノは毒蛙の身体に長く寄生したおかげで、毒霧の特性を獲得していた。いまその毒が水に流れ拡散していた。
「毒蛙を喰らう水ヘビどもに毒は効かなくても、人間は毒に弱いもんさ。こんどこそ竜姫の息の根を止めてやるよ」
蛟たちに身体をバラバラにされても、寄生していたオボノの霧状の本体は無事だ。
毒をまきちらしたオボノは、ふたたび別の蛟のくちから体内に侵入し、新しい身体を手に入れた。
祭りのやぐらにいた人々は、のたうち水面を打つ蛟たちの乱闘に、よからぬことがおこったと知り青ざめた。そして、水面が暗い赤紫色に染まり、毒に侵されぐったりした人間の身体がいくつも浮かんでくると、祭り会場は大騒ぎになり恐慌状態に陥った。
その騒ぎの少し前、空気を読まない竜神は、三津の里でおはぎをつまみに酒を要求していた。
おはぎをつまみにするってヤツの味覚どうなってんだ。酒のつまみって一般的にはしょっぱいものじゃないのか。大量のおはぎと黒糖の酒、これが人間なら糖尿病一直線だろうな。
竜河は播磨では人間のフリをしてるのに、この里では竜神ですがなにか?みたいな振る舞いをしている。
しかし、この場にいる阿波の森の妖怪たちにとって竜神は煙たい存在だ。なにしろ数百年もの間、川を渡ろうとするたびに船を沈められ痛めつけられてきたのだ。
彼らにとって竜神は憎むべき悪党だ。__と俺が推察してたら意外に真逆の反応だった。
「貴方様が大河に住まわれる尊いお方でいらっしゃるか」
「おしょばでご尊顔を拝したみゃわり、寿命の延びるおもいでごじゃりましゅる」
「ソンケイしとるだよ!!つえぇよなぁアンタ」
「大河の王、大海の支配者、竜神殿におめにかかれるとは、まことに恐悦至極」
竜河は妖怪たちからアイドルみたいにもてはやされていた。
反感とかないの?力は正義ってやつなのか?妖怪や獣人の価値観はそんなもん?こいつは謎だな。
そんな妖怪たちの中、ただひとり、狼首だけは冷ややかな緊張感をただよわせ竜河をみつめていた。
竜河も不穏な雰囲気の狼首に気がつき、威圧をこめて睨み返した。
「んぁ?おめぇどっかで会った顔か?ガンたれてんじゃねぇ。ケンカなら買うぜ」
「買っていただけますか。少々お高くつきますが、よろしければ」
おぅ?!狼首はどうしちゃったんだ。腐っても神の竜神に正面切って喧嘩を売るとは。俺にはマネできねぇ。無謀すぎて恐ろしい男だ。
竜河はマジかこいつ。みたいな顔で、狼首を上から下までながめ品定めしている。
「竜神さまぁ~。里の秘蔵の美味しいお酒、お持ちしましただ。30年寝かした名人の酒ですだ」
白玉がタイミングよく酒を持ってきた。
30年物の秘蔵酒と聞いて竜河の興味はそっちにむいた。
きょうのこの場で暴力沙汰をおこして、阿波の森と土佐者の話し合いを台無しにしてほしくない俺は、この助け舟にホッと胸をなでおろした。
「竜神さま、おつぎしますだ。竜神さまに飲んでいただく酒は幸せもんだなあ」
白玉は大徳利をかたむけ、湯呑のようなでかいおちょこに酒を注ぐ。
なみなみと注がれる秘蔵の黒糖酒に竜河はご機嫌だった。
「んまいな!こりゃいい酒だ。たまらんな。ほう、こっちもうまそうだ」
竜河はいきなり白玉の巨乳をわしづかみにした。
ふぁ!?俺もまだ揉んでないのになにしてくれてんだ!このくされ龍!!!
白玉は、空気を読んですべて丸く収まるよう配慮するタイプの女だ。「きゃっ」とあげようとした悲鳴を飲み込んで、顔面蒼白なのに、優しく竜河の手をのけようとする。そんな白玉を見て、俺は頭に血が上り、この頭のいかれた色狂いの駄龍に喧嘩を売っていた。
「ふざけてんなよ竜河!てめぇは神だ。だがここで死ね」
「ほぅクソカマが、チビになっても威勢いいじゃねぇか」
竜河は立ち上がり、小山のような筋骨隆々とした巨体で俺を見おろし凄みをきかせた。
「困りますよ沢渡殿。わたしが先約ですから順番を守っていただかないと」
狼首も立ちあがり、三竦みのように三人がにらみあい闘気を放った。
ピリピリとした空気に居合わせた誰もが割って入ることが出来ず、一触即発の場面だった。
しかし唐突に「悪いな急用だ」と、緊張の糸をちぎるように竜河が短くそう告げた。
そして俺たちにいちべつもくれず、地面を蹴ると龍化して空へと駆け上り、あっというまに播磨の方角に飛び去って行った。
俺の耳にいる一郎からも竜父の祭りで何か事故があったらしいことが伝えられた。
竜河はその件で急いで戻ったんだろう。次に会ったら絶対にワビをいれさせる。いや、ぬるいな。とりあえず出禁、そのあとブッ殺す。
「あいかわらず傲慢な男だ。わたしの存在など記憶の片隅にすら残ってないのだろうね」
竜神と少なからぬ因縁を持つ狼首は、龍の飛び去った方角にくやしそうに視線を送っていた。




