温泉宿の夜
露天風呂でのぼせてしまった俺は、猫娘ズに部屋までかつがれてしまった。
お背中流しには抵抗したものの、くまなく拭かれて着替えさせられたとだけお伝えしよう。
ムカデ女将の用意してくれた部屋は宿でも一番いい部屋、離れの貴賓室だった。
ちゃんとした門がついて、広い玄関のわきには控えの間がある。
室内は広い和室二間、そして寝所だ。
時代劇に出てくるお大臣の寝所のように、御簾で囲まれ敷き布団を何枚も重ねて高くした寝床は、目にいれるのも恥ずかしいもんだった。
猫娘ズに運ばれた俺は、布団に転がされそうだったのを断固阻止し縁側で涼ませてもらった。
そしたらさ、菊理姫が膝枕しやがんだ。
まったくのぼせがとれませんよ!うれしいけど拷問ですか!?
浴衣に着替えて薄手の羽織をはおった菊理姫の膝枕は異様に破壊力高いんですけど!?
離れには部屋付きのちいさな露天風呂があるんだが、こやつにもう一度お湯にと誘われたりしたら色々と自信がない。
理性を保つのにも自信がないが、盛り上がって布団に入っても当然ながら自信がないッ。
なにせ俺は、…やだもぅ、言わせんなよ!
夜風に涼みながら、もやっとした気持ちで菊理姫に尋ねる。
「菊理姫、クーは俺なんかでいいの?」
そう、クーって呼ぶって話だった。これが初クーだ。
菊理姫は小首をかしげて、
「もう決めてしまったのじゃ」
そういって俺の前髪をサラサラなぜる。
俺はもうこの空気に耐えきれなくなって別の話をふってみた。
「クーは1000年もマヨヒガで眠っていたんだな」
「であるな。よもやそのような長いときであるとは思いもよらざりきじゃ」
菊理姫は安倍清明と宿の女将の調略におち、千年の眠りにつかされたようだが、女将をたやすく許すのは俺にはちょっと理解しがたい心情だ。
「この世界が現われしは、我が捕えられし、わずかばかり前のことじゃ」
「新しき世なれど、人の生き死にのある場所は我の管轄なり」
「此の方において、物の怪の住まうを許したるは我であり、その責も我にあるのじゃ」
ちょっと整理してみよう。
この異世界ができたのは菊理姫が眠りについたすこし前、つまり千年前。
人の生死に関わる場所は、死者の国に通じているから菊理姫の管轄内。
俺らの世界から異世界に妖怪を移動させたのは菊理姫。こうか。
「ちょっと待って、もしかすると黄泉比良坂から元の世界には帰れるのか?」
「理にも過ぎたりじゃ。黄泉は大和の国にも通じておるのじゃ」
おおぅ、どうやら黄泉比良坂を通れば日本にはあっさり戻れそうだ。
異世界一日目で、ちょっとひょうしぬけだがこれは朗報だな。
「今はここより黄泉比良坂の門は閉じたりなれど、我が立ち帰れば開門はたやすしじゃ」
どうやら今は黄泉比良坂の門は閉じて、異世界と日本の行き来はできないようだな。
俺が召喚されたのは呪術を使った別ルートのようだ。
菊理姫の話によると、1000年前に異世界ができて、妖からここに移住したいとの申し出があり、原住の妖精も歓迎とのことだったので快く許可したと。
そして、妖のひとりが温泉旅館を建て祝いの宴を開くというので招待されて来てみたら、安倍の清明が現れ、マヨヒガに捕縛されたという話だ。
妖は安倍の清明に利用されただけし特に恨みはないようだ。
菊理姫に、なぜ妖が騙されただけとわかるのかと問うとハイリスク、ノーリタンだからとのお答えだ。
こう、菊理姫と会話して希望が生まれたり疑問が解けたりしてるんだけど、いまだに俺の頭は菊理姫の膝の上なんだぜ。のぼせがまったくとれないぜ。
この幼女、なにがヤバイっていうか、まじで妖しく色っぽくそして無警戒なんだ。
「我が殿、お心地悪しきなれば我が癒してしんぜよう」
俺はガバッと飛び起きた。危険を察知いたしましたので。
「今宵の月を見おこし給え、総と菊理は今宵、三日月より満月へ夫婦として満ちていきましょうぞ」
菊理姫の抵抗し難いオーラに、正座のまま俺は硬直した。まさに蛇ににらまれたカエルの気持ち。
まじかに見る姫の指は小さく細く、桜色の爪もまるで作り物のようだ。
その指が俺の腕を這って肩まできて、目線から外れ、首の後ろへとかくれる。
菊理姫の吐息が俺の唇にかかる、いや触れているのは息だけじゃないな。
姫の唇がふわりふわりと触れてときおり感じる舌先と唾液が俺の唇をぬらしていく。
キスというものはお互い目をつむり口をとがらせ顔を斜めにする。といった知識はなんだったのか。
目を閉じることもなく目線をかわしながら、吐息交じりの唾液を味わう。
そうして姫の舌が俺の歯茎をなめ、口中にぬるりと侵入していくのを感じる。
「スリープ」
悪い。これ以上は耐えられなかった。俺は菊理姫をスリープで眠らせた。
荒い息を整えて、座椅子でぐったり気味に夜空を見る。先刻から月の位置もあまり動かない。
濃厚な一日すぎて自我が崩壊しそうなんだが。
まぁやっと手に入れた、この静かな時間を有効活用することにしよう。
おれは諸々の検証案件を消化すべくステータスを表示させた。
ふと妙な気配を感じて顔を上げると、風がやんであたりを暗闇が覆い、月も星も暗く塗りこめていた。
中空に浮かぶ人影、あれは俺が召喚された麻呂の屋敷の大広間にいた陰陽師だ。
「あンた何者だよ」
いきなりのこの問い詰め口調。それはこっちのセリフなんですけど。
「ボクは安倍清明、ただの占術役人さ。あンたイザナミの手のものかい」
「何いってんだかわからねぇな、俺をこの異世界に呼びつけたのはお前だろう。えらい迷惑かけてんだ。質問コーナーの前にワビの一つでも入れるのが先だろう」
「素性を隠したいならそれもいいさ。あンたに用はないんでね。冥府の姫を渡していただこうか」
そういってやつが手にした御幣を振ると、暗闇から槍が現れ、こちらをめがけ勢いよく飛んできた。
槍はリフレクトで跳ね返され、清明の胴体を突き刺す。
「おもしろい技持ってンじゃない」
突き刺さったはずの槍はやつの身体を通り抜け消えていった。
「まぁあンたは好きにしたらいいさ。姫をいただいていくよ」
清明は音もなく室内へと降り立ち、畳の上を滑るように移動して、菊理姫の脇に立った。
「俺の嫁に手を出すんじゃねぇ」
俺はやつめがけてエアスラッシュを連打する。
しかしエアスラッシュは、やつの身体をすり抜けてダメージを与えない。
清明は眠る菊理姫を両手で抱き、かかえあげる。
「連れていかせねえ!」
何度もいうが俺は平和主義者だ。できれば誰とも争わずにおきたい。
しかし争いを回避できない場合もある。
俺は開いたままだったステータスに短い文字を書き加えた。
「デス!」
清明の姿がかき消える。菊理姫の身体が床に落ち、そのうえに黒いヒト型がハラリとおちた。
「式神か」
触れるとヒト型は粉になって散っていった。
式神使いはやっかいな敵だ。スキルを改めて組み直していかねばな。
暗闇は晴れ、再び月が顔を見せたが俺の心の暗雲は暗く垂れこみ消えてはくれなかった。




