昔っから脳筋でした。
播磨の地で400年続く竜父の祭り。それは初代姫川城女城主、八代飛鳥の時代にはじまった。
川底に身をおいた竜神、竜河はこの祭りのはじまりを思い出し、苦々しく奥歯をゆらした。
「飛鳥は俺の嫁だった。飛鳥が人として生を終えるまで愛で慈しみ守り、力を与えてやった」
ただ、ふたりの出会いは単なる男と女、竜河はその素性をかくし、会えば情愛を交わす行きずりのような関係を飛鳥とむすんだにすぎなかった。
その時代、この世界は地形の変動が激しく、気候も乱れ、水の流れを司る水龍として竜河は各地を奔走していた。播磨に立ち寄るのは月に一度、長いと半年も戻れないことがあった。
そんな中、飛鳥が懐妊した。数万年も生きた竜河にとってはじめての子供だった。これまで龍の子を宿す女など存在しなかったのだ。
竜河は思いもよらぬ授かりものに狂喜した。子供が産まれ飛鳥と互いに喜びあった。人の世の幸福とはこのようなものかと感動を覚えた。
けれど、竜河以外にも飛鳥の元に通う男の存在があることを飛鳥の側近に知らされた。
相手は阿波国の王と自称する半妖の男だった。
その当時の阿波国は豊穣の大地を抱える大国で、平屋の山城を守る八代一族は侵略されれば屈するしかない弱い立場だった。
阿波国の王の子が播磨の支配者となれば、実質的な属国ではあるが播磨の国は安泰だ。
飛鳥の側近たちは策をねり、竜河のいないあいだに、飛鳥に阿波国の王のもてなしをさせた。子供はその時の子だという。
竜河は怒り狂い、八つ裂きにした側近たちの血に濡れながら龍へと変化し、呪いの言葉を吐いて播磨を去った。
まるで日本昔話のような話だが、これでは終わらない。竜河のおっさんはどうしょうもなく女々しい男で、いさぎよく消えることができなかったんだ。
竜河が去ったあと、飛鳥は嘆きかなしみ「それでもこの子はあなたの子」と毎日水辺にでて訴えた。
愛しい女のなげきをあわれに思い、竜河は飛鳥の元に戻るが、儀式と称し子供を川に沈めさせた。
そして、子供を失った飛鳥は、しばらくは竜河とは神と巫女のような立場で接し、ともに暮らすも心をとざしてしまった。
それからしばらくたって、飛鳥はふたたび子供を身ごもった。
竜河は赤ん坊を飛鳥からとりあげ、やはり川に沈めた。その赤ん坊は水中でも息が続き、竜神の子であることを証明した。
播磨に居着いた竜河と飛鳥には5人の子供ができ、全員が竜河の子だったが、竜河が産まれた子供を水に沈めるたび飛鳥の心は暗く陰っていった。
「そうだ。飛鳥はババァになってからも俺に笑いかけてくれやしなかった。俺はなにをまちがえちまったんだ」
「俺がほれた飛鳥のあの笑顔。出会った時の、あったけぇ、まるでお日様みてぇな…消えちまったあの笑顔…」
姫川城の岸壁を煌々と照らす松明。
岸壁にしつらえられた祭りのやぐらは、月のない夜に満月のように水に映り輝いていた。
城下の住民たちが上流から流した無数の灯篭が、おだやかな川を埋め漂っていた。
昨日、2匹の龍を空にみた人々は龍の争いの結末を知らず、神を恐れ慕う気持ちから例年の祭りよりも数多くの灯篭を流していた。
その気持ちにこたえるかのように灯篭の下を泳ぐ自分たちの竜神を目にし、民は皆一斉に感謝と喜びの声をあげた。
岸壁のやぐらを囲んだ桟敷席で舞と酒に酔う人々は、ほとんどが八代一族の重鎮と他家の頭領たちだ。
その彼らもまた民とおなじように歓声を上げる。竜神は国の守り手、そして一族の始祖であり誇るべき存在だ。
竜神を一目みようと桟敷の手すりから身を乗り出す人々の中には他国からの賓客もちらりほらりといて、そこには竜姫の婿候補も数名ふくまれていた。
菊理姫の席のように一段高く作られた桟敷席に並ぶ婿候補の他国の若君、豪商たちは、みな透けてみえるほど薄い。
彼らは術で作られた影のようなもので、本体は遠方の母国にあって、術師のつくる影とつながり祭りに参加していた。この影とは会話を交わすこともできたが、術師の力の強弱によって声の細いもの、影の揺らぐものと様々だ。
「歌楓殿のお姿はいつみてもお見事じゃ。まるで生身の人のようではないか。よほど高位の術師を召し抱えておられるのであろう」
竜姫の婿候補のひとり、但馬国の若君、歌楓も祭りの席に招かれていた。
歌楓が直衣に烏帽子をかぶり酒杯をくちに運ぶさまは、術で送られた影のようにはとてもみえない。
前城主、花竜は頭巾で顔をかくし歌楓の横で世辞をならべ、竜姫との縁談を熱心にすすめていた。
花竜は恐ろしい神を後見人にもつ沢渡という男、つまり俺と、但馬国の若君と両方を竜姫のもとに通わせようと画策していた。
しかし、恐ろしい神イザナミが祭りの前に消え、かわりに冥府の姫が現れたことで風向きが変わった。
対抗馬のない婿の第一候補となった歌楓を逃がさぬよう、影をもてなし、竜姫を但馬国に逗留させる案で話をまとめようとしていた。
「美しき衣に天女のごとき優雅な舞、側室としてはもったいないほどだね」
歌楓は竜姫を気に入ったようだ。けれど、国を治める播磨の女城主が他国に正式な輿入れをすることはあり得なく、一時の遊興の相手となるのだろう。
それも悪くはない。とはいっても自分が飽きるまでは手元にとどめておく、それがたやすい程度の力が但馬国にはある。播磨はしょせんは田舎国だ。一度呼び寄せればあとは自分の好きに扱える。歌楓はそう考えていた。
ここ百年なかったことだが、竜父の祭りの最中に竜神がお出ましになられた場合は、大盃を酒で満たしささげるという習わしがある。この伝統にしたがい舞い衣の竜姫が大盃をうやうやしくかかげ、やぐらの端まで進んだ時、水面が盛り上がり竜神が顔をのぞかせた。
守護神と慕う竜神であっても、異形の生き物だ、ウロコの肌、巨大な瞳に大きく裂けた口に鋭い牙。
ひるんだ竜姫は指をこわばらせ大盃を川に落としてしまった。
その直後、一筋の風が桟敷席を揺らし、竜姫の身体は風に巻き上げられ宙に浮いた。
強風に床板を揺らされた観客たちは悲鳴をあげ、岩につかまり身を伏せる。
舞姫を手につかみとった竜神は、水しぶきを散らしながら風に乗り、暗い空へと高く飛び、遠ざかる跡には風が残るのみだった。
竜姫をさらわれた臣下の者たちは竜神のふるまいに驚きを隠せない。
これは喜ぶべきか、恐れるべきか、竜神の真意はわからぬがよもやお館様に害を成すことはあるまい。口々にそういいあって動揺を抑えるしかなかった。
竜神のこの行為をひどく不快に感じる者がいた。歌楓だ。
歌楓は今宵のひと時を竜姫と過ごす心づもりでいた。術師である歌楓にとっては影も本体も等しいものだ。軽い味見だがそそられる興であったし、退屈もしのげるはずだった。
「目の前で狙った獲物をさらわれるのは気分が悪いね。竜神とはいえ、ボクに無礼を働くとは許す気になれないな。ここは竜神殿に意趣返しをさせてもらおうじゃないか」




