たぬきの嫁ができました。
阿波の森は、夜寝るときも布団のいらない温暖な地域だ。
酔いつぶれた竜河は大徳利を抱きしめ、いびきをかいて熟睡している。その横で雑魚寝していた俺は寝つけず夜中に何度もおきてしまった。
今夜は夢で菊理姫と会えなかった。浅い眠りの中で彼女の姿をさがして、見つけられず、いやな寝汗をかいておきる。その繰り返しだ。
いつもなら、うたたねのわずかな時間にも会いに来てくれるのに、やはりイザナミに止められているのだろうか。菊理姫のことが心配でたまらない。でも、俺も竜河と同じくどうしょうもなく女々しいやつで、彼女の身を案じる気持ちよりも、会えないせつなさがつのってしまう。
他人の恋愛に頭をつっこんでる場合じゃない。俺んとこが危機的状況だ。
とはいえだ。菊理姫と会った日から危機的状況ばかりだしなあ。他人の幸せも恩を売るのもきらいじゃないから駒は進めておこうと思う。
しかし、あのイザナミ、俺の近所の女子中学生がイザナミだったなんて、考えるほどに怪しい設定だな。突然のことでイザナミの話を頭っから信じてしまったけど、どこかだまされている。そんな気がしてならない。
だいたい俺は菊理姫、彼女自身のことすらよくしらないままだ。彼女の頭皮にハァハァしすぎて頭がイカレてるのかもしれない。
お互いもうすこし建設的な会話できないものか、ずっと一緒にいるという約束だけではどの方向に進むかすらも決められない。何度そうおもっても、会ってしまうと気持ちが別の方向に流されて、時間が過ぎるばかりでまいってしまう。
これはもういっそ最後までいっちゃったほうが頭が冷えるんじゃないか?なんて、小心者の俺にそれができるかどうか疑問だけどな。
竹の隙間の星をながめらがら、青くさくもんもんとしてると、エプロンたぬきが飲み物をもってきてくれた。
「あちーらに心地ええ風のぉ吹いとる離れがぁーござます。どーぞお使いくだっせぇ」
エプロンたぬきの進めてくれた離れは、竜河の寝ている家よりやや小ぶりの丸いカゴの家で、入り口にはスダレがかかっていた。
夜行性の三津の里のたぬきたちは皆、畑仕事に出てゆき、里は静かで笹の葉の揺れる音だけがする。
俺は寝間着をもらい、ガーゼのようなサラっとした寝具にくるまり横になった。
エプロンたぬきがうちわで柔らかい風をおくってくれて「お休みにぃーなーるまでぇここぃにおりますでぇ」と、優しくささやいた。
翌朝、スズメの声に起こされた。
大群のスズメの鳴き声はセミの声に勝るね。水圧の強い滝にうたれるようでさわやかさを軽く通り越して重いです。
「おはようございまちゅる。竜神殿、お喜び申し上げまちゅ」
「まことにぃめでたきことぉなーれば、祝いのぉ贈り物をぉご用意ぃいたしまーしただぁ」
寝屋のすだれをあげると、昼の部と夜の部の村長がふたり揃って紋付袴で挨拶をした。
俺が寝ていた部屋にはエプロンたぬきがいる。どうやらあやしい誤解をされたようだ。
「勘違いされては困る。ただ部屋でいっしょにいただけで何もしてませんから」
「一晩ともに過ごされたということは、夫婦の契りをむすんだということでござりまちゅる」
「不出来な娘っ子ぉーでごぜーますがぁ末永くお頼みぃもーうしあげますぅーるだぁ」
たぬき村長は、もうすっかり娘を嫁がせた父親の顔をしている。確かに昨夜、娘を嫁にやると言われたが、俺はもらうとは一言もかえしていない。勘弁してほしい。どうやって誤解を解けばいいんだ!?めちゃくちゃあせるわ。
俺は援軍を求めて、すだれの奥を覗くとエプロンたぬきが三つ指ついて
「ふつつかものぉでーすだが、末永ーくお可愛がりぃくだーさいませぇ」などという。
これは、はめられた感が半端ない。優しくて従順なたぬきと思い気を許したらこうだ。女は怖い!
「だいたい俺は竜神なんかじゃないから!あっちで寝てる酔っ払いが竜神だからね?」
俺は必死だった。たぬきの嫁さんをもらうつもりはないし、菊理姫に知れたら殺される。俺だけじゃない。たぬきっ娘の命もない。悪くすると三津の里、丸ごと焼かれてしまう。
あせる俺をしりめに、お祝いの大きなつづらと小さなつづらが運ばれてきた。
「どちゅらか、お好きなほうをお選びしゃいまちゅえ」
「どっちも選ばないし」俺が断固拒否の姿勢を見せてると、いきなり背後から鈍器でなぐられた。
これは、ぬりかべ通信だ。というか体当たりせず、指でつんつんしろと通達したはずなのにちっとも順守されてませんね。
そのあたりはあとで説経するとして、俺が異世界各地に放ったぬりかべの諜報部隊からの連絡だ。
ぬりかベィビーは全部で100名。一郎から十朗までがいま俺のそばにいる。
そして、十一郎から十五郎が播磨国、十六朗から二十郎までが但馬国で情報収集をしていて、残りの二十一郎から九十五郎までは各地の主要な国に飛んでいるんだ。天狗の里には九十五郎から百郎を置いてきた。
いまは交尾中で無言の岩爺が意外と情報通で、ぬりかベィビーに各国の重要人物や軍事拠点などの位置を教え指令を与えている。
現在、大半が移動中のこの諜報部隊が各地に配置されれば、異世界全体の動きがリアルタイムでわかる『ぬりかべ情報網』が完成するわけだ。
さきほどの連絡は淡路国にいる二十六郎からの伝文で、淡路の国境にいた軍隊が阿波の森に向かってきているとのこと。その数、約二千という知らせだった。
このほのぼのとした三津の里に、侵略者の足音がせまってきていた。




