温泉にきました。
菊理姫おすすめの温泉宿は、麻呂の屋敷から30分ほど歩いた小高い丘の上にあった。
宿に続く小道にはたんぽぽやレンゲが咲いて、わきを流れる用水路とおぼしき小川からは、ほわほわ湯けむりがたちあがり、歩を進めるごとに温泉気分が盛りあがる。
道すがら菊理姫に話を聞いていたところ、この姫はマヨヒガに何百年か閉じ込められていて、自ら仮眠状態となって救出されるのをまっていたようだ。
その窮地から菊理姫を救い出した俺って、白雪姫をめざめさせる王子様的立ち位置なのか?
事情を知ると、まぁなんとなくスピード求婚の気持ちも理解できるような。
菊理姫のいたマヨヒガというのはいわゆる物の怪で、男女一対からなる妖怪だという。
女妖怪が家を作り、男妖怪が家へと続く道を作る。
女妖怪の作る家は現世ではない特殊な空間にあって、男妖怪が招いたものしか道を見つけることができない。
そうして、山中に現れては村人を招いて家財をなにかしら授けるという。そんな妖怪らしい。
マヨヒガに迷い込み、そのなにかしらの品を手に入れた人々は富を授かり大金持ちになることから、長者屋敷とも呼ばれるそうだ。
安倍の清明は菊理姫をマヨヒガに誘い込み、男妖怪を隠してしまったらしいんだな。
男妖怪が殺されたか拘束されたのかはわからない。
というわけで、菊理姫は出口を失ったマヨヒガの中で長い時を過ごし、俺と出会うことになった。
もっとほかにも聞きたい話はあったんだけどさ、菊理姫が手をつないで俺の話を聞きたいとせがむもんだから、俺の住んでる現代日本の話や家族のことなんかを話していたんだ。
風はきもちいいし、菊理姫は可愛くて超ご機嫌のにっこにこだしで、平和ないちゃいちゃを満喫しとるようにみえるだろ?
それが、憑いてきてんだよ。
麻呂屋敷からずっと。効果音をつけるとしたらゴゴゴって感じのゾンビ軍団がさ。
軍団の先頭は血濡れの牛頭馬頭。
あのあと結局、牛頭馬頭も屋敷に乱入して、ゾンビ軍団とともに屋敷にいた麻呂の一族郎党まとめて屠ったようなんだ。
返り血を浴びた牛頭馬頭のうしろには、ゾンビ化した麻呂がカクカクへんな動きでついてきてるし。
なんかもう怖いです。
そろそろ温泉宿が見えてきた。
ん…お太鼓橋のさきにある古びたいかにもな木造4階建ての建物…これは、国民的アニメのモデルになった銀山温泉の…いやアニメのほうそのもののような。
俺の動揺をよそに、菊理姫はお太鼓橋を渡り「ゆ」の暖簾をくぐる。
「いらしゃいましー」
着物を着たきつねの仲居さんが出迎えてくれた。
宿の内部も…よく似ているな。
入るとすぐに緑の植栽のある中庭見える。
中庭の上の天井は高く、内部は吹き抜け構造になっていて、中庭の周辺を欄干が巡り、見上げると2階、3階の欄干に浴衣の湯治客がよりかかりくつろいでる。
「蜈蚣閣へ、よおこそ。お泊りでいらしゃいましか。」
「総と菊理は新婚なれば、良き部屋をよしなに頼むのじゃ」
にこやかなきつねの仲居さん。
そのうしろで、カエルの番頭さんらしき人がなにやら慌てた様子ですっ飛んでった。
そうして出てきたのが、丸々した巨躯を簪やら金糸銀糸の打掛で着飾った温泉宿の女将だった。
「これはこれは、菊理姫さま。おひさしゅうございますなぁ」
「そなたも息災であったようじゃな」
女将と菊理姫の間に威圧的なオーラのやりとりが見えるかのようだ。
お互いの目線がぶつかりあい火花が散るというか、どうやらこのふたりにはかなりの根深い因縁があるようだ。
「ご尊顔を拝見するのも1000年ぶりでありんすなぁ。いかな姫とて、塵になり果てたかと思うておりやしたわなぁ」
「そうであったか。1000年。よくも我に臍をかませてくれたものじゃ」
ここまでくると鈍い俺にもわかってくる。
菊理姫は俺と新婚ごっこするために温泉をめざしたわけじゃない。
混浴風呂で自主規制ないちゃいちゃを妄想してワクテカしてた俺は道化師だったってことだ。
幼女にだまされて血の涙を流す俺ってどうよ。
「侮られては困りますなぁ!妖力に満ちたこの地で、強大になったあちきにとっちゃぁ、いまの姫さんはただの寝ぼけた女童でありんすよ」
女将の着物がはじけて、その本性を現す。
丸々と太った身体の女将の正体は渦を巻く巨大なムカデの妖怪だった。
赤黒くぬらぬらと輝くその皮膚はまがまがしくおぞましい。
巨大ムカデは吹き抜けの2階までかまくびを持ち上げて威嚇し、ムカデの吐く毒霧の息で中庭の植栽は枯れ、2階の欄干も変色しはじめた。
そして気づくと、女将の配下の妖怪どもに俺たちは囲まれてしまっていたんだ。




