おかわり2杯もいらない。
バァーン!座敷の右手、金箔を塗られた豪華なふすまを飛ばす勢いで開き、大男が踏み込んできた。
そして、実際にふすまはへしゃげて吹き飛び、床の間を背にした御簾の手前に落ちて大きな音を立てて花竜親子をおびえさせた。
「ざけんじゃねぇ!こんなカマのクソ野郎に竜姫が嫁ぐわきゃねーだろうが」
怒髪天を突く仁王像のような形相の竜河だ。いつからそこにいたんだろうか。
竜姫の叔父、竜河はズカズカと座敷を横切り、障子を並べた南側の廊下まで来て、椅子に座る女子中学生の容貌をしたイザナミの前に立った。
「脳みそ腐ってんのかイザナミさんよお」
竜河が机にバンと手を叩きつけると、それだけできゃしゃな机の足は折れ、飲み物で満ちていた美しいガラス食器が床に落ちてこなごなに砕けた。
「竜河たソ、腐敗はNGワードだって」
イザナミは荒ぶる熊のような大男にまったく動じる気配を見せない。
「なんにしろさ、竜姫は成人の儀のあと、習わしに従って婿の指名しちゃうわけで。どうせならオススメの総司でいこうよ。後見人は私やるし、援助もばっちりしてあげるから考えてみて」
「竜姫には八代の一族から相応の男子を選ぶときめておるわ」
「そだね。竜河たソは叔父だから選択外だけど」
「ぐぬぬぬ」
竜河が姪っ子を異常に溺愛してるのを知っててなぶるイザナミ。こいつにとっては他人の気持ちはおもちゃでしかないのだろう。マジで性格の悪い女神さまだ。
そして、イザナミはイタズラに輝く瞳をさらにキラキラせて、くるりと俺のほうをふりかえった。これは悪い予感しかしねぇ。
「総司さあ、明日からの祭りに参加しなよ」
「え?俺はくらやみ祭りなんて興味ないよ」
「いやいやいや、月イチのエロいのじゃなくて、竜父の祭りのほうだよ。私がエロ祭り参加しろなんていうわけないじゃん。頭わいてんの?」
俺は顔から火が吹きそうだった。頭わいてるといわれても仕方ない。冷静に考えればこの場面で、この相手から種つけ祭りに誘われるはずがなかった。
俺らしくもない。天狗兄弟のペースに巻き込まれて視野が狭くなっていたと自己嫌悪した。
「バカいってんじゃねぇぞ」竜河が吠える。
「竜父の祭りは新成人が竜神の血を引いてっかどうかってのを判定する祭りだぜ。このクソが八代一族なわけねぇだろが」
「そう?総司が判定クリアすれば、八代の一族の男と認めて竜姫と結婚させてもらえるんだよね?なら参加するしかないっしょ。確か参加資格はなしで誰でもおっけーな祭りのはずだよね」
俺の気持ちをよそにイザナミが強引に話を詰めてきた。
竜神の血をひく八代一族、俺がそんな一族の一員だなんて話は初耳だ。
だいたい俺の家系は草食顔で親戚一同そっくりなんだよ。八代の関係者はこの竜河をはじめとして大柄で彫りの深い縄文の家系だ。外見も性格もまったくDNAの混じりを感じない。
こうしたイザナミの無茶振りを聞いてると頭にモヤがかかったようにくらくらしてくる。
脈が早くなり、身体中の血が逆流してくるような、これは…嫉妬に狂った菊理姫が顕現しようとしているきざしだ。
「総司、あんた顔真っ青だよ」
イザナミは俺の身体から立ちのぼりはじめた白い煙を見て「フーン」と、椅子から立ちあがった。
「菊理にお別れをいってきなよ」
イザナミが指で俺の額をかるく突くと、フッと意識が途切れ、俺は夢におちるより早く、いつも訪れている夢の場所に来ていた__。
菊理の泣き顔をみてると胸がせつなく苦しくなる。
俺を見つけ駆け寄る菊理は上気した頬をすでに涙で濡らしていた。
俺と菊理の間に離れるという選択肢はない、そう言ったのはほんの一時間前だろうか。
その舌の根もかわかぬうちに、親の反対ぐらいで、別れが予定調和であるような、それが最善であるような、そんな気持で揺れるとは我ながらの優柔不断さにあきれてしまう。
「総は痴れ者か!母上のたわごとなど否び申せばよいのじゃ」
菊理姫は目に涙を浮かべて俺の胸を叩いてくる。
彼女を怒らせてこんなに動揺させてしまうのは俺の性根がヤワなせいだ。
そして、自分がその場しのぎばかりの薄っぺらい頼りない男だと、そう認めてしまった俺には、彼女の必死さがもったいなさすぎて情けなくてつらくなる。
「我が顕現し、母上と直に対峙しようぞ」
俺は激高する菊理姫の手のひらを自分の両手でつつんで唇にあてた。
「これは俺の心の問題だから。俺が解決する」
「ずっと愛してる」俺がそういうと、泣きじゃくり行かないでと懇願する菊理姫は、その姿が遠ざかるように離れ、白くにじんで空間にすいこまれて消えた。
短い逢瀬から戻った俺の身体は廊下に横たわっていた。
そして、なんということか俺のいぬ間にイザナミたちの間で縁談話がまとまっていたらしい。
「おめでと総司。可愛い嫁が決まってよかったじゃん」
「まことにめでたきこと。総司殿、竜姫と播磨の国をよろしくお頼み申しますぞ」
イザナミと花竜に祝いの言葉をもらった。展開が急すぎて頭がついていかない俺だが、こいつら勝手すぎだろう。菊理の親だと思い、イザナミに気を使ってた自分がピエロすぎて笑えてきた。
俺は固い床からよろよろ立ちあがると「いい加減に…」そこまでいいかけて、強烈な竜河のアイアングローを顔面にくらった。
「ふんぐおおおおおおお!!明日祭りで死ぬのも今日死ぬのも大差ねぇ!クソ虫はここで死んどけっ」
鼓膜が破けそうな咆哮をあげて、脳筋竜河は俺の顔面をつかんだまま窓枠をぶち破り、天守を飛び出し岸壁の下の河へめがけてダイブした。




