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ど修羅場でした。

それは聖か魔か。

闇に浮かび上がる白き少女の姿は神々しく、また恐ろしくもあった。

畏怖(いふ)崇拝(すうはい)すべき存在であると目にした誰もが感じた。それは彼女を通して感じる本能的な死への恐怖から来るものだったのだろう。


俺の身体から湧き出した白いモヤは、俺の頭上で人の姿をかたどり冥府の姫を顕現(けんげん)させた。

巫女の舞衣に小さな冠をかぶった菊理姫(くくりひめ)が鈴を手にしたその表構えはとても愛らしい。

この愛らしい容姿に翻弄される俺がいうのもなんだが、見かけに惑わされてはいけない。

彼女は悪鬼を従え亡者を操る、冥府の姫、地獄に君臨する支配者なのだ。


鈴の音とともに涼やかな声があたりに響き渡る。


「我を見よ、心あるものは我に従え」

「我は命を刈り取る田夫(でんぷ)にあらず。実り熟す穂はいづれ地に落つ。(ことわり)の内にあるものは我の門をくぐるさだめなり」


賭場の胴元、権田が地に伏した。

「ははあっ、姫神様、麗しき御尊顔を拝し奉り、この権田伝兵衛、恐悦至極にござりまするぅ」

権田はほんとに権力者に弱いな。

その権田の配下の連中、賭場にたむろしていた人足たちは平静さを失い我先にと走り、出口に殺到した。

歌楓はくつろいだ姿勢を崩さないが、さすがにけだるげな表情はない。そしてその護衛たちは短髪男を先頭に守りの陣形をとっている。


俺はといえば正しく修羅場だった。

この状況は、浮気現場を押さえられた男のようで確かに修羅場。でも、このとき俺は真正の死と対峙していたんだ。

菊理姫は俺の生命力を贄として具現化していたからね。

脳が揺れ視界は定まらず、臓腑が血管が身体の内でちぎれ、握り潰された心臓をくちから絞り出すような苦しさ、不安、絶望。

もしかすると俺は一度死んで再生されたのかもしれない。

俺のスキルに蘇生と自動回復があるおかげで、まだ存在を保てているそう感じた。


鈴を鳴らし菊理姫は言葉をつづける。


「命おしきものは此処より立ち(いづ)がよい」


「さりとて、そこな狐女(きつねめ)

「なんじは命の刻を読めずして、早々に地に落ちんとす」


「ならば我はなんじを憐み、熟した実となし、生命の樹よりもぎ取とろうぞ」


菊理姫は矢古に対し要約すると「命知らずの女め、死ね」みたいなことを冷たく告げた。

嫉妬に駆られた姫は、自分の男に手を出した愚か者に報いを受けさせるべく顕現したのだ。

いってみると神聖さのカケラもない理由だが、人外の存在はほんのささいなことで祟るものだ。


そして、その矢古は菊理姫に胸を突かれてよろめき倒れ、寄り添い支える姫子を血で濡らしているが、急所は外れてるのか震えながらも気丈にふるまう。


「はッなめるんじゃないよ」

「寝とられ女の殴りこみなんざ日常茶飯事さぁ、恨みごとは好きモンの宿六に言いな」


矢古の煽りに答えるように賭場に火の手がたち上がる。

俺は飛び出そうとする己の眼球と舌を抑えるのに必死なうえ、鼓膜も波打ち、遠い声の矢古をいさめることもできなかった。

火はなめるように円を描き、矢古を中心に俺たちを取り囲んだ。


「歌楓殿、そろそろよろしいでしょうか」

「そうだね、実に面白い見物だったよ。冥府の姫が婿とりしたとの噂は流言飛語(りゅうげんひご)(たぐい)ではなかったようだ」


短髪男が歌楓に退室を進言すると、歌楓は立ちあがり炎をすり抜けるようにその場を去った。


賭場の造りは簡素で、畳もなければ天井板もない。壁に移った炎はすでに壁をつたい、早くも天井まで届いていた。紙のように燃える家屋は長くはもたないだろう。

俺は、俺の目にはかすむようでとらえきれない夏角と雨角に「転移を」とつぶやき聞かせることしかできなかった。

充満する煙とふりそそぐ火の粉の中、「矢古姐さんにげて」と手を伸ばし必死に叫ぶ姫子と、姫子を守ろうと腕に引きとどめようとする雨角。夏角は綾乃をかかえ「姫子殿を頼む」と転移で消えた。


「だいたい、お嬢ちゃん、その貧相な身体に男が種をまかないのはあたしのせぃだってぇのかい」


矢古は逃げるそぶりをみじんも見せず、下品な笑い声をあげた。最悪の挑発だった。


「よういうた狐女、そなたは冥府の底にて種を茂らせるがよい」


鈴の音が一層高く響き渡ると、矢古の足元の床が砂塵となり、砂時計のように渦を巻き地中に落ちた。

暗い螺旋(らせん)が作り出すその穴は地獄へと直結する地獄渦(じごくか)だ。穴の底には地獄の炎に焼かれる亡者たちが恨みの咆哮で道連れを呼んでいる。


「矢古姐さん!」


一匹の赤毛の狐が地中に飲み込まれようとする矢古の衣を噛み、床板に爪を立て必死で支えた。

遊女、姫子の正体は狐だった。唖然とする雨角。

姫子の正体が狐なら、菊理姫に狐女と呼ばわれた矢古も遊女は仮の姿、その正体は狐の親玉なのだろう。俺たちは狐にばかされていたというわけだ。


矢古の足元からはじまった渦は暗く広がり俺の足元にまで届いた。足元の床を失い、転移で宙に飛んだ俺は叫んだ。

「雨角、ふたりを逃がせ」

二度目の転移で都の月夜に浮かび、落下する俺は、俺の身体に紐づけられた菊理姫に「クーやりすぎだ」と言った。

人である俺には彼女の出現も暴走も予想できなかった。

理解を超えたその振る舞いに、二人の間に深い溝を見る想いだった。


「心定まらぬ、総が悪いのじゃ」


菊理姫は目にいっぱいの涙を浮かべていた。月光を背に濡れて輝くその愛くるしい瞳。

その涙に胸が締めつけられ俺がうつむくと、大粒の涙をこぼし菊理姫は虚空に消えていった。

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