鬼嫁降臨
俺は矢古姐さんに平手で思いっきりひっぱたかれた。
すげぇ音がして首にまで衝撃が走る。
これ物理攻撃だよね?無効にならないのはなんでだ。このスキルの無効有効の判定はどうなってんだ。
ぬりかべと同じく悪意からの攻撃じゃないからか!?どうみても悪意の塊の気がするんですけど!?
「毒消しちょうだいよッもってんでしょねぇ!出してよお」
俺のトレーナーを伸ばさんばかりにひっぱる矢古。
その後ろ、障子の影に綾乃を腕に抱えた鬼人とうろたえる姫子がいた。
毒といえば天狗村のあの毒騒動が頭に浮かぶ。天狗村から持ち出した食べ物と言えば煮卵か。
でも、俺が都に持ち込んだ煮卵が毒物だった。そんなオチはないんだよ。
卵に関していえば、あれは鶏が毒死する前に産んだもので、漬けたタレも屋内保管で汚染されてないし、調理の水もきれいな川の水を使った。
だいたい鑑定でも毒物判定されてないからね__うん?待てよ。
「まさかとは思うが、夏角たちの荷物をあさってないよね」
俺の問いかけ、これには姫子が答えた。
「あのぅ、姫子は矢古姐さんに言い付けられて、天狗さんの着物と荷物を姐さんに渡したの」
こんな時だというのに、夏角と雨角は
「姫子殿を責めないでくだされ。姫子殿が欲するなら荷物などさし出しまするぞ」「姫子殿ッ夫婦になるなら弟よりワシだと、お約束したのをお忘れでござらぬな」
などと意味の分からぬ寝言をのたまっている。
矢古はもう完全に居直った様子だった。
「そうよ。本当に忌々しいあの村の天狗ども。情報が売れると思って荷物を探したけど何ももってやしないじゃないッ」
「玉子と握り飯のお弁当があったから綾乃にあげたのよ、まさか毒だなんて思いやしないわよ」
なるほど、天狗村の毒水で炊いたお米のおにぎりを食べたんだな。
狼狽する鬼人に抱きかかえられた綾乃は、意識を失い顔色は真っ青で苦しそうに肩で息をしている。
これは詐欺女の自業自得だろうな。でも目の前で死なれては目覚めが悪いし仕方ない。
俺はさっくりと綾乃のステータスを開き、スキル欄を作って状態異常無効を書き加えてやった。
綾乃が苦しそうに喘いでむせはじめたのを姫子が心配してのぞきこんでいたが、しばらくして毒が抜ければ体調はもどるだろう。
「おほけなく浮世の民におほふかな」
「慈悲深いボクの袖で包んでやったのに、恩を知らぬ輩もいたものだ」
矢古たちの騒動をよそに、歌楓が不快そうな声でため息をついた。
「そこの鬼人」
歌楓は目線を酒杯に落としたまま、綾乃を抱えた鬼人を扇で指した。
そして扇の方向を見るように、歌楓の背後を守っていた短髪男が身体を斜めにした。そう思った次の瞬間に鬼人の首は飛んでいた。
短髪男が鬼人を切ったその太刀筋を誰も目にできなかった。その場にいただれもがその早業に息をのむ。
「ボクは悲しいよ、どうして言い付けを守れないのかな」
「犯罪を犯した鬼人に寛大にも許しをあたえて、異界人をボクの元に案内するほんの小さな仕事を与えたのにね。主の言葉を忘れてなまけてばかりとはなさけないよ」
そうか、歌楓は使えない部下を粛清したという訳か。
軽く人命を奪っておきながら、まるで自分が被害者であるような歌楓の口ぶりに吐き気がする。
「えっ!?なにこれ」
毒から回復した綾乃は意識を取り戻したようだ。
けれど、自分の全身を染める血と、覆いかぶさる首のない鬼人の死体に唖然としている。
「あぁッうそ!?私なんでこんなところに」
気が動転している綾乃を落ち着かせようと姫子が駆け寄る。
「綾乃しっかりして」
綾乃は姫子の手を払いのけ叫んだ。
「イヤッなんで?私、遊女になんかなりたくなかったッ」
「誰がこんなことを!?ひどい」
「こんなのイヤあぁぁ、おとうちゃん、おかあちゃん助けてぇッ」
綾乃は姫子を拒絶するように身をすくめ、泣きわめきながら両手で頭をかきむしる。
そして、そんな綾乃を呆けたように見つめる矢古。
「そう…術がとけちまったんだね」
「矢古姐さん、まさか彼女たちに術をかけて操って遊女にしてたのか」
状態異常無効、これが毒と術、両方を無効化させたようだな。
__俺は最悪の気分だった。
遊郭で春を売る女たち、矢古の子飼いの遊女たちは、矢古に騙され術で意思を奪われていたようだ。
あのおっぱいぷるるんは、本人の自覚もなしにやらされていた。そう思うと罪悪感で心が重くなる。
こっそり見るならまだしも、綾乃には俺が無断拝見したことがバレバレなのだ。
のぞき見は正義だ。でも詐欺の被害者を弄ぶ行為は悪。これが俺の判定だ。
「そうよ、術を使ったわ。でもそれのどこが悪いのかしら?遊女は人をたばかるものよ」
「綾乃だってさぁ、人をだましだまされることを心から楽しんでいたわよねぇ」
矢古は体裁を繕うこともせず、その本性をさらけ出していた。
鋭い目で俺を捕えると、ふらふらと漂うように媚びたしなを作り、好色な唇を半開きにして舌なめずりした。
「遊女に騙されるのを一興と楽しむのも殿方の甲斐性よねぇ」
矢古は俺の肩に手を置き強引に唇を重ねてきた。
押し付けられた唇の息苦しさから、俺は身体を引き離そうともがくが、矢古はきゃしゃな身体からは想像もできない強い力で俺を抑えつける。
この時俺の視界は闇に包まれていた。
この日、何度か感じた危機感が確実な恐怖へと変わり、闇は俺を侵食しむさぼりはじめていた。
心臓の音が乱れ、全身が揺らぐような眩暈と吐き気に襲われる。
「ぐっ」
苦しそうな声を上げ、矢古は俺を押しのけ身をよじった。
矢古の胸のあたりには血が滴り、なにか白いものが突き刺さっている。
その白いもの、それはか細い少女の腕だった。
煙のような白いモヤが俺の身体から湧き出し、白いモヤの集まりが少女の腕をかたどっていたのだ。
そして、俺の胸から生えた白い少女の腕はまっすぐに矢古の胸を貫いていた。
賭場の中にも闇は訪れ、心を凍らせる恐怖のとばりを降ろすが、その場を動くものは誰もいない。
俺の生気を奪うように白い煙は湧き続け、そして渦となって俺の頭上に集まり、人の形を現し始めた。
それはそう、怒りに燃える俺の嫁、クーこと菊理姫のご降臨だった。




