さながら小悪魔のように、長久手凪沙は微笑む。
数日前まで授業サボりまくっていた俺にとって、朝から夕方まで授業に出るというのは苦痛でしかなかった。帰りのホームルームの終わりを告げる鐘がなると同時に一刻も早く家に帰りたいものだが、今日はそれが許されない。
終わり次第俺は教室から生徒会室へと向かって足を伸ばした。しかし俺みたいな生徒には無縁な場所なので、そこを見つけるのは少し苦労した。誰かに道を聞こうと話しかけようとすると、目を逸らされ早足で逃げられたりした–––––なのでしかたなく、俺は自力で生徒会室を探すことにした。そこは、ついてみれば案外近くにあった。
生徒会室の外観は更生部部室とさほど変わりのない、至って普通な感じだった。
軽く扉を二回ノックする。どうぞ–––––と中から聞き慣れた声が聞こえたのを確認した俺は、静かにその扉を開けた。
外観同様、内装もどこの教室とも変わらない感じだが、真ん中には長テーブルが二つ組み合わさり大きなテーブルを作っていて、ドアからすぐ正面に明らかに生徒用の木製椅子ではない、座り心地の良さそうな椅子が一つ設置されていた。
そこには一人の女子生徒が腰を据えていた。
「君が亜沙也君かな。香澄ちゃんから話は聞いてるよ。部の申請書、持ってきてくれたんだよね」
「は、はい……」
軽く微笑む彼女は、文句のつけようのないほど綺麗だった。
だが、その笑顔には何か別の意味が含まれている気がして、なんだか落ち着かない気持ちにもなった。
入口のすぐそばにある席で香澄はパソコンを打っていた。よっぽど、俺の事はどうでもいいのか入ってきて一度も目があっていない。まあ話す事ないから別にいいか、と俺は割り切り部屋の奥へと進んで行った。
「ようこそ生徒会室へ。私は生徒会長の長久手凪沙。なぎちゃんでいいよ」
「はあ……よろしくお願いします、長久手先輩」
ノリが悪いなー、と彼女は先ほどと同じ笑みを浮かべた。
年上で美人で明るい女性、それはコミュニケーション能力が著しく劣っている俺にとって一番苦手なタイプだと言っても過言ではない。そんな彼女は、回転式のイスを右へ左へと軽く揺らしながらこちらを見つめていた。
肝心の申請書を俺は鞄から取り出して彼女へ手渡す。ありがと、と呟いたと同時に、長久手先輩は俺の顔を不思議そうに見つめていた。
「君みたいな不良でも部活に入るんだね。なんだかこの学校も平和だなって安心できるよ」
「いや、別に俺は入りたくて入ったわけじゃないですし……」
ふーん、とイスから立ち上がった彼女は未だ物珍しいを見るようにグイグイと顔を近づけてくる。彼女の体が揺れる度に甘く色気を感じさせる香水の香りが鼻を通っていく。
「まあ理由はどうであれ部活動はいい事だよ。青春を謳歌したまえ、若人よ」
そういうとニコッと長久手先輩は笑った。
これでミッションコンプリート。俺は軽く会釈をし扉へと向かう。
「ちょっと待って」
ドアノブを手に取ろうとしたその時、優しくも少し慌てるように発せられた声で、俺の体を動作を一旦停止させた。
「亜沙也君、もしかして麗ちゃんと仲良しだったりする?」
麗ちゃん–––––という名前ではすぐには誰か判断できなかった。それに気づいた先輩は付け加えるように話す。
「内海麗ちゃんだよ。同じ更生部の部員でしょ」
その時にああ、と俺は思い出した。そういや内海のやつ、下の名前麗だった。
「それで、どうなの?麗ちゃんとは仲良し?」
「いや特に……部室にいればお互い話す、ぐらいの仲です」
これは実際嘘ではない。部活以外では特に話さないが、部室でしょうがなく二人きりになった時は多少は話す。
ちなみに話す内容の九割が罵り合いという事実は伏せておく。
「良かった、それ聞いて少し安心した」
先輩は手のひらを合わせ、フワッとした雰囲気を醸し出す。
「内海の事、知ってるんですか」
「うん。私と彼女の親同士が仲良くてねー、それで昔からの仲なの。でも麗ちゃん昔から一人で本読んでるのが好きで、全然私と遊んでくれなかったんだよねー」
不満そうな顔をして、先輩はわざとらしく頬を膨らませては、その後に笑ってみせた。
先輩が言った幼少期の内海の姿を浮かべれば、確かに可愛くねぇな–––––とつられてこっちも笑えてきた。
「ほんと、変わらないんだよね。昔から一人で生きてきますってような顔をしてさ。一生懸命友達になろうとした私がバカみたいだよ」
「いや、別に変わらなくてもいいんじゃないっすか?内海が別に友達を求めてるわけでもないですし」
「……」
「あ、すみません……」
条件反射でつい刺々しい口調で反論してしまった。それには先輩も驚いたのか、口を開けたまま何度も瞬きを繰り返していた。
「……驚いたー。まさか昔の彼女と同じ言葉を言ってくるなんて。もしかして亜沙也君も麗ちゃんと同族かなー」
「同族って–––––そりゃまあ俺ら二人は捻くれてますけど」
「類は友を呼ぶ–––––だね。うんうん、なんだか更生部って面白そう!」
私も入部しちゃおっかなー、と先輩は呟く。
「いや、先輩が入ったら多分あいつ嫌がりますよ」
「あは、亜沙也くんもそう思う?実はそれ私も思ってたんだよねー。はっ!これって以心伝心⁉︎もう私達付き合っちゃおっか」
「いえ、結構です……」
冗談冗談、とまたも長久手先輩は笑った。
この数分で、俺は朝の出来事をようやく理解できた。
香澄と内海が、『生徒会長』というワードを出した時のあの態度の理由が。
この人の考えてることは謎だらけだ。言動と内心が一致していないのが分かる。普通に楽しく過ごしてたならわからないかもしれないが、伊達に人間観察を趣味にしてるわけではないため、彼女の完璧としか言えない外面に本音が混ざってないことにはすぐ気がついた。
「でもほんとに、つまらない生き方だと思うんだけどね」
「そうですかね、俺はあいつの考え嫌いじゃないですけど」
そう、だから時折出てくる本音にも、動揺せずにしっかり対応できる。
「ふふ、やっぱり亜沙也君って面白い。気に入っちゃったかも」
「それは恐縮ですね」
「あ、本気にしてないでしょ?本音で言ってるのになー」
ひどいなー、なんて拗ねたような態度で先輩は俺を見つめる。
「やだなー、本気で喜んでるに決まってるじゃないですかー」
「はは、なにそれ!めっちゃウケる––––––ねぇ亜沙也君、唐突だけど生徒会にも入らない?」
「は?」
「会長⁉︎」
ほんとに唐突な質問だった。それには先ほどから必死にキーボードを打っていた香澄も反応を示した。
「いいじゃない。こんな面白い子野放しにできないよ。これはちょっと本気なんだけど、考えてくれるかな?入れば香澄ちゃんも喜んでくれると思うしさ」
「なっ、わ、私は別に!」
香澄は今にも火を噴きそうな程顔が真っ赤になっていた。動揺を隠しきれないのか、うまくろれつもまわっていない。
「どうかな?内申点もついて進路に有利な特典目白押しだと思うけど」
一歩一歩彼女は俺の方へと近づいてくる。気がつけば俺との隙間は無くなり、先輩は胸を押しつけるようにして密着し、身長差を利用して上目遣いでこっちを見る。
「私と一緒に、やらない?」
お得意の笑顔で、彼女そう問いかける。一瞬その笑顔に騙されかけるが、俺はしっかりと自分の言葉でつぶやく。
「ごめんなさい、俺そういう柄じゃないんで」
そう言って、彼女の両肩を掴み体を無理矢理離した。
「ふーん、そうか」
本気、とは言ったものの返答後の返事は素っ気なかった。ほんと、この人の考えてる事は把握できない。
「でもまあ、さすがに無理だとは思ってたよ。でも私は君を待ってる。だからまだ生徒会に入る事は考えておいてね。そして」
ふっ、と彼女は俺の肩を利用し、耳のそばに口を近づけ、小さく囁いた。
「私に会いたくなったら、いつでも来なさい。相手してあげるわ–––––色んな意味で」
その言葉がどういう意味なのかは、すぐには理解できなかった。頭の悪い俺では、その言葉を理解するのには多少の時間が必要だった。
ただそんな俺でも、彼女、長久手凪沙という人間には闇があるという事に気づくのにはそう時間を要しなかった。
綺麗なバラには毒があるように、終始笑顔の人間には何かと闇がある。
彼女はきっと表では完璧な顔を見せて、裏でも何かを守りながら何かと戦っているのだろう。
俺は彼女が少し心配になってきた。人間は作り笑いが何よりも労力を使う、それが限界に来ると自然とボロが出て、人は崩れ始める。
だが今の俺には昔の俺みたいに壊れないでくれ–––––と願うことしかできなかった。
※ ※
それじゃあそろそろまじで直帰しますか–––––と思った矢先だった。
「ちょっと待って」
「……またですか」
またしてもドアノブを手に取ろうとした瞬間に呼び止められた。なにこれデジャヴ?それとも俺タイムリープ使えるようになったの?
「いや、今度は雑談とかじゃなくて–––––この申請書、許可下ろせないわよ」
ヒラヒラっと紙を揺らしながら、とても残念そうな面持ちで先輩は言った。
「は?なんで……じゃなくて、なんでですか?」
「なんでって、亜沙也君は校則を読んだことない?校則一覧が各教室のどこかに貼られてると思うだけど」
なにそれ、普通に初耳なんですけど。
大体校則ってのはどこも大体『喫煙・飲酒厳禁』や『廊下を走らない』とか『バイクや車、ヤギや牛に乗っての登下校禁止』とかだと思って目にも止めていなかった。……ていうかヤギや牛で登下校するやつマジでいんのかな。
「まあ君みたいな生徒なら無理ないか。実はね、部の発足時に必要な最低部員数ってのがあってね。それが我が校では四人になってるの。お分かり?」
「あは、なるへそ」
オッケーオッケーオッケー牧場。言いたい事は理解した。
ぶ い ん が た り な い !
俺は頭を抱えその場にしゃがみ込んだ。姉貴のやろう、それ先に言えっての……。
「どうするの?残り二人集めれる?君達二人、友達いないでしょ?」
「……会長、こんな時に現実を突きつけないでやってください。ただでさえこいつメンタルはクソ弱いんですから」
「ほんと、言葉の暴力とかやめてもらっていいですか?あと香澄お前もな」
だがしかし、これはほんとどうしようかと俺は頭を悩ませる。
長久手先輩にやっぱり更生部入ります?と言うてもあるが、その言動自体すげー格好悪いし、何よりもこの人が入ったら絶対内海のやつ部活に顔出さなくなるんだよなあ……。
そうすると自然的に俺と先輩が二人きりになり、しまいには居づらくなって俺まで行かなくなるという結末まで想像できるまである。更生部乗っ取られてんじゃねーかよ。
「クラスメイトに声かけたら?『部活やろうぜ!』ってさ」
「そんな中島がカツオを野球に誘うみたいな感じでも無理だと思うに一票」
「はは、奇遇だな香澄。それには俺も同感だ」
ほんと、この人俺のコミュ力舐め過ぎ。ちなみに俺が先週会話した人ベストファイブ、姉貴と香澄と内海と凛子とコウハク–––––以上四人と一匹でした!ていうか、凛子は二次元なんだよなぁ……カ、カウントしていいよね?
やっぱり無理かー、と先輩も少し諦めムードに入った。
「亜沙也、どんまい」
「少しは励まそうと努力しろよ……」
ほんと香澄の奴、裏表激しいくせして友達多いとかおかしいでしょ。この世界のバグなの?アップデート求むわ。そしてお詫びに俺のコミュ力カンストさせてほしい。
「あ、そうだ!」
ポンッ、と手を叩いた先輩は何か閃いたのか、少し薄気味悪い笑顔を浮かべた。
「会長?いいアイディアが思いついたんですか?」
「ふふ、知りたい?」
ニタァと微笑む長久手先輩を見てると、聞いて見たいが聞きたくない一面も素直に拭いきれない……。
でも今は是が非でも部員が欲しい、彼女のその悪知恵を活かすにはもってこいだ。
「長久手先輩、教えてください」
「うむ、なら教えてしんぜよう–––––香澄ちゃん、更生部に入りなさい」
「「……は?」」
彼女が発した言葉に、俺も香澄も戸惑いを隠せなかった。
「亜沙也君とは幼なじみらしいし、内海さんとも面識はあるでしょ?多分この学校であなたが最有力候補だと思うのだけど」
どうかな、と首を傾げて先輩は俺に問いかける。
確かに盲点だった。先輩のいうのは正しく、俺が今現在この学校で会話を交わしている同級生は二人、そのうちの一人は既に部員であり、よって消去法的に香澄が部員の最有力候補となる。
それに友達の多い香澄ならそこから芋づる式に暇そうな友達を連れてきてくれるかもしれない。香澄まじ天使、略してカス天使!……うん、これは怒られるから言わない!
「え、いやでも私……生徒会の仕事もあるし……」
「そんなのいいって!あなたは逆に働き過ぎな部分があるから、息抜きには丁度いいんじゃないかしら?」
でも……、と香澄はなかなか首を縦には振ってくれない。
「はぁ–––––香澄ちゃん、亜沙也君が麗ちゃんに取られてもいいの?」
痺れを切らした先輩は、先ほどよりも少し語気が荒くして言った。
「は、はぁ⁉︎ちょっ、いきなり何を……」
うん、ほんと。いきなり何言ってんのこの人。当事者いるんだからもう少しオブラートに包めよ……。
だが、そんなこと知ったこっちゃないと言わんばかりに、長久手先輩は香澄に向かって語り続ける。
「取られたくないのなら、そんなツンデレ今だけやめて素直に入ったら?考えてみなさい、男女が二人っきりで密室で過ごして何も起きないわけがないじゃない。それはあの全くエロに関心が無さそうな清楚可憐で純真無垢な麗ちゃんでも例外ではないわ。最初は離れた場所に座って暴言ばかり言い合ってた二人も、ふと瞬間に距離が近づき、そしてその距離はいつからゼロになり、気がつけば亜沙也君が麗ちゃんにプラグインして……」
「だぁー!!わかりましたわかりましたから!もうそれ以上はやめてください!!」
今まで以上に顔を真っ赤にした香澄は両手を勢いよく振って長久手先輩を必死に止めようとしていた。ていうか、女子の妄想力って恐ろしいな……俺のイメージどうなってんだよ……。
「分かったって事は、更生部に入るんだね?」
「……はい」
よろしい、と先輩は香澄の頭を優しく撫でた。
残りは一人……か。
「よし、じゃあ残り一人は自力で見つけなさい」
ですよねー。そんな世の中甘くないですよねー。あと一人は長久手先輩、あなたですよ。というクソカッコ悪い台詞を俺は心の中にそっとしまった。
会長は結局部の件は一旦保留にし、四月内にもう一人見つければ更生部の発足を許可してくれるらしい。
残り一週間弱で一人、簡単そうに思えるが、なんせ俺と内海がいる部活だ。そう簡単に部員が増えてくれるなんて事はない。
今日はもう遅くなったため、更生部の部室には寄らずに生徒会室からそのまま香澄と一緒に帰路に着くことにした。
六時を回ろうとしているため、既に夕日は沈みかけて、最後の力を振り絞るような強い夕日が俺たちの目に降り注がれていた。
この島独特の一日通して気持ちよく吹く海風に乗せられて、隣を歩く香澄の方から微かに甘い香りがした。
気づかれないように横目で彼女を見ると、何かいいことでもあったのか、バスに乗るまでの間、頬を赤く染めた彼女の顔から微笑みが消える事はなかった。