相変わらず、春日井香澄は素直じゃない。
朝、俺を幸せな夢の中から引きずり起こしたのは、姉貴ではなく俺んちで飼ってる鶏だった。
目覚まし時計よりも早く、なおかつ大きな鳴き声で俺は飛び起きた。うちの愛犬ならぬ愛鶏–––––『コウハク』は、今日も俺の部屋で朝の第一声をかましてくれた。
「……お前、また裏から入ってきたのかよ」
姉貴が毎朝、空気の入れ替えといって家中の扉という扉を全て解放する。
それは裏庭につながる扉も例外ではないので、時折こうして朝の散歩をしていたコウハクが家内に侵入し、そしてその度俺の部屋で鳴く。
「コケコッッコォォォォォォオ!」
「わーたわーた。起きたから鳴くな」
こいつ、毎度俺の部屋に来るとかほんと俺のこと好きだよな。どこぞの特殊なコンニャク食わせたら多分、「もうお兄ちゃん!いつまで寝てるの!早く起きないと遅刻しちゃうよ⁉︎」なんて言い出すに違いない。コウハク、妹属性ついてんのかよ……。
コウハクは親戚からヒヨコの時に譲り受け、育てて今こうして立派な鶏になった。
ちなみに名付け親は姉貴。体が白でトサカが赤いからコウハク–––––なんて言ってたけど、よくよく考えたら鶏って皆そうじゃないですかね……。
まあ別に、俺にとって名前なんてどうでもよかったから反対はしなかった。
コウハクも最初はヒヨコで凄く可愛かったくせに、キュートでプリティーな雰囲気は徐々に消え始め、あっという間に貫禄ある姿と声に変わってしまった。今となっては我が家の生卵製造機かつ歩く目覚まし時計と化してしまったが、やはりペットはペットだ–––––愛着があることに変わりはない。
そんなコウハクを抱き抱えてリビングへと向かう。にしてもこのアホ鶏、俺の事を異常なくらいつつくんだよな。たく、そんなにチュッチュするとかお前欧米生まれなの?スキンシップ激し過ぎんだよ……。
リビングに着くとコウハクはいつものように盛大に暴れ出して俺の腕から逃げ出す。きっと本能というか野生の勘が働き、キッチンに近づくとエマージェンシーコールが脳内で鳴り響くのだろう。
安心しろ、うちの大事な生卵製造機を取って食ったりしねぇよ。
「はよ、亜沙也」
「おはよ」
リビングではパジャマ姿の姉貴がコーヒー片手に新聞を読んでいた。
「早起きだな。更生部に入って学校が楽しくなったか?」
「……今の言葉で二度寝したくなった」
そう、俺は先日、部活生になったのだ。
部活生に、なってしまったのだ。
更生部–––––それが俺と内海麗が所属している部活名だ。
部員は二人、元文芸部の部室を使用し、そこを拠点として部員の人間力向上に努める部活だ。つーか、人間力向上ってどうやればいいのだろうか。
ゲームのようにスキル割り振り機能が存在するなら分かりやすいが、あいにく現実世界にそんなゲームじみたものは存在しない。
自分の成長もわからないしアップデートやリセマラもない–––––おまけにバグや障害なんて日常茶飯事。これぞまさにクソゲーの極み。
「おい、ため息が多いぞ。幸せが逃げるじゃないか」
「いや、姉貴知ってるか?ため息って実はバランスの崩れた自律神経の回復を促す体の作用なんだぜ」
ここぞとばかりに、俺はどうでも雑学を披露する。ボタンが手元にあったら「へぇ」やら「ガッテン!」とか連打しちゃうレベル。
ため息とは言わば機能回復のリカバリーショット。これにより体はどんどん元気になる。よって、ため息の多い卑屈な人間ほど元気であると証明される。なにこの素直に喜べない証明……。
「お前は昔っから頭は悪いくせに、そういう言い訳とか無駄な雑学とか、反論というか減らず口などの類は得意なんだよな」
「ちょっと、それ褒めてんの?九割九分悪口に聞こえて俺すごく泣きそうなんだけど」
「当たり前だ。さすが私の弟だと感心もしている」
「全然褒められた気がしないのは俺だけでしょうか……」
受け取る側に伝わらない回りくどい褒め言葉とか、一周回って罵倒に聞こえるからやめようね。
「そういえば、生徒会に部活動発足に伴い提出しなきゃいけない用紙があるのだが、それ持って行ってくれないか」
「は?なんで俺が」
「もちのろん、部員だからだよ。これは教師が提出することは許されてないんだとさ」
はぁ–––––と、俺は力のない声でいやいやながら了承した。
「よろしく頼むぞ。では私はもう支度を始める。今日は朝に職員会議があるから弁当は買ってくれ」
「嘘⁉︎マジでいいの⁉︎」
ヒャッホー!買い弁来たー!
買い弁ってあれだよな、生焼けの肉とかワタの取り除かれてないゴーヤーとか入っていない弁当だよな⁉︎
普通に美味い弁当の事だよな⁉︎
ああ神よ–––––余にこのような祝福を下さったことを心より感謝いたします。
神はまだ死んでなかった。ついでに言うと、生焼けのものばかりをこれ以上食ってたら俺が死んでた……。
「なんだか心底喜んでる姿を目にしたら意地でも作りたくなったが–––––まあいい。その幸せを十分に噛みしめてひと時の幸福を堪能すればいい」
「なにその死亡フラグ。回避できる気がしねぇ……」
まあ明日から楽しみにしてろ–––––と不敵な笑みを浮かべた姉貴は、支度をするため自分の部屋へと戻っていった。
……おい、歩きながら服を脱ぐな。ストリッパーかよあんたは。
※ ※
支度を済ませ外に出ると、春らしからぬ天候と強い日差しが俺を待ち構えていた。
外は今日も晴れて愉快な感じだ。つまりハレ晴レユカイって気分。時間のはてまでビューンってしたり笑いながらハミングとかしちゃう程いい天気だ。
そんなふざけた思考はそっと心にしまい、愛用しているヘッドフォンを装着してバス停へと向かう。
願わくばバイクで登校したいものだが、あいにく学校は生徒のバイクや自動車での登校を禁止している。俺の家は学校と結構離れているのでそこはかなりネックに感じている点である。
その理由の一つに、沖縄県のバスは時間通りに来ないのが今や常識としてまかり通っているから–––––というのがある。
これまでに何度遅延で遅刻したのかなんて、数えるだけで気が滅入ってくる。
しかし学校側は、大きな事故であったりしないと遅刻を取り消してくれない。
「遅れるのが分かってるならもっと早起きして一本前のに乗ればいいでしょ?」と何度言われたことか。まさにパンがなければお菓子を食べればいいでしょ理論。マリーアントワネットかっつーの。
そんな学校への不満を募らせながら歩いていると、バス停で見覚えのある生徒を見かけた。俺がじっと見つめていたせいか、彼女もこちらの視線に気づいて目があってしまう。その瞬間、「げっ……」とでも言いたげな顔をしたのを俺は見逃さなかった。
金髪ツインテールで身長は平均的。しかし胸は平均より少し上をいく大きさで、それはどっかの黒髪ロングで毒舌嫌味女より膨よかである事は火を見るより明らかだ。まあそれが誰かとは言わない。
「……おはよ」
「……おう、おはよう」
「………」
「………」
なにこれ、付き合いたてのカップルかよ。気まずいにも程があるだろ。
「今日は真面目に学校行くんだな」
「ああ、姉貴との約束でな。破ったらぶっ飛ばされる」
「ふーん–––––相変わらず仲がよろしいこと」
「どこをどう見ればそうなるんだよ。お前の頭お花畑なの?毎日がエブリデイなの?」
うっざ……、と今度は包み隠さず嫌な顔をされた。
この口が悪い女は春日井香澄。……あれだ、俗に言う幼馴染だ。
彼女の家は俺の家から徒歩十秒で着くほど近いため、親同士がすごく仲がいい。
「あーあ、朝から最悪……亜沙也と一緒に登校だなんて」
「おい、人を疫病神やキングボンビーの類に含むのやめろ」
むしろ見つかりにくいもんだから伝説のポケモンと並べて欲しいレベル。すぐ逃げるとことか睨むとことかマジ俺ポケモンっぽい。
「嫌なんだからしょうがないだろ。あんたみたいな不良と昔からの仲よしとか知られたら、私の評判ガタ落ちだっつーの」
「むしろお前の本性知られた方が評判ガタ落ちな気がするけどな。この猫かぶり女」
「あ?なんか言った?」
「別に」
そっ、と彼女は再びスマホへと目線を落とす。こいつほんといい性格してんなぁ……『コンクリートロードはやめた方がいいと思うぜ』って言っちゃいそうなくらいいい性格してるわ。
「お前、今日生徒会の仕事じゃねぇのか?」
「今日は一年が朝の挨拶担当だから別にいい」
彼女は相変わらずスマホを見つめたまま答える。
「ていうか亜沙也」
「あ?どした」
突如彼女の目線は、俺の顔からどんどん下に下がっていく。
「……チャック、開いてる」
「なっ!!」
慌てて見てみると、確かに俺の社会の窓が全開だった。
「お前、気づいてたんなら早く言え!」
「なっ–––––んなこと言えるわけないだろ⁉︎私は女なんだから恥じらいってもんがあんの!野蛮な男風情と一緒にするな!」
彼女は顔を紅潮させ周囲を気にせず大声を上げた。幸い、同じ学校のやつがいないのでこいつの評判に関わる事はないだろう。
「つーか、親切に教えてあげたんだから感謝するのが当たり前だろ!ありがとうの五文字を喋れないとかあんた本当に日本人なのか?」
「このアマ……」
どうして俺の周りにはこんな女しか現れねぇのかな。俺にM要素とかないしツンデレに興奮するような趣味もないっての。もうちょっとまともな奴こいよ……。
「あらあら、また朝から仲がいいね。熟年夫婦みたいよ」
言い合ってる俺らをみてそう呟いたのは、昔から俺たちのことを知っている近所で駄菓子屋を営んでいるおばあちゃんだった。
「あ、おばあちゃんおはよ……ってなに言ってんの⁉︎」
再び顔を真っ赤にさせる香澄。こいつすぐ赤くなるな。前世カニかタコなの?
「おはようおばあちゃん。残念だけど俺とこいつがくっつく事はないからそんなこと言わないでくれ。考えただけでおぞましくて将来が不安になってくる」
「……あーそうかよ!じゃあ知らねぇよこの童貞ぼっち!」
「童貞は今関係ねぇだろうが」
「ふふ–––––喧嘩するほど仲がいいというものよ。私が元気なうちに式を挙げておくれよ」
式–––––はて、葬式のことかな?どっちが死ぬのかしら。ちなみにおばあちゃんのその発言に対し香澄は「し、式……ほわぁ……」と小さく呟いていた。ほんとなんなのこいつ……。
しばらくするとバスが来たのでおばあちゃんに手を振り乗り込んだ。今日も相変わらず人が多く、満員電車ならぬ満員バス状態だ。俺は香澄に続くように乗り込み、彼女と並ぶようにつり革を掴んで、ただ呆然と外の景色を眺めていた。
※ ※
満員バスに揺られること約三十分。目的地である終点で俺たちはバスを降りた。
「うぇぇ……やっぱりバス通学無理……気持ち悪い」
香澄はバスを降りた直後、待合所のイスに勢いよく腰掛ける。ターミナルであるがゆえ、待合所の室温はとても心地よかった。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃない」
だろうな–––––と俺は彼女に飲み物を手渡す。それは苦味が特徴でありくせになる、沖縄を代表する飲み物–––––さんぴん茶だ。県民の体ナイの七割はさんぴん茶で出来ていると言っても過言ではない。……いや、それはどう考えても過言だな。
「ありがとう……」
今にも、と言うか既に瀕死の状態に近い香澄は震える手でペットボトルを掴み、少し口をつけたかと思うと、一気に半分ほど勢いよく飲んだ。
ゴクゴクと音を立てる彼女の喉元を眺めていると、その視線に気がついたのか俺と香澄の目が一瞬あってしまった。
「なにジロジロ見てんだよ」
「え、あ……いや」
言えるわけねぇだろ。少し見惚れたとか。
言ったら殴られるに違いない。
なんだかんだ幼馴染というものはお互い異性としてみない風潮がある。「素を知ってるから」とか「長い付き合いだから」などと言い訳をしてだ。だが時折見せる女っぽさに誰でも見惚れては心が揺れるものだ。
もちろんそれは俺も例外ではない。香澄は喋らなければ基本高スペックだからな。見とれるのも無理はないと自分に言い訳をする。
口ごもった俺に対しては特に興味がなかったのか、香澄は違う話を振ってきた。
「そう言えば亜沙也、部活入ったんだって?えっと……」
「更生部な。ちなみに俺だけじゃなく内海麗もな」
「……あの女の事はどうでもいい」
あからさまに嫌な顔を見せ、吐き捨てるように彼女は呟いた。
確か一年の全テストで香澄は内海に惜敗し、ずっと一位の座を取れずにいたはずだ。それが理由なのか、香澄は内海の事があまり好きではないらしい。最下位の俺からすると二位も十分すごいと感心するが、今褒めたところで香澄は喜ばないだろう。
「んで、部の申請書は出した?」
彼女のその言葉で、俺は今朝その件について姉貴に頼まれていた事を思い出した。
「まだ。今朝姉貴に提出するよう頼まれたんだよ。なんなら今お前が預かってくれよ」
「嫌だ。それにそれは会長に直接渡す書類。他の部活もそうしてきたんだから同じようにしろよな」
「ケチ臭いな」
「うっせー」
香澄はペットボトルに入った残り僅かなさんぴん茶を一気に飲み干し、近くに設置されたゴミ箱へ突っ込んだ。
「ありがとな–––––だいぶ良くなったし、そろそろ行くか」
おう、と俺は香澄と一緒に学校へと向かう。ターミナルを出ると、先ほどより道は通学する生徒で賑やかになっていることが目に見えてわかった。登校前に弁当を買う予定だったが、時間は既に遅刻十分前を示していたため、しょうがなく購買で買うことを選択した。
「さっきの書類の話だけど、放課後になったら会長も生徒会室くるから、その時に渡せば?」
「お前は一緒に来てくれねぇのかよ」
「別に一緒に行く理由ないし、それに私も生徒会室いるからいいだろ?」
分かったよ–––––と、俺は答える。
しかしさすがは生徒会役員といったところか、ターミナルから学校までの短い距離で、何人もの生徒が香澄に対して挨拶をして行く。そんな生徒達に彼女は「おはよー♪」と普段より二オクターブくらい高い声で挨拶を返す。猫の被りようはあいかわらずのようだ。
「そういや香澄」
「なに」
「生徒会長ってどんな人なんだ?」
刹那、香澄の体がビクンッ、と動揺を見せた。
「……あー、それ聞いちゃうかー」
あからさまに嫌な顔をして俺から目線をそらし、彼女は苦笑いにも近い顔で微笑む。
「え、なに、会長って化け物か何かなのかよ」
「いや、一応人間だけど、宇宙人じみてるというか……」
なんだよそれ、生徒会には宇宙人いんのかよ。他にも超能力者や未来人とかいそう。SOS団かっつーの。
「とにかく、放課後にそれ渡しに来いよ」
「分かってるっての」
ならいいけど、と香澄は前を見たまま呟いた。
校門では生徒会の一年生達が挨拶運動をしていた。私見張り当番だから–––––と香澄はその挨拶運動に混じっていったため俺はそれ以降一人で教室へと向かった。
五月がもうすぐそこまで来ているからか、日が昇るにつれて暖かさを感じ、朝から着ていたブレザーがすごく邪魔に思えた。
暑い、と一人ぼやいていると前を見覚えるのある生徒が歩いているのが見え、俺はそいつに近づき、声をかけた。
「なんでそんなユラユラ歩いてんだお前は。幽霊みたいだぞ」
「……昨日読書をしていたら寝不足になったのよ。でも不思議ね、あなたの顔を見たら一発で目を覚ましたわ。これを機に栄養ドリンクの開発でもしたらどうかしら。大ヒットは私が保証するわ」
「それ、俺の顔がおかしいって言いたいんだよなそうだよな?」
生まれて初めて挨拶がわりに罵られた。おかげで朝の清々しさが完璧に消え失せる。
「あ、そういや今日、放課後に生徒会室に行くから部活遅れるぞ」
「あら、退学届?それなら祝賀会の準備をしなきゃいけないわね」
ちょっと内海さん?あなた露骨に俺が学校から消えること喜びすぎじゃない?まずやめるなんて一言も言ってないんですけど……。
「部の申請書だよ。生徒会長に渡して来るんだよ」
「……そう、生徒会長にね」
「ん?なに暗い顔してんだよ」
「いえ別に–––––安城君、あなたの幸運を祈るわ」
そう言うと、彼女は先に教室へと向かって歩き出す。
お前ら、生徒会長にビビりすぎじゃね……?