六話『どうぞ勝手にしてください』
* * *
クレタ町ほどの規模にもなると、壁門が開かれる回数は早朝と夕刻を除けば一日に何度もない。
定期便である牛車や羊車の到着に合わせてほんの短い時間のみ開放されるが、その他の時間に開く機会は殆どない。
傷だらけの無名の討伐士の為に開門される事例など耳にした事もなく、オレとエリス・ディスコルディアの二人は、乗っていた牛車の到着時刻までにクレタ町の麓に着いてなければ、怪物の蔓延る平原で町から締め出しを食らう可能性があった。二人揃って全身傷だらけで、徒歩すら苦痛が伴うような有様だったが、身体に鞭打って早く牛車に追い付かねば、それこそ命に関わるような事態だった。
結局、全身を打撲したディスコルディアさんは自身の足で歩く事は叶わず、オレが肩に担いで歩いて牛車を追い掛ける破目になった。オレの背中の引っ搔き傷は、傷の深さこそ大した事はないが、皮膚の一部を削り取られるような傷だった為に痛みが酷く、そして傷の範囲が広く出血量もそこそこだった。
町壁手前では無事に牛車に追い付きはしたものの、激痛による精神疲労と、出血による体力の低下で、大した距離を歩いた訳でもないのに、壁門を潜る頃には体力の大半を使い果たしてしまっていた。
反対にオレの肩で休み続けた彼女は次第に体力を取り戻し、クレタ町にある牛車の待合所ではオレの背中の傷の手当をする程に回復していたのだから、不条理なものだと心底思う。
但し、彼女の処置の手際は中々に的確なものだったから、一応は背中の痛みも和らぎ、一時の休息が訪れていた。
「センパイは頼りない外見の割に、意外と良い体格してますね」
待合所の長椅子で横になって休憩していた。他の乗客も居るのだが、上半身が包帯で覆われる程のオレの怪我をみれば、椅子一つを空ける程度には気を遣ってくれた。奇異の目を向けられるのは、この際仕方が無いと割り切っておく。
「ディスコルディアさんは見た目の通り貧相な体付きでしたので、きちんと実技講習と戦闘訓練を受けた方が良いですよ」
彼女はオレの隣の椅子に腰掛けていた。外套は脱ぎ、薄着になって肌に濡れ布巾を押し当てている。全身の至る所に青あざを拵えた彼女だが、塗り薬などを購入する資金も持ち合わせていない現状、気休め程度に水で冷やすしかできないのだ。
「重傷で動けなくなった乙女の身体を撫で回して批評するなんて、パーシアスさんは最低ですね」
人聞きが悪いことこの上ない。待合所には見ず知らずの乗客も居るというのに。しかも敢えて名前で呼ぶ辺りが嫌らしい。
「そう言えば、新人研修はどうしたのですか。本来なら今頃、研修の予定だったはずですが」
「……いたた。脇腹にも痣が」
「話の逸らし方が下手ですよ」
「あ。アルカスさんが来ました」
それは本当だったらしく、待合所の入り口から中肉中背の男性が入ってくる。肌の露出している部位の大半に薬などを塗布した形跡があり、彼もまた多大な苦労をした一人なのだと実感する。
「いやはや、何とか生き残りましたなぁ」
苦笑しつつ頭を掻くアルカス氏だったが、此方としては全く笑い事ではなかった。無論、アルカス氏には一寸の非も無い事は理解しているが。
むしろ、アルカス氏も被害者の一人だった。直接的な被害の大きさで言えば、彼が最も大きな損害を被ったと言っても良いかも知れない。
彼の被害。それは彼の商売道具である牛車の修復不可能なまでの損壊である。車体の後部が怪物の頭突きにより吹き飛び、連鎖して側面や屋根にも多大な負荷が掛かったのだ。あの状態でクレタ町まで走り切った事が既に奇跡に近く、とてもではないが、此処から先、乗客を乗せて走行するなど不可能だった。
「不幸中の幸いと言いますか、壊れた車体は既に借金も完済していましたから、心機一転、新しい車体に買い替えるのだと考えれば、被害は余り大きくないのですよ。クレタ町ならば車売りの店もありますので、早ければ数日後には営業を再開できます。お二人のお蔭で、ムトゥの奴も傷一つありませんし」
借金で購入した車が早々に破壊されて平気なはずもないのに、アルカス氏は気にした様子も無く笑ってみせた。危険と隣り合わせの業務である以上、覚悟はしていたのだろうが、実に心の強い人だと尊敬する。
「困るのはお二人です。本当は私がヒルデ山までお連れしたかったのですが、この有り様ですからね。他の便に乗り換えて頂く事になります」
「夕方までにヒルデ山に行ける便はありますか?」
そう訊ねたのは彼女の方だ。何故かオレの依頼先までついて来る心算のようで、我が物顔で質問までし始める始末だ。止めようと思ったが、どうせオレも同じ質問をする気でいたので黙っておく。
「鉱山方面に向かう牛車は、今日は打ち止めです。馬車と羊車が一台ずつ運行する予定ですが、出発時刻は馬車が二刻後、羊車は暫く後でしょう。到着予定は殆ど変わりませんから、少しでも安全な馬車に乗るか、此処で少しでも長く休める羊車に乗るか、という差になりますな」
「少し休みたいですから、羊車にしましょう」
「羊車に乗られるのでしたら、羊舎に行って出発時刻を確認して来た方が確実です。体を休めるのでしたら、羊車の待合所で休めば乗り遅れずに済むでしょう。そうだ、お二人の荷物をお持ちしますね」
「すみませんが、お願いします」
二人はオレを通さず話を進めてしまって、アルカス氏は預けておいたオレ達の荷物を取りに牛舎の方に歩いて行ってしまった。
「ディスコルディアさん、言っておきますが、あなたには今すぐ『北西都』に帰ってもらいますから」
「センパイに私の行動を決められたくないです」
「ワタシではなく、本部が決めた研修ですよ。午後からは戦闘訓練の予定でしたよね」
更に言うならば、既に昨日の分の実技講習などは無断欠席している事になる。今すぐ『北西都』に引き返したとしても、今日と明日の研修には参加できないだろうから、最低でも三日分の研修を欠席することになるだろう。
新人のうちから予定を放棄すると評価が下がり、以降の活動に多大な悪影響が生じるのだが、彼女は本当に理解しているのだろうか。眉を顰めてオレを睨み付ける辺り全く理解してなさそうで恐ろしい。
「大体、ワタシが引き受けた依頼に付き添って来た所で、何の面白味も無いでしょう。本部で真面目に研修を受けた方が余程有意義ですよ」
「私的にはセンパイについて行った方が面白そうだと思ってますけど」
「地味で面白くなくても研修を受けるべきと言う話はしていませんでしたか?」
先日のオレが臨時で指導員を任じられた研修の時、確かに説明した記憶があるのだが、彼女は憶えていないらしかった。若しくは、憶えているにも拘わらず敢えて聞き入れていないかだが、後者の場合はオレでは完全にお手上げである。
「ところで、センパイはその体でヒルデ山の怪物を駆除できるんですか?」
「弱みに付け入ろうとしても無駄です」
と、早くも問題児としての頭角を現した後輩を宥めていると、牛舎からアルカス氏が戻って来た。
二人分の荷物の他に、左手には人の頭部程度の大きさの毛むくじゃらの物体を提げている。一部が赤黒く汚れているそれは、先刻、牛車を襲った”パンラット”の死骸だった。
「客室に一匹だけ死骸が残っていまして、怪物の使い道なんて私共にはありませんから、駆除したのもお二人ですし差し上げます」
超小型の怪物の死骸を差し出され、流石の彼女も困惑した様子だった。研修も碌に終えていないから、こんな場面で困惑する破目になるのだと言いたい。
横目でオレに対応を求めてくるので、仕方なく体を起こして”パンラット”の死骸を受け取る。
「ありがとうございます。羊舎に行くついでに町の解体塔にも寄って行きます」
「いつか鉱山方面に出向く機会がありましたら、またお会いしましょう」
彼から荷物を受け取り、再び礼を述べる。
待合所から外に出る為に立ち上がると背中が酷く痛んだが、隣の後輩に弱みを見せたくないので表情を歪めないよう努める。鞄の中から外套を取り出して包帯の上から羽織れば、外面的には平静を装えているはずだった。
外ではちょうど陽が中天に昇ったところで、陽射しが刺すように強い。この天気で外套を纏うのは奇妙な心地だが、重傷患者の恰好を晒して奇異の目を向けられるよりは幾らか増しだと納得する。
「まだクレタ町の周辺に”岩窟公”がのさばっている事でしょう。『北西都』にお帰りになられる際も、くれぐれもご注意ください」
「パーシアスさんも、あまり無理はされないよう」
男同士で握手を交わす頃、ディスコルディアさんは一人で牛舎に歩いて行って、中を覗き込んでいた。ムトゥを探しているらしかった。数頭の牛が並ぶ牛舎だが、まだ若い個体であるムトゥは独特の柔らかで滑らかな毛並みをしており、見付けるのは決して難しくない。
ムトゥの方もオレ達の事を少しは憶えてくれたのか、彼女が傍に寄ると、どことなく面倒臭そうに顔を上げて大きく息を吐いた。
「私の村では、怪物を撃退した英雄には髪飾りを贈るんです」
そう言って、彼女はムトゥの角に黒い布の切れ端を結び付けた。
あまり余計な事をすると怒られるのではないかとアルカス氏の顔色を窺ってみると、彼は特に気にした様子も無く、笑って彼女の行動を見守っていた。
彼女はいつの間に親しくなったのか、ムトゥの体を撫で回し、それをムトゥも許している。彼女は対人関係は不得手だが、動物には好かれる性質なのだろう。出来れば人間相手にもあの親近感の湧く表情を向けて欲しいものである。
一頻りムトゥを撫で回した彼女が牛舎から出てくると、今度こそ本当にアルカス氏と別れる。今回は自分でも驚く程に運が悪く危険な道程だった為、アルカス氏と会話する機会にも多く恵まれたが、本来の牛車引きの男と乗客の関係が此処まで縮まる事もない。そもそも、通常ならば壁外を渡る際、客室と御者台は隔たれているのだから当然だ。
それでも彼とは互いに挨拶を交わす間柄になれたのだから、今回の旅路も悪い事ばかりではなかったのではないかと思う。
無論、背中に負った傷や、死を間近に感じた経験を楽しめた訳ではないが。
いつか、彼等と再会できて、良好な関係が継続できるならば、それは素敵な事だと思うのだ。
「私の村では英雄に髪飾りを贈るのですが、センパイの髪も結ってあげましょうか」
「英雄になってからにしてください。あと、あの布は”岩窟公”に引き裂かれたワタシの服の切れ端ですよね。悪い冗談にしか見えませんでしたが」
「何でも良いんです。必要なのは心意気です」
彼女は余程ムトゥの事が気に入っていたのだろう。満足気な表情でオレに先行して歩いて行く。
向かう先は当然、羊舎だ。
クレタ町には北と南の二ヶ所に壁門が設置されている。『北西都』方面から来訪した車は北門から入場し、鉱山方面からなら南門を利用する。鉱山方面に向かうならば出門も南門になり、オレ達の利用する羊舎も町の南側にある。
町の規模は大きなクレタ町だが、中央通りを寄り道せずに直進するならば縦断するのも決して遠くはない。大通りを歩くだけであるから、初訪問である彼女も道に迷う恐れがなく、安心して後ろを歩けるのも良い点だった。
しかし、当然のように歩を進める彼女の後ろ姿を眺めて、当然のように流されそうになっていた問題点を思い出す。
「ディスコルディアさん、早く『北西都』に帰ってください」
「嫌です。私はパーシアスさんの仕事ぶりを見学する予定ですので」
「研修も講習も訓練も全て終われば、文句も言わず幾らでも同行させてあげますから」
「今日じゃなきゃ嫌です」
――――子供の我が儘ですか。
咄嗟に口に出掛けた言葉は何とか喉の奥で抑え込む。
彼女は青い瞳を細く狭めて此方を睨み付けるようにしている。何となくわかってきたのだが、彼女が目を細めるのは不機嫌の表れ以外にも、困惑や苦悩により必死に頭を回転させている証左らしいのだ。今ならば恐らく、オレを言い包める言葉を絞り出そうとしているに違いない。
状況を考えると、オレが彼女の同行を許可する条件は何一つ揃っていないと分かりそうなものだが。
続いて零れそうになった溜め息も呑み込む。
「どうしてワタシの業務なんて見学したいんですか。本部に帰ればもっと優秀な討伐士の先輩方が幾らでもいらっしゃいますよ」
「他の人じゃ面白くなさそうだから、センパイについて行きます」
「だから、どうしてですか」
「大した理由ではないんですが」
そう前置きして彼女は顎に手を添える。
「先日の研修を終えた直後、センパイの部屋に私と入れ替わりで一人の男性が入っていくのが見えました。あの方はヒュロス・アルゴスさんですよね、入団式で見た憶えがあります。一方でセンパイはと言えば征伐屋でも珍しいくらいに冴えない男性じゃないですか。稀代の天才討伐士と接点のある凡人討伐士なんて、興味が惹かれませんか?」
「何故、ワタシは今あなたに謗られているんでしょうか」
「つまりは華々しい実績を残した討伐士の先輩方の仕事現場に出向くなんて気が引けますが、センパイなら大丈夫かなと。興味も湧いてる訳ですし」
「中々に歯に衣着せぬ物言いですね」
興味云々は兎も角、オレが凡人である事や、他の討伐士の邪魔をするくらいならばオレに迷惑を掛ける方が幾らも良いと言う考えが否定できないのが辛いところだった。
そして要約すれば、彼女はオレを心底嘗め切っていると言うことだ。
”岩窟公”相手に手も足も出ず殺されかけた身としては全く言い返す言葉もなかった。
だが、それは飽く迄もオレに対しての低評価を容認するだけだ。決して新人研修の無断欠席を容赦しようというのではない。
確かに先輩討伐士の業務に勝手に同行して迷惑を掛けるのならば、他の討伐士と比較すればオレを選択したのは悪くない。オレへの迷惑など、オレ一人が困るだけで済むからだ。他の討伐士ならば、下手すると一家の利益の大幅な低下にすら繋がり兼ねない。
但し、勘違いしてはならないのは、彼女が新人研修に出席しないことで迷惑を被った人間が確かに存在している、という事実だ。
それは態々彼女の研修に時間を割いて遠征先から帰還して下さったロレンスさんであったり、彼女の研修や講習の時間割の詳細を作成してくれた事務員に対してだ。数刻単位で予定を組んで生活をしているような人達だ、世界基準の討伐士や、征伐屋の事務員と言うのは。予定が一つ狂えば、後々の予定にも多大な影響を及ぼす可能性は十分にある。
「私は研修は必要無いと何度も言いました」
「研修が何故必要なのか、という説明もした記憶がありますが」
「納得できません」
「……」
これはオレには完全にお手上げの問題だった。
ぜひ、本部に帰って本来の担当であるロレンスさん、或いは彼女を推薦したアルゴスさんに矯正して頂きたいものだ。彼女を本部に送り返す方法が見付からないのだが。
「それで、まだ聞きたいことはありますか?」
いつの間にやら彼女の方が自慢げにオレに質問を求めていて、今度は込み上げる溜め息を抑えられなかった。オレの悲壮をアルゴスさんに伝えたいものである。
彼女に言いたい事は幾らでもあるが、下手に刺激してむきになられても困る。一先ず説得は保留して、ずっと気になっていた疑問をぶつけてみる。
「どうして『北西都』から出る方法を知っていたんですか。研修も終えていないなら、越壁申請の出し方も教わっていないはずでしょう」
「それは、ですね……」
途端に歯切れが悪くなり、嫌な想像が膨らんでしまう。『北西都』在住の討伐士は街を出る際、届出を提出する義務がある。未提出での越壁は軽犯罪で処罰の対象であり、個々の征伐屋内でも罰則を規定している場合が殆どだ。
理由は討伐士が剣や弓などの凶器の携行を許可された特殊な職業であり、ある程度の管理をしなければ重大犯罪を引き起こし兼ねないから。または怪物への有数の対抗策として『北西都』内部の討伐士の滞在数を常に把握しておきたいから。この二つが通説だ。
兎に角、無許可での『北西都』からの脱出は今後の人生を狂わす程の暴挙である。
「違いますっ。きちんと申請して、許可証を監査官に見せてから牛車に乗りました」
慌てた様子で彼女は否定して、昨日の早朝の光景を思い出す。確かに彼女は遅刻寸前で牛車の待合所に訪れたが、監査官の審査は通過していた。許可証の偽造の可能性を除けば、正式な方法で壁を潜ったと判断できる。許可証の偽造をする手間があれば、普通は申請書を提出するが。
「あのですね、先日センパイの部屋にヒュロス・アルゴスさんが入って行く姿を見て、つい魔が差したと言いますか、特に悪気はなかったんですけどね、天才討伐士と凡人討伐士の会話ってどんな内容か気になったと言いますか」
歯切れ悪く、青く大きな瞳を忙しなく泳がせながら彼女が弁明する。ともすれば、研修を無断欠席した話をした時よりも申し訳無さそうなのは、彼女にも自らを省みる心はあるという事だろう。
「あの日の会話を盗み聞きしていた、と」
「センパイの部屋、裏路地向きの窓が開いていたので、つい」
「あぁ……」
廊下に通じる扉は相応の防音性能があるので壁に耳を当てても聞き取れないだろうと思ったら、そういう事か。だとすれば、あの日アルゴスさんが妙に窓の外を気にしていた理由にも得心がいく。アルゴスさんの聴覚ならば、窓の外で盗み聞きしていた下手人が新人エリス・ディスコルディアだと聞き分ける事すら容易だっただろう。
と、思って衝撃の事実に思い至る。
「道理でやけに説明口調だったわけですねぇ」
やってくれる。
越壁申請は前日の午前中に済ませろとか、牛車は予約した方が良いとか。果てには二日後にヒルデ山で駆除依頼が入っている事を確認までして。
全て窓の外で聞き耳を立てていた彼女に聞かせる為に違いない。
彼のことだ、その情報を元にして彼女がこっそりとオレについて来ると読み切っていたに違いない。
そして、オレが彼女の説得を諦めて、依頼を早急に完遂してから確実に彼女を本部に連れ帰る選択をするところまで。とは言え、流石にクレタ町到着前に”岩窟公”の襲撃を受け、彼女の正体が露呈する未来までは予測できなかっただろう。
凡人のオレではアルゴスさんが何を目的に彼女に情報を与えたのか理解出来ない。単純に彼女の問題行動を面白がっているだけという可能性も否定しきれないが。
何れにしても、アルゴスさんの行動が原因で現状の問題に巻き込まれているのは疑いようがなかった。
改めて彼女に目を向ければ、何故か彼女に同情の念すら湧いてしまうから不思議だった。オレの上司が余計な情報を与えなければ、彼女は『北西都』から出る事すら叶わず、不承不承研修を受けていただろう。
無論、情報の扱い方を誤ったのは彼女であり、予定を打ち捨てた事実を擁護する気はない。
「人の会話を盗み聞きした事を反省できるなら、本部の先輩方に迷惑を掛けている事実をもっと重く受け止めるべきだと思いますよ」
「それは彼方が勝手にしていることですから」
なるほど、オレじゃなければ一発どころじゃなく殴られているだろう。
「では、せめて謝罪の一つくらいはあってもいいのではないかと」
「盗み聞きした件に関しては、申し訳無く思っています」
意外と素直に謝罪されて面食らう。どうやら、彼女には他人には理解し難い基準があるらしい。
彼女を追及しても一朝一夕で考えは変えられないのだろう。根気よく、時間を掛けて理解させていくしかないようだった。
そうこうしているうちに、クレタ町の南側の区画に入っていく。町の中心部に程近いこの辺りでは、やはりクレタ町が規模の大きな町であると実感させられる。壁門付近では疎らだった人混みもだが、今では気を抜くと彼女と逸れそうな程に混んでいる。クレタ町の人口は詳しく把握していないが、周辺の村々とは比較にならないだろう。
大陸中に点在する集落の発展を促す要因はいくつか挙げられるが、そのうちの一つが解体塔の有無と言われている。
解体塔とはその名の示す通り、討伐した怪物を解体する為の施設だ。討伐士または衛士の討伐した怪物を解体して、革や肉、角や牙などの有用な素材を剥ぎ取るのである。無論、解体塔でなくとも怪物や動物を捌く事は可能であり、実際に遠征中の討伐士などは自力で怪物を解体し、必要な素材のみを街に持ち帰る場合もある。だが、解体塔には怪物を捌くのに特化した道具や、素材を保管する倉庫などが充実して設置されており、遠征先の山中や村の広場で獲物を解体するよりも余程効率が良い。
つまりは、解体塔が建設された街には討伐された怪物が持ち込まれ易く、多くの資源が手に入るのである。
クレタ町にも解体塔が建設されている。
塔と呼ぶには少々小振りだが、怪物の解体に特化した施設という意味では他の街の解体塔と同様だ。小振りと言っても周囲の建築物と比較すると高さ、広さ共に巨大な部類に入る。
多くの場合、解体塔は町の中心に程近い地点に建設され、その街の象徴的な建物として扱われる。クレタ町も例に漏れず、最も人通りの盛んな町の中心に石造りの塔は建設されていた。
「解体塔に怪物を持ち込むと、怪物の資源力に応じて金銭が支払われます。比較的に個体差の大きい、例えば”岩窟公”などは解体して素材の量や質を換算してからの支払いです。個体差の小さな”パンラット”などは一律の料金設定がされている場合が殆どですね」
”パンラット”の死骸を見せて説明すると、彼女は訝しんで眉をひそめた。
「急に、なんですか。ランダイに帰れって言わないんですか」
「言っても帰らないでしょう。ですから、早く依頼を終えて確実に連れ帰ります。だからと言って道中を無駄にする気も無いので、研修の予習でもします」
アルゴスさんの想定通りに行動してしまうのは癪に障るが、そもそもの原因の一端をアルゴスさんが担っているのだから抗うのも面倒だ。
「センパイ、意外と融通が利く人ですね」
「疲れているだけですよ」
背中の傷も痛むし、貧血で頭が重い。あまり彼女の為に体力を浪費したくなかった。
オレの事情など興味も無いのだろう。彼女は先程よりも幾らか上機嫌に表情を緩めた。一応、彼女も先刻まで自力で歩けない程の怪我を負っていたはずなのだが、元気なものである。
「金銭受取りではなく、現物受取りという選択肢もあります。もしも希少資源を有する怪物を討伐したら、現物受取りにすると良いでしょう。他にも施設の一部借用で、自力で怪物を解体する事も可能です。巨大な怪物になるほど、手数料が多く差し引かれるので、その辺りの金額を予め計算してから利用します。今回は”パンラット”ですので、解体は委任し、金銭受取りにします」
解体を委任して金銭受取りにすると、持ち込んだ此方の取り分は最も少なくなるが、”パンラット”のような個体数の多い怪物だと一律で料金が支払われるので時間が掛からない利点がある。ほんの小遣い程度の金額にはなってしまうが、今は町の南に急ぎで向かわねばならないので、手ずから解体する手間は省くべきだった。
「自力で解体なんて、皆さんやっているんですか」
「駆除対象の怪物は自分で解体する事が多いですよ。出来る限り解体塔で手数料を引かれたくありませんから」
無名の討伐士は金銭的に余裕がないのだ。逆説的には、高名な討伐士は駆除した怪物をそのまま解体塔に輸送する場合が多い。優秀な討伐士とは怪物の駆除数も多いのだから、一匹一匹に長く時間を取られていないのも理由の一つだ。
「ちなみに、怪物の解体手順は実地研修で習います」
「私は村で経験があるので、受ける必要がありませんね」
一度譲歩してしまったからか、彼女は完全に開き直った様子で胸を張ったりするせいで辟易する。彼女の素行については、もう指導できなかった。
今回クレタ町に訪れた目的は解体塔に立ち寄る事ではない為、解体塔では”パンラット”を受け渡すと、雀の涙程の金銭を受け取って早々に立ち去る。
一般の市民には余り知られていないが、解体塔は意外と人の出入りが激しい。そして解体した怪物の売買で金回りも良いので、内装も美しく保たれている。壁に掛けられた大型怪物の毛皮などは圧巻である。
初めて解体塔に入った新人討伐士は暫し内装の荘厳さに見惚れるのが通例らしく、彼女もその例に漏れない。が、クレタ町の解体塔は珍しい怪物の一部なども飾られてはいるが、『北西都』のものの豪奢さと比べると幾分か劣り、既に見慣れてきているオレの気は特に惹かれない。
受付で事務的な処理だけを終えて、彼女の手を引いて出立する。
「”テスタロト”の革も飾ってありましたよ」
「えぇ。異称持ちの討伐士にとっては、そこまで危険な獲物でもありませんから」
本当に危険なのは山脈を超えてやって来る大型から超大型の怪物で、一流の討伐士が日頃相手取っているのは、そんな次元の怪物ばかり。中型の怪物に手間取るのは二流未満の三流討伐士くらいだ。
「センパイの大好きな訓練を受ければ、”岩窟公”も駆除できるようになるんですか」
「……」
厳しい訓練とは言え、そこまで万能ではない。最終的な実力の行き着く先は結局、本人の才能に依拠するからだ。少なくとも訓練を受けたからと言って”岩窟公”を駆除できない討伐士が存在する事実は、オレが体現している。
彼女は訓練や実践の果てでその天稟を発揮する可能性もあるので、否定もしないが。
「ま、私も戦闘訓練は真面目に受講したいと思ってますけど」
「昨日と本日分の講習に欠席しておいて、真面目も何もないと思いますが」
「教官の前での態度の話ですよ」
真面目の意味を履き違えるにも程があるが、言い争うのも疲れるので嘆息するだけで流してしまう。
「っていうか、あの”パンラット”を牛車の中で殺したのは私だと思うんですけど」
言われてから思い出す。オレの手際の悪さが原因で牛車の中に”パンラット”が侵入し、彼女が代わりに駆除したのだ。そうでなくとも、彼女が道中の功労者であるのは疑いようもないので、特に拒否する心算もない。
普通の食事ならば一食にもならない程度の金額だが、解体塔で受け取った金を手渡す。
「ちょっと買い食いして良いですか」
「どうぞ勝手にしてください。ワタシは先に羊舎に行きますので、くれぐれも面倒事を起こさないように」
「センパイ的に私は一体どんな位置づけですかね」
問題児、または異端児。
大通りの両端に広がる露店に歩いていく少女を傍目で見送り、町の南に歩いていく。
そういえば、町中では掏りに気をつけるよう、注意を促すべきだったろうかと今更ながら思う。
一度頭を掻いてから上空を見上げれば、陽は中天から次第に傾き始めていた。
約束の時間が近付いてきている。
羊舎に到着すると早速、羊車の発車時刻を確認したが、定期便の羊車引きの男の話によれば今しばらく先の予定らしい。足の速い羊ならば、十分に依頼主の指定時間内に目的地に着けるはずだ。
今日は昼前にして既に疲労感が酷い。少しでも体力を回復させておかねば、依頼に影響を及ぼす恐れがあった。羊舎の人間に断りを入れ、待合所で出発までの間、休憩させてもらう。
椅子に腰を下ろして一息吐けば、尚更に疲労を実感する。昨日から続けて気の休まる時が少なく、今日は特に無茶な事をした自覚もある。
待合所の隣の羊舎に何頭も居る、羊の忙しない鳴声を耳にしながら、後の予定を再び組み立ててみる。
出来るだけ早く依頼を終え、問題児を『北西都』に連行し、オレはゆったりと休息を取りたいものである。