131 攻防戦
平和だった日常は唐突に終わりを告げ、私に訪れたのは逃走の日々だった。
あの日あの時、何も出来ずにいた私を救ってくれたのはラルスのパーティの人間でヴィンスという人らしい。
見た目は二十半ばから三十手前。スヴェンよりもすこし若いが、ラルスよりは年上だろうか。
彼は私に対して意味の分からない言葉を吐き出すラルスを一撃で仕留め、げっそりとしながら去っていった。静かになってからウィルに確認させると誰の気配もなく、本当に引き摺って帰ってくれた形跡は見られる。
後になって本当の意味で仕留めてくれていればよかったのにと思ったが、殺人は強要できないし依頼も高額になるので諦めておく。
死んでもいいと思っているが、アイツの命に金を払うのも癪だ。
勝手に死ねばいい。
それはさておき、ウィルにきちんと嫌味を二、三。否、嫌味だけの言葉の羅列で罵っておいたが、そのあとデリアやその他孤児にも盛大に文句を言われたと聞く。しょぼんとするウィルに何度も謝られたが許す気になれず、当分の弁当抜きの刑に処すことで気を紛らわしたのだが、それでもイライラは治らない。
ウィルがアイツを撒いてこなかったせいで家がバレてしまい、本当に地獄かと思う日常が唐突に始まってしまったのだ。そりゃ治まるわけがないだろう。
早朝、ニコラの元へ薬草を届けようと外に出れば奴がいる。
Uターンして家に籠るも一向に帰る素振りを見せる事はなく、デリア達が来ると何やら語りかけるらしい。
らしい、というのは私が耳を塞いで地下に籠るか庭に逃げているので、内容を把握していないからだ。げっそりとするデリア達を前にすると聞く気にもならないし、聞かない方がいいとセシルに言われるのでそのままスルーしている。
最初の二、三日はラルスがうちに張り込み挙げ句の果てにこちらの庭にテントを張ろうとしたのだが、そこで登場してくれたのがヴィンスとその仲間達である。
ヴィンスとカラムとやらは流石にそれはとラルスを止め、空気の読めないオーエンと名乗る筋肉バカは一途は素晴らしいなと笑って咎める事はない。
どうやら常識を持っているのは二人だけのようである。
ヴィンスとカラムはラルスが居なくなるとここまで来るか、もしくは街にいる孤児達に情報を求める。孤児達は最初彼らを敵認定していたようだが、私とラルスを離そうとする行動から一応は敵ではないと考えを改めたらしい。
そしてこの行動により、私は孤児達に守られていた事実も知った。
何故街にいたラルスが私の前に現れなかったか。
それは孤児達の誰かがラルスの存在を認知すると、デリアまで連絡がくる様に連携されていたから。
いつの間にそんな事まで出来るようになったのかと驚いた私だが、元を正せば彼らは孤児。自分達の身を守る術は初めから知っていたわけで。それが今回は私を守るために使われたようなのだ。
孤児に恩を売っておいてよかったと、心底過去にとった自分の行動を褒め称えたい。
「リズエッタさん、あの人達数日は戻らない依頼受けたみたい。ちゃんとあの人も連れて行くって言ってたわ」
「それ、どこからの情報源?」
「ヴィンスが教えてくれた」
「なら一応は信用できるか」
アイツらのパーティで一番信用できるのがヴィンス。次にカラム。最後にオーエンだ。
ヴィンスはラルスの奇行を直に見ているから私に同情的で、なにかと情報を孤児に流してくれている。
カラムはどちらかと言えば常識はあるが、面白がっている節がある嫌な奴だ。ニタニタ笑うその顔に唐辛子の粉末を投げて以来少しはまともになったが、それでもアイツのどこら辺が駄目なのかと問うクソ野郎。全てに決まってるだろう。
最後に一番厄介なのがオーエンだ。むしろこいつは信用ならない。する気もない。
コイツは脳筋で尚且つ空気が読めないし、考えなしに行動する。大楯持ちだから護ればいい、との考えからきてるとヴィンスは言うが、そう言う問題ではないだろうに。だってコイツは悪意なしで私を追い詰めるのだから。
何故幸せにしたいと願うラルスが駄目なのか。
思われていることを否定するのは良くない。肯定しろとは言わないが、だからといってその気持ちを蔑ろにしてはいけないのではないかと私を追い詰める。
私だって何度も断っているのだと言い聞かせても、なら君が誰かと幸せになるまでそばに居たいと願うのも悪なのか?と謎の論理をかましてくる。
悪だの何だのの前に、人様の迷惑を考える思考を持って行動しろと舌打ちをかましたのは真新しい記憶だ。
その後私はオーエンをラルスに次いで面倒くさい奴だと認定し、孤児達やスヴェンに通達。
それ以降余程のことがない限り出会う事はなくなったのだが、やはりこの状況は精神的にくるものがあった。
早急に何とかしなければならない問題に変わりないなのだ。だから何とかしないと。
「はぁ、頭が痛い。どうしてこうなった?」
何度考えてみても私の行動に誤りがあったとは思えない。
自分を守るために家を出たことも、この街で生活してきたことも商売を始めたことも。何も私は悪くない。
なのに何故こんな酷いことばかりが起きてしまうのだろうか。
「──もしかしてこれは神の陰謀では……?」
「んなアホな事言ってんじゃねぇよ。神への冒涜はやめろ」
「あ、肝心な時に役に立たなかったスヴェン、おかえり。肝心な時に役に立たなかったんだから、何か情報掴んできた?」
「お前喧嘩うってんのか? 俺がどこいってたか知ってるよな?」
「それとこれとは話は別だよスヴェンさん。私がどんだけ怖かったかお分かり? ゲロ吐くかと思ったわ」
肝心な時にスヴェンがここにも庭にも居なかったのは、エスターへラルスの情報を集めにいっていたからだと理解している。
だが理解していても私はそのせいで怖い思いをしたのだ。誰かに当たりたくなっても仕方ないだろう。
ふぅ、と一度息を吐き出して私は思考を入れ替え、スヴェンからの報告を黙って聞く事にした。
「思った通りラルスは村を出て行ったことに間違えはねぇ。念の為村長にも聞いたが苦笑いされたし、事実なんだろうな。村の連中の半数はラルスに対して否定的だが、一部の若い奴は肯定的だった」
「え、なんでよ? 村捨てたのに?」
「"真実の愛"って素敵ね。"一人を愛して全てを投げ出せる"なんて羨ましい。他の意見も聞きたいか?」
「いやいい。耳が腐り落ちる」
スヴェン曰く、若い衆はラルスの行動を羨ましく思っている者が多いそうな。
閉鎖的な空間で、当たり前のように相手を決められての結婚。そこから外れるには村から出るか、余程の理由があってこその婚姻しかない。
それはエスターだけの話ではなく、小さな村なら大概こんなところだろう。
ハウシュタット程の大きな街なら少しは自由恋愛が許されるが、そうでないのが大半だ。
そりゃ自由にできるラルスを羨ましく思う若者もいるだろうよ。
「ぐぬぬ。これじゃああっちに帰っても意味がない! ラルス派がいるならアイツも戻ってきちゃうじゃん! なんなの!? ねぇ、なんなのこの状況!?」
「落ち着けリズエッタ。そう思うのも分かるが、現状をどうにかするのがまず先だろ?」
「じゃあスヴェンさんには既に考えがあるんですかー? どうすればいいんですかー? 私にどうしろと言うんですかねぇ!」
「……投げやりになるんじゃねぇよ。とりあえず俺も当分こっちに住んで守ってやるから、な?」
「それだけ? え、それだけなの?」
「それ以外に方法はねぇだろ。今はな。それにアイツらも一生ここにいるわけでもねぇし」
「居なくなる保証もないけどね!」
ここは地獄かと叫んで、私は狂ったように笑い出す。
だってもう、それしかできないんだもの。
悲しくも私にできる事はただ逃げることだけ。ラルスが居なくなる時だけは自由に街へと行けるが、それ以外はひたすら籠るかスヴェンの後ろに隠れる事しかできない。
その結果スヴェンとラルスの攻防戦も何度か起こったが、その都度孤児やヴィンス達が窮地から救い出してくれる事もあり、珍しい光景でもなくなった。
絶望に暮れるそんな毎日の中、突如届いたのは一通の手紙。私に手紙を送ってくる人なんて愛しのアルノーか無茶振り領主だけなのだが、今回はどうやら後者のようである。
そろそろ返事を聞かせてもらいたいと、連絡してきたのだろう。
いつもならば面倒臭いと思うこの手紙だったのだが、今の私には天の助けのようにも思えた。
どんな手紙であれ、これで奴の踏み入ることのできない場所へと逃げられるのだ。
嬉しいに決まっているではないか!
両腕を上げて小躍りしながらも領主の使いに今すぐ行きますと返事をし、いつもよりも豪華な馬車がやってきたのはあくる日のことであった。
やったね!これで少しは離れられる!