【-感覚の強さ-】
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「怪我をしても、お互い恨みっこ無しで良いですか?」
柔軟体操をしながら楓は雅に訊ねる。その柔軟中もピョンピョンと跳ねるので、短いプリーツスカートが、なんの防御機能も果たさずに下着をチラチラと晒している。そんなことなどお構い無しに楓は柔軟を続けているので、雅はなんだかなぁと思いつつ、自身も足の筋を伸ばす。
「怪我しないように手合わせするのが一番だけど、それじゃ本気を出しているとは言えないもんね」
「そうです。私が年下だからって手加減はしないでください。あ、でも、殺しはしないでくださいね? 私も殺さないように動きますんで」
「当たり前だよ。私は絶対に人を殺さない」
「そこはディルもケッパーも同じ教え方みたいで助かりました」
肩を動かし、腰を捻り、楓と雅の体は充分に温まる。
「準備はオッケーですか?」
「うん」
「ウエストポーチは外さなくても?」
「海魔とはこれを着けて戦うことになるし……退院後すぐのディルとの戦闘訓練中は外していたけど、あんまり良い動きはできなかったから、このウエストポーチの重量でハンデが生まれることはないよ。楓ちゃんは逆に、短剣だけで大丈夫?」
「雨が降りそうなときは雨合羽を着ますけど、基本的に体になにか身に付けているの落ち着かないんですよ。大抵はケッパーに荷物を押し付けるんで。でも……そうですね、雅さんはそこに色々と入れているみたいですし私もそういうの、身に付けるように心掛けたいと思います。まぁ、今回は無しで。次があったら、雅さんみたいに入れ物を着けて手合わせしたいです」
雅はディルから貰った腕時計を眺める。
「じゃぁ、最高で十分ね。十分経ったらアラームを鳴らすようにするから。これはディルの戦闘訓練のときも五分から十分の間でやっているから、悪いけど楓ちゃんが合わせて?」
「問題ありません。戦っている最中に時間を気にしている余裕はありませんし、むしろアラームが鳴ってくれた方が経過時間が分かるので助かります」
「まぁ私も、時間を気にしている余裕は無いんだけどね。ディルと戦闘訓練をしていたらあっと言う間に五分とか過ぎちゃうし」
前置きはこれくらいにして、と雅は呟きつつ、まずは足回りを整える。次に自身から楓までの間にある距離を確かめ、道中に足を取られるような物が無いかも確認する。山間の街の中でも人通りが少なく、且つ平らなところを選んだつもりだが、ちょっとした石で足を引っ掛けて転んでしまっては、手合わせを持ち掛けて来た楓に申し訳が立たない。
「じゃぁリィさん、掛け声お願いします」
「どんな掛け声が良い?」
今日もリィを護衛するのは雅の役目だった。ディルとケッパーは朝からまたどこかに行ってしまっていたようだし、恐らく雅たちのやることも昨日と変わらない情報収集だろう。
時間を少し削って、手合わせをしてもあの二人は怒らない、と思いたいけど……。
「『よーい、ドン』でお願い」
「分かった」
雅が両腰から短剣を抜く。白の短剣の柄頭から伸びる帯に足を取られないかやや心配だったが、地面に付くほど長くはなく、利き手の左手で握ってみれば気にも掛からない。そしてなにより、利き手で握った方がこの白の短剣はしっくりと来た。だから長年、愛用している短剣を今日ばかりは試しに右で、そして逆手で持ってみることにした。
腕時計のタイマーのアラームをセットして、スタートさせる。その後、ディルとの戦闘訓練でのいつもの体勢を取った。
楓も飛び跳ねるのをやめて、短剣を両手で握ってこちらを見つめている。
「よーい」
自然と二人の体に緊張によって筋肉が固くなる。
「ドン」
リィの掛け声とほぼ同時に、楓が走り出す。軽快で、身軽、それでいて素早い。足運びが速い上に幾つもフェイクが入れられていて前方とは言っても左から来るのか右から来るのかの判断が付かない。
付かないが、棒立ちするのは良くないだろう。懐に入られてしまえば、電流――もはや電撃と呼んでも良いだろう、一撃で対象を気絶させる代物を浴びせられてアウトだ。
非常に不本意ではあるが、まず後退しつつ様子を窺う。前方への突貫。これはディルに雅が突っ込むときのスタイルだ。だから、それに照らし合わせるのならば、雅は楓の攻撃を受ける側だ。
ディルの場合は先手を譲ってくれたが、楓を相手にするとそうは行かない。先手と後手を決める一瞬を楓が取った。だから後手に回っている。先手必勝とはよく言うが、雅もそれなりに動ける方だと自負している。なのに、楓の反応速度は尋常ではなかった。
後手に回ったとき、ディルはどう対処しているか。それは、相手の攻撃を受け流し、カウンターとばかりに足払いを行う。あの男の場合は足技主体だからそれで良いが、雅の場合は短剣でそれを行わなければならない。
問題は電撃をどうやって流すかである。触れれば一発。つまり、触れないようにして受け流さなければならないのだ。あの短剣に触れず、楓の腕を払う。これしか雅には受け流す術は無い。
軽い踏み込みからの、両手に握った短剣での剣戟。勿論、当てるつもりはない。むしろ触れることを前提としたものだ。だから右足を下げ、上体を逸らしてかわす。続いて、彼女の軸足を払うべく足を回す。
「っと」
払うべき足が無い。寸前で跳躍されて、身を翻されてしまった。そのまま下がった楓は曲芸を披露しているかのように軽快な動きで雅を翻弄し、再度、剣戟が繰り出される。
かわして反撃が通用しないなら。
雅は右手で一点を指差す。そこに彼女が踏み込んだ刹那、変質した空気が膨れ上がり楓の体が上空へと吹き飛ばされた。
「そこ!」
落ちて来る楓を待ち構え、着地を狙って踏み込み、右手の短剣で切り上げる。
楓は着地寸前に身を捻らせた。柔らかい上体と下半身を見事に使い分け、雅の剣戟を寸でのところで見極め、避け切って見せる。しかも雅と接触するかしないかのギリギリのところに蹲るようにして着地したかと思えば、立ち上がりながら短剣を切り上げて来た。
体が後方に傾いでしまった。
「貰いました!」
「誰が!」
隙なんて与えるか、とばかりに傾いだ上体とは裏腹に首だけは前面に押し出し、顔は楓を捉えて離さない。それが空間の変質に繋がり、二人の間で強烈な突風が吹き荒れる。
これは雅ですら想定していないほどの力の放出だった。咄嗟のことで、変質に余裕が無かったことも要因である。そのため楓だけでなく力を放った本人である雅ですら吹き飛んだ。
「なかなか近付かせてくれませんね……さすがです」
突風で身を地面に打ち付けながらも雅より先に起き上がった楓が、賞賛の声を零す。雅はそのあとでやっと体を起こすことができた。
「別に私は」
「謙遜なんて必要ありませんよ。私は、あなたの力量に感心しているんですから」
行きますよ、と語尾に残して楓の短剣が形を変える。それは一度、雅を捕らえたこともある鎖鎌だ。まず分銅側をヒュンヒュンッと回転させている。これで雅の動きを止めるのが狙いらしい。なら、その放たれる錘ごと、風圧で跳ね返してしまえば良い。
いいえ、それは危険すぎる。
楓は当然の如く、本気のはずだ。だったら、この鎖鎌にも『雷』の力を使う。電撃を纏わせているに違いない。
風は電撃を弾けるか分からない。
台風や大荒れの天気の中を駆け抜けるのが雷だ。風圧で邪魔をされて雷が逸れるという話はあまり聞いたことがない。たとえそういった現象があったのだとしても、果たして自身の『風』が『雷』を弾くことができるかは一つの賭けに変わる。
“摂理”に力関係があるのなら、『雷』は『風』に強い。分銅は弾き返せる。けれど分銅に纏わせた電撃はそのまま変質した空気の中――風圧の中を突き抜けて雅の体に至る可能性がある。
無いとは言い切れない以上、こんな賭けはできない。だとすれば、雅ができることはやはり、かわすことだけだ。とにかく一撃を貰わない立ち回りしかない。ディルとの戦いでもそうであるが、海魔との戦いでも必須の動きだ。別に今が初めてというわけではない。
だから恐らく、楓よりも今、雅の頭は冷静に働いている。感覚的に動いている楓に知識で立ち向かってはならない。突飛な行動にディルも電撃を浴びた。雅では到達できなかった一撃に、この少女は容易に到達したのだ。
楓は全ての感覚に愛されている。ならば、雅はただ一つ、第六感とも呼べる直感を頼りに動くだけだ。直感は頭の中が真っ白になったとき初めて働く。
どちらにせよ、雅も楓も感覚的に動くことに変わりはない。どちらが強く、どちらが弱いというものでもない。雅の直感も楓の動きに近しく、楓の動きも直感のようなものなのだ。
とにかく、楓と同じ境地に達しなければならない。感覚頼りに体を動かすのは物凄く、抵抗があるのだが、戦艦において艦橋に激突する寸前に風をクッションにできたのは、その直感によるものだ。
だから雅は、ここにおいては自身の直感に全幅の信頼を置くことにする。動いたあとは考えない。動かしたあとは考えない。ただ、思うがままに全てを体に委ねるだけだ。




