【-海魔に与えられた意思-】
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その海魔が、海魔としての意識を持って産まれたのは、深淵のような海の底だった。本能に従い成長し、同胞と共に生きる力を得て行った。
半人半魚のその海魔には、しかしただ一つ同胞と違うところがあった。
それは、考える意思の存在である。その海魔には、人間と同等の知恵が備わっていた。
だから、その海魔は成熟するに従って海魔の言葉に限らず、人語もまた覚えた。
そうして海魔は、一つの欲望に支配されるようになる。それは人間のように美しくなりたいという欲望だ。人間の雌は陸の上で様々な装いをして、様々な化粧をして暮らしている。
それがとても楽しそうだと、海魔は思ったのだ。
人間しか持ち合わせていないはずの美意識を、この海魔は人並み以上に持ち合わせることになった。
ならば、どうすれば良いのか、ただ殺すだけでなく、より美しく、気高き存在に近付く方法は無いのだろうか。自分はこのような、醜い半人半魚のまま生涯を終えなければならないのか。そんなことは天変地異が起ころうとも、海魔の精神が許しはしなかった。
だから海魔は全力で人を殺し、生き血を啜り、肉を喰らった。そして生き残るために、引き際も見極めて、各地を転々とした。
そうやって狩り、啜り、喰らい、逃げることを続けて五年と半年が経つ頃。海魔は美しさとは掛け離れるほど醜悪に、肥え太っていた。恐らくは1000を越えるほどの人間を喰らった。しかし美しさは手に入らず、醜さだけがその海魔には備わった。
怒り狂い、悲観に暮れ、全てを恨んだ。
しかしながら、そのとき海魔の耳元に啓示が囁かれた。それはまさに、天の意思と呼んでも差し支えのない言葉であった。
海魔はその言葉に従い、同胞から離れて蠢き出す。
美しさを手に入れることができる。
こんな醜い姿から解放される。
人間の美徳を自らも堪能することができる。
海魔の心は喜びに満ち溢れていた。その口でどれだけの人間を喰らったかも忘れてしまうほどの喜びだった。
海魔はあるところで眠りに付いた。
その眠りを妨げられないように、己に従う海魔に見張らせた。
そうして海魔は目覚めを待つ。
寝息のように歌声を響かせながら、はるか高みに登り詰める、そのときを待つ。
あのとき確かに聞こえたのは、天の啓示であったと信じて。




