【-曰く付き-】
「お姉ちゃん、これ」
リィが、短剣の一つを指差している。雅はそれを震える手で、掴む。
「ほぉ、お嬢さん。それに目を付けるとは、なかなか」
「この短剣にはどのような逸話が?」
白く眩しい刃を抱き、見事な波紋が描かれ、浮かび上がる紋様も綺麗に輝いている。先ほど手に取った短剣と同じく、これも直剣をそのまま縮めたような短剣ではあるが、柄頭に装飾なのか白い帯が結わえられている。こういった装飾に凝った刃物は、祭儀用に造られた可能性も高い。そうなると、実戦向きとは言い難い。
「白竜をご存知か?」
「いいえ」
「二十年より少し前、首都防衛戦の直前のことですかのう。この世にアルビノと呼ばれるドラゴニュートが降り立ったのじゃ。白き鱗に白き瞳、そして白き牙。そのドラゴニュートは、見紛うほどに美しき雌であったとそうじゃ。しかし、余命幾ばくもない彼の者には、生きる気力も無く、その間際に人を襲って死んだのだとか。その死体はその後、肉は消え去り骨と牙だけになったそうじゃ。元より海魔。死んでしまうことを惜しいと思うことは間違っておる。しかしながら、惜しいと思った者が居った。その者は牙を、そして骨の一部を粉々に砕くと、それを刃を研ぐ際にまぶすことで、一振りの短剣を造り上げた。不思議なことに、不純物を混ぜられて磨かれたはずのその短剣は、恐るべき強度と切れ味を持ったと言う。お嬢さんが今、手に取っておるそれのことじゃ」
お爺さんは更に続ける。
「しかしのぅ、『血吸いの王』などとも呼ばれておる。肉を断つとき、白き竜の嘶きが聞こえるそうじゃが、短剣にはそのような細工は一切されておらん。そして、血は刃と帯に留まり、気付けば白の短剣は紅の短剣へと変貌を遂げると言う。それに震え、怖れ、畏怖した者は戦っていた最中に発狂し、血塗れになって死ぬ。そうしてここに、必ず戻って来る」
雅は白の短剣をジッと眺め、帯の長さを確かめる。数度振って、その帯が邪魔にならないことも確認した。
「雅さん、もしかしてそれにするんですか? そんなどこぞの曰く付きの武器を持ったりしなくても良いんですよ?」
「……でも、楓ちゃん。私には、話にあった白い竜が、悪い海魔には思えないの」
「海魔はみんな敵ですよ? いや、でも、ドラゴニュートの一部は、査定所からも討伐せずに様子を見ろと言われている特別な、海魔ですけど」
「血を欲しているのなら、海魔を斬れば良いだけ。肉を断つとき、嘶くのなら……私はそれを聞いてみたいし、感じ取りたい」
なにより、リィが「これ」と指差した。彼女には海魔として、なにかしらの想いを感じ取ったのではないだろうか。そんな気さえ、していたのだ。冷静さを欠いていると言われてもおかしくはないが、しかし頭の中は冷え切っていて、むしろ思考は正常に近い。
「ふぁっふぁっふぁ、肝の据わったお嬢さんだ。しかし、ワシは責任を持たんぞ? その短剣がいずれ自らの肉を裂くことになったとしても、それは『血吸いの王』を持つ者の定めと思うことじゃ」
お爺さんは立ち上がり、杖で身を支えながら寄って来る。
「幾らですか?」
「曰く付きの代物は安く見積もられるものじゃ。なんせ、箔を付けたがる者以外は誰も手に取りたがらんからのう。しかし、中には……曰くすらも捻じ伏せ、従える者も居る。言ったじゃろ? 半数は戻るが、半数は戻らぬと。柄に掛けてある値札の半額で売ってやろう。お嬢さんの未来が白き輝きに包まれるものか、はたまた紅に染まる血の結末か。見定めるには丁度良い額じゃろう」
雅は財布から値札に書かれた半額を財布から取り出して支払い、リィに預けていた短剣を受け取る。お爺さんが鞘を店の奥から取り出して来て、そこに短剣を収めて購入を終えた。雅はそれを左腰に差す。
「さて、どちらの未来を見ることになるか。楽しみじゃのう」
雅は小さくお辞儀をして、リィと一緒に店を出た。そのあとを慌てて楓が追い掛けて来る。
「良いんですか、それで? 今ならまだ間に合いますよ?」
「良いんだよ、これで。どうせ私の歩く道は、海魔と戦う道って決まっているから」
「……雅さんのその精神力、憧れます」
「楓ちゃんの身軽で軽快な動きも、素早い反応速度も、どれも私には無いものなんだよ? それに、私よりもずっとメンタルでは上だよ。私は、その強さが羨ましい」
そう答えると、楓はピタッと足を止めた。どうしたのだろう、と雅は振り返る。
「雅さん、私と手合わせをしてください。お願いします」
お辞儀をして、楓は神妙な面持ちで雅に告げる。
「……なんで?」
「なんとなく分かるんです。雅さんは私から距離を置いているってことが。それはきっと、雅さんの中にある線引きなんだと。けれど、この距離は適切じゃありません。いずれ一緒に戦う日が来るかも知れません。なのに、この雅さんとの距離では、私があなたを信頼していても、あなたが私を信じてくれません」
グサリと心に刺さった。友人と思っていた葵に嘘をつかれ、そして謝罪も無いまま――謝罪のできるような状況では無かったので、仕方の無いことなのかも知れないが、しかしその後、なんの釈明も、そして雅自身もなにも話さないままに別れることになった。
それが酷く重いのだ。それこそが、ディルが引きずっていると言っているものだ。
もうそのような重い物を引きずりたくはない。だから、もしも自分に近付くような人が居ても、絶対に自身が引いた線より先には進ませない。そう決めていた。
だからそれが見抜かれたことが、雅には心苦しいことだった。
「それでどうして、手合わせなんかしなきゃならないの?」
「これは私の持論ですけれど、お互いの強さは、剣戟の中でしか分かりません。確かに一度、雅さんとは剣戟を交えたとも言えます。でもそれは、互いに礼儀を持って挑んだものでは決してありません。だから私は、あなたの強さを改めて知るために、私の強さを改めて知ってもらうために、刃を交えるんです。互いに、分かり合うために」
雅は楓の威風堂々とした立ち振る舞いに身震いを覚えた。
この子は、自分より幼いのにずっとずっと、強い。
どのような中で育ったのだろう。どのようにして、ケッパーと出会い、自信を付け、その強さを身に付けて行ったのだろう。それがとても知りたい。
「私のこの短剣、曰く付きだけど?」
「その短剣を雅さんが選んだのなら、雅さんの審美眼を信じます」
「……分かった。私も、乗り越えなきゃならないことなんだと思ってた。こんな早くに機会が訪れるなんて思わなくて、足が竦んでいたけれど……楓ちゃんと私は、分かり合って戦いたい」
人を信じるという気持ちをもう一度抱くのは愚かなことなのかも知れない。
だが、それでも雅はまた、目の前に居る楓という一人の少女を信じてみたいと、思ったのだ。思ってしまったのだ。だから、その想いを確かめるために刃を交わす。目指すべき目標に向かって切磋琢磨する相手が居なければ強くなることは難しい。だからこそ、その相手に楓は相応しいと感じた。
なにより、もう一度、線引きを改めたいとも思った。自分に近付くなと勝手に決め付けた線を取り払い、信じ合って成すことのできる強さを再び得たかった。
「っと、こんなこと言っちゃいましたけど、手合わせをするのは明日で良いですか? 私、浴衣のままですし、なによりケッパーの言った通りに情報収集をしなきゃなんで」
「うん。私もディルに黙って手合わせとかしたら、多分、蹴飛ばされる」
なに勝手なことをやっているんだ、と。物凄い剣幕で蹴り飛ばされ、踏み付けられる未来が見えてしまった。
「やっぱり思うんですけど、蹴るとか殴るとかを耐えている雅さんはマゾヒストなんじゃないですか?」
「だから違うって」
「蹴られて喜んだことは?」
「無い」
「なら訓練や稽古のあとで喜んだことは?」
「……無い、とは、言い切れ、ない」
頭を撫でられて喜んでしまったことがある分、否定できない。
「やっぱりマゾヒストですよ」
「だから、違うんだって!」
「お姉ちゃんたち、早くしないと怒られるよ」
雅と楓の議論はリィの一声で中断され、三人は情報収集のため、街の雑踏へと飛び込んで行く。




