【-感傷-】
「ディルの、外套みたいに?」
雅は腕時計の箱を両手で抱き寄せつつ、訊ねる。わざわざ、ボロの外套を着込む理由が分からないのだ。ディルほどの討伐者なら、外套ぐらいはすぐに新調できるだろう。
「これには、ドラゴニュート――竜の皮が使われている」
「竜の皮?」
「ああ。だから千切れようと、皮さえ残っていれば再生する。滑らかだが強靭でいて、更に下等な海魔の爪では引き裂けず、奴らの放つ涎でも溶けやしない。干渉すればすぐに千切れてしまうのは、竜の皮の欠点だが、それでも時間が経てば元通りになる。だから、ずっと使っている」
「再生しても、ボロボロなのはどうして?」
「竜の皮だけで作られていないからだ。人が編んだ生地の上に縫い付けているからな。生地の繊維が再生に付いて行かない」
「……リコリスや、ケッパーの外套も?」
「俺は贈り物として身に付けているが、奴らは負い目からずっと身に付けている。ただ、“あいつ”だけは心の底から、“授かり物”だとのたまっているんだと思うと、怒りを通り越して、殺意に変わる」
「……御免なさい、変なことを訊いちゃった、んだね」
「いや……この話を聞いて、テメェが贈り物を大切にしようと思うんなら、それで良い」
そう言ったディルはこれまで見たことがないほどの優しい表情で、けれどどこか寂しさに満ち溢れていた。
「だからテメェも、いつかきっと大切にしなければならない代物と出会うことがあるだろう。それを絶対に手放さず、大切に、肌身離さず身に付けておけ。心の底から、大切だと思うのなら、そうやって使い古されていくことこそが、与えられた者の果たすべきことだ」
「分かった」
「その腕時計を大切にするのも構わねぇ。だが、“それ以上に大切な物をお前は受け取ることになる”だろう。そのときのために、そいつで心の準備をしておくのも良いかも知れねぇと、ただ、感傷に浸って、そう思っただけだ」
ディルは置いていた箸を手に取り、再び料理にあり付き始めた。雅は高そうな箱から丁寧に腕時計を取り出して、それを身に付ける。
今の雅にとっては、これが一番大切な贈り物だ。だから肌身離さず身に付けようと、絶対になくさないようにしようと決意する。
「ディルが昔のことを話してくれるの、久し振りだよね」
雅は落とした箸を拾って、ディルと同じように料理を食して行く。
「いつかちゃんと、全部を話してくれるように、信じてもらえるように、私……頑張るから」
ディルはその決意の言葉を鼻で笑う。
「頑張りが空回りしねぇと良いがな」
先ほどの優しげで寂しさに満ちた表情がもうどこかに行ったらしく、いつも通りの怖くて醜い顔付きに戻っていた。
「あと、テメェに俺の過去を語ることは金輪際、ねぇよ」
目の前にあった料理を全て平らげたのち、ディルは歩いて一人、窓際のソファへと腰掛けた。
どうやら感傷にはまだ浸っているらしい。話し掛けるべきではないだろうと雅は判断し、黙々と料理を食べ続け、皿を空にした。リィも少し遅れたが、さすがの食欲で皿の上にはなにも残っていなかった。
固定電話を取って、そのすぐ横に置いてあるダイヤル表から仲居を呼び出し、皿を取りに来てもらうようお願いした。しばらくして呼び鈴が鳴り、何人かの仲居が皿を何往復かして片付け、座卓の上も雑巾掛けをして綺麗にして出て行った。
雅はリィと協力して座卓を運び、部屋の隅に立て、座椅子もそこに重ねるようにして纏める。そしてディルが先に敷いていた布団を部屋の中央付近まで戻し、新たに二人分の布団を川の字になるように敷いた。
「ディル、布団敷いた。ディル?」
リィの声に応答しないので、雅が忍び足でディルの顔を覗く。どうやらソファに座ったまま眠っているらしい。
「起こさないようにして、こっちで話をしましょ」
リィに囁き、雅は部屋の中央まで戻る。その後、色々考えたのち襖から毛布を取り出して、それをディルの体に恐る恐る掛けた。反応は無い。そして静かな寝息だけが聞こえる。雅はおっかなびっくりといった具合でその場から忍び足で布団のところまで戻った。
「ディルが昔話をするなんて、珍しいことなんだよ?」
「そうなの?」
「お姉ちゃんにしか、今のところ話してないと思う」
「そう、なんだ」
雅はお腹が一杯になったことで苦しくなった細帯と腰帯を緩め、気持ち楽になる程度に締め直す。リィも苦しいだろうと、同じように帯を緩めに締め直した。
「お姉ちゃんのことを少しずつ信じている証かも」
「どうだろ、まだ試されているだけだと思うよ。リィも、あんまり図に乗るなって忠告したいんでしょ?」
「お姉ちゃん、どうしてワタシの思ったことが分かるの?」
「だってリィは前からそういうところあったでしょ。普段は大人しい子だけど、ディルのことになると厳しくなる。だから、そう言うと思ったんだ」
雅は「明かり、消すよ?」と言って壁にあった照明のスイッチを切った。
「あー、明日から頑張らないと」
「今日も頑張ってたよ、お姉ちゃん」
「でも、明日は今日より頑張るの」
リィは目をパチクリさせていたが、雅はその微笑みつつ彼女の頭を撫でて、敷いた布団に潜り込ませてあげた。
「ふわふわ」
「ほんと?」
雅も潜り込むように布団の中に入った。
「本当だ、ふわふわだ」
雅は再びリィの頭を撫でて、二人で静かに笑い合った。そのあと、リィが寝息を立てるまで見届けたのち、自身も緊張の糸と布団の温かさから次第に意識はまどろみの中に落ちて行く。
明日は今日以上に頑張らなければならない。きっと今日以上に大変な一日になるだろうから。
日常と呼べるところに自分は立ってはいない。自分は非日常と隣り合わせに立っている。それをハッキリと自覚しつつ、雅は睡魔に誘われて行った。




