【-贈り物-】
「……二十九分二十五秒か。ちっ、あと二分ほど時間を潰してくれりゃぁ、良かったのによぉ」
ディルは室内に設けられた壁掛け時計でしっかりと時間を計っていたらしい。ギリギリ時間内に間に合ったらしく、雅は胸を撫で下ろす。
「あ、ディル? これ、林檎飴。楓ちゃんから貰ったの」
「仲良くするなと言ったはずなんだがなぁ」
「う……で、でもこれぐらい良いじゃない。タダで貰えたんだよ? タダより高いものは無いって言うけど、ディルはタダならなんでも貰うでしょ? 私もそういうタイプだし!」
靴を脱いで、雅はディルに林檎飴を見せ付ける。
「……頭や体を使って、疲れたときには甘い物が欲しくなる、か。タダなら受け取らないわけには行かねぇな。だが、これを喰うのは夕食を喰ってからだ。冷蔵庫で冷やしておけ」
「う、ん。ありがと」
リィと一緒に備え付けの冷蔵庫に林檎飴を入れて、ドタドタと音を立てないように歩いて、雅はディルの正面、リィはディルの隣の座椅子に腰掛けた。
「一番高いものは無しだ。一番安いコースか、その次に安いコースの二つの内のどちらかだ」
「ケチ」
「ケチで結構。俺は他人に気に入られようと大盤振る舞いして金や水を使い果たしたくはねぇんだよ。そういう討伐者は揃って搾られるだけ搾られて、あとはどこかに放り出されていたからなぁ。仲間ってぇのは、金銭と水に関してだけで言うなら信用ならねぇ。分かってんのか、クソガキ? テメェが明日、ちゃんと俺の方に水を移さないなら、テメェを連れての旅もここまでってことだ」
「き、気を付けます」
「まぁテメェは、今日の借りた分以外にも俺から借金を背負っている身だからなぁ、置いてけぼりや見捨てはしねぇが、ぜってぇに逃がしはしねぇ。逃げ出そうなんて考えたなら、殺しはしねぇが足を削ぐようなことはしてしまうかも知れねぇから覚悟しておけよ。ああ、削ぐだけだったらすぐに終わっちまうなぁ。どうせなら縛り上げて、足の指から一つ一つ削いで行った方が身に染みて分かるか」
ディルは気色の悪い笑みを浮かべている。恐らく、ディルの脳内で雅の体が暴力によって蹂躙されているのだろう。それを思うだけで鳥肌が立つ。
「ここまで来て、逃げないわよ。それに、ディルの強さを目の当たりにして逃げようなんて気にもなれそうにないわよ……」
「そりゃ結構なことだ。やっぱこんな世界になっちまってからは、縁も縁もねぇガキを手懐けるには、暴力が一番だよなぁ。『穢れた水』が世界に溢れ返る前にそんな光景を見ていたなら、間違ってガキを痛め付けている側を半殺しにしてんだろうなぁ、俺は」
クククククッと気分良さそうにディルは嗤っている。
「じゃ、安いコースで、良いよ」
「体を震わしながら我慢を表してんじゃねぇ。毒味役を担うんなら、俺だって不味い物より美味い物を喰う。下から二番目のコースで三人分だ」
ディルは固定電話を乱暴に取ったのち、メニュー表で夕食のコース料理を注文する。
あくまでこの固定電話は民宿内だけの通話機器である。トランシーバーを双方向で通信できるようにした物、と考えた方が良い。外部との連絡は取れない。
程なくして、呼び鈴が鳴り、ディルが警戒しつつも扉を開けると、座卓に料理が運ばれて行く。驚くことにほぼ全ての料理が一辺に運ばれて来た。仲居は深々とお辞儀をしたのち、部屋を出て行く。
「こういうのって、時間を掛けて運ばれて来るものなんじゃ」
「ああ? テメェはチマチマと運ばれて来る料理を喰って行けるのか? ついでに扉は厳重だが仲居や料理人が何度も部屋に入って来るのは落ち着かねぇ。だから、この手の宿で注文する料理は一度に出してもらっている」
ディルが目で「喰え」と促す。
「テメェが喰って、痺れたり血痰を吐いて倒れたりすることがなけりゃ食べてやる。しっかりと毒味を務めろ。テメェが少し箸を突付いた料理なんざ汚らしいが、そういう約束だからな。喰ってやる」
つまりディルは、自身が口を付けた料理を食べるつもりらしい。
……間接キス? いや落ち着け、箸は違うものを使うんだからそんなものにはならない。
雅は懊悩しつつも、目の前にある料理の一つ一つをほんの僅かずつ口に運んで行く。下から二番目の安いコース料理だと言うのに、口の中に広がる味は濃厚で美味だった。まさに絶品と呼べる料理の数々に、涙さえ零れ出てしまいそうだった。
「ポンコツ、どうだ?」
「うん、変な臭いはしない。お姉ちゃんは、大丈夫?」
「とっても美味しいよ。特におかしな味もしないし、体が痺れる感じも無い」
「遅効性の毒物なら、まだ分からない。あと五分は待たせてもらう」
こんな美味しい料理を五分も目の前に置いて、我慢しなければならないのか。雅はおあずけを喰らった犬のような気分で、その五分を耐える。
「五分、経った?」
「……ああ。どうやら、本当に毒は入っていねぇようだな」
ディルがカタカタと自身の前にある皿と、雅の前にある皿を交換する。そしてようやく、この男は警戒を解いて料理に口を付け始めた。
「いただきます」
雅は両手を合わせたのち、料理を片っ端から食べて行く。昼食を抜いていた分、その食欲は旺盛で、ディルが汚らしく食べている様に文句の一つも言うこともできず、似たようにガツガツと食べる。リィも拙いながらも料理を口に運び、満面の笑みを浮かべている。
「クソガキ」
「なに、ひゃっ!?」
箸を置いたディルが懐から雅に向かってなにかを投げて来た。慌てて両手で掴むも、箸を落としてしまった。
「紙袋……?」
「時間感覚が碌に伴っていねぇテメェにくれてやる。安物だが、コンパス内臓の上に防水加工も施された代物だ。それでも、壊れやすいのが難点だろうがな」
紙袋のテープを剥がし、中身を取り出す。
女性物――センスの良い腕時計がいかにも高そうな箱に入れられていた。どう見ても安物には見えない。
「え、これ、なんで?」
「言っただろ。時間感覚が碌に伴っていねぇテメェにくれてやる」
「まさか、これも借金?」
「それは必要経費に入れてやる」
つまり、ディルの奢りということらしい。
「……ありがと、ディル」
胸の奥がキュゥッと縮こまり、そして顔が熱くなる。それを恥ずかしいと思いつつも、雅は今までディルに見せたことのない最高の笑顔を作って、お礼を言った。
「一日で壊すことに水一日分を賭けてやる」
「こ、壊さないよ! そんな簡単に壊すわけないでしょ!」
「はっ、なら精々、大事にしろ。贈り物ってのは、どれだけ汚くなっても、使えないものだと嗤われても、肌身離さず身に付けておけ。でなければ、その価値は半減する。大切だから使わない、なんて言葉は飽食の考えだ。生きるのに命を賭ける俺たちは、使える物だったらたとえ大切な物だろうとなんだって使う。それこそ、肌身離さず、な」




